解説 小教理は、問32で「有効召命されている者は、この世で、義認、子とされること、聖化、この世でそれらに伴い、あるいはそれらから流れ出るいくつもの祝福を分け与えられます」と告白しました。 問34では「子とされること」について告白しています。「子とされることも、神の一方的恵みによる決定です。それによって私たちは、神の子らの数に入れられ、神の子らのあらゆる特権に権利を持つものになるのです」。 ここで「子とされること」と訳されているのはアドプション(adoption)という英語です。このアドプションという英語は、「養子縁組」とも訳すことができます。「子とされること」は、「養子とされること」であるのです。本来、神の子は、永遠から生まれ、神様と同じ本質を持つイエス・キリストだけです。しかし、その神の独り子であるイエス・キリストと有効召命によって結び合されるとき、私たちもイエス・キリストにあって、神の子、神の養子とされるのです。 小教理は「子とされることも、神の一方的恵みによる決定です」と告白しています。これは前回学んだ「義認」と同じです。ここでの「決定」と訳されているのは、アクト(act)という英語で、一回的で、決定的な行為を意味します。神様は、私たちのすべての罪をゆるし、私たちを御前に正しい者として受け入れてくださいます。しかも、私たちを神の子として、神の家族の一員として受け入れてくださるのです。言い換えれば、神様は、私たちを父として受け入れてくださるのです。 続けて、小教理はこう告白しています。「それによって私たちは、神の子らの数に入れられ、神の子らのあらゆる特権に権利を持つものになるのです」。この「あらゆる特権」については、大教理問答は問74でこう告白しています。「み名を記され、神のみ子の霊を与えられ、父としての保護と配慮の下に置かれ、神の子の自由と特権をことごとく許され、すべての約束をつぐ者、また栄光の中にキリストとの共同の相続人とされるのである」。 イエス・キリストにあって神の子とされた私たちには、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊が与えられています。また、父なる神様は私たちを保護と配慮のもとにおいてくださっています。ですから、私たちは苦難の中にあっても、それを父からの訓練として受けとめ、万事を益としてくださることを信じて、忍耐と希望をもって歩むことができるのです。また、キリストにあって神の子とされた私たちはキリストと共に栄光をも受け継ぐことができます。私たちには、栄光の御国をキリストと共に相続する資格が与えられているのです。 しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。ヨハネによる福音書 1章12節 2018年08月30日 村田寿和 牧師
小教理は、問32で「有効召命されている者は、この世で、義認、子とされること、聖化、この世でそれらに伴い、あるいはそれらから流れ出るいくつもの祝福を分け与えられます」と告白しました。
問34では「子とされること」について告白しています。「子とされることも、神の一方的恵みによる決定です。それによって私たちは、神の子らの数に入れられ、神の子らのあらゆる特権に権利を持つものになるのです」。
ここで「子とされること」と訳されているのはアドプション(adoption)という英語です。このアドプションという英語は、「養子縁組」とも訳すことができます。「子とされること」は、「養子とされること」であるのです。本来、神の子は、永遠から生まれ、神様と同じ本質を持つイエス・キリストだけです。しかし、その神の独り子であるイエス・キリストと有効召命によって結び合されるとき、私たちもイエス・キリストにあって、神の子、神の養子とされるのです。
小教理は「子とされることも、神の一方的恵みによる決定です」と告白しています。これは前回学んだ「義認」と同じです。ここでの「決定」と訳されているのは、アクト(act)という英語で、一回的で、決定的な行為を意味します。神様は、私たちのすべての罪をゆるし、私たちを御前に正しい者として受け入れてくださいます。しかも、私たちを神の子として、神の家族の一員として受け入れてくださるのです。言い換えれば、神様は、私たちを父として受け入れてくださるのです。
続けて、小教理はこう告白しています。「それによって私たちは、神の子らの数に入れられ、神の子らのあらゆる特権に権利を持つものになるのです」。この「あらゆる特権」については、大教理問答は問74でこう告白しています。「み名を記され、神のみ子の霊を与えられ、父としての保護と配慮の下に置かれ、神の子の自由と特権をことごとく許され、すべての約束をつぐ者、また栄光の中にキリストとの共同の相続人とされるのである」。
イエス・キリストにあって神の子とされた私たちには、「アッバ、父よ」と叫ぶ御子の霊が与えられています。また、父なる神様は私たちを保護と配慮のもとにおいてくださっています。ですから、私たちは苦難の中にあっても、それを父からの訓練として受けとめ、万事を益としてくださることを信じて、忍耐と希望をもって歩むことができるのです。また、キリストにあって神の子とされた私たちはキリストと共に栄光をも受け継ぐことができます。私たちには、栄光の御国をキリストと共に相続する資格が与えられているのです。