解説 小教理は、問7で「神の聖定とは、神の御意志の熟慮による永遠の決意です。これによって神は、御自身の栄光のために、すべての出来事をあらかじめ定めておられるのです」と告白しました。続く問8では「神はその聖定を、どのように実行されますか」と問うています。答えはこうです。「神が聖定を実行されるのは、創造(そうぞう)と摂理(せつり)の御業(みわざ)においてです」。 小教理は問9と問10で創造の御業について告白していますが、一言で言えば、創造の御業とは「御言葉によって天地万物を造られた神様の御業」のことです。また、小教理は問11と問12で摂理の御業について告白していますが、一言で言えば、摂理の御業とは「造られたすべてのものを保ち、統べ治められる神様の御業」のことです。神様の御意志の熟慮による永遠の決意・計画に基いて、この世界は造られ、その歴史は導かれています。この世界とその歴史は、神様の永遠の決意・計画である聖定が展開され、実現される時空であるのです。 神の聖定は、神様と世界とを結びつける帯(おび)のような働きをしています。もし、私たちがこの世界とその歴史の背後に神の聖定があることを忘れてしまうならば、この世界とその歴史を神様から切り離して考えてしまいます。そして、創造と摂理の主である神様を否定するようになるのです。さらには、この世界とその歴史を偶然の産物と考え、得体の知れない運命に支配されてしまうようになるのです。 しかし、この世界とその歴史の背後には、神様の御意志の熟慮による永遠の決意・計画である聖定があります。神様は、御自身の栄光のために、あらゆる出来事をあらかじめ定めておられるのです。それゆえ、この世界は神の栄光の舞台であり、その歴史は神の栄光の物語であると言えるのです。 このように世界と歴史を観(み)ることこそ、私たち改革派教会の創立宣言の第一の主張「キリスト教有神論的人生観・世界観」であるのです。 天は神の栄光を物語り/大空は御手の業を示す。昼は昼に語り伝え/夜は夜に知識を送る。話すことも、語ることもなく/声は聞こえなくても/その響きは全地に/その言葉は世界の果てに向かう。詩編 19章2節〜5節 2018年08月26日 村田寿和 牧師
小教理は、問7で「神の聖定とは、神の御意志の熟慮による永遠の決意です。これによって神は、御自身の栄光のために、すべての出来事をあらかじめ定めておられるのです」と告白しました。続く問8では「神はその聖定を、どのように実行されますか」と問うています。答えはこうです。「神が聖定を実行されるのは、創造(そうぞう)と摂理(せつり)の御業(みわざ)においてです」。
小教理は問9と問10で創造の御業について告白していますが、一言で言えば、創造の御業とは「御言葉によって天地万物を造られた神様の御業」のことです。また、小教理は問11と問12で摂理の御業について告白していますが、一言で言えば、摂理の御業とは「造られたすべてのものを保ち、統べ治められる神様の御業」のことです。神様の御意志の熟慮による永遠の決意・計画に基いて、この世界は造られ、その歴史は導かれています。この世界とその歴史は、神様の永遠の決意・計画である聖定が展開され、実現される時空であるのです。
神の聖定は、神様と世界とを結びつける帯(おび)のような働きをしています。もし、私たちがこの世界とその歴史の背後に神の聖定があることを忘れてしまうならば、この世界とその歴史を神様から切り離して考えてしまいます。そして、創造と摂理の主である神様を否定するようになるのです。さらには、この世界とその歴史を偶然の産物と考え、得体の知れない運命に支配されてしまうようになるのです。
しかし、この世界とその歴史の背後には、神様の御意志の熟慮による永遠の決意・計画である聖定があります。神様は、御自身の栄光のために、あらゆる出来事をあらかじめ定めておられるのです。それゆえ、この世界は神の栄光の舞台であり、その歴史は神の栄光の物語であると言えるのです。
このように世界と歴史を観(み)ることこそ、私たち改革派教会の創立宣言の第一の主張「キリスト教有神論的人生観・世界観」であるのです。