解説 小教理は、問4から問6で、神様について告白しました。続く問7では、神様の聖定について告白しています。「神の聖定とは、神の御意志の熟慮による永遠の決意です」。ここで「決意」と訳されている言葉(purpose)を、つのぶえ社の翻訳委員会訳は「計画」と訳しています。神の聖定とは、神の御意志の熟慮による永遠の決意・計画であるのです。 私たちは、問4で「神は霊であられ、その存在、知恵、力、聖、義、善、真実において無限、永遠、不変のかたです」と告白しました。また、問5、問6で、神がひとりであること、そのひとりの神に御父(おんちち)と御子(みこ)と聖霊(せいれい)という三つの位格(いかく)があることを告白しました。その三位一体の神の御意志の熟慮による永遠の決意・計画が聖定なのです。 ここでの「永遠」は、時間と空間を造られた神様の領域・次元を意味します。神様は時間と空間を造られる前に、すべての出来事をあかじめ定められました。その聖定の中に私たち人間は生かされているのです。 神様の聖定には「御自身の栄光のために」という目的があります。「神は、御自身の栄光のために、すべての出来事をあらかじめ定めておられるのです」。この「すべての出来事」の中には、偶然や人間の自由意志、さらには人間の罪さえ含まれます(ウェストミンスター信仰告白3章1節参照)。神様は罪の作者ではありませんが、人間の罪を許容され、それを用いて御自身の栄光を現すことをよしとされました。その代表的な例が、イエス・キリストの十字架です。神様は、イエス様を十字架につけるという人間の罪を許容され、その罪を用いて御自身の栄光を現されたのです。 神様が御自身の栄光のために、すべての出来事をあらかじめ定めておられるゆえに、私たちはイエス・キリストを信じることができました。証拠聖句であるエフェソの信徒への手紙1章4節にこう記されています。「天地創造の前に、神は私たちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました」。また、その11節にはこう記されています。「キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました」。キリストにあって選ばれ、神様の愛を知った私たちにとって、神様の聖定の中に生かされていることは、本当に心強い、慰めに満ちたことなのです(ローマ8:28参照)。 天地創造の前に、神はわたしたちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました。エフェソの信徒への手紙 1章4節 2023年06月11日 村田寿和 牧師
小教理は、問4から問6で、神様について告白しました。続く問7では、神様の聖定について告白しています。「神の聖定とは、神の御意志の熟慮による永遠の決意です」。ここで「決意」と訳されている言葉(purpose)を、つのぶえ社の翻訳委員会訳は「計画」と訳しています。神の聖定とは、神の御意志の熟慮による永遠の決意・計画であるのです。
私たちは、問4で「神は霊であられ、その存在、知恵、力、聖、義、善、真実において無限、永遠、不変のかたです」と告白しました。また、問5、問6で、神がひとりであること、そのひとりの神に御父(おんちち)と御子(みこ)と聖霊(せいれい)という三つの位格(いかく)があることを告白しました。その三位一体の神の御意志の熟慮による永遠の決意・計画が聖定なのです。
ここでの「永遠」は、時間と空間を造られた神様の領域・次元を意味します。神様は時間と空間を造られる前に、すべての出来事をあかじめ定められました。その聖定の中に私たち人間は生かされているのです。
神様の聖定には「御自身の栄光のために」という目的があります。「神は、御自身の栄光のために、すべての出来事をあらかじめ定めておられるのです」。この「すべての出来事」の中には、偶然や人間の自由意志、さらには人間の罪さえ含まれます(ウェストミンスター信仰告白3章1節参照)。神様は罪の作者ではありませんが、人間の罪を許容され、それを用いて御自身の栄光を現すことをよしとされました。その代表的な例が、イエス・キリストの十字架です。神様は、イエス様を十字架につけるという人間の罪を許容され、その罪を用いて御自身の栄光を現されたのです。
神様が御自身の栄光のために、すべての出来事をあらかじめ定めておられるゆえに、私たちはイエス・キリストを信じることができました。証拠聖句であるエフェソの信徒への手紙1章4節にこう記されています。「天地創造の前に、神は私たちを愛して、御自分の前で聖なる者、汚れのない者にしようと、キリストにおいてお選びになりました」。また、その11節にはこう記されています。「キリストにおいてわたしたちは、御心のままにすべてのことを行われる方の御計画によって前もって定められ、約束されたものの相続者とされました」。キリストにあって選ばれ、神様の愛を知った私たちにとって、神様の聖定の中に生かされていることは、本当に心強い、慰めに満ちたことなのです(ローマ8:28参照)。