解説 私たちは、問83で「ある罪は、それ自体で、またいくつかの加重によって、他の罪よりも神の目には重罪です」と告白しました。では、神の目に神の怒りと呪いに相当しない軽い罪があるのかと言えば、ありません。今朝の問84は「罪は、みな、何に相当しますか」と問い、次のように告白しています。「罪は、みな、この世でも来るべき世でも、神の怒りと呪いに相当します」。 以前学んだ問14によれば、「罪とは、神の律法への一致に少しでも欠けること、あるいは、神の律法にそむくこと」でした。神様はこの世だけではなく来たるべき世にもおられるお方です。律法は、その神様の聖なる御意志であるのです。それゆえ、神の律法に背く罪は、みな、この世でも来たるべき世でも、神の怒りと呪いに値するのです。 罪に対する神の怒りについては、エフェソの信徒への手紙5章6節にこう記されています。「むなしい言葉に惑わされてはなりません。これらの行いのゆえに、神の怒りは不従順な者たちに下るのです」。罪に対する怒りは、神の清さ、正しさに由来するものです。神様は完全に聖なるお方、義なるお方であるゆえに、罪に対してお怒りになるのです。 また、罪に対する神の呪いについては、ガラテヤの信徒への手紙3章10節にこう記されています。「律法の実行に頼る者はだれでも、呪われています。『律法の書に書かれているすべてのことを絶えず守らない者は皆、呪われている』と書いてあるからです」。罪に対する神の呪いは、律法に基づくものです。神は律法の授与者として、律法違反の罪に対して呪いをくださるのです。 それにしても、なぜ、すべての罪が神の怒りと呪いに相当するのでしょうか。それは罪を犯す者が神ではなく、神の敵である悪魔に従っているからです。私たちは神の掟に背くとき、神の敵である悪魔に従っているのです。マタイによる福音書25章41節以下にこう記されています。「それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが乾いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ』」。この「悪魔とその手下のために用意してある永遠の火」という言葉は、罪を犯すことが神様に背くことであり、なおかつ、悪魔に従うことであることを教えているのです。 私たちは罪を犯すことが神に背くことであり、なおかつ、神の敵である悪魔に従うことであることを覚えて、罪の誘惑から逃れるべきであるのです(一ヨハネ5:21参照)。 律法の実行に頼る者はだれでも、呪われています。「律法の書に書かれているすべての事を絶えず守らない者は皆、呪われている」と書いてあるからです。ガラテヤの信徒への手紙 3章10節 2018年08月31日 村田寿和 牧師
私たちは、問83で「ある罪は、それ自体で、またいくつかの加重によって、他の罪よりも神の目には重罪です」と告白しました。では、神の目に神の怒りと呪いに相当しない軽い罪があるのかと言えば、ありません。今朝の問84は「罪は、みな、何に相当しますか」と問い、次のように告白しています。「罪は、みな、この世でも来るべき世でも、神の怒りと呪いに相当します」。
以前学んだ問14によれば、「罪とは、神の律法への一致に少しでも欠けること、あるいは、神の律法にそむくこと」でした。神様はこの世だけではなく来たるべき世にもおられるお方です。律法は、その神様の聖なる御意志であるのです。それゆえ、神の律法に背く罪は、みな、この世でも来たるべき世でも、神の怒りと呪いに値するのです。
罪に対する神の怒りについては、エフェソの信徒への手紙5章6節にこう記されています。「むなしい言葉に惑わされてはなりません。これらの行いのゆえに、神の怒りは不従順な者たちに下るのです」。罪に対する怒りは、神の清さ、正しさに由来するものです。神様は完全に聖なるお方、義なるお方であるゆえに、罪に対してお怒りになるのです。
また、罪に対する神の呪いについては、ガラテヤの信徒への手紙3章10節にこう記されています。「律法の実行に頼る者はだれでも、呪われています。『律法の書に書かれているすべてのことを絶えず守らない者は皆、呪われている』と書いてあるからです」。罪に対する神の呪いは、律法に基づくものです。神は律法の授与者として、律法違反の罪に対して呪いをくださるのです。
それにしても、なぜ、すべての罪が神の怒りと呪いに相当するのでしょうか。それは罪を犯す者が神ではなく、神の敵である悪魔に従っているからです。私たちは神の掟に背くとき、神の敵である悪魔に従っているのです。マタイによる福音書25章41節以下にこう記されています。「それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが乾いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ』」。この「悪魔とその手下のために用意してある永遠の火」という言葉は、罪を犯すことが神様に背くことであり、なおかつ、悪魔に従うことであることを教えているのです。
私たちは罪を犯すことが神に背くことであり、なおかつ、神の敵である悪魔に従うことであることを覚えて、罪の誘惑から逃れるべきであるのです(一ヨハネ5:21参照)。