問87.命に至る悔い改めとは、何ですか。

問い合わせ

日本キリスト改革派 羽生栄光教会のホームページへ戻る

Q.87

問い
命に至る悔い改めとは、何ですか。
答え
命に至る悔い改めも、救いの恵みです。それによって罪人は、自分の罪をほんとうに自覚しキリストにある神のあわれみを理解して、自分の罪を歎き憎みつつ、罪から神へと立ち帰り、新しい服従をはっきりと目差し努力するようになるのです。

解説

 問85によれば「罪のため私たちに当然な神の怒りと呪いとを免れるために、神が私たちに求めておられる事は、キリストがあがないの祝福を私たちに伝えるのに用いられるすべての外的手段を忠実に用いて、イエス・キリストを信じ、命に至る悔い改めをすること」でした。

 問87は「命に至る悔い改め」について告白しています。「命に至る悔い改めも、救いの恵みです。それによって罪人は、自分の罪をほんとうに自覚しキリストにある神のあわれみを理解して、自分の罪を嘆き憎みつつ、罪から神へと立ち帰り、新しい服従をはっきりと目差し努力するようになるのです」。

 小教理は「命に至る悔い改めも、救いの恵みです」と告白しています。問86で告白したイエス・キリストへの信仰と同様に、命に至る悔い改めも、救いの恵みの賜物です。命に至る悔い改めは、神様から恵みとしていただく賜物、プレゼントです。そのことは、人間は自分の力で、命に至る悔い改めをすることができないことを教えています。普通のしかたでアダムから出る全人類は、彼の最初の違反において、彼にあって罪を犯し、彼と共に堕落しました(問16参照)。よって、私たちは、自分の力で命に至る悔い改めをすることができないのです。命に至る悔い改めは、神の恵みの賜物として与えられるものなのです。

 続けて、小教理は、命に至る悔い改めの内容について告白しています。「それによって罪人は、自分の罪を本当に自覚しキリストにある神の憐れみを理解して、自分の罪を嘆き憎みつつ、罪から神へと立ち帰り、新しい服従をはっきりと目差し努力するようになるのです」。

 私たちはここから、命に至る悔い改めが全人格的なものであることが分かります。命に至る悔い改めは、自分の罪をほんとうに自覚しキリストにある神の憐れみを理解する「知性」と、自分の罪を嘆き憎む「感情」と、罪から神へと立ち帰り新しい服従を目差し努力する「意志」に及ぶのです。

 私たちが自分の罪を本当に自覚することができるのは、キリストにある神の憐れみを理解するときです。神が独り子をわたしの罪のために十字架の死に引き渡されたこと。イエス・キリストがわたしを愛して、わたしの罪を償うために十字架の死を死んでくださったこと。そのことを本当に理解したとき、私たちは自分の罪を嘆き憎むことができるようになるのです。そればかりか、罪から神へと立ち帰り、新しい服従をはっきりと目差し努力するようになるのです。罪を犯すことを避けるだけではなく、神の御言葉に従うことを目差し努力するようになるのです。

この言葉を聞いて人々は静まり、「それでは、神は異邦人をも悔い改めさせ、命を与えてくださったのだ」と言って、神を賛美した。使徒言行録 11章18節
村田寿和 牧師