Q.35
- 問い
- 聖化とは、何ですか。
- 答え
- 聖化は、神の一方的恵みによる御業です。それによって私たちは、人間全体にわたり神のかたちにしたがって新しくされ、ますます罪に死に義に生きることができるものとされるのです。
しかし、主に愛されている兄弟たち、あなたがたのことについて、わたしたちはいつも神に感謝せずにはいられません。なぜなら、あなたがたを聖なる者とする“霊”の力と、真理に対するあなたがたの信仰とによって、神はあなたがたを、救われるべき者の初穂としてお選びになったからです。テサロニケの信徒への手紙二 2章13節
小教理は、問32で「有効召命されているものは、この世で、義認、子とされること、聖化、この世でそれらに伴い、あるいはそれらから流れ出るいくつもの祝福を分け与えられます」と告白しました。イエス・キリストを信じる者がこの世で分け与えられる祝福、それが義認、子とされること、聖化であるのです。
問35は、聖化について告白しています。「聖化は、神の一方的恵みによる御業です。それによって私たちは、人間全体にわたり神のかたちにしたがって新しくされ、ますます罪に死に義に生きることができるものとされるのです」。
義認、子とされることが、「神の一方的恵みによる決定」であったのに対して、聖化は、「神の一方的恵みによる御業である」と告白されています。ここで「御業」と訳されている英語はワーク(work)で、継続的な働きを表します。義認と子とされることは、法的な身分に関わることであり、一回的な決定でした。他方、聖化は実質に関わることであり、継続的な御業であるのです。すなわち、私たちは聖霊のお働きによって「人間全体にわたり神のかたちにしたがって新しくされ、ますます罪に死に義に生きることができるものとされるのです」。
問18で告白したように、人間の罪は罪責と腐敗の大きく二つからなっています。罪責を処理するのが義認であり、腐敗を処理するのが聖化であるのです。
問18によれば、堕落によって、人の性質全体が腐敗しているのですが、聖化の御業は、私たちを人間全体にわたり神のかたちにしたがって新しくします。アダムの堕落によって、生まれながらの人間の神のかたちは歪められ、正しく機能しないものとなってしまいました。しかし、聖霊は聖化の御業によって、その神のかたちを新しくしてくださり、正しく機能するものとしてくださるのです。
コロサイの信徒への手紙1章15節によれば、御子こそ見えない神の姿です。ですから、人間全体にわたり神のかたちにしたがって新しくされるとは、イエス・キリストに似た者とされるということです。そのために、私たちは「ますます罪に死に義に生きることができるものとされるのです」。
聖化の御業は、徐々に進展して行きますが、この地上において完成することはありません。つまり、私たちには依然として罪がありますし、罪との戦いがあるのです。しかし、神様は聖化の御業によって私たちが罪を憎み、義に生きることを喜びとする者へと変えてくださるのです。そのことを信じて、罪の誘惑から遠ざかり、神様の御言葉に従って歩んでいきたいと願います。