問36.この世で、義認、子とされること、聖化に…
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Q.36
- 問い
- この世で、義認、子とされること、聖化に伴い、あるいはそれらから流れ出る祝福とは、何ですか。
- 答え
- この世で、義認、子とされること、聖化に伴い、あるいはそれらから流れ出る祝福とは、神の愛の確信、良心の平和、聖霊における喜び、恵みの増加、終わりまで恵みのうちに堅忍することです。
解説
このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。ローマの信徒への手紙 5章1節~5節
- 村田寿和 牧師
小教理は、問32で「有効召命されている者は、この世で、義認、子とされること、聖化、この世でそれらに伴い、あるいはそれらから流れ出るいくつもの祝福を分け与えられます」と告白しました。
問36では、この世で、義認、子とされること、聖化に伴い、あるいはそれらから流れ出る祝福について告白しています。「この世で、義認、子とされること、聖化に伴い、あるいはそれらから流れ出る祝福とは、神の愛の確信、良心の平和、聖霊における喜び、恵みの増加、終わりまで恵みのうちに堅忍することです」。
ここでは、①神の愛の確信、②良心の平和、③聖霊における喜び、④恵みの増加、⑤終わりまで恵みのうちに堅忍することの五つの祝福があげられています。これらはどれも、素晴らしい祝福です。しかし、私たちはこれらの祝福が義認、子とされること、聖化に伴い、あるいはそれらから流れ出る祝福であることを忘れてはなりません。これらの祝福は、義認、子とされること、聖化という祝福を源とするのです。
私たちはどうすれば神の愛を確信することができるのでしょうか。すべてが順調であることによってでしょうか。そうではありません。私たちが神の愛を確信することができるのは、キリストに結ばれて分け与えられている義認、子とされること、聖化という祝福に目を注ぐことによってです。私たちはイエス・キリストによって義とされ、神の子とされた者として、また御子イエス・キリストの聖霊に導かれて歩む者として神の愛を確信する祝福をいただくのです。
良心の平和も同じです。イエス・キリストにあって罪赦され、正しい者として受け入れられ、その保証である聖霊に導かれて歩んでいる。このことを源として私たちに良心の平和が与えられるのです。
聖霊における喜びも同じです。イエス・キリストにあって、罪を赦され、正しい者、神の子としていただいた。そのことを聖霊が証してくださるゆえに、私たちは喜ぶことができるのです。
さらには、聖霊の導きのうちに罪に死に義に生きることによって、さまざまな恵みを増し加えられ、いよいよ神の子として、イエスに似た者へと変えられていくのです。
「終わりまで恵みのうちに堅忍すること」は、義認と子とされることが、神の一方的恵みによる決定であり、聖化が神の一方的恵みによる御業であることを思い起こすならば、よく分かります。義認、子とされること、聖化、これらはいずれも神様がしてくださったことです。それゆえ、私たちは人生の終わりまで恵みのうちにしっかりと耐え忍ぶことができるのです。