解説 小教理は、問12で、神様が創造された状態の人にとられた特別な摂理の行為について告白しました。神様は、はじめの人アダムをエデンの園に住まわせ、「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」と命じられたのです(創世2:17)。では、私たちの最初の先祖たちは、この掟を守ることができたのでしょうか。問13が問うているのはそのことです。答えはこうです。「自分の意志の自由に任されていた私たちの最初の先祖たちは、神に罪を犯すことによって、創造された状態から堕落しました」。 「私たちの最初の先祖たち」とは、はじめの人アダムとその助け手として造られた女(エバ)のことです。ここではアダムと女が「自分の自由意思に任されていた」と記されています。神様は人をご自分のかたちに似せて造られました。それは、アダムと女を自由な意思を持つ者として造られたと言うことです。神様は人間をプログラムに従って動くロボットのように造られたのではなく、善にも悪にも強制されない自由な意思を持つ者として造られたのです。つまり、神様は人間を御自分との愛の交わりに生きる者として造られたのです。 私たちの最初の先祖たちは、自分の意思の自由に任されていたわけですから、善悪の知識の木から食べるという決断もできたし、また食べないという決断もできたはずです。堕落したアダムの子孫である私たちは、生まれながらに罪があり、悪へと傾いています。しかし、創造された状態のアダムと女には罪がないので、神の掟を守って善をなすか、神の掟に逆らって悪をなすかは、文字通り自分の意思の自由に任されていたのです。そして、その自分の意思の自由によって、アダムと女は禁じられていた木の実を食べて、罪を犯すことにより「創造された状態から堕落」したのです。 「創造された状態」とは、神様が「見よ、それは極めて良かった」と言われた良き創造の状態のことです(創世1:31)。私たちの最初の先祖たちは、神様に罪を犯すことによって、良き創造の状態から落ちてしまいました。そのようにして、神様が創造された良き世界に、罪と死が入り込んできたのです。罪と死の責任は、自分の意思の自由に任されていた私たちの最初の先祖たちに、私たち人間にあるのです。 女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので彼も食べた。創世記 3章6節 2018年08月27日 村田寿和 牧師
小教理は、問12で、神様が創造された状態の人にとられた特別な摂理の行為について告白しました。神様は、はじめの人アダムをエデンの園に住まわせ、「園のすべての木から取って食べなさい。ただし、善悪の知識の木からは決して食べてはならない。食べると必ず死んでしまう」と命じられたのです(創世2:17)。では、私たちの最初の先祖たちは、この掟を守ることができたのでしょうか。問13が問うているのはそのことです。答えはこうです。「自分の意志の自由に任されていた私たちの最初の先祖たちは、神に罪を犯すことによって、創造された状態から堕落しました」。
「私たちの最初の先祖たち」とは、はじめの人アダムとその助け手として造られた女(エバ)のことです。ここではアダムと女が「自分の自由意思に任されていた」と記されています。神様は人をご自分のかたちに似せて造られました。それは、アダムと女を自由な意思を持つ者として造られたと言うことです。神様は人間をプログラムに従って動くロボットのように造られたのではなく、善にも悪にも強制されない自由な意思を持つ者として造られたのです。つまり、神様は人間を御自分との愛の交わりに生きる者として造られたのです。
私たちの最初の先祖たちは、自分の意思の自由に任されていたわけですから、善悪の知識の木から食べるという決断もできたし、また食べないという決断もできたはずです。堕落したアダムの子孫である私たちは、生まれながらに罪があり、悪へと傾いています。しかし、創造された状態のアダムと女には罪がないので、神の掟を守って善をなすか、神の掟に逆らって悪をなすかは、文字通り自分の意思の自由に任されていたのです。そして、その自分の意思の自由によって、アダムと女は禁じられていた木の実を食べて、罪を犯すことにより「創造された状態から堕落」したのです。
「創造された状態」とは、神様が「見よ、それは極めて良かった」と言われた良き創造の状態のことです(創世1:31)。私たちの最初の先祖たちは、神様に罪を犯すことによって、良き創造の状態から落ちてしまいました。そのようにして、神様が創造された良き世界に、罪と死が入り込んできたのです。罪と死の責任は、自分の意思の自由に任されていた私たちの最初の先祖たちに、私たち人間にあるのです。