解説 問76と問77と問78は、まとめて解説します。 問76にあるように、第九戒は「あなたは隣人について、偽証してはならない」です。第九戒は、隣人について、偽りの証言をすることを禁じています。 問77は、第九戒が求めている事として、次のように告白しています。「人と人との真実と、また私たち自身と隣人の名声を保ち、高めること、特に、証言するときにそうすることです」。 「特に、証言するときにそうすることです」とあるように、第九戒は、裁判の証言においてこそ、守られねばならない掟です。なぜなら、イスラエルの裁判において、真実は二人または三人の証言によって確定されたからです(申命19:15参照)。また、イスラエルにおいて裁きは神様に属することでした。神様の真実をあらわすために、イスラエルでは、真実な証言に基づく真実な裁きが行われることが求められたのです。 しかし、第九戒は、裁判の証言だけに限定される掟ではありません。第九戒は、私たちが日常生活においても「人と人との真実と、また私たち自身と隣人の名声を保ち、高めること」を求めているのです。私たちは真実な言葉を語ることにとどまらず、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語ることが求められているのです(エフェソ4:29参照)。 問78は、第九戒が禁じている事として、次のように告白しています。「何事であれ、真実を損なう事、あるいは私たち自身や隣人の名声を傷つける事です」。第九戒は、人と人との間の真実を損なう事だけでなく、私たち自身や隣人の名声を傷つける嘘や中傷や悪口をも禁じています。 共同体で生きる人間にとって、名声は無形の財産であると言えます。そのことは名声を信用と言い換えるならばよく分かります。私たち自身や隣人の名声を傷つけることは、私たち自身や隣人の信用を傷つけることであり、私たちの交わりを損なうことであるのです。私たちが自分の舌を制することができず、主にある交わりを損なっているのであれば、私たちは第九戒を破っているのです。 隣人に関して偽証してはならない。出エジプト記 20章16節 2018年08月31日 村田寿和 牧師
問76と問77と問78は、まとめて解説します。
問76にあるように、第九戒は「あなたは隣人について、偽証してはならない」です。第九戒は、隣人について、偽りの証言をすることを禁じています。
問77は、第九戒が求めている事として、次のように告白しています。「人と人との真実と、また私たち自身と隣人の名声を保ち、高めること、特に、証言するときにそうすることです」。
「特に、証言するときにそうすることです」とあるように、第九戒は、裁判の証言においてこそ、守られねばならない掟です。なぜなら、イスラエルの裁判において、真実は二人または三人の証言によって確定されたからです(申命19:15参照)。また、イスラエルにおいて裁きは神様に属することでした。神様の真実をあらわすために、イスラエルでは、真実な証言に基づく真実な裁きが行われることが求められたのです。
しかし、第九戒は、裁判の証言だけに限定される掟ではありません。第九戒は、私たちが日常生活においても「人と人との真実と、また私たち自身と隣人の名声を保ち、高めること」を求めているのです。私たちは真実な言葉を語ることにとどまらず、聞く人に恵みが与えられるように、その人を造り上げるのに役立つ言葉を、必要に応じて語ることが求められているのです(エフェソ4:29参照)。
問78は、第九戒が禁じている事として、次のように告白しています。「何事であれ、真実を損なう事、あるいは私たち自身や隣人の名声を傷つける事です」。第九戒は、人と人との間の真実を損なう事だけでなく、私たち自身や隣人の名声を傷つける嘘や中傷や悪口をも禁じています。
共同体で生きる人間にとって、名声は無形の財産であると言えます。そのことは名声を信用と言い換えるならばよく分かります。私たち自身や隣人の名声を傷つけることは、私たち自身や隣人の信用を傷つけることであり、私たちの交わりを損なうことであるのです。私たちが自分の舌を制することができず、主にある交わりを損なっているのであれば、私たちは第九戒を破っているのです。