新約聖書「コリントの信徒への手紙一」に関する礼拝説教 4件
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新約聖書「コリントの信徒への手紙一」に関する礼拝説教 4件
コリントの信徒への手紙一10章23節~11章1節
10章23節「「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことが益になるわけではない。「すべてのことが許されている。」しかし、すべてのことがわたしたちを造り上げるわけではない。」 24節「だれでも、自分の利益ではなく他人の利益を追い求めなさい。」 25節「市場で売っているものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい。」 26節「「地とそこに満ちているものは、主のもの」だからです。」 27節「あなたがたが、信仰を持っていない人から招待され、それに応じる場合、自分の前に出されるものは、良心の問題としていちいち詮索せず、何でも食べなさい。」 28節「しかし、もしだれかがあなたがたに、「これは偶像に供えられた肉です」と言うなら、その人のため、また、良心のために食べてはいけません。」 29節「わたしがこの場合、「良心」と言うのは、自分の良心ではなく、そのように言う他人の良心のことです。どうしてわたしの自由が、他人の良心によって左右されることがありましょう。」 30節「わたしが感謝して食べているのに、そのわたしが感謝しているものについて、なぜ悪口を言われるわけがあるのです。」 31節「だから、あなたがたは食べるにしろ飲むにしろ、何をするにしても、すべて神の栄光を現すためにしなさい。」 32節「ユダヤ人にも、ギリシア人にも、神の教会にも、あなたがたは人を惑わす原因にならないようにしなさい。」 33節「わたしも、人々を救うために、自分の益ではなく多くの人の益を求めて、すべての点ですべての人を喜ばそうとしているのですから。」 11章1節「わたしがキリストに倣う者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい。」
- 日付:
- 説教:
- 豊川修司牧師
コリントの信徒への手紙一12章1節~11節
1節 兄弟たち、霊的な賜物については、次のことはぜひ知っておいてほしい。 2節 あなたがたがまだ異教徒だったころ、誘われるままに、ものの言えない偶像のもとに連れて行かれたことを覚えているでしょう。 3節 ここであなたがたに言っておきたい。神の霊によって語る人は、だれも「イエスは神から見捨てられよ」とは言わないし、また、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えないのです。 4節 賜物にはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ霊です。 5節 務めにはいろいろありますが、それをお与えになるのは同じ主です。 6節 働きにはいろいろありますが、すべての場合にすべてのことをなさるのは同じ神です。 7節 一人一人に“霊”の働きが現れるのは、全体の益となるためです。 8節 ある人には“霊”によって知恵の言葉、ある人には同じ“霊”によって知識の言葉が与えられ、 9節 ある人にはその同じ“霊”によって信仰、ある人にはこの唯一の“霊”によって病気をいやす力、 10節 ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解釈する力が与えられています。 11節 これらすべてのことは、同じ唯一の“霊”の働きであって、“霊”は望むままに、それを一人一人に分け与えてくださるのです。
- 日付:
- 説教:
- 坂部勇牧師
コリントの信徒への手紙一12章12節~27節
12節 体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。 13節 つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。 14節 体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。 15節 足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。 16節 耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。 17節 もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。 18節 そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。 19節 すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。 20節 だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。 21節 目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。 22節 それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。 23節 わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。 24節 見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。 25節 それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。 26節 一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。 27節 あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
- 日付:
- 説教:
- 新井主一 牧師
コリントの信徒への手紙一12章12節~27節
12節 体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分の数は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様である。 13節 つまり、一つの霊によって、わたしたちは、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由な身分の者であろうと、皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらったのです。 14節 体は、一つの部分ではなく、多くの部分から成っています。 15節 足が、「わたしは手ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。 16節 耳が、「わたしは目ではないから、体の一部ではない」と言ったところで、体の一部でなくなるでしょうか。 17節 もし体全体が目だったら、どこで聞きますか。もし全体が耳だったら、どこでにおいをかぎますか。 18節 そこで神は、御自分の望みのままに、体に一つ一つの部分を置かれたのです。 19節 すべてが一つの部分になってしまったら、どこに体というものがあるでしょう。 20節 だから、多くの部分があっても、一つの体なのです。 21節 目が手に向かって「お前は要らない」とは言えず、また、頭が足に向かって「お前たちは要らない」とも言えません。 22節 それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。 23節 わたしたちは、体の中でほかよりも恰好が悪いと思われる部分を覆って、もっと恰好よくしようとし、見苦しい部分をもっと見栄えよくしようとします。 24節 見栄えのよい部分には、そうする必要はありません。神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体を組み立てられました。 25節 それで、体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合っています。 26節 一つの部分が苦しめば、すべての部分が共に苦しみ、一つの部分が尊ばれれば、すべての部分が共に喜ぶのです。 27節 あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
- 日付:
- 説教:
- 新井主一 牧師
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