2020年08月30日「ダビデ王国とイシュ・ボシェト王国 다윗 왕국과 이스보셋 왕국」

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ダビデ王国とイシュ・ボシェト王国 다윗 왕국과 이스보셋 왕국

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
サムエル記下 2章1節~3章1節

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聖句のアイコン聖書の言葉

2:1その後ダビデは主に託宣を求めて言った。「どこかユダの町に上るべきでしょうか。」主は言われた。「上れ。」更にダビデは尋ねた。「どこへ上ればよいのでしょうか。」「ヘブロンへ」と主はお答えになった。
2:2そこでダビデは二人の妻、イズレエルのアヒノアムとカルメルのナバルの妻であったアビガイルを連れて、ヘブロンへ上った。
2:3ダビデは彼に従っていた兵をその家族と共に連れて上った。こうして彼らはヘブロンの町々に住んだ。
2:4ユダの人々はそこに来て、ダビデに油を注ぎ、ユダの家の王とした。ギレアドのヤベシュの人々がサウルを葬ったと知らされたとき、
2:5ダビデはギレアドのヤベシュの人々に使者を送ってこう言わせた。「あなたがたが主に祝福されますように。あなたがたは主君サウルに忠実を尽くし、彼を葬りました。
2:6今、主があなたがたに慈しみとまことを尽くしてくださいますように。わたしも、そうしたあなたがたの働きに報いたいと思います。
2:7力を奮い起こし、勇敢な者となってください。あなたがたの主君サウルは亡くなられましたが、ユダの家はこのわたしに油を注いで自分たちの王としました。」
2:8サウルの軍の司令官、ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェトを擁立してマハナイムに移り、
2:9彼をギレアド、アシュル人、イズレエル、エフライム、ベニヤミン、すなわち全イスラエルの王とした。
2:10サウルの子イシュ・ボシェトは四十歳でイスラエルの王となり、二年間王位にあった。だが、ユダの家はダビデに従った。
2:11ダビデがユダの家の王としてヘブロンにとどまった期間は七年六か月であった。
2:12ネルの子アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェトの家臣と共にマハナイムを出て、ギブオンに向かった。
2:13一方、ツェルヤの子ヨアブとダビデの家臣も出陣した。両軍はギブオンの池で出会い、一方は池のこちら側に、他方は向こう側にとどまった。
2:14アブネルはヨアブに申し入れた。「若者を立てて、我々の前で勝負させてはどうか。」「よかろう」とヨアブは言った。
2:15ベニヤミン族とサウルの子イシュ・ボシェトの側から十二人、ダビデの家臣からも十二人、同数の者が立って次々と出て行った。
2:16彼らはそれぞれ相手の頭をとらえ、剣を相手の脇腹に突き刺し、皆共に倒れた。その場所はヘルカト・ツリムと呼ばれ、ギブオンにある。
2:17その日、激しい戦いが続き、アブネルとイスラエルの兵がダビデの家臣に打ち負かされた。
2:18ツェルヤの三人の息子、ヨアブ、アビシャイ、アサエルも戦いに加わっていたが、アサエルは野のかもしかのように足が速く、
2:19アブネルを追跡し、右にも左にもそれることなくアブネルの後を追った。
2:20アブネルは振り向いて言った。「お前はアサエルだな。」「そうだ」と彼は答えた。
2:21「右か左にそれて若者の一人でも捕らえ、身につけているものを奪ったらどうだ」とアブネルは言ったが、アサエルはアブネルを追って離れようとしなかった。
2:22アブネルは重ねてアサエルに言った。「追うのはやめてくれ。お前を地に打ち倒すわけにはいかない。お前の兄、ヨアブに顔向けできないではないか。」
2:23だがアサエルは頑として離れなかった。アブネルは槍の石突きでアサエルの下腹を突いた。槍は背中まで突き抜け、アサエルは倒れ、その場で死んだ。アサエルが倒れて死んでいる所まで来た者は皆、立ち止まったが、
2:24ヨアブとアビシャイはアブネルを追い続けた。夕暮れ時となって、彼らはギブオンの荒れ野に続くギアの入り口にあったアンマの丘に着いた。
2:25ベニヤミン族はアブネルに合流し、一団となって一つの丘の頂にとどまった。
2:26アブネルはヨアブに呼びかけて言った。「いつまで剣の餌食とし合うのか。悲惨な結末になることを知らぬわけではあるまい。いつになったら、兄弟を追うのはやめよ、と兵士に命じるのか。」
2:27ヨアブは答えた。「神は生きておられる。もしお前がそう言い出さなかったなら、兵士は朝までその兄弟を追い続けたことだろう。」
2:28ヨアブは角笛を吹いた。兵士は皆、イスラエル軍を追うことをやめ、それ以上戦いを続けなかった。
2:29アブネルとその兵はアラバを夜通し歩いてヨルダン川を渡り、更に午前中も歩いて、マハナイムに着いた。
2:30ヨアブはアブネルの追跡から戻り、兵士を皆集合させた。ダビデの家臣のうち十九人とアサエルが欠けていた。
2:31ダビデの家臣はベニヤミン族とアブネルの兵のうち三百六十人を打ち殺した。
2:32アサエルはベツレヘムに運ばれ、父の墓に葬られた。ヨアブとその兵は夜通し歩いて、明け方ヘブロンに着いた。
3:1サウル王家とダビデ王家との戦いは長引いたが、ダビデはますます勢力を増し、サウルの家は次第に衰えていった。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
サムエル記下 2章1節~3章1節

原稿のアイコン日本語メッセージ

【序】

 サウルの死によって、ユダの人々はダビデに油注ぎを与え、ユダ部族の王として迎え入れました。これは、実は、ダビデと共に息づいていた「神の国」を公に受け入れたことを意味していました。この後、神の国の拡がりは少しずつに加速し、さらにダビデが傭兵部隊として受け入れることになる異邦人にまで神の国は拡がりを見せて行きます。このように神の宣教には、神の時があるということを、本日の箇所を通して学んでいきたいと思います。しかし、時が満ちて、神の祝福がたとえ臨んだとしても信仰者の歩みは変化するものではなく、環境や状況によって変わっていくものでもありません。ダビデがその苦難の多い人生から学んだこととは、神の御前にへりくだり、神に全てを委ね、全面的により頼み、神の御業を賛美して礼拝をしていくということです。

【1】. ヘブロンにおいて油注がれて王となる

 サウルとヨナタンの訃報を受けて、ダビデの共同体が哀歌をもって喪に服した後、ダビデは主に託宣を求めました。これは、以前、サウルの下から逃げ延びて来た、祭司アビアタルが、ダビデの下にエフォドを持ってきましたので、このエフォドを通して、主に伺いを立てたのでしょう。「どこかユダの町に上るべきでしょうか?」すると、主は「上れ」お答えになりました。さらにダビデは尋ね求めます。「どこへ上ればいいでしょうか。」すると、「ヘブロンへ」とお答えになりました。思えば、ダビデがツィクラグに亡命しに来た時には、一切、主に祈り求めることをしませんでした(サムエル記上27章)。ダビデは自分の魂の声に聞き従いながら、恐れと不安の中で自分から進んでガトのアキシュの下に行き、「首都ガトから離れた地方でいいので住まわせてほしい」、「アキシュの為に働く傭兵部隊として受け入れてほしい」と願い出たのでありました。ところが今回は違います。ダビデは慎重には慎重を重ねて、主の御前に遜り、祈り求めました。すると主はダビデにツィクラグを離れて、もう一度祖国に戻りなさいとお答えになられたのです。ダビデは家族を連れて、恐らく2,000人余りにもなるであろう大所帯で、ユダの町であるヘブロンへ上りました。ヘブロンはエルサレムの南に32キロほど離れた、山岳地帯にあるこの要塞都市であります。昔、族長たちが主と豊かな交わりを許された地であり、また、アブラハムとサラの墓もこの地にあります。創世記35:27を御覧ください。

“ヤコブは父イサクのいるキルヤト・アルバ、すなわちヘブロンのマムレにやって来た。そこはアブラハムとイサクが一時、滞在していた所である。”

ヘブロンのマムレの樫の木の下でアブラハムは主との交わりが豊かに許されていたということです。因みに、ヘブロンという名前の意味は、「交わり」、「契約」という意味でありまして、ヨシュアによって導かれイスラエルがカナンの地へ入植した際には、ユダ族のカレブに、ヘブロンが嗣業の地として与えられました。その後、ヘブロンは逃れの町として聖別され、祭司の町でもありました(ヨシュ21:13)。このヘブロンにおいて、サムエル記下2:4節を見ると、突然ダビデは油注がれ、ユダの人々の王とされます。ですから「ヘブロンに上りなさい」という主の託宣が、まさにユダの王として油注がれることが目的であったことを私たちは知ることが出来るのです。このようにダビデによって象徴される神の国は、一瞬にしてイスラエルの全土に訪れるのではありませんでした。ヘブロンは、そこそこ大きな都市かもしれませんが、イスラエル全体から見るならばユダの一地方都市に過ぎません。神の国の拡がりは、今日の教会の宣教と全く同じです。つまり、神の国は、神さまに献身された弟子たちから、小さな群れから、純粋な残りの民を通して、まず神の国が起こされ、拡大され、神の宣教が前進して行くのです。神に献身された少数を通して、信仰の純粋な残りの民を通して、神さまはご自身の宣教を始められるということを、今日はぜひ覚えていただきたいと思います。私たちせんげん台教会にこれを適用するなら、伝道の為に何かプログラムを導入することも確かに大切かもしれませんが、それ以上に大切なことは、まず私たちせんげん台教会が、たとえ小さな群れであっても、神に献身し、ひとつになり、ヘブロンになるということです。祭司の町、交わりの町、契約の町、ヘブロンになることが何よりも重要なことであると言えるのではないでしょうか。ダビデは詩編37:5~9で次のように歌っています。

“あなたの道を主にまかせよ。信頼せよ、主は計らい あなたの正しさを光のように/あなたのための裁きを/真昼の光のように輝かせてくださる。 沈黙して主に向かい、主を待ち焦がれよ。繁栄の道を行く者や/悪だくみをする者のことでいら立つな。 怒りを解き、憤りを捨てよ。自分も悪事を謀ろうと、いら立ってはならない。 悪事を謀る者は断たれ/主に望みをおく人は、地を継ぐ。”

このようにダビデは大きく開かれた繁栄の道から、大きな豪華なエントランスから入って行くのではなく、ただ主の御声を頼りにして、細く狭い道から、信仰を持って、忍耐を持って入って行ったのであります。

【2】. ダビデ王の最初の仕事

 ユダの王になったとしても、依然としてダビデの前には、困難な問題が山積みにされています。恐らく全イスラエルが主に仕え、イスラエルに礼拝が回復されるようにと、ダビデは幻として抱いていたことでしょう。しかし、サウル家の支持層とダビデ王の間には緊張関係がありました。このような状況においてダビデが王となって一番最初にした仕事は、サウルの町であるギレアドのヤベシュに使者を送り、彼らの誠実さと勇敢さを称え、主の慈しみとまことを宣言する事でした。2:4節途中から7節を御覧ください。

“ギレアドのヤベシュの人々がサウルを葬ったと知らされたとき、ダビデはギレアドのヤベシュの人々に使者を送ってこう言わせた。「あなたがたが主に祝福されますように。あなたがたは主君サウルに忠実を尽くし、彼を葬りました。今、主があなたがたに慈しみとまことを尽くしてくださいますように。わたしも、そうしたあなたがたの働きに報いたいと思います。力を奮い起こし、勇敢な者となってください。あなたがたの主君サウルは亡くなられましたが、ユダの家はこのわたしに油を注いで自分たちの王としました。」”

ダビデは、このメッセージの回答をギレアドのヤベシュの人々に、特に要求しているわけではありません。このメッセージは、政治的メッセージであり、新しい王である自分に忠誠を尽くし、平和の内に新しい統一されたイスラエル王朝の建設に協力してほしいということを遠回しに伝えていますが、神の国という視点から見るなら、ダビデがギレアドのヤベシュの人々に、もはやサウル死んだので、人間サウルから慈しみは期待できないのだと気づかせようとしているかのようであります。サウルは死んだ。もはや彼は与えることのできる慈しみを持っていない。しかし、主の永遠なるご性質の内に、慈しみとまことを見出すであろうという招きのメッセージであり、神の国に立ち帰るよう、悔い改めを促すメッセージであったと言えるでしょう。これは、まさにイエス様が宣教の始めに宣言された“時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい(マルコ1:15)”という言葉とある意味共通する部分があるわけです。

ところで、サウルとヨナタンが倒れたギルボア山での戦いで、この戦闘に参加していないサウルの息子が一人いました。イシュ・ボシェトです。サウル軍の軍司令官であったアブネルは、サウルの死後イスラエルの実権を握り、このイシュ・ボシェトを操り人形のように立てて、イスラエルの王としました。10節を見ると、“イシュ・ボシェトは四十歳でイスラエルの王となり、二年間王位にあった。”と書かれています。この箇所は、多くの学者に問題視されています。つまり、イシュ・ボシェトはサウルの長男ヨナタンの弟であって、ヨナタンはダビデとほぼ同世代であると考えられますが、サムエル下5:4-5を見ると、ダビデがユダの王となったのが30歳の時であったという事実を考えると、イシュ・ボシェトが40歳で王となったという記事は、何かの間違いではないかということです。サムエル下5:4-5を調べてみましょう。

“ダビデは三十歳で王となり、四十年間王位にあった。七年六か月の間ヘブロンでユダを、三十三年の間エルサレムでイスラエルとユダの全土を統治した。”

イシュ・ボシェトは、ギルボア山の戦闘に参加していないので、恐らく20歳以下であったからと思われます。或いは20歳以上であったなら、身体に障害を持っていたのかと推測されます。注解書によると20歳以下の年少であったと考えるのが有力です。また、イシュ・ボシェトの在位期間が2年とされていますが、ダビデが全イスラエルの王となるのは、7年6か月後のことですから、イシュ・ボシェトの在位期間もそれと、ほぼ同じ長さであったと思われます。いずれにしても、首都をサウルの町ギブアからヨルダン川の東のマハナイムに移動していますが、これはペリシテの支配から離れた安全な場所に移動したと考えられます。

【3】. 内戦

 さて、12節からは、一転して南北の内戦のエピソードが書かれています。ヨアブとアビシャイとアサエルの三人は、ツェルヤの子であり、ダビデの甥に当たりますが、年長のヨアブがユダのダビデ軍の司令官でした。司令官ヨアブとイスラエル軍の司令官アブネルが「ギブオンの池」で激突しています。この二人の司令官が突然表舞台に出てきて、ダビデにお構いなしに、ダビデをそっちのけで戦いを始めています。まず、最初は双方から12人ずつ代表戦士を出して格闘させています。これは不必要な流血を防ぐための代表戦だったのでしょう。しかし、16節にある通り、代表戦士たちは互いに相手の頭をつかみ、相手の脇腹に剣を刺し、一つになって倒れてしまいました。勝利者はなく、24人の戦士たちが互いに滅ぼし合うこととなり、生存者は一人もありませんでした。この場所は後に「ヘルカト・ツリム」と呼ばれるようになり、その意味は「敵対者たちの野」という否定的な意味であります。後の人々もこの事件を英雄物語としては見做しませんでした。敵対的関係がこの野で繰り広げられ、無意味な戦闘が行われたということです。

代表戦士の死が合図となって、激しい全面戦争へと突入していきました。全面戦争はダビデ軍が優勢となり、イシュ・ボシェト軍を打ち負かしました。ところがサムエル記の著者は、この内戦をアブネルびいきの視点で記述しています。つまり血の気の多く自信満々のアサエルがアブネルに殺されてしまいますが、それはさんざんアサエルに対し警告を発した上での、アブネルの正当防衛であったということが描かれています。そして、最終的にはアブネルの呼びかけによってこの内戦は停戦に至ります。26~28節を御覧ください。

“アブネルはヨアブに呼びかけて言った。「いつまで剣の餌食とし合うのか。悲惨な結末になることを知らぬわけではあるまい。いつになったら、兄弟を追うのはやめよ、と兵士に命じるのか。」ヨアブは答えた。「神は生きておられる。もしお前がそう言い出さなかったなら、兵士は朝までその兄弟を追い続けたことだろう。」ヨアブは角笛を吹いた。兵士は皆、イスラエル軍を追うことをやめ、それ以上戦いを続けなかった。”

このように優勢になったダビデ軍はいつまでもイシュ・ボテト軍を追い回していたということです。アブネルを殺すまでひたすら追いかけていたのです。アブネルは、いち早くこの内戦が全く無意味なものであることを気づいていたということです。そしてアブネルは自分の兵士のことを、ヨアブの「兄弟」と呼んでいます。つまり前後のわきまえもなく血眼になって走るアサエルやヨアブに見られる、若気の至りに対して、アブネルの見ているものは遥かに視野が広く、先のことを見通していて、犠牲を少しでも減らそうと努力していたことが分かります。ダビデ家の家来はアサエルを含め20人戦士しました。一方で、イシュ・ボシェト軍は360人が戦士しました。明らかにダビデ軍の勝利でしたが、傷だらけの勝利であり、戦いの虚しさだけがここから伝わってくるのです。このエピソードの中に、ダビデは登場しません。平和な解決と、イスラエルが主の御前に一つになることを願っているダビデは、ひたすらこの時、心かき乱されるように神の時を待ち続けていたのではと思われます。そしてこのドタバタ劇の中における殺人の中心人物として、血の気の多いヨアブを、ダビデと一致していない人物として浮き彫りにされているのです。次回に見ることになりますが、3章において、ヨアブはアブネルを殺害することになりますが、それが平和の中で起こった恥ずべき殺害でありました。ところが、ダビデは、ヨアブを処分するには、ダビデ自身にとって手ごわすぎると3:39で告白しています。結局、ソロモンの時代に入ってヨアブは処罰を受けることになりますが、なぜヨアブが処罰されたのか、その理由として、本日見たエピソードの中に伏線が敷かれているのです。

結論

 ユダの人々によってダビデに油注がれ、最初は小さな群れであった神の国が徐々に発展していく姿を見てきました。その中で、本日の箇所で強く語られていることは、軍司令官の二人の戦闘は何も生み出すことのない、ただ虚しい戦いであるということです。つまりこの箇所を通して、神の国というのは、ダビデ軍が自らの力で挙げる戦争の功績によって与えられるのではなく、ただ神によって無償で与えられるということが強調されているのではないでしょうか。ダビデがそれを受け取る方法は、信仰以外にはないということです。イスラエルの真の王である主に依りすがりながら、主の御心を伺い、決して神様を追い越して、自分勝手に動くのではなく、神さまの導きをひたすら求め続けているダビデの信仰が、本日の箇所を通して私たちに偲ばれるのです。ですから、神の宣教において、神の時というものがございます。まだ時が満ちていないとしても、私たちは決して神様の前に飛び出して、ドタバタ劇を演じたり、先んじて歩むのではなく、ダビデのように祈りと忍耐を持って歩んで行くことが求められていると思われます。私たちが、全イスラエルの統一を早急に願う仕方ではなく、神の時を祈り求めつつ、待ち望むヘブロンの共同体になるようにと歩んでまいりましょう。

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다윗 왕국과 이스보셋 왕국

2020년 8월 30일 센겐다이 교회 주일설교 카와에 토모아키목사

사무엘하 2장 1~3장1절

서론

사울의 죽음으로, 유다 족속은 다윗에게 기름을 붇고, 유다 족속의 왕으로 맞아들였습니다. 이는 사실, 다윗과 함께 숨 쉬고 있던 「하나님의 나라」를 공개적으로 받아들였음을 의미했습니다. 이후, 하나님 나라의 확장은 조금씩 가속화되고, 나아가 다윗이 용병부대로 받아들이게 될 이방인들에까지 하나님의 나라는 확장됨을 보여줍니다. 이처럼 하나님의 선교에는, 하나님의 때가 있다는 것을 오늘 살펴 볼 말씀을 통해 배워보도록 하겠습니다. 그러나 때가 차고, 하나님의 축복이 설령 임한다고 해도 믿는자의 발걸음은 변화하는 것이 아니며, 환경이나 상황에 따라 변해가는 것도 아닙니다. 다윗이 그 고난이 많은 인생에서 배운 것은, 하나님 앞에 겸손하게, 하나님께 모든 것을 맡기고 전적으로 의지하며, 하나님의 역사를 찬양하며 예배를 드리는 것입니다.

(1) 헤브론에서 기름 부음 받고 왕이 되다

사울과 요나단의 부고를 받고, 다윗의 공동체가 애가로 상을 치른 뒤, 다윗은 주께 신탁을 구했습니다. 이것은 예전에, 사울 밑에서 도망쳐 왔던, 제사장 아비아달이 다윗에게로 에봇을 가져 왔으니 이 에봇을 통해 주께 여쭈었을 것입니다. 「내가 유다 한 성읍으로 올라가리이까」그러자 주님은 「올라가라」라고 대답하셨습니다. 또 다윗은 묻습니다. 「어디로 가리이까」그러자「헤브론으로 갈지니라」라고 대답하셨습니다. 생각해보면 다윗이 시글락에 망명하러 왔을 때에는, 일절 주님께 기도로 구하는 일을 하지 않았습니다(사무엘상 27장). 다윗은 자신의 영혼의 소리를 따르면서, 두려움과 불안 속에서 자신이 스스로 나아가 가드의 아기스 밑으로 가서, 「지방 성읍 가운데 한 곳을 내게 주어 내가 살게 하소서」라며 아기스를 위해 일하는 용병 부대로 받아 달라고 간청을 했던 것입니다. 그러나 이번에는 다릅니다. 다윗은 신중에 신중을 더해서, 주님 앞에 자기를 낮추며, 기도하며 구하고 있습니다. 그러자 주님께서는 다윗에게 시글락을 떠나서, 다시 조국으로 돌아오라고 대답하신 것입니다. 다윗은 가족을 데리고, 아마도 이천 여명이나 된 큰 살림을 이끌고, 유다 마을에 있는 헤브론으로 올라갔습니다. 헤브론은 예루살렘 남쪽으로 32km 정도 떨어진, 산악지대에 있는 요새 도시입니다. 옛날, 족장들이 주님과 풍성하게 교제했던 땅이며, 또 아브라함과 사라의 무덤도 이 성읍에 있습니다. 창세기 35장 27절을 보시겠습니다.

야곱이 기럇아르바의 마므레로 가서 그의 아버지 이삭에게 이르렀으니 기럇아르바는 곧 아브라함과 이삭이 거류하던 헤브론이더라

헤브론의 마므레 상수리 나무 아래에서 아브라함은 주님과의 교제가 풍성하게 있었습니다. 덧붙여서 헤브론이라는 이름의 의미는 「교제」, 「언약」이라는 의미로 여호수아에 의해 인도되어 이스라엘이 가나안 땅에 정착했을 때, 헤브론은 유다족속의 갈렙에게 기업의 땅으로 주어졌습니다. 그 후 헤브론은 도피성으로 성별된, 제사장 성읍이기도 했습니다(여호수아 21장 13절). 이 헤브론에서 사무엘하 2장 4절을 보면 갑자기 다윗은 기름 부음을 받고 유다 족속의 왕이 되었습니다. 그래서 「헤브론으로 올라가라」는 주님의 신탁이, 바로 유다의 왕으로 기름 부음을 받은 것이 목적이었음을 우리는 알 수 잇는 것입니다. 이처럼 다윗에 의해 상징되는 하나님 나라는, 한순간에 이스라엘 전역에 찾아 오는 것이 아니었습니다. 헤브론은 어느 정도의 큰 도시일지 모르지만, 이스라엘 전체로 보면 유다의 한 지방 도시일 뿐입니다. 하나님 나라의 확장은, 오늘날 교회 선교와 똑같습니다. 즉 하나님의 나라는 하나님께 헌신한 제자들로부터, 작은 무리로부터 순수한 믿음의 남은 백성들을 통해, 먼저 하나님의 나라가 일어나고, 확대되어, 하나님의 선교가 전진해 가는 것입니다. 하나님께 헌신한 소수를 통해, 순수한 믿음의 남은 자를 통해, 하나님은 자신의 선교를 시작할 수 있다는 것을, 오늘은 꼭 기억해 주셨으면 합니다. 우리 센겐다이 교회에 이를 적용한다면, 전도를 위해 무언가 프로그램을 도입하는 것도 분명 중요할 수 있지만, 그 이상으로 중요한 것은, 우선 우리 센겐다이 교회가, 비록 작은 무리일지라도 하나님께 헌신하고, 하나가 되고, 헤브론이 되는 것입니다. 제사장의 성읍, 교제의 성읍, 언약의 성읍, 헤브론이 되는 것이 무엇보다 중요한 일이라고 할 수 있지 않을까요. 다윗은 시편 37장 5~9절에서 다음과 같이 노래하고 있습니다.

5 네 길을 여호와께 맡기라 그를 의지하면 그가 이루시고

6 네 의를 빛 같이 나타내시며 네 공의를 정오의 빛 같이 하시리로다

7 여호와 앞에 잠잠하고 참고 기다리라 자기 길이 형통하며 악한 꾀를 이루는 자 때문에 불평하지 말지어다

8 분을 그치고 노를 버리며 불평하지 말라 오히려 악을 만들 뿐이라

9 진실로 악을 행하는 자들은 끊어질 것이나 여호와를 소망하는 자들은 땅을 차지하리로다

이처럼 다윗은 활짝 열린 번영의 길에서, 넓고 화려한 입구로 들어가는 것이 아니라, 오직 주님의 음성에 의지하여, 가늘고 좁은 길에서, 믿음을 가지고, 인내를 가지고 들어간 것입니다.

(2) 다윗 왕의 첫 사역

유다의 왕이 됐다 해도, 여전히 다윗 앞에는 어려운 문제들이 산더미처럼 쌓여 있습니다. 아마도 온 이스라엘이 주님을 섬기며, 이스라엘에 예배가 회복되게 해달라고, 그 소망을 다윗은 환상으로 품고 있었을 것입니다. 그러나 사울 가문의 지지층과 다윗 왕 사이에는 긴장 관계가 있었습니다. 이런 상황에서 다윗이 왕이 되어 가장 먼저 한 일은 사울의 성읍인 길르앗 야베스에 전령을 보내, 그들의 성실함과 용맹함을 기리고 주님의 인자하심과 신실하심을 선포하는 일이었습니다. 2장 4절 중간부터 7절을 봐 주시기 바랍니다.

4 .. 사울을 장사한 사람은 길르앗 야베스 사람들이니이다 하매

5 다윗이 길르앗 야베스 사람들에게 전령들을 보내 그들에게 이르되 너희가 너희 주 사울에게 이처럼 은혜를 베풀어 그를 장사하였으니 여호와께 복을 받을지어다

6 너희가 이 일을 하였으니 이제 여호와께서 은혜와 진리로 너희에게 베푸시기를 원하고 나도 이 선한 일을 너희에게 갚으리니

7 이제 너희는 손을 강하게 하고 담대히 할지어다 너희 주 사울이 죽었고 또 유다 족속이 내게 기름을 부어 그들의 왕으로 삼았음이니라 하니라

다윗은 이 메시지의 답변을 길르앗 야베스의 사람들에게, 특별히 요구하는 것은 아닙니다. 이 메시지는 정치적 메시지이자, 새로운 왕인 자신에게 충성하고 평화 속에 새로운 통일된 이스라엘 왕조 건설에 협력해 달라는 것을 에둘러 전하고 있지만, 하나님의 나라라는 시각에서 본다면 다윗이 길르앗 야베스의 사람들에게, 이제 사울은 죽었기 때문에 더 이상 인간 사울에게서, 인자함을 기대할 수 없음을 깨닫게 하려는 것 같습니다. “사울은 죽었다! 더 이상 그가 너희에게 줄 수 있는 인자함은 갖고 있지 않다. 그러나 주님의 영원한 성품 안에서 인자하심과 선하신 분을 구하라”는 부르심의 메시지였고 하나님의 나라로 돌아오도록 회개를 촉구하는 메시지였다고 할 수 있습니다. 이것은 바로 예수님이 선교의 시작에 선포하신 이르시되 「때가 찼고 하나님의 나라가 가까이 왔으니 회개하고 복음을 믿으라 (마가복음 1장 15절)」는 말씀과 어떤 의미에서 공통되는 부분이 있는 것입니다.

그런데, 사울과 요나단이 쓰러진 길보아 산 전투에, 참가하지 않은 사울의 아들이 한 명 있습니다. 이스보셋입니다. 사울 군의 군사령관이었던 아브넬은 사울의 사후 이스라엘의 실권을 쥐고, 이스보셋을 꼭두각시처럼 세워, 이스라엘의 왕으로 삼았습니다. 10절을 보면 「이스보셋이 이스라엘 왕이 될 때에 나이가 사십 세이며 두 해 동안 왕위에 있으니라 유다 족속은 다윗을 따르니라」고 적혀 있습니다. 이 부분은 많은 학자들에게 문제시되고 있습니다. 즉 이스보셋은 사울의 장남 요나단의 동생이고, 요나단은 다윗과 거의 같은 세대라고 생각할 수 있지만, 사무엘하 5장 4,5절을 보면 다윗이 유다의 왕이 된 것이 삼십 세때였다는 사실을 감안하면 이스보셋이 사십 세에 왕이 되었다는 기사는 무엇인가의 실수가 아닐까 하는 것입니다. 사무엘하 5장 4,5절을 읽어봅시다.

4 다윗이 나이가 삼십 세에 왕위에 올라 사십 년 동안 다스렸으되

5 헤브론에서 칠 년 육 개월 동안 유다를 다스렸고 예루살렘에서 삼십삼 년 동안 온 이스라엘과 유다를 다스렸더라

이스보셋은 길보아 산 전투에 참가하지 않았기 때문에 아마 이십 세 이하였을 것이라고 생각됩니다. 혹은 이십 세 이상이었다면 신체에 장애를 가지고 있었을 것이라고 추측됩니다. 주해서에 의하면 이십 세 이하의 연소였다고 생각하는 것이 유력합니다. 또 이스보셋의 재위 기간이 이년이라고 되어 있는데, 다윗이 전 이스라엘의 왕이 되는 것은 칠 년 육 개월 후의 일이기 때문에, 이스보셋의 재위 기간도 그것과 거의 같은 기간이었다고 생각됩니다. 어쨌든 수도를 사울의 성읍 기브아에서 요르단 강 동쪽의 마하나임으로 이동하고 있는데, 이는 블레셋의 지배에서 벗어나 안전한 장소로 이동한 것으로 생각됩니다.

(3) 내전

그런데, 12절부터는, 급변해서 남북 내전의 에피소드가 적혀 있습니다. 요압과 아비새와 아사헬 세 사람은, 스루야의 아들이자 다윗의 조카에 해당하는데, 연장자인 요압이 유다의 다윗 군 사령관이었습니다. 사령관 요압과 이스라엘 군 사령관 아브넬이 「기브온 연못」에서 격돌하고 있습니다. 이 두 사령관이 갑자기 메인 무대에 나와서, 다윗에게 아랑곳하지 않고 다윗을 제쳐 놓고 싸움을 시작하고 있습니다. 우선 처음에는 쌍방에서 열두 명씩 대표 전사를 내 보내고 격투를 시키고 있습니다. 이것은 불필요한 유혈을 막기 위한 대표전이었을 것입니다. 그러나 16절에 나와 있는 대로, 대표 전사들은 각기 상대방의 머리를 잡고 칼로 상대방의 옆구리를 찌르매 일제히 쓰러집니다. 승리자는 없었고, 스물 네명의 전사들이 서로 멸망하게 되었으며, 생존자는 한 명도 없었습니다. 이 장소는 나중에 「헬갓 핫수림」이라 일컬어졌으며, 그 의미는 「적대자들의 들」이라는 부정적인 의미입니다. 후세의 사람들도 이 사건을 영웅 이야기로 간주하지 않았습니다. 적대적 관계가 이 들에서 벌어져 무의미한 전투가 벌어졌다는 것입니다.

대표 전사의 죽음이 신호가 되어, 격렬한 전면전으로 돌입했습니다. 전면전은 다윗 군이 우세하여, 이스보셋 군을 물리쳤습니다. 그런데 사무엘기의 저자는 이 내전을 아브넬편의 시각으로 기술하고 있습니다. 즉 혈기왕성하고 자신만만한 아사헬이 아브넬에게 죽임을 당하지만, 그것은 충분히 아사헬에게 경고를 한 후에 일어난 아브넬의 정당방위였다는 것으로 그려져 있습니다. 그리고 결국 아브넬의 요청에 따라 이 내전은 휴전에 이르게 됩니다. 26~28절을 보시겠습니다.

26 아브넬이 요압에게 외쳐 이르되 칼이 영원히 사람을 상하겠느냐 마침내 참혹한 일이 생길 줄을 알지 못하느냐 네가 언제 무리에게 그의 형제 쫓기를 그치라 명령하겠느냐

27 요압이 이르되 하나님이 살아 계심을 두고 맹세하노니 네가 말하지 아니하였더면 무리가 아침에 각각 다 돌아갔을 것이요 그의 형제를 쫓지 아니하였으리라 하고

28 요압이 나팔을 불매 온 무리가 머물러 서고 다시는 이스라엘을 쫓아가지 아니하고 다시는 싸우지도 아니하니라

이렇게 우세해진 다윗 군은 언제까지나 이스보셋 군을 쫓고 있었다고 합니다. 아브넬을 죽일 때까지 오로지 뒤쫓고 있었던 것입니다. 아브넬은 재빨리 이 내전이 전혀 무의미한 것을 깨닫고 있었다는 것입니다. 그리고 아브넬은 자신의 병사를 요압의 「형제」라고 부르고 있습니다. 즉 앞뒤 가리지 않고 혈안이 되어 달려드는 아사헬이나 요압에게서 볼 수 있는 젊은 에너지에 대해 아브넬이 보고 있는 것은 훨씬 시야가 넓고 앞을 내다보고 있어 희생을 조금이라도 줄이려고 노력하고 있었음을 알 수 있습니다. 다윗 가문의 병사는 아사헬을 포함해 이십 명 전사했습니다. 한편, 이스보셋 군은 삼백 육십 명이 전사했습니다. 분명 다윗 군의 승리였지만, 상처투성이의 승리였고 싸움의 허무함만이 여기서 전해지는 것입니다. 이 에피소드 안에 다윗은 등장하지 않습니다. 평화로운 해결과, 이스라엘이 주님 앞에 하나가 되기를 바라는 다윗은, 그저 이 때, 마음이 어지러운 가운데 하나님의 때를 기다렸던 것이 아닌가 생각됩니다. 그리고 이 좌충우돌하는 가운데 일어난 살인의 중심 인물로, 혈기왕성한 요압을 다윗과 일치하지 않는 인물로 부각시키고 있습니다. 다음 번에 보게 됩니다만, 3장에서 요압은 아브넬을 살해하게 됩니다만, 그것은 평화 속에서 일어나 수치스러운 살해였습니다. 그런데 다윗은, 요압들을 제어하기가 너무 어렵다고 3장 39절에서 고백하고 있습니다. 결국 솔로몬의 시대로 접어들면서 요압은 처벌 받게 되는데, 왜 요압이 처벌을 받았는지 그 이유로서, 오늘 본 에피소드 속에 복선이 깔려 있는 것입니다.

결론

유다 족속에 의해 다윗이 기름 부음을 받고, 처음에는 작은 무리였던 하나님의 나라가 서서히 발전하는 모습을 보아왔습니다. 그 가운데, 오늘의 본문에서 강력하게 이야기되고 있는 것은, 군 사령관 두 사람의 전투는 아무것도 만들어내지 못하는, 그저 허무한 싸움이라는 것입니다. 즉 이 부분을 통해서, 하나님의 나라라는 것은 다윗의 군이 자신의 힘으로 꼽는 전쟁의 공적에 의해 주어지는 것이 아니라 오직 하나님에 의해 무상으로 주어진다는 것이 강조되고 있는 것이 아닐까요. 다윗이 그것을 받을 수 있는 방법은, 믿음 외에는 없다는 것입니다. 이스라엘의 참된 왕이신 주님을 따르면서 주님의 뜻을 구하고, 결코 주님을 앞질러 자기 마음대로 움직이는 것이 아니라 주님의 인도를 한결같이 구하고 있는 다윗의 믿음이 오늘의 본문을 통해 우리들에게 회상되는 것입니다. 그렇기 때문에 하나님의 선교사역에 있어서, 하나님의 때가 있습니다. 또 때가 임하지 않았다 하더라도, 우리들은 결코 하나님을 앞서 뛰어나가 우왕좌왕 하거나, 하나님을 앞서 갈 것이 아니라 다윗처럼 기도와 인내를 가지고 걸어가는 것이 요구된다고 생각합니다. 우리는, 온 이스라엘의 통일을 조급히 바라는 방법이 아니라, 하나님의 때를 기도하며, 기다리는 헤브론의 공동체가 되도록 걸어갑시다.

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