解説 問40と問41は、まとめて解説します。 小教理は、問39で「神が人に求めておられる義務は、神の啓示された御意志に服従することです」と告白しました。続く問40では「神が人の服従のために最初に啓示された基準は、道徳律法でした」と告白しています。 道徳律法については、大教理の問93で次のように告白されています。「道徳律法とは、身も魂も人間全体の状態と性向において、また神と人とに負うている聖と義のすべての義務の遂行において、それに対する人格的な完全な不断の一致服従を各人に命じ拘束し、またそれを守れば命を与えることを約束し、破れば死を報いると威嚇している、人類に対する神のみ心の宣言である」。このように、道徳律法は、神様の聖と義に基づいて、私たちが神と人とに善を行うことを命じ、義務づけるものであるのです。 ここでの「啓示」は、すべての人の心の板に刻みつけられている自然啓示(一般啓示)を指しています。証拠聖句であるローマの信徒への手紙2章14節、15節にこう記されています。「たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。こういう人々は、律法の要求する事柄が、その心に記されていることを示しています。彼らの良心もこれを証ししており、また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って、同じことを示しています」。 律法を持たない異邦人であっても、その心には道徳律法の要求する事柄が記されています(道徳律法そのものではないことに注意してください)。それゆえ、異邦人の社会であっても、親に逆らうことや、人を殺すことは悪とされているのです。すべての人の心に律法の要求する事柄が記されている。このことは、すべての人が、神のかたちに似せて造られたことに由来します。神様はすべての人を、知識と義と聖において御自身のかたちにしたがって創造されました(問10参照)。それゆえ、すべての人の心には、神様の義と聖に基づいて善を行うことを命じ、義務づける道徳律法の要求する事柄が記されているのです。 では、どうして、神様は、道徳律法を十戒の中に要約的に示さたのでしょうか。それは、はじめの人アダムにあって、すべての人が良き創造の状態から堕落したからです。アダムの堕落によって、その子孫であるすべての人の神のかたちは歪められ、道徳律法が不明瞭なものとなってしまいました(ですから、先程のローマの信徒への手紙2章15節には、道徳律法ではなく「律法の要求する事柄」と記されていたのです)。それゆえ、神様は、イスラエルの民に、道徳律法の要約とも言える十戒を与えられたのです。 たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。こういう人々は、律法の要求する事柄がその心に記されていることを示しています。彼らの良心もこれを証ししており、また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って、同じことを示しています。ローマの信徒への手紙 2章14節~15節 2018年08月30日 村田寿和 牧師
問40と問41は、まとめて解説します。
小教理は、問39で「神が人に求めておられる義務は、神の啓示された御意志に服従することです」と告白しました。続く問40では「神が人の服従のために最初に啓示された基準は、道徳律法でした」と告白しています。
道徳律法については、大教理の問93で次のように告白されています。「道徳律法とは、身も魂も人間全体の状態と性向において、また神と人とに負うている聖と義のすべての義務の遂行において、それに対する人格的な完全な不断の一致服従を各人に命じ拘束し、またそれを守れば命を与えることを約束し、破れば死を報いると威嚇している、人類に対する神のみ心の宣言である」。このように、道徳律法は、神様の聖と義に基づいて、私たちが神と人とに善を行うことを命じ、義務づけるものであるのです。
ここでの「啓示」は、すべての人の心の板に刻みつけられている自然啓示(一般啓示)を指しています。証拠聖句であるローマの信徒への手紙2章14節、15節にこう記されています。「たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。こういう人々は、律法の要求する事柄が、その心に記されていることを示しています。彼らの良心もこれを証ししており、また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って、同じことを示しています」。
律法を持たない異邦人であっても、その心には道徳律法の要求する事柄が記されています(道徳律法そのものではないことに注意してください)。それゆえ、異邦人の社会であっても、親に逆らうことや、人を殺すことは悪とされているのです。すべての人の心に律法の要求する事柄が記されている。このことは、すべての人が、神のかたちに似せて造られたことに由来します。神様はすべての人を、知識と義と聖において御自身のかたちにしたがって創造されました(問10参照)。それゆえ、すべての人の心には、神様の義と聖に基づいて善を行うことを命じ、義務づける道徳律法の要求する事柄が記されているのです。
では、どうして、神様は、道徳律法を十戒の中に要約的に示さたのでしょうか。それは、はじめの人アダムにあって、すべての人が良き創造の状態から堕落したからです。アダムの堕落によって、その子孫であるすべての人の神のかたちは歪められ、道徳律法が不明瞭なものとなってしまいました(ですから、先程のローマの信徒への手紙2章15節には、道徳律法ではなく「律法の要求する事柄」と記されていたのです)。それゆえ、神様は、イスラエルの民に、道徳律法の要約とも言える十戒を与えられたのです。