Q.21 問い 神の選民のあがない主とは、どなたですか。 答え 神の選民の唯一のあがない主は、主イエス・キリストです。このかたは、神の永遠の御子でありつつ人となられました。それで、当時も今もいつまでも、二つの区別された性質、一つの人格をもつ、神また人であり続けられます。
解説 問21 神の選びの民の贖(あがな)い主(ぬし)とは、誰ですか。 答 神の選びの民の唯一の贖い主(ぬし)は、主(しゅ)イエス・キリストです(1)。かれは、永遠の神の御子でありながら人となられました(2)。それで、二つの全(まった)く異なった本性(ほんせい)である、神と人でありつつ、一位格(いちいかく)であられ、そして永遠にそうあり続けられます(3)。 Q.21. Who is the Redeemer of God’s elect? A.The only Redeemer of God’s elect is the Lord Jesus Christ, who, being the eternal Son of God, became man, and so was, and continueth to be, God and man in two distinct natures, and one person, for ever. (1)一テモテ2:5-6 神は唯一であり、神と人との仲介者も唯一であって、それは人であるキリスト・イエスです。この方は、すべての人のための贖いとしてご自身を献げられました。これは、定められた時になされた証しです。 (2)ヨハネ1:14 言は肉となって、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。 ガラテヤ4:4 しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から生まれた者、律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。 (3)ローマ9:5 先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。キリストは万物の上におられる方。神は永遠にほめたたえられる方、アーメン。 (新共同訳) 先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。 ルカ1:35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを覆う。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。 コロサイ2:9 キリストの内には、満ち溢れる神性がことごとく、見える形をとって宿っており、 ヘブライ7:24-25 しかし、イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。それで、ご自分を通して神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。この方は常に生きていて、彼らのために執り成しておられるからです。 【解説】 ①小教理は、問20で「神は、ただご自身のよしとされるところにより、全くの永遠から、ある人々を永遠の命に選んでおられたので、ひとりの贖い主によって、彼らを罪と悲惨の状態から解放して救いの状態に入(い)れるために、恵みの契約に入(はい)られました」と告白しました。続く問21では、「ひとりの贖い主」がどなたであるかが告白されています。「神の選びの民の唯一の贖い主は、主イエス・キリストです。かれは、永遠の神の御子でありながら人となられました。それで、二つの全く異なった本性である、神と人でありつつ、一位格であられ、そして永遠にそうあり続けられます」。 ②小教理は「神の選びの民の唯一の贖い主は、主イエス・キリストです」と告白します。「贖い」とは、聖書において、代価を払って奴隷を自由にすることを意味します。主イエス・キリストは、御自分の命という代価を払って、私たちを罪の奴隷状態から解放し、自由にしてくださいました。証拠聖句の『テモテへの手紙一』の第2章5節と6節にこう記されています。「神は唯一であり、神と人との仲介者も唯一であって、それは人であるキリスト・イエスです。この方は、すべての人のための贖いとしてご自身を献げられました。これは、定められた時になされた証しです」。また、イエス様御自身もこう言われています。「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして自分の命を与えるためである」(マルコ10:45、口語訳)。 ③続けて、小教理は「かれは、永遠の神の御子でありながら人となられました」と告白します。証拠聖句の『ヨハネによる福音書』第1章14節にこう記されています。「言(ことば)は肉となって、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」。ここでの「言」(ギリシア語のロゴス)は、初めから神と共におられた「子なる神」のことです。小教理は問6で、「神[であること]には、三つの位格があり、それは父、子、そして聖霊です」と告白しました。神様は、父と子と聖霊なる三つにしてただひとりのお方であるのです(三位一体の神)。「子なる神」が肉(人間性)をとなられた御方こそ主イエス・キリストであるのです。主イエス・キリストは神の永遠の御子でありつつ、罪を別にして、私たちと同じ人となってくださいました。それは、私たちの贖い主となるためであったのです。贖い主は、私たちの罪を贖うために罪のない人であり、同時に、その贖いが永遠の価値と効力を持つために神でなければならなかったのです(ウェストミンスター大教理の問38~40を参照)。 ④さらに、小教理は「それで、二つの全く異なった本性である、神と人でありつつ、一位格であられ、そして永遠にそうあり続けられます」と告白します。「二つの全く異なった本性」とは、神の性質(神性)と人の性質(人性)のことです。また、一位格(一つの人格)とは、永遠から神と共におられる子なる神の位格(人格)のことです。神の選びの民の唯一の贖い主である主イエス・キリストは、子なる神の人格の内に、神性と人性という二つの全く異なった本性を持つお方であるのです(二性一人格のイエス・キリスト)。主イエス・キリストは、人性を捨てて、天に上げられたのではありません。父なる神の右に座しておられる主イエス・キリストは二性一人格の主イエス・キリストです。主イエス・キリストは、当時も今もいつまでも、神また人であり続けられるのです。 【参考】 ①ウェストミンスター大教理問答 問36 恵みの契約の仲介者とは、誰ですか。 答 恵みの契約の唯一の仲介者は、主イエス・キリストです(1)。かれは、御父と同一本質また同等である、永遠の神の御子でありながら(2)、時満ちて人となられました(3)。それで、二つの全く異なった本性である、神と人でありつつ、一位格であられ、そして永遠にそうあり続けられます(4)。 (1)Ⅰテモ2:5、(2)ヨハ1:1、14、ヨハ10:30、フィリ2:6、(3)ガラ4:4、(4)ルカ1:35、ロマ9:5、コロ2:9、ヘブ7:24、25 問38 仲介者が神であることが、なぜ必要でしたか。 答 仲介者は、人間の本性が神の無限の怒りと死の力の下に沈んでしまわないように支え続けるために(1)、また、御自身の苦難と服従と執り成しに価値と効力を与えるために(2)、さらに、神の義を満たし(3)、神の愛顧を得(4)、特別な民を買い取り(5)、彼らに御自身の霊を与え(6)、彼らのすべての敵を征服し(7)、彼らを永遠の救いに導くために(8)、神であることが必要でした。 (1)使2:24、25、ロマ1:4、さらにロマ4:25も参照、ヘブ9:14、(2)使20:28、ヘブ9:14、ヘブ7:25−28、(3)ロマ3:24−26、(4)エフェ1:6、マタ3:17、(5)テト2:13、14、(6)ガラ4:6、(7)ルカ1:68、69、71、74、(8)ヘブ5:8、9、ヘブ9:11‐16 問39 仲介者が人であることが、なぜ必要でしたか。 答 仲介者は、わたしたちの本性を向上させ(1)、律法への服従を果たし(2)、わたしたちのために、わたしたちの本性において苦しみ、執り成し(3)、わたしたちの弱さに同情するために(4)、また、わたしたちが神の子としての身分を授けられ(5)、慰めを受け、大胆に恵みの座に近づくことができるために(6)、人であることが必要でした。 (1)ヘブ2:16、(2)ガラ4:4、(3)ヘブ2:14、ヘブ7:24、25、(4)ヘブ4:15、(5)ガラ4:5、(6)ヘブ4:16 問40 仲介者が一位格において神であり人であることが、なぜ必要でしたか。 答 神と人を和解させる仲介者は、それぞれの本性に固有の御業が、一位格全体の御業として、わたしたちのために神によって受け入れられ(1)、また、[その御業が]わたしたちによって寄りすがるものとされるために、御自身、神であると共に人であり、しかも一位格においてそうであることが必要でした(2)。 (1)マタ1:21、23、マタ3:17、ヘブ9:14、(2)Ⅰペト2:6 ②ウェストミンスター信仰告白 第8章「仲介者キリストについて」 [2]三位一体の第二位格である神の御子は、まことの、永遠の神であり、御父と同一本質また同等であるが、じっさい、時が満ちるに及んで、人間の本性を(1)、そのすべての本質的特性と共通の弱さと共に、しかし罪は別として、御自身に取られた(2)。聖霊の力により、処女マリアの胎内に、彼女の本質を取って、みごもられたのである(3)。そのようにして、欠けるところなく、完全で、全く異なった二つの本性、すなわち神性と人性が、変化も合成も混合もなく、一つの位格において分離しがたく結合された(4)。この方こそまことの神であり、まことの人であって、しかもなお、ひとりのキリスト、神と人の間の唯一の仲介者である(5)。 (1)ヨハネ1:1、14、Ⅰヨハネ5:20、フィリピ2:6、ガラテヤ4:4、(2)ヘブライ2:14、16、17、ヘブライ4:15、(3)ルカ1:27、31、35、ガラテヤ4:4、(4)ルカ1:35、コロサイ2:9、ローマ9:5、Ⅰペトロ3:18、Ⅰテモテ3:16、(5)ローマ1:3、4、Ⅰテモテ2:5 神は唯一であり、神と人との仲介者も唯一であって、それは人であるキリスト・イエスです。この方は、すべての人のための贖いとしてご自身を献げられました。これは、定められた時になされた証しです。テモテへの手紙一 2章5節~6節 2025年11月19日 村田寿和 牧師
問21 神の選びの民の贖(あがな)い主(ぬし)とは、誰ですか。
答 神の選びの民の唯一の贖い主(ぬし)は、主(しゅ)イエス・キリストです(1)。かれは、永遠の神の御子でありながら人となられました(2)。それで、二つの全(まった)く異なった本性(ほんせい)である、神と人でありつつ、一位格(いちいかく)であられ、そして永遠にそうあり続けられます(3)。
Q.21. Who is the Redeemer of God’s elect?
A.The only Redeemer of God’s elect is the Lord Jesus Christ, who, being the eternal Son of God, became man, and so was, and continueth to be, God and man in two distinct natures, and one person, for ever.
(1)一テモテ2:5-6 神は唯一であり、神と人との仲介者も唯一であって、それは人であるキリスト・イエスです。この方は、すべての人のための贖いとしてご自身を献げられました。これは、定められた時になされた証しです。
(2)ヨハネ1:14 言は肉となって、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。
ガラテヤ4:4 しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から生まれた者、律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。
(3)ローマ9:5 先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。キリストは万物の上におられる方。神は永遠にほめたたえられる方、アーメン。
(新共同訳) 先祖たちも彼らのものであり、肉によればキリストも彼らから出られたのです。キリストは、万物の上におられる、永遠にほめたたえられる神、アーメン。
ルカ1:35 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを覆う。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。
コロサイ2:9 キリストの内には、満ち溢れる神性がことごとく、見える形をとって宿っており、
ヘブライ7:24-25 しかし、イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。それで、ご自分を通して神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。この方は常に生きていて、彼らのために執り成しておられるからです。
【解説】
①小教理は、問20で「神は、ただご自身のよしとされるところにより、全くの永遠から、ある人々を永遠の命に選んでおられたので、ひとりの贖い主によって、彼らを罪と悲惨の状態から解放して救いの状態に入(い)れるために、恵みの契約に入(はい)られました」と告白しました。続く問21では、「ひとりの贖い主」がどなたであるかが告白されています。「神の選びの民の唯一の贖い主は、主イエス・キリストです。かれは、永遠の神の御子でありながら人となられました。それで、二つの全く異なった本性である、神と人でありつつ、一位格であられ、そして永遠にそうあり続けられます」。
②小教理は「神の選びの民の唯一の贖い主は、主イエス・キリストです」と告白します。「贖い」とは、聖書において、代価を払って奴隷を自由にすることを意味します。主イエス・キリストは、御自分の命という代価を払って、私たちを罪の奴隷状態から解放し、自由にしてくださいました。証拠聖句の『テモテへの手紙一』の第2章5節と6節にこう記されています。「神は唯一であり、神と人との仲介者も唯一であって、それは人であるキリスト・イエスです。この方は、すべての人のための贖いとしてご自身を献げられました。これは、定められた時になされた証しです」。また、イエス様御自身もこう言われています。「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして自分の命を与えるためである」(マルコ10:45、口語訳)。
③続けて、小教理は「かれは、永遠の神の御子でありながら人となられました」と告白します。証拠聖句の『ヨハネによる福音書』第1章14節にこう記されています。「言(ことば)は肉となって、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た。それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた」。ここでの「言」(ギリシア語のロゴス)は、初めから神と共におられた「子なる神」のことです。小教理は問6で、「神[であること]には、三つの位格があり、それは父、子、そして聖霊です」と告白しました。神様は、父と子と聖霊なる三つにしてただひとりのお方であるのです(三位一体の神)。「子なる神」が肉(人間性)をとなられた御方こそ主イエス・キリストであるのです。主イエス・キリストは神の永遠の御子でありつつ、罪を別にして、私たちと同じ人となってくださいました。それは、私たちの贖い主となるためであったのです。贖い主は、私たちの罪を贖うために罪のない人であり、同時に、その贖いが永遠の価値と効力を持つために神でなければならなかったのです(ウェストミンスター大教理の問38~40を参照)。
④さらに、小教理は「それで、二つの全く異なった本性である、神と人でありつつ、一位格であられ、そして永遠にそうあり続けられます」と告白します。「二つの全く異なった本性」とは、神の性質(神性)と人の性質(人性)のことです。また、一位格(一つの人格)とは、永遠から神と共におられる子なる神の位格(人格)のことです。神の選びの民の唯一の贖い主である主イエス・キリストは、子なる神の人格の内に、神性と人性という二つの全く異なった本性を持つお方であるのです(二性一人格のイエス・キリスト)。主イエス・キリストは、人性を捨てて、天に上げられたのではありません。父なる神の右に座しておられる主イエス・キリストは二性一人格の主イエス・キリストです。主イエス・キリストは、当時も今もいつまでも、神また人であり続けられるのです。
【参考】
①ウェストミンスター大教理問答
問36 恵みの契約の仲介者とは、誰ですか。
答 恵みの契約の唯一の仲介者は、主イエス・キリストです(1)。かれは、御父と同一本質また同等である、永遠の神の御子でありながら(2)、時満ちて人となられました(3)。それで、二つの全く異なった本性である、神と人でありつつ、一位格であられ、そして永遠にそうあり続けられます(4)。
(1)Ⅰテモ2:5、(2)ヨハ1:1、14、ヨハ10:30、フィリ2:6、(3)ガラ4:4、(4)ルカ1:35、ロマ9:5、コロ2:9、ヘブ7:24、25
問38 仲介者が神であることが、なぜ必要でしたか。
答 仲介者は、人間の本性が神の無限の怒りと死の力の下に沈んでしまわないように支え続けるために(1)、また、御自身の苦難と服従と執り成しに価値と効力を与えるために(2)、さらに、神の義を満たし(3)、神の愛顧を得(4)、特別な民を買い取り(5)、彼らに御自身の霊を与え(6)、彼らのすべての敵を征服し(7)、彼らを永遠の救いに導くために(8)、神であることが必要でした。
(1)使2:24、25、ロマ1:4、さらにロマ4:25も参照、ヘブ9:14、(2)使20:28、ヘブ9:14、ヘブ7:25−28、(3)ロマ3:24−26、(4)エフェ1:6、マタ3:17、(5)テト2:13、14、(6)ガラ4:6、(7)ルカ1:68、69、71、74、(8)ヘブ5:8、9、ヘブ9:11‐16
問39 仲介者が人であることが、なぜ必要でしたか。
答 仲介者は、わたしたちの本性を向上させ(1)、律法への服従を果たし(2)、わたしたちのために、わたしたちの本性において苦しみ、執り成し(3)、わたしたちの弱さに同情するために(4)、また、わたしたちが神の子としての身分を授けられ(5)、慰めを受け、大胆に恵みの座に近づくことができるために(6)、人であることが必要でした。
(1)ヘブ2:16、(2)ガラ4:4、(3)ヘブ2:14、ヘブ7:24、25、(4)ヘブ4:15、(5)ガラ4:5、(6)ヘブ4:16
問40 仲介者が一位格において神であり人であることが、なぜ必要でしたか。
答 神と人を和解させる仲介者は、それぞれの本性に固有の御業が、一位格全体の御業として、わたしたちのために神によって受け入れられ(1)、また、[その御業が]わたしたちによって寄りすがるものとされるために、御自身、神であると共に人であり、しかも一位格においてそうであることが必要でした(2)。
(1)マタ1:21、23、マタ3:17、ヘブ9:14、(2)Ⅰペト2:6
②ウェストミンスター信仰告白 第8章「仲介者キリストについて」
[2]三位一体の第二位格である神の御子は、まことの、永遠の神であり、御父と同一本質また同等であるが、じっさい、時が満ちるに及んで、人間の本性を(1)、そのすべての本質的特性と共通の弱さと共に、しかし罪は別として、御自身に取られた(2)。聖霊の力により、処女マリアの胎内に、彼女の本質を取って、みごもられたのである(3)。そのようにして、欠けるところなく、完全で、全く異なった二つの本性、すなわち神性と人性が、変化も合成も混合もなく、一つの位格において分離しがたく結合された(4)。この方こそまことの神であり、まことの人であって、しかもなお、ひとりのキリスト、神と人の間の唯一の仲介者である(5)。
(1)ヨハネ1:1、14、Ⅰヨハネ5:20、フィリピ2:6、ガラテヤ4:4、(2)ヘブライ2:14、16、17、ヘブライ4:15、(3)ルカ1:27、31、35、ガラテヤ4:4、(4)ルカ1:35、コロサイ2:9、ローマ9:5、Ⅰペトロ3:18、Ⅰテモテ3:16、(5)ローマ1:3、4、Ⅰテモテ2:5