解説 小教理は、問1から問3までが序論、問4から問38までが信仰篇、問39から問107までが義務篇という構造になっています。 小教理は、問3で「聖書がおもに教えている事は、人が神について何を信じなければならないか、また神は人にどんな義務を求めておられるか、ということです」と告白しました。聖書は、「人が神について信じなければならない信仰」と「神が人に求めておられる義務」とについて教えています。そして、私たちは前回の問38までで、人が神について信じなければならないことを告白し終えたのです。 問39は、神が人に求めておられる義務を教える最初の問答であり、総論とも言える問答です。問39は、神が人に求めておられる義務について次のように告白しています。「神が人に求めておられる義務は、神の啓示された御意志に服従することです」。 ここでの「人」は、キリストを信じる者だけではなく、文字通り「すべての人」を指しています。なぜなら、すべての人が神様によって、神のかたちに似せて造られたからです。また、すべての人が神様によって恵みを与えられ、生かされているからです。神様の啓示された御意志に服従することは、すべての人に求められている義務であるのです。 私たち人間の社会には、信教の自由がありますが、神様の御前には信教の自由はないのです。すべての人は、神様の啓示された御意志に服従する義務を負っているのです。証拠聖句であるミカ書6章8節の御言葉は、すべての人に対して語られている御言葉として読むべきです(少なくとも小教理の文脈では)。「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである」。神様は、聖書において、御自分の意思を啓示されました。それゆえ、すべての人が聖書をとおして、神様の御意志を知り、その御意志に従うことが求められているのです。 人よ、何が善であり/主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し/へりくだって神と共に歩むこと、これである。ミカ書 6章8節 2018年08月30日 村田寿和 牧師
小教理は、問1から問3までが序論、問4から問38までが信仰篇、問39から問107までが義務篇という構造になっています。
小教理は、問3で「聖書がおもに教えている事は、人が神について何を信じなければならないか、また神は人にどんな義務を求めておられるか、ということです」と告白しました。聖書は、「人が神について信じなければならない信仰」と「神が人に求めておられる義務」とについて教えています。そして、私たちは前回の問38までで、人が神について信じなければならないことを告白し終えたのです。
問39は、神が人に求めておられる義務を教える最初の問答であり、総論とも言える問答です。問39は、神が人に求めておられる義務について次のように告白しています。「神が人に求めておられる義務は、神の啓示された御意志に服従することです」。
ここでの「人」は、キリストを信じる者だけではなく、文字通り「すべての人」を指しています。なぜなら、すべての人が神様によって、神のかたちに似せて造られたからです。また、すべての人が神様によって恵みを与えられ、生かされているからです。神様の啓示された御意志に服従することは、すべての人に求められている義務であるのです。
私たち人間の社会には、信教の自由がありますが、神様の御前には信教の自由はないのです。すべての人は、神様の啓示された御意志に服従する義務を負っているのです。証拠聖句であるミカ書6章8節の御言葉は、すべての人に対して語られている御言葉として読むべきです(少なくとも小教理の文脈では)。「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めておられるかは/お前に告げられている。正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこと、これである」。神様は、聖書において、御自分の意思を啓示されました。それゆえ、すべての人が聖書をとおして、神様の御意志を知り、その御意志に従うことが求められているのです。