新約聖書「コリントの信徒への手紙一」に関する礼拝説教 3件
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新約聖書「コリントの信徒への手紙一」に関する礼拝説教 3件
コリントの信徒への手紙一10章23節~11章1節
10章23節「「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことがわたしたちを造り上げるわけではない。」 24節「だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい。」 25節「市場で売っているものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい。」 26節「「地とそこに満ちているものは、主のもの」だからです。」 27節「あなたがたが、信仰を持っていない人から招待され、それに応じる場合、自分の前に出されるものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい。」 28節「しかし、もしだれかがあなたがたに、「これは偶像に供えられた肉です」と言うなら、その人のため、また、良心のために食べてはいけません。」 29節「わたしがこの場合、「良心」と言うのは、自分の良心ではなく、そのように言う他人の良心のことです。どうしてわたしの自由が、他人の良心によって左右されることがありましょう。」 30節「わたしが感謝して食べているのに、そのわたしが感謝しているものについて、なぜ悪口を言われるわけがあるのです。」 31節「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」 32節「ユダヤ人にも、ギリシア人にも、神の教会にも、あなたがたは人を惑わす原因にならないようにしなさい。」 33節「わたしも、人々を救うために、自分の益ではなく多くの人の益を求めて、すべての点ですべての人を喜ばそうとしているのですから。」 11章1節「わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。」
- 日付:
- 説教:
- 豊川修司牧師
コリントの信徒への手紙一12章12節~27節
12節 体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。 13節 つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。 14節 体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。 15節 足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。 16節 耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。 17節 もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。 18節 そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。 19節 すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。 20節 だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。 21節 目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。 22節 それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。 23節 わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。 24節 見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。 25節 それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。 26節 一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。 27節 あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
- 日付:
- 説教:
- 新井主一 牧師
コリントの信徒への手紙一12章12節~27節
12節 体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。 13節 つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。 14節 体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。 15節 足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。 16節 耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。 17節 もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。 18節 そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。 19節 すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。 20節 だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。 21節 目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。 22節 それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。 23節 わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。 24節 見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。 25節 それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。 26節 一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。 27節 あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
- 日付:
- 説教:
- 新井主一 牧師
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