Q.105
- 問い
- 第五の祈願では、私たちは何を祈り求めるのですか。
- 答え
- (「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」という)第五の祈願で私たちが祈る事は、神が、キリストのゆえに、私たちのあらゆる罪を一方的にゆるしてくださるように、ということです。私たちは、神の恵みによって他人を心からゆるせる者とされているので、なおさらこれを求めるように奨励されているのです。
神よ、わたしを憐れんでください/御慈しみをもって。深い御憐れみをもって/背きの罪をぬぐってください。わたしの咎をことごとく洗い/罪から清めてください。詩編 51編3節~4節
キリストが贖いの祝福を私たちに伝えるのに用いられる外的な普通の手段は、キリストの規定、特に御言葉と礼典と祈りです。また、祈りの特別な指導基準は、キリストが弟子たちに教えてくださった主の祈りです。
問105は、主の祈りの第五の祈願について、次のように告白しています。「(我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」という)第五の祈願で私たちが祈る事は、神が、キリストのゆえに、私たちのあらゆる罪を一方的にゆるしてくださるように、ということです。私たちは、神の恵みによって他人を心からゆるせる者とされているので、なおさらこれを求めるように奨励されているのです」。
証拠聖句であるマタイによる福音書6章12節に「わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように」と記されています。「負い目」とは「借金」のことであり、「罪」のことです(ルカ11:4参照)。第五の祈願で、主イエスが私たちに祈るように教えられたことは、「わたしたちの負い目(罪)を赦してください」ということです。
そのことを、小教理は「神が、キリストのゆえに、私たちのあらゆる罪を一方的にゆるしてくださるように」祈る事であると告白しています。ここで「一方的に」と訳されている言葉(freely)は、「無償に」とも訳すことができます。キリストが私たちに代わって神の掟を落ち度なく守り、私たちに代わって罪の刑罰としての十字架の死を死んでくださったゆえに、私たちは無償ですべての罪を赦してくださいと祈ることができるのです。
私たちは、聖霊によってキリストに結ばれ、義認の祝福をいただいた者たちです。私たちは、キリストにあって神様の御前に正しい者とされています。しかし、私たちは罪の残る者たちであり、日ごとに心と言葉と行いにおいて罪を犯してしまいます。それゆえ、イエス様は、私たちに、罪の赦しを祈り求めるよう教えられたのです。
また、小教理は「私たちは、神の恵みによって他人を心からゆるせる者とされているので、なおさらこれを求めるように奨励されているのです」と告白しています。これは「わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように」という言葉についての解説であると言えます。
私たちが他人の罪を心からゆるすことができるとすれば、それは神様の恵みによることです。私たちはキリストにあってすべての罪を赦される恵みをいただいているだけではなくて、他人の罪を赦すことのできる恵みをもいただいているのです。