Q.86
- 問い
- イエス・キリストへの信仰とは、何ですか。
- 答え
- イエス・キリストへの信仰は、救いの恵みです。それによって私たちは、救いのために、福音において提供されているままにキリストのみを受け入れ、彼にのみ寄り頼むのです。
けれども、人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされると知って、わたしたちもキリスト・イエスを信じました。これは、律法の実行ではなく、キリストへの信仰によって義としていただくためでした。なぜなら、律法の実行によっては、だれ一人として義とされないからです。ガラテヤの信徒への手紙 2章16節
私たちは、問85で「罪のため私たちに当然な神の怒りと呪いとを免れるために、神が私たちに求めておられる事は、キリストがあがないの祝福を私たちに伝えるのに用いられるすべての外的手段を忠実に用いて、イエス・キリストを信じ、命に至る悔い改めをすることです」と告白しました。
続く問86では、イエス・キリストへの信仰について、次のように告白しています。「イエス・キリストへの信仰は、救いの恵みです。それによって私たちは、救いのために、福音において提供されているままにキリストのみを受けいれ、彼にのみ寄り頼むのです」。
罪のため私たちに当然な神の怒りと呪いを免れるために、神は私たちにイエス・キリストへの信仰を求められますが、イエス・キリストへの信仰は神様から与えられる救いの恵みの賜物です。エフェソの信徒への手紙2章8節にこう記されています。「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です」。私たちは、イエス・キリストを信じる信仰を、神様から救いの恵みの賜物として与えられたのです。神様は、私たちにイエス・キリストの信仰を求められますが、それを救いの恵みの賜物として与えてくださるのです(問30、31参照)。
小教理は、続けて、イエス・キリストへの信仰の内容について告白しています。「それによって私たちは、救いのために、福音において提供されているままにキリストのみを受けいれ、彼にのみ寄り頼むのです」。
なぜ、人はイエス・キリストを信じなければならないのか。それは罪のために当然な神の怒りと呪いから救われるためです。私たちは神の怒りと呪いから救われるために、福音において提供されているままにキリストのみを受けいれ、彼にのみ寄り頼むことが求められているのです。「福音において提供されているままに」とは、「聖書において啓示されているとおりに」ということです。イエス・キリストを信じるには、イエス・キリストがどのようなお方であるのかを正しく知らねばなりません。イエス・キリストを信じるには、イエス・キリストについての正しい知識が求められるのです。しかし、イエス・キリストへの信仰は、知識に留まるものではありません。イエス・キリストへの信仰は、彼にのみ寄り頼む、人格的な信頼にまで至るのです。イエス・キリストへの信仰とは、イエス・キリストについての正しい知識に基づく、人格的な信頼であるのです。
私たちの罪のために十字架に死んで、私たちの初穂として復活されたイエス・キリスト、天の父なる神の右に座しておられ、やがて全ての人を裁くために来られるイエス・キリストをとこしえの岩として寄り頼んで生きること。それが救いの恵みの賜物であるイエス・キリストへの信仰であるのです。