Q.101
- 問い
- 第一の祈願では、私たちは何を祈り求めるのですか。
- 答え
- (「ねがわくは、み名をあがめさせたまえ」という)第一の祈願で私たちが祈る事は、神が御自分を知らせるのに用いられるすべての事において、神が私たちと他の人々に神の栄光をあらわす力を授けてくださるように、また、神が万事を御自分の栄光のために配剤してくださるように、ということです。
神がわたしたちを憐れみ、祝福し/御顔の輝きを/わたしたちに向けてくださいますように。あなたの道をこの地が知り/御救いをすべての民が知るために。神よ、すべての民が/あなたに感謝をささげますように。すべての民が、こぞって/あなたに感謝をささげますように。詩編 62編2節~4節
キリストが贖いの祝福を私たちに伝えるのに用いられる外的な手段は、キリストの規定、特に御言葉と礼典と祈りです。また、祈りの特別な指導基準は、キリストが弟子たちに教えられた主の祈りです。
問101は、主の祈りの第一の祈願について、次のように告白しています。「(ねがわくは、み名をあがめさせたまえ」という)第一の祈願で私たちが祈る事は、神が御自分を知らせるのに用いられるすべての事において、神が私たちと他の人々に神の栄光をあらわす力を授けてくださるように、また、神が万事を御自身の栄光のために配剤してくださるように、ということです」。
イエス様は「天におられるわたしたちの父よ」との呼びかけに続けて、「あなたの御名があがめられますように」と祈るよう教えられました。主の祈りは六つの祈願からなっています。前半の三つが「あなた(天におられる父なる神)のための祈り」です。そして、後半の三つが「わたしたちのための祈り」です。
小教理は、「御名があがめられますように」の「御名」を「神が御自分を知らせるのに用いられるすべての事」と言い換えています(問55参照)。「御名」は神様が御自分を知らせるのに用いられる最たるものです。私たちは、自分に神様の栄光を表す力がないことを認めつつ、「神が御自分を知らせるのに用いられるすべての事において、神が私たちと他の人々に神の栄光をあらわす力を授けてくださるように」と祈るのです。
ここで着目したいことは、「他の人々に」と記されていることです。「他の人々」とは「イエス・キリストを信じていない人々」のことです。私たちは「御名があがめられますように」と祈るとき、イエス・キリストを信じていない人にも、神様が御自分を知らせるのに用いられるすべての事において、神様の御栄光をあらわす力を授けてくださるようにと祈るのです。なぜなら、イエス・キリストの父なる神は、すべての人を造られた唯一の神であられるからです。
証拠聖句である詩編67編には、次のように記されています。「神が私たちを憐れみ、祝福し/御顔の輝きを/わたしたちに向けてくださいますように/あなたの道をこの地が知り/御救いをすべての民が知るために。神よ、すべての民が/あなたに感謝をささげますように。すべての民が、こぞって/あなたに感謝をささげますように」。天の父なる神様の御名があがめられますようにと祈ることは、すべての民が神様に感謝をささげるよう願うことでもあるのです。
また、小教理は「神が万事を御自身の栄光のために配剤してくださるように、ということです」と告白しています。ここでも、私たちと他の人々を含む「万事」、すべてのことが言われています。私たちと他の人々が神様の御栄光をあらわすことができるように、すべてのことを取り計らってくださることを、私たちは祈り求めるのです。