Q.33
- 問い
- 義認とは、何ですか。
- 答え
- 義認とは、神の一方的恵みによる決定です。それによって神は、私たちのすべての罪をゆるし、私たちを御前に正しいと受けいれてくださいます。それはただ、私たちに転嫁され信仰によってだけ受けとるキリストの義のゆえです。
ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました。それは、今まで人が犯した罪を見逃して、神の義をお示しになるためです。ローマの信徒への手紙 3章24節~25節
小教理は、問32で「有効召命されている者は、この世で、義認、子とされること、聖化、この世でそれらに伴い、あるいはそれらから流れ出るいくつもの祝福を分け与えられます」と告白しました。
続く問33では「義認」について告白しています。「義認とは、神の一方的恵みによる決定です。それによって神は、私たちのすべての罪を赦し、私たちを御前に正しいと受け入れてくださいます。それはただ、私たちに転嫁され信仰によってだけ受けとるキリストの義のゆえです」。
小教理は「義認とは、神の一方的恵みによる決定です」と告白しています。ここで「決定」と訳されている英語は、一回的な行為を表すアクト(act)です。義認とは神の一方的恵みによる一回的で、決定的な行為であるのです。それによって神様は、私たちのすべての罪を赦し、私たちを御前に正しいと受け入れてくださいます。義認とは、神様の御前に義と認められることですが、そのためには私たちのすべての罪が赦される必要があるのです。
神様は、アダムにあって堕落し、罪を犯している私たちを、どのようにして御前に正しいと受け入れてくださるのでしょうか。小教理はこう告白しています。「それはただ、私たちに転嫁され信仰によってだけ受け取るキリストの義のゆえです」。私たちが神様の御前に正しいと受け入れられるのは、私たちに転嫁され、信仰によってだけ受け取るキリストの義によるのです。
キリストは、私たちの贖い主として、私たちに代わって神の掟を完全に守り(積極的服従)、私たちに代わって罪の刑罰として十字架の死を死んでくださいました(消極的服従)。キリストが罪の刑罰として十字架の死を死んでくださったゆえに私たちのすべての罪は赦され、キリストが私たちに代わって神の掟を完全に守ってくださったゆえに、私たちは神の御前に正しい者として受け入れられるのです。
完全な服従と十分な償いを内容とするキリストの義を信仰という手段によって受け取ることにより、私たちはすべての罪を赦され、神の御前に正しいと受け入れられます。ここでの「信仰」は、義認の根拠ではありません。義認の根拠は、「キリストの義」であります。信仰はキリストの義を受け取るための手段です。そして、この信仰も聖霊なる神の賜物であるのです。それゆえ、義認は神の一方的恵みによる決定なのです。