解説 小教理は、問41で、道徳律法が十戒の中に要約的に含まれていると告白しました。問42は、その十戒のさらなる要約を、次のように告白しています。「十戒の要約は、心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なる私たちの神を愛すること、また自分を愛するように私たちの隣人を愛することです」。 十戒(十の言葉)は序言と十の戒めから成っています。第一の戒めから第四の戒めまでは、神様についての戒めであると言えます。また、第五の戒めから第十の戒めまでは、隣人についての戒めであると言えます。それゆえ、十戒は、神への愛と隣人への愛に要約することができるのです。 私たちは神様への愛から、ほかの何ものをも神としてはならず、神様への愛から刻んだ像を造ってはならず、神様への愛から主の名をみだりにとなえてはならず、神様への愛から安息日を覚えて聖とするのです。また、私たちは隣人への愛から自分の父と母を敬い、隣人への愛から殺してはならず、隣人への愛から姦淫してはならず、隣人への愛から盗んではならず、隣人への愛から隣人について偽証してはならず、隣人への愛から隣人の家をむさぼってはならないのです。 小教理は、「十戒の要約は、神への愛と隣人への愛である」と告白していますが、これは証拠聖句にあるように、イエス様の御言葉に基づくものです。律法の専門家の「律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」という問いに対して、イエス様は次のように答えられました。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くしてあなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」。 このイエス様の御言葉を読むと、神への愛と隣人への愛は、等しく命じられていないことが分かります。私たちは神様を、全身全霊で、自分のすべてをささげて愛することが命じられています。それに対して、私たちは隣人を、自分のように愛することが命じられているのです。私たちは隣人を愛するために、まず自分自身を愛することが必要です。そして、私たちは自分自身を愛するために、神様から愛されていることを知る必要があるのです。 イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」マタイによる福音書 22章37節~40節 2018年08月30日 村田寿和 牧師
小教理は、問41で、道徳律法が十戒の中に要約的に含まれていると告白しました。問42は、その十戒のさらなる要約を、次のように告白しています。「十戒の要約は、心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なる私たちの神を愛すること、また自分を愛するように私たちの隣人を愛することです」。
十戒(十の言葉)は序言と十の戒めから成っています。第一の戒めから第四の戒めまでは、神様についての戒めであると言えます。また、第五の戒めから第十の戒めまでは、隣人についての戒めであると言えます。それゆえ、十戒は、神への愛と隣人への愛に要約することができるのです。
私たちは神様への愛から、ほかの何ものをも神としてはならず、神様への愛から刻んだ像を造ってはならず、神様への愛から主の名をみだりにとなえてはならず、神様への愛から安息日を覚えて聖とするのです。また、私たちは隣人への愛から自分の父と母を敬い、隣人への愛から殺してはならず、隣人への愛から姦淫してはならず、隣人への愛から盗んではならず、隣人への愛から隣人について偽証してはならず、隣人への愛から隣人の家をむさぼってはならないのです。
小教理は、「十戒の要約は、神への愛と隣人への愛である」と告白していますが、これは証拠聖句にあるように、イエス様の御言葉に基づくものです。律法の専門家の「律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」という問いに対して、イエス様は次のように答えられました。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くしてあなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている」。
このイエス様の御言葉を読むと、神への愛と隣人への愛は、等しく命じられていないことが分かります。私たちは神様を、全身全霊で、自分のすべてをささげて愛することが命じられています。それに対して、私たちは隣人を、自分のように愛することが命じられているのです。私たちは隣人を愛するために、まず自分自身を愛することが必要です。そして、私たちは自分自身を愛するために、神様から愛されていることを知る必要があるのです。