解説 問67と問68と問69は、まとめて解説します。 問67にあるように、第六戒は「あなたは殺してはならない」です。神様は命の創造主として「あなたは殺してはならない」と命じられるのです。 問68は、第六戒が求めている事として「私たち自身の命と他人の命を守るために、あらゆる正当な努力をすることです」と告白しています。証拠聖句である列王記上18章4節には、宮廷長オバドヤが「イゼベルが主の預言者を斬り殺したとき、百人の預言者を救い出し、五十人ずつ洞穴にかくまい、パンと水をもって養った」ことが記されています。私たち自身の命と他人の命を守るためのあらゆる正当な努力には、相談に乗ること、医療や介護の働き、飢餓に苦しむ人々のために募金することなど様々なことが考えられます。 問69は、第六戒が禁じている事として「私たち自身の命を奪うこと、あるいは隣人の命を不当に奪うこと、またその恐れのあるようなすべての事です」と告白しています。「私たち自身の命を奪うこと」とありますように、第六戒は自殺(自死)を禁じています。証拠聖句である使徒言行録16章28節には「自害してはいけない」と記されています。なぜなら、自分の命でさえも、究極的にいえば、神様の命であるからです。それゆえ、エリヤは自分の命が絶えるのを願って、「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください」と言ったのです(列王上19:4参照)。 また、第六戒は「隣人の命を不当に奪うこと、またその恐れのあるようなすべての事」を禁じています。「その恐れのあるようなすべての事」とはどのようなことが考えられるでしょうか。例えば、わざと危険に身をさらすこと、憎しみを増幅させるような言葉を使うことなどが考えられます。 小教理は「隣人の命を不当に奪うこと」と記しています。では、「隣人の命を正当に奪うこと」はあるのでしょうか。証拠聖句である創世記9章6節には「人の地を流す者は/人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ」と記されています。どうもここでは、公共の正義を守るための死刑や防衛のための戦争のことが考えられているようです。 殺してはならない。出エジプト記 20章13節 2018年08月31日 村田寿和 牧師
問67と問68と問69は、まとめて解説します。
問67にあるように、第六戒は「あなたは殺してはならない」です。神様は命の創造主として「あなたは殺してはならない」と命じられるのです。
問68は、第六戒が求めている事として「私たち自身の命と他人の命を守るために、あらゆる正当な努力をすることです」と告白しています。証拠聖句である列王記上18章4節には、宮廷長オバドヤが「イゼベルが主の預言者を斬り殺したとき、百人の預言者を救い出し、五十人ずつ洞穴にかくまい、パンと水をもって養った」ことが記されています。私たち自身の命と他人の命を守るためのあらゆる正当な努力には、相談に乗ること、医療や介護の働き、飢餓に苦しむ人々のために募金することなど様々なことが考えられます。
問69は、第六戒が禁じている事として「私たち自身の命を奪うこと、あるいは隣人の命を不当に奪うこと、またその恐れのあるようなすべての事です」と告白しています。「私たち自身の命を奪うこと」とありますように、第六戒は自殺(自死)を禁じています。証拠聖句である使徒言行録16章28節には「自害してはいけない」と記されています。なぜなら、自分の命でさえも、究極的にいえば、神様の命であるからです。それゆえ、エリヤは自分の命が絶えるのを願って、「主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください」と言ったのです(列王上19:4参照)。
また、第六戒は「隣人の命を不当に奪うこと、またその恐れのあるようなすべての事」を禁じています。「その恐れのあるようなすべての事」とはどのようなことが考えられるでしょうか。例えば、わざと危険に身をさらすこと、憎しみを増幅させるような言葉を使うことなどが考えられます。
小教理は「隣人の命を不当に奪うこと」と記しています。では、「隣人の命を正当に奪うこと」はあるのでしょうか。証拠聖句である創世記9章6節には「人の地を流す者は/人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ」と記されています。どうもここでは、公共の正義を守るための死刑や防衛のための戦争のことが考えられているようです。