Q.2 問い 神は、私たちに神の栄光をあらわし神を喜ぶ道を教えるため、どんな基準を授けていてくださいますか。 答え 旧新約聖書にある神の御言葉だけが、私たちに神の栄光をあらわし神を喜ぶ道を教える、ただ一つの基準です。
解説 小教理は、問1で、「人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことである」と告白しました。では、私たち人間は、どのようにすれば、神の栄光をあらわし、神を喜ぶことができるのでしょうか。続く問2は、「旧新約聖書にある神の御言葉だけが、私たちに神の栄光をあらわし神を喜ぶ道を教える、ただ一つの基準です」と告白しています。 「旧新約聖書」とは、旧約39巻と新約27巻の合計66巻の聖書のことです(ウェストミンスター信仰告白1章2節参照)。そこには、旧約と新約の間の時代、いわゆる中間時代に記された『旧約聖書続編』は含まれません。また、教会の伝承や教皇の発言も含まれません。小教理は、「聖書のみ」をかかげるプロテスタント教会の信仰告白文書であるのです(小教理は、1648年に、ウェストミンスター神学者会議によって、イングランドで作成されました)。 「旧新約聖書にある神の御言葉」とありますが、これは、聖書の中に神の言葉が含まれているという意味ではありません。そうではなくて、旧新約聖書全体が神の言葉であるということです(十全逐語霊感)。聖書は神様の霊の導きの下に人間が記した神の言葉です(有機的霊感)。聖書は、多くの時代に、多くの人によって記された書物の集まりですが、その究極的な著者は、神様です。私たちは、その聖書を読むことによって、神の栄光をあらわし神を喜ぶ道(生き方)を知ることができます。その聖書(絶対的規範)を学ぶための良い手引きがウェストミンスター小教理問答(相対的規範)であるのです。 聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。テモテへの手紙二 3章16節、17節 2018年07月31日 村田寿和 牧師
小教理は、問1で、「人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことである」と告白しました。では、私たち人間は、どのようにすれば、神の栄光をあらわし、神を喜ぶことができるのでしょうか。続く問2は、「旧新約聖書にある神の御言葉だけが、私たちに神の栄光をあらわし神を喜ぶ道を教える、ただ一つの基準です」と告白しています。
「旧新約聖書」とは、旧約39巻と新約27巻の合計66巻の聖書のことです(ウェストミンスター信仰告白1章2節参照)。そこには、旧約と新約の間の時代、いわゆる中間時代に記された『旧約聖書続編』は含まれません。また、教会の伝承や教皇の発言も含まれません。小教理は、「聖書のみ」をかかげるプロテスタント教会の信仰告白文書であるのです(小教理は、1648年に、ウェストミンスター神学者会議によって、イングランドで作成されました)。
「旧新約聖書にある神の御言葉」とありますが、これは、聖書の中に神の言葉が含まれているという意味ではありません。そうではなくて、旧新約聖書全体が神の言葉であるということです(十全逐語霊感)。聖書は神様の霊の導きの下に人間が記した神の言葉です(有機的霊感)。聖書は、多くの時代に、多くの人によって記された書物の集まりですが、その究極的な著者は、神様です。私たちは、その聖書を読むことによって、神の栄光をあらわし神を喜ぶ道(生き方)を知ることができます。その聖書(絶対的規範)を学ぶための良い手引きがウェストミンスター小教理問答(相対的規範)であるのです。