Q.85
- 問い
- 罪のため私たちに当然な神の怒りとのろいとを免れるために、神は、私たちに何を求めておられますか。
- 答え
- 罪のため私たちに当然な神の怒りとのろいとを免れるために、神が私たちに求めておられる事は、キリストがあがないの祝福を私たちに伝えるのに用いられるすべての外的手段を、忠実に用いて、イエス・キリストを信じ、命に至る悔い改めをすることです。
わが子よ/わたしの言葉を受け入れ、戒めを大切にして/知恵に耳を傾け、英知に心を向けるなら/分別に呼びかけ、英知に向かって声をあげるなら/銀を求めるようにそれを尋ね/宝物を求めるようにそれを捜すなら/あなたは主を畏れることを悟り/神を知ることに到達するであろう。箴言 2章1節~5節
私たちは、問82で「ただの人は、堕落以来、この世では、だれも神の戒めを完全には守れず、日ごとに思いと言葉と行いにおいて破っています」と告白しました。また、問84では「罪は、みな、この世でも来たるべき世でも、神の怒りと呪いに相当します」と告白しました。それを受けて、問85では「罪のため私たちに当然な神の怒りと呪いとを免れるために、神は、私たちに何を求めておられますか」と問うています。答えはこうです。「罪のため私たちに当然な神の怒りとのろいとを免れるために、神が私たちに求めておられる事は、キリストが贖いの祝福を私たちに伝えるのに用いられる外的手段を忠実に用いて、イエス・キリストを信じ、命の至る悔い改めをすることです」。
ここで「外的手段を忠実に用い」ることの目的は、「イエス・キリストを信じ」ることと「命に至る悔い改めをすること」です。使徒パウロは、使徒言行録20章20節、21節で次のように語っています。「役に立つことは一つ残らず、公衆の面前でも方々の家でも、あなたがたに伝え、また教えてきました。神に対する悔い改めと、わたしたちの主イエスに対する信仰とを、ユダヤ人にもギリシア人にも力強く証ししてきたのです」。
このように神様は私たちに、御自分への悔い改めとイエス・キリストへの信仰を求めておられるのです。もちろん、私たちは自分の力では、命に至る悔い改めも、イエス・キリストを信じることもできません。問31で告白したように、神への悔い改めも、イエス・キリストへの信仰も、聖霊の御業であるのです。ですから、私たちは、キリストが贖いの祝福を私たちに伝えるのに用いられるすべての外的手段を忠実に用いることが必要であるのです。
問85は、これ以降に記されている問答の総論と言えます。イエス・キリストへの信仰は問86で、命に至る悔い改めは問87で、キリストが贖いの祝福を私たちに伝える外的手段については問88から問107で、告白されています。ですから、詳しい内容については、これからご一緒に学びたいと思います。