解説 問70と問71と問72は、まとめて解説します。 問70にあるように、第七戒は「あなたは姦淫してはならない」です。姦淫とは「不正な男女の交わり」を指しています。第七戒は、結婚関係にない男女の交わりを禁じる掟であるのです。それゆえ、第七戒は、社会の基本単位である家庭を守るための掟であると言えます。なぜなら、姦淫は、離縁することの正当な理由とされていたからです。姦淫は、自分の家庭と隣人の家庭を崩壊させてしまう罪であるのです。 問71は、第七戒が求めている事として、次のように告白しています。「第七戒が求めている事は、心、会話、振舞において、私たち自身と隣人の貞潔を守ることです」。ここでは、姦淫しないことが「心、会話、振舞において、私たち自身と隣人の貞潔を守ること」と積極的に言い換えられています。使徒パウロは、コリントの信徒への手紙一7章2節、3節で次のように記しています。「みだらない行いを避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、また、女はめいめい自分の夫を持ちなさい。夫は妻に、その務めを果たし、同様に妻も夫にその務めを果たしなさい」。このように、結婚には、みだらな行いを避けるためという目的もあるのです。 問72は、第七戒が禁じている事として、次のように告白しています。「第七戒が禁じている事は、すべてのみだらな思い、言葉、行動です」。ここでも「思いと言葉と行い」が問題にされています(問71では、「心、会話、振舞」と記されていました)。これは「姦淫してはならない」という掟が、心を御覧になる神様の掟であるからです(サムエル上16:7参照)。イエス様は、山上の説教において「みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである」と言われました(マタイ5:28)。このイエス様の御言葉を覚えて、私たちは、みだらな思いを引き起こす、あらゆるものから遠ざかる必要があるのです。 神様は、男女の交わりを祝福として与えてくださいました。しかし、それは結婚関係においてこそ祝福となることを、私たちは心に留めたいと願います。 姦淫してはならない。出エジプト記 20章14節 2018年08月31日 村田寿和 牧師
問70と問71と問72は、まとめて解説します。
問70にあるように、第七戒は「あなたは姦淫してはならない」です。姦淫とは「不正な男女の交わり」を指しています。第七戒は、結婚関係にない男女の交わりを禁じる掟であるのです。それゆえ、第七戒は、社会の基本単位である家庭を守るための掟であると言えます。なぜなら、姦淫は、離縁することの正当な理由とされていたからです。姦淫は、自分の家庭と隣人の家庭を崩壊させてしまう罪であるのです。
問71は、第七戒が求めている事として、次のように告白しています。「第七戒が求めている事は、心、会話、振舞において、私たち自身と隣人の貞潔を守ることです」。ここでは、姦淫しないことが「心、会話、振舞において、私たち自身と隣人の貞潔を守ること」と積極的に言い換えられています。使徒パウロは、コリントの信徒への手紙一7章2節、3節で次のように記しています。「みだらない行いを避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、また、女はめいめい自分の夫を持ちなさい。夫は妻に、その務めを果たし、同様に妻も夫にその務めを果たしなさい」。このように、結婚には、みだらな行いを避けるためという目的もあるのです。
問72は、第七戒が禁じている事として、次のように告白しています。「第七戒が禁じている事は、すべてのみだらな思い、言葉、行動です」。ここでも「思いと言葉と行い」が問題にされています(問71では、「心、会話、振舞」と記されていました)。これは「姦淫してはならない」という掟が、心を御覧になる神様の掟であるからです(サムエル上16:7参照)。イエス様は、山上の説教において「みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである」と言われました(マタイ5:28)。このイエス様の御言葉を覚えて、私たちは、みだらな思いを引き起こす、あらゆるものから遠ざかる必要があるのです。
神様は、男女の交わりを祝福として与えてくださいました。しかし、それは結婚関係においてこそ祝福となることを、私たちは心に留めたいと願います。