Q.91
- 問い
- 礼典は、どのようにして救いの有効な手段となるのですか。
- 答え
- 礼典が救いの有効な手段となるのは、礼典そのものや礼典執行者の中にあるどのような力によるのでもありません。ただ、キリストが祝福してくださることと、信仰よって礼典を受ける人々にキリストの御霊が働いてくださることとによるのです。
この水で前もって表された洗礼は、今やイエス・キリストの復活によってあなたがたをも救うのです。洗礼は、肉の汚れを取り除くことではなくて、神に正しい良心を願い求めることです。ペトロの手紙一 3章21節
問88によれば「キリストがあがないの祝福を私たちに伝えるのに用いられる外的な普通の手段とは、キリストの規定、特に御言葉と礼典と祈祷」です。
問91は、礼典(具体的には「洗礼」と「主の晩餐」の二つ)が、どのようにして救いの有効の手段となるのかを問うています。答えはこうです。「礼典が救いの有効な手段となるのは、礼典そのものや礼典執行者の中にあるどのような力によるものでもありません。ただ、キリストが祝福してくださることと、信仰によって礼典を受ける人々にキリストの御霊が働いてくださることとによるのです」。
「礼典が救いの有効な手段となるのは、礼典そのものや礼典執行者の中にあるどのような力によるのでもありません」という文は、ローマ・カトリック教会の主張を念頭において記されています。ローマ・カトリック教会は、使徒たちの後継者である司教と司祭が執行する礼典そのものに救いをもたらす効力があると主張します。しかし、宗教改革の遺産を受け継ぐ小教理は、「礼典が救いの有効な手段となるのは、礼典そのものや礼典執行者の中にあるどのような力によるのでもありません」と告白するのです。
では、礼典はどのようにして救いの有効な手段となるのでしょうか。小教理は続けて次のように告白します。「ただ、キリストが祝福してくださること、信仰によって礼典を受ける人々にキリストの御霊が働いてくださることによるのです」。礼典は、キリストが恵みの外的手段として、御自分の教会に定められたキリストの規定です。それゆえ、礼典は、礼典を定められたキリストが祝福してくださるとき、救いの有効な手段となるのです。礼典は、恵みの外的な手段であり、それを有効としてくださるのは、礼典を定め、礼典を祝福してくださるイエス・キリストであられるのです。
それゆえ、礼典を受ける人々には、復活し今も活きておられるイエス・キリストへの信仰が求められます。イエス・キリストの御霊は、信仰をもって礼典を受ける人々に働いてくださるのです。礼典は単なる儀式ではなく、聖霊によるイエス・キリストとの交わりの場であるのです。