問107.主の祈りの結びは、私たちに何を教えてい…

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Q.107

問い
主の祈りの結びは、私たちに何を教えていますか。
答え
(「国とちからと栄えとは、限りなく、なんじのものなればなり、アーメン」という)主の祈りの結びが私たちに教えている事は、私たちが、祈祷における励ましを神だけから受けるということ、また祈祷において、神に国と力と栄光とを帰して神を賛美することです。また、自分の願いと聞かれる確信とを証言して、私たちは「アーメン」と言うのです。

解説

 キリストが贖いの祝福を私たちに伝えるために用いられる外的な普通の手段は、キリストの規定、特に御言葉と礼典と祈りです。また、祈りの特別な指導基準は、キリストが弟子たちに教えてくださった主の祈りです。

 問107は、主の祈りの結びについて、次のように告白しています。「(『国と力と栄えとは、限りなく、なんじのものなればなり、アーメン』という)主の祈りの結びが私たちに教えている事は、私たちが、祈祷における励ましを神だけから受けるということ、また祈祷において、神に国と力と栄光とを帰して神を賛美することです。また、自分の願いと聞かれる確信とを証言して、私たちは『アーメン』という言うのです」。

 「国と力と栄えとは、限りなく、なんじのものなればなり、アーメン」という結びの言葉は、私たちが用いている新共同訳聖書には記されていません。しかし、ウェストミンスター小教理問答が作成された17世紀のイングランドで用いられていた英語の聖書(KJV)には、この結びの言葉が記されています。この結びの言葉は、古い写本にはなく、もともとはなかったものと考えられています。しかし、キリスト教会は早い時代からこの言葉を用いてきたのです(十二使徒の教訓8:2参照)。

 小教理は、結びの言葉が私たちに教えている事として「私たちが、祈祷における励ましを神だけから受ける」ことと告白しています。証拠聖句として、ダニエル書の9章があげられていますが、その18節で、ダニエルは次のように祈っています。「神よ、耳を傾けて聞いてください。目を開いて、わたしたちの荒廃と、御名をもって呼ばれる都の荒廃とを御覧ください。わたしたちが正しいからではなく、あなたの深い憐れみのゆえに、伏して嘆願の祈りをささげます」。神様が私たちを罪から救うために独り子を与えてくださった憐れみ深いお方であるゆえに、私たちは絶えず祈る励ましをいただくことができるのです。

 また、小教理は、結びの言葉が私たちに教えている事として「祈祷において、神に国と力と栄光とを帰して神を賛美することです」と告白しています。神様への祈りを神様を賛美して終えることはふさわしいことであります。そして、その賛美も聖書に記されている御言葉であるのです。証拠聖句である歴代誌上29章10節から13節には、ダビデが祈りの中で、神様に国と力と栄光とを帰していることが記されています。主の祈りは「御名をあがめさせたまえ」という祈りで始まりましたが、その結びにおいて、私たちは御名をあがめるのです。

 さらに、小教理は「アーメン」という言葉について、次のように告白しています。「自分の願いと聞かれる確信とを証言して、私たちは『アーメン』と言うのです」。アーメンとは、ヘブライ語で、「本当です」とか「真実です」という意味です。私たちは、「アーメン」と最後に唱えることによって、これまでの願いが私たちの真実な願いであること、また、その願いを神様が聞いてくださると信じていることを証言するのです。

以上すべてを証しする方が、言われる。「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。ヨハネの黙示録 22章20節
村田寿和 牧師