Q.94 問い 洗礼とは、何ですか。 答え 洗礼とは、ひとつの礼典です。そのとき、父と子と聖霊の御名によって水で洗うことが、私たちがキリストにつぎ木され、恵みの契約の祝福を分け与えられ、主のものになると約束することを、表わし証印するのです。
解説 問88によれば、キリストがあがないの祝福を私たちに伝えるのに用いられる外的な手段は、キリストの規定、特に御言葉と礼典と祈りです。 問94では、新約の礼典である洗礼について、次のように告白しています。「洗礼とは、ひとつの礼典です。そのとき、父と子と聖霊の御名によって水で洗うことが、私たちがキリストにつぎ木され、恵みの契約の祝福を分け与えられ、主のものになると約束することを、表し証印するのです」。 洗礼とは、父と子と聖霊の御名による水の洗いです。洗礼は、キリストが定められたことでした。マタイによる福音書28章19節、20節で、復活されたキリストは弟子たちに近寄ってこう言われました。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」。このイエス様の命令に従って、教会では、父と子と聖霊の御名によって洗礼を授けているのです。父と子と聖霊の名によって洗礼を受けるとは、父と子と聖霊なる三位一体の神様の交わりの内に入れられることを意味します。 では、どのようにして、私たちは父と子と聖霊の三位一体の神様の交わりに入れられるのでしょうか。それは霊的にキリストに接ぎ木されることによってです。イエス様は、ヨハネによる福音書の15章で「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」と言われたように、私たちは洗礼を受けることにより、キリストに霊的に結び合わされるのです。そして、キリストが実現してくださった恵みの契約の祝福を分け与えられるのです。恵みの契約の祝福とは「この世で、義認、子とされること、聖化、この世でそれらに伴い、あるいはそれらから流れ出るいくつもの祝福」です(問32)。また、「この世で、義認、子とされること、聖化に伴い、あるいはそれらから流れ出る祝福とは、神の愛の確信、良心の平和、聖霊における喜び、恵みの増加、終わりまで恵みのうちに堅忍すること」です(問36)。 私たちは洗礼を受けることにより、主のものになると約束します。ここで「約束」と訳されている言葉は、エンゲージメント(engagement)で、「婚約」とも訳せます。主のものとなるとは、主の花嫁となることでもあるのです。洗礼は、父と子と聖霊の御名による水の洗いであり、私たちがキリストに霊的に結び合わされ、恵みの契約の祝福を分け与えられ、主の花嫁となることを意味し証印する礼典であるのです。 わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。ローマの信徒への手紙 6章4節 2018年08月31日 村田寿和 牧師
問88によれば、キリストがあがないの祝福を私たちに伝えるのに用いられる外的な手段は、キリストの規定、特に御言葉と礼典と祈りです。
問94では、新約の礼典である洗礼について、次のように告白しています。「洗礼とは、ひとつの礼典です。そのとき、父と子と聖霊の御名によって水で洗うことが、私たちがキリストにつぎ木され、恵みの契約の祝福を分け与えられ、主のものになると約束することを、表し証印するのです」。
洗礼とは、父と子と聖霊の御名による水の洗いです。洗礼は、キリストが定められたことでした。マタイによる福音書28章19節、20節で、復活されたキリストは弟子たちに近寄ってこう言われました。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい」。このイエス様の命令に従って、教会では、父と子と聖霊の御名によって洗礼を授けているのです。父と子と聖霊の名によって洗礼を受けるとは、父と子と聖霊なる三位一体の神様の交わりの内に入れられることを意味します。
では、どのようにして、私たちは父と子と聖霊の三位一体の神様の交わりに入れられるのでしょうか。それは霊的にキリストに接ぎ木されることによってです。イエス様は、ヨハネによる福音書の15章で「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」と言われたように、私たちは洗礼を受けることにより、キリストに霊的に結び合わされるのです。そして、キリストが実現してくださった恵みの契約の祝福を分け与えられるのです。恵みの契約の祝福とは「この世で、義認、子とされること、聖化、この世でそれらに伴い、あるいはそれらから流れ出るいくつもの祝福」です(問32)。また、「この世で、義認、子とされること、聖化に伴い、あるいはそれらから流れ出る祝福とは、神の愛の確信、良心の平和、聖霊における喜び、恵みの増加、終わりまで恵みのうちに堅忍すること」です(問36)。
私たちは洗礼を受けることにより、主のものになると約束します。ここで「約束」と訳されている言葉は、エンゲージメント(engagement)で、「婚約」とも訳せます。主のものとなるとは、主の花嫁となることでもあるのです。洗礼は、父と子と聖霊の御名による水の洗いであり、私たちがキリストに霊的に結び合わされ、恵みの契約の祝福を分け与えられ、主の花嫁となることを意味し証印する礼典であるのです。