2020年05月10日「異邦人への使徒として認められるパウロ」

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異邦人への使徒として認められるパウロ

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
ガラテヤの信徒への手紙 2章1節~10節

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【讃美歌259】

【主の祈り】

【信仰告白_ウェストミンスター小教理問答32~34】
問32 有効に召される人は、この世において、どのような恩恵にあずかるのですか。
答 有効に召される人は、この世において、義認、子とすること、聖化、さらにこの世において、それらに伴い、あるいはそれらから生じるさまざまな恩恵にあずかります。
問33 義認とは何ですか。
答 義認とは、神の無償の恵みの行為であり、それによって神は、わたしたちのすべての罪を赦し、わたしたちを神の前に義なる者として受け入れてくださいます。それはただ、わたしたちに転嫁され、信仰によってのみ受け取られるキリストの義のゆえです。
問34 子とすることとは何ですか。
答 子とすることとは、神の無償の恵みの行為であり、それによってわたしたちは、神の子たちの数に入れられ、神の子のあらゆる特権にあずかる権利を持つ者となります。

【献金】

【聖書朗読】

2:1その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。その際、テトスも連れて行きました。
2:2エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました。
2:3しかし、わたしと同行したテトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼を受けることを強制されませんでした。
2:4潜り込んで来た偽の兄弟たちがいたのに、強制されなかったのです。彼らは、わたしたちを奴隷にしようとして、わたしたちがキリスト・イエスによって得ている自由を付けねらい、こっそり入り込んで来たのでした。
2:5福音の真理が、あなたがたのもとにいつもとどまっているように、わたしたちは、片ときもそのような者たちに屈服して譲歩するようなことはしませんでした。
2:6おもだった人たちからも強制されませんでした。――この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしにはどうでもよいことです。神は人を分け隔てなさいません。――実際、そのおもだった人たちは、わたしにどんな義務も負わせませんでした。
2:7それどころか、彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。
2:8割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられたのです。
2:9また、彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで、わたしたちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。
2:10ただ、わたしたちが貧しい人たちのことを忘れないようにとのことでしたが、これは、ちょうどわたしも心がけてきた点です。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ガラテヤの信徒への手紙 2章1節~10節

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【序】

 本日の箇所は、パウロの福音が人からのものではなく、神に起因していることを弁証するための、パウロの自叙伝の続きでございます。この2:1~10に描かれている事件は、ユダヤ人の歴史において非常に大きな転換点をもたらした事件であったと考えられています。というのは、本来、律法の下にあるユダヤ人というのは異邦人を受け入れることができない人々であり、生まれたばかりのキリスト者の群れが、どのように「異邦人」という壁を克服して行ったのか、その手がかりを与えてくれる事件であったと見做されるからです。イエス様は、恐らく紀元前4年頃にお生まれになり、30歳になってから公生涯の3年半を歩まれて、恐らくAD30年頃に十字架に架かられて復活しましたが、復活当時、エルサレムにおいてほんの小さな集団であった教会が、1世紀末ごろには、地中海全域に拡大するにまで至ったのであります。

【1】. 二度目のエルサレム訪問の目的

 ガラテヤ書1章には、パウロが、初めてにエルサレムに上った記事が書かれています。15日間の短い滞在であり、使徒たちと会談したのは、ペトロとイエス様の弟であるヤコブだけであると語られていました。その時の様子が使徒言行録9:26~27に書かれています。聖書を御覧ください。

“サウロはエルサレムに着き、弟子の仲間に加わろうとしたが、皆は彼を弟子だとは信じないで恐れた。しかしバルナバは、サウロを引き受けて、使徒たちのところへ連れて行き、彼が旅の途中で主に出会い、主に語りかけられ、ダマスコでイエスの名によって堂々と宣教した次第を説明した。”

パウロが初めてエルサレムに登った時にもやはり、バルナバが同行してくれたということです。バルナバとは、キプロス生まれのレビ人で、本名ヨセフといいますが、懐の大きい寛容な性格であったために、アラム語の「バル・ナヘマー(慰めの子)」というニックネームがつけられました。今回は、パウロとバルナバの二回目の訪問となりますが、一緒にテトスも連れていくことにしました。パウロとバルナバはユダヤ人ですが、テトスは異邦人です。恐らくアンティオキアでパウロによって伝道されたと考えられています。2:1~2節を御覧ください。

“その後十四年たってから、わたしはバルナバと一緒にエルサレムに再び上りました。その際、テトスも連れて行きました。エルサレムに上ったのは、啓示によるものでした。わたしは、自分が異邦人に宣べ伝えている福音について、人々に、とりわけ、おもだった人たちには個人的に話して、自分は無駄に走っているのではないか、あるいは走ったのではないかと意見を求めました。”

パウロが二度目にエルサレムに訪問をすることになったのは、啓示によって示されたからであって、召集されたからではありませんでした。この訪問の目的として、使徒言行録の11:27~30の大飢饉が襲った時の「施しと救済」のためなのか、或いは使徒言行録の15:1~30に書かれている「エルサレム使徒会議」のためなのか、神学者によって意見が分かれるところですが、使徒言行録の11:27~30の施しのための訪問であると考えられます。使徒言行録の11:27~30を御覧ください。

“そのころ、預言する人々がエルサレムからアンティオキアに下って来た。その中の一人のアガボという者が立って、大飢饉が世界中に起こると“霊”によって予告したが、果たしてそれはクラウディウス帝の時に起こった。そこで、弟子たちはそれぞれの力に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助の品を送ることに決めた。そして、それを実行し、バルナバとサウロに託して長老たちに届けた。”

それは、なぜかと言いますと、その理由は第一に、もしこの二度目の訪問がエルサレムの使徒会議のためであるなら、パウロは初めての訪問と今回の訪問の間にも、エルサレムに行ったことがあるということになってしまうからです。つまり使徒言行録9章において一回目、11章において二回目、15章において三回目ということです。パウロの語る福音というのが、パウロ自身誓っているように、エルサレムの主だった人々から教授されたり、伝授されたものではなく、神さまによって与えられたものであり、従ってそれまでエルサレムには一度しか訪問したことがないと自分で力説しているために今回の訪問はエルサレム使徒会議ではありえません。第二に、もし2章1~10節の内容がエルサレム使徒会議であったのなら、会議の決議事項として、使徒15:20、15:29に繰り返し確認されているように“ただ、偶像に供えて汚れた肉と、みだらな行いと、絞め殺した動物の肉と、血とを避けるように”という決議事項がありますが、この大切な内容がガラテヤ書では省略されていて、むしろ2:6節に書かれているように、「そのおもだった人たちは、わたしにどんな義務も負わせなかった」と書かれているからです。考えてみると、これは、場合によっては大変誤解を招く表現であり、公会議での決議された内容を、パウロがあたかも自分に都合の良いように歪曲しているようにも聞こえてくるからです。以上のような理由からパウロは啓示によってエルサレムに上り、エルサレムの貧しいキリスト者の為に施しをし、救済するためだったと考えられます。

そしてその機会を利用してパウロは自分が語っている福音を、主だった人々に個人的に提示したのであります。それは、自分の語っている福音について確信が持てなかったからではありません。たとえ、ヤコブとペトロとヨハネの三人が自分の福音を拒絶したとしても、パウロは、彼の福音を伝えることを止めるとか、神の言葉以外のものを加えて伝えるなどということは考えられませんでした。パウロは、今後の宣教の働きを協力しながら進めていけるのかどうか、教会の一致が得られるのか、一抹の不安を抱きながら個人的に使徒たちに自分の福音を提示したと考えられます。

【2】. 福音の真理

 ところが、思いがけなかったことに、エルサレムにはパウロたち一行をつけねらう者たちがいて、危うく異邦人のテトスが偽の兄弟たちによって、割礼を受けさせられるところでした。2:3~6節までお読みします。御覧ください。

“しかし、わたしと同行したテトスでさえ、ギリシア人であったのに、割礼を受けることを強制されませんでした。潜り込んで来た偽の兄弟たちがいたのに、強制されなかったのです。彼らは、わたしたちを奴隷にしようとして、わたしたちがキリスト・イエスによって得ている自由を付けねらい、こっそり入り込んで来たのでした。福音の真理が、あなたがたのもとにいつもとどまっているように、わたしたちは、片ときもそのような者たちに屈服して譲歩するようなことはしませんでした。おもだった人たちからも強制されませんでした。――この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしにはどうでもよいことです。神は人を分け隔てなさいません。――実際、そのおもだった人たちは、わたしにどんな義務も負わせませんでした。”

偽の兄弟たちは、狡猾な工作員のように、テトスに割礼を受けさせようと働きかけましたが、パウロの断固とした態度の前に、結局、エルサレムの指導者たちを自分たちの思惑に巻き込むことに失敗しました。「柱として目されていた」ヤコブとペトロとヨハネは、「偽の兄弟たちに」ではなく、パウロに賛同してくれたということです。パウロが語る福音が、決して別の新しいキリスト教の宗派を起こすというような異端的な内容ではなく、ただ一つの福音が語られ、福音の真理がそのまま語られていることが認められました。これは、大変喜ばしいことであり、励まされることであったに違いないと想像されますが、パウロは主だった使徒たちが自分の側に賛同してくれたことを喜ぶのではなく、福音の真理が守られたことを喜んでいるようです。6節に、次のようなパウロの言葉が挿入されているからです。

“――この人たちがそもそもどんな人であったにせよ、それは、わたしにはどうでもよいことです。神は人を分け隔てなさいません。――”

パウロはこのように自分が使徒としての自覚を強く持ち、神さまの働きに徹底していました。たとえすべての人間が不誠実であったとしても、神の真実は常に確かであり、完全であることを止めることはないので、神の命令によって福音を語るようにされた者が、たとえその働きの実を結ぶことがなかったとしても、神の真実は決して失われることはないと言っているのです。

【3】. 主だった使徒たちは、異邦人の使徒パウロを知り、パウロに注がれた恵みを認める

 最終的に、主だった使徒たちは、パウロの福音を完全に認め、神によってパウロが異邦人への使徒と召されていることを知るに至りました。ここで重要なことは、パウロが彼らから使徒として任命されたということではなく、ただ彼らとは異なる別ルートによって使徒とされたということが認められたということです。7~9節を御覧ください。

“それどころか、彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられたのです。また、彼らはわたしに与えられた恵みを認め、ヤコブとケファとヨハネ、つまり柱と目されるおもだった人たちは、わたしとバルナバに一致のしるしとして右手を差し出しました。それで、わたしたちは異邦人へ、彼らは割礼を受けた人々のところに行くことになったのです。”

9節にヤコブとケファとヨハネとありますが、ヤコブとは既に殉教しているゼベダイの子ヤコブではなく、イエス様の弟のヤコブです。なぜヤコブの名前が一番最初に出ているのかと言うと、この頃ヤコブがエルサレム教会の監督となり、教会政治と行政において頭角を現していたからと考えられます。また、「右手を差し出す」という行為は、ペルシャの影響によって当時、アラム語を使うユダヤ人たちの中で習慣となっていった行為ですが、これは相互間の「交わり」と「協力」を意味していました。つまり、ペトロには割礼を受けた人々への使徒として、パウロには異邦人への使徒として召されていることを理解して、お互いに交わりつつ、宣教協力をして行こうということです。しかし十二使徒の使徒性と比べる時に、パウロの使徒性というのは、確かに独特であり、独立的なものであります。使徒言行録1章21節には使徒として選出される条件が書かれていますが、パウロはそれを一切、満たしていませんでした。1章21節を御覧ください。

“そこで、主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです。”

パウロはイエス様が地上にいる時、イエス様と交わりをすることはありませんでしたし、神の教会を迫害し、生前のイエス様によって召されたのではなく、復活されたイエス様によって召されました。つまり、十二使徒たちとは異なる仕方により、時期的にも遅れて、使徒に召されたのです。それにも関わらず、パウロの語っている福音は、十二使徒の使徒職を制限させたり、損傷させたりするような内容ではありませんでした。むしろ、十二使徒の土台を確定し、拡大させているということに、ヤコブとペトロとヨハネは気づかされたのでしょう。つまり、「十二使徒の信仰」という土台の上に、神殿を建築する建築家としての召しをパウロは受けているということです。1コリント3:10を御覧ください。

“わたしは、神からいただいた恵みによって、熟練した建築家のように土台を据えました。そして、他の人がその上に家を建てています。ただ、おのおの、どのように建てるかに注意すべきです。”

ここで、パウロは自分のことを建築家に譬えていますが、建築の際、最も重要なことは、基礎と土台をしっかり据えることです。パウロはまさに異邦人を、「使徒たちの信仰の土台」にしっかりと基礎づける建築家のような働きをしているのです。ヤコブとペトロとヨハネがパウロとバルナバに右手を差し出した時、この時、まさにユダヤ人の福音と異邦人の福音が一つになった瞬間でもありました。この宣教協力が契機となって、この後、パウロとバルナバは第一次宣教旅行に派遣されることになり、南ガラテヤの諸教会に福音を伝えることになるのです。

【結論】

 使徒言行録には異邦人伝道として十二使徒たちの働きが少しだけ紹介されていますが、使徒言行録13章からはペトロの席に、パウロがそのまま入れ替わっています。おそらく十二使徒たちだけでは、異邦人伝道に力強く出て行くことは不可能だったのでしょう。彼らはどうしてもユダヤ的であることに執着してしまうからです。しかし彼らとは別ルートによって使徒とされたパウロは、ユダヤ的な身ぐるみを全てはがしてしまい、野生のオリーブの木の枝である異邦人を、イスラエルの良いオリーブの木に接ぎ木することができたのです。この意味において、パウロの使徒職とは、十二使徒の使徒職を教会全体の土台とするための、一つの手段であったということです。パウロと十二使徒との関係は、旧約のヨセフと12人の族長たちの関係に譬えられるかもしれません。ヨセフはイスラエルの飢饉の時に、食糧の豊富なエジプトの地に族長たちの居住を許しましたが、もし、ヨセフがいなければ、族長たちはイスラエル民族の土台となることはできなかったでしょう。同じく、もし、建築家のパウロがいなければ、十二使徒の信仰が異邦人の土台として据えられることはなかったということです。そして私たち一人一人も実は、この土台の上に神の神殿の一部分として建て上げられているのです。私たちはこの土台から少しでもずれることのないように、共同体として建て上げられなければなりません。バベルの塔に建て上げるのではなく、注意深く、神の神殿に建て上げるために、福音の真理である、教理の継承を一層大切にしていき、時にはそれを弁証していかなければならない時もあるということです。

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