解説 小教理は、問2で、「旧新約聖書にある神の御言葉だけが、私たちに神の栄光をあらわし神を喜ぶ道を教える、ただ一つの基準です」と告白しました。続く問3では、「聖書は、おもに何を教えていますか」と問うています。答えはこうです。「聖書がおもに教えている事は、人が神について何を信じなければならないか、また神は人にどんな義務を求めておられるか、ということです」。 小教理は、聖書が教えている事として、二つのことを告白しています。一つは「人が神について何を信じなければならないか」ということ、二つ目は「神は人にどんな義務を求めておられるか」ということです。つまり、聖書がおもに教えていることは「信仰」と「義務」の二つであるのです。 これは、小教理全体の構成でもあります。小教理は、大きく三つに分けることができます。それは、序論(問1~3)、信仰篇(問4~38)、義務篇(問39~107)です。聖書がおもに教えていることに則して、小教理は記されているのです。 さて、小教理には、その根拠を示す証拠聖句が記されています(「リンク集」の「日本キリスト改革派教会」のホームページの「文書資料 ウェストミンスター信仰基準」で、証拠聖句を付した小教理を読むことができます)。問3の証拠聖句は、テモテへの手紙二1章13節です。「キリスト・イエスによって与えられる信仰と愛をもって、わたしから聞いた健全な言葉を手本としなさい」。どうやら「信仰と愛」が「信仰と義務」のことであるようです。義務と聞きますと、したくないことを無理矢理させられるような印象を受けるかも知れません。しかし、この義務は愛とも言い換えることができるのです。 神様は独り子イエス・キリストを与えられたほどに、私たちを愛してくださったし、今も愛してくださっています。その神様の愛に感謝して、神様に従って行くことが求められているのです。聖書の御言葉を通して働かれる聖霊(神の霊)が、私たちをそのような者へと造り変えて、導いてくださるのです。 キリスト・イエスによって与えられる信仰と愛をもって、わたしから聞いた健全な言葉を手本としなさい。テモテへの手紙二 1章13節 2018年08月02日 村田寿和 牧師
小教理は、問2で、「旧新約聖書にある神の御言葉だけが、私たちに神の栄光をあらわし神を喜ぶ道を教える、ただ一つの基準です」と告白しました。続く問3では、「聖書は、おもに何を教えていますか」と問うています。答えはこうです。「聖書がおもに教えている事は、人が神について何を信じなければならないか、また神は人にどんな義務を求めておられるか、ということです」。
小教理は、聖書が教えている事として、二つのことを告白しています。一つは「人が神について何を信じなければならないか」ということ、二つ目は「神は人にどんな義務を求めておられるか」ということです。つまり、聖書がおもに教えていることは「信仰」と「義務」の二つであるのです。
これは、小教理全体の構成でもあります。小教理は、大きく三つに分けることができます。それは、序論(問1~3)、信仰篇(問4~38)、義務篇(問39~107)です。聖書がおもに教えていることに則して、小教理は記されているのです。
さて、小教理には、その根拠を示す証拠聖句が記されています(「リンク集」の「日本キリスト改革派教会」のホームページの「文書資料 ウェストミンスター信仰基準」で、証拠聖句を付した小教理を読むことができます)。問3の証拠聖句は、テモテへの手紙二1章13節です。「キリスト・イエスによって与えられる信仰と愛をもって、わたしから聞いた健全な言葉を手本としなさい」。どうやら「信仰と愛」が「信仰と義務」のことであるようです。義務と聞きますと、したくないことを無理矢理させられるような印象を受けるかも知れません。しかし、この義務は愛とも言い換えることができるのです。
神様は独り子イエス・キリストを与えられたほどに、私たちを愛してくださったし、今も愛してくださっています。その神様の愛に感謝して、神様に従って行くことが求められているのです。聖書の御言葉を通して働かれる聖霊(神の霊)が、私たちをそのような者へと造り変えて、導いてくださるのです。