2020年05月03日「パウロの使徒職の独立性 바울의 사도직의 독립성」

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パウロの使徒職の独立性 바울의 사도직의 독립성

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
ガラテヤの信徒への手紙 1章11節~24節

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【讃美歌534】

【主の祈り】

【信仰告白_ウェストミンスター小教理問答29~31】
問29 わたしたちはどのようにして、キリストによって買い取られた贖いにあずかる者とされるのですか。
答 わたしたちは、キリストによって買い取られた贖いが、彼の聖霊により、わたしたちに有効に適用されることによって、それにあずかる者とされます。
問30 御霊は、キリストによって買い取られた贖いを、どのようにしてわたしたちに適用されるのですか。
答 御霊は、わたしたちの内に信仰を生じさせ、それによってわたしたちを有効召命においてキリストに結びつけることにより、キリストによって買い取られた贖いをわたしたちに適用されます。
問31 有効召命とは何ですか。
答 有効召命とは、神の御霊のわざであって、それによって御霊は、わたしたちに自分の罪と悲惨を自覚させ、わたしたちの知性をキリストを知る知識で照らし、わたしたちの意志を新たにしてくださいます。こうして御霊は、福音においてわたしたちに無償で提供されているイエス・キリストを、受け入れるように説得し、それができるようにしてくださいます。

【献金】

【聖書朗読】

1:11兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。
1:12わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。
1:13あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。
1:14また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。
1:15しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、
1:16御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、
1:17また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。
1:18それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、
1:19ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。
1:20わたしがこのように書いていることは、神の御前で断言しますが、うそをついているのではありません。
1:21その後、わたしはシリアおよびキリキアの地方へ行きました。
1:22キリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした。
1:23ただ彼らは、「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と聞いて、
1:24わたしのことで神をほめたたえておりました。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ガラテヤの信徒への手紙 1章11節~24節

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【序】

 1章11~12節の命題を受けて13節より、パウロの自叙伝が始まっていきますが、これが2章14節まで続いて行きます。本日の自叙伝的回想を通してパウロが説明している内容は、パウロがダマスコに不在であった時に、どこに行っていたのか、それは、決してエルサレムの使徒たちの下に行っていたわけではないし、或いはエルサレムではない、違う場所において使徒たちから福音を伝授してもらったことなどはないということを力説しています。パウロは、自分のダマスコ不在におけるアリバイについて説明することによって、パウロの説く福音が人から受けたものではない、啓示を通して受けたという命題を証明しているのであります。

【1】. パウロの救われる前

 13~14節を御覧ください。

“あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。”

パウロはここで、教会という言葉を使っています。教会という言葉はギリシャ語でエクレシアという単語であり、ヘブル語の集会を意味するカーハールを翻訳した言葉です。旧約のユダヤ人にとってカーハールとは、「ヤハウェの集会」とか、「ヤハウェの集い」という意味であり、これは即ち自分たちがヤハウェなる神さまに召された者たちである、我々は選ばれた者だということを意味していました。パウロが「あなた方が聞いている通り、私はかつて神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていた」と言った時、選民イスラエルを迫害していたのか、キリスト者を迫害していたのかよくわからない曖昧な言葉だったかもしれません。そもそも当時、新約の教会はユダヤ教の中の一分派として考えられていて、完全には袂を分かっていなかったという事情がありました。当時パウロを批判するユダヤ主義者たちの理論として、ユダヤ教においてパウロが劣等生だったために、当初の志半ばで、キリスト者に転じた者であるという批判がありました。キリキアのタルソスで恐らくギリシャ化された父とギリシャ化された母の子として生まれたであろうパウロは、大祭司の娘と結婚することを渇望したが、その女性と結婚することがかなわなかったので、パウロが現在割礼を否定し、自由な福音を説くのは、一種のユダヤ教に対する劣等感と恨みによるものだと言うのです。しかし14節へ読み進んで行くと、どうやらファリサイ派のパウロは、先祖の伝承を守ることに人一倍熱心で、同じ年頃の同胞よりもユダヤ教に先んじていたということが分かります。先祖の伝承というのは、律法を守ることと、さらにミドラシュやタルグムなどの言い伝えもきちんと守っていたことを意味し、ユダヤ教徒としては模範生であり、実際、大祭司の許可状を握りしめて、徹底的にキリスト者を迫害していました。ですからユダヤ主義者たちのパウロが劣等生だったから、こんな自由な教えを広めているという批判は全くあたらないということです。このように、信念を持ちながら迫害するということは、旧約聖書をよく学び、ユダヤ教に人一倍熱心だったパウロならではのことでした。なぜなら旧約聖書に次のような記事があるからです。出エジプトをしたイスラエルの民がモアブの地においてミディアン人の女とみだらな行いをするようになり偶像礼拝が入ってきた時の話ですが、ピネハスはそのように罪を犯す男女を槍で突き殺したことにより、神によって賞賛されるのです。民数記25:5~11を御覧ください。

“モーセはイスラエルの裁判人たちに言った。「おのおの、自分の配下で、ペオルのバアルを慕った者を殺しなさい。」そのとき、モーセとイスラエルの人々の共同体全体が臨在の幕屋の入り口で嘆いているその目の前に、一人のイスラエル人がミディアン人の女を連れて同胞のもとに入って来た。祭司アロンの孫で、エルアザルの子であるピネハスはそれを見ると、共同体の中から立ち上がって、槍を手に取り、そのイスラエル人の後を追って奥の部屋まで行き、この二人、すなわちイスラエル人とその女を共に突き刺した。槍は女の腹に達した。それによって、イスラエルを襲った災害は治まったが、この災害で死んだ者は二万四千人であった。主はモーセに仰せになった。「祭司アロンの孫で、エルアザルの子であるピネハスは、わたしがイスラエルの人々に抱く熱情と同じ熱情によって彼らに対するわたしの怒りを去らせた。それでわたしは、わたしの熱情をもってイスラエルの人々を絶ち滅ぼすことはしなかった。”

ですから、ピネハスと同じような心情を持ちながら、恐らくパウロも、当時のメシアに対する期待が社会的に高まる状況において、民が一つになって律法に服従していくためにも、キリスト者を殺すことに使命を感じていたのではないかと思われるのです。

【2】. 御子を啓示される

 パウロのキリスト者への迫害が、脂が乗っていたまさにその時、ダマスコにおいて、神の啓示が与えられ回心させられました。啓示とは、神の救済についての神知識であり、ここでの文脈ではパウロの啓示は御子がパウロの心の中に現れて、不思議な神の知識が与えられたこととして説明されます。15~17節を御覧ください。

“しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。”

パウロの啓示の体験は、私たちがイエス様を心に迎え入れることとは全く別次元のことでありますので、この時パウロに一体何が起こったのか、私たちは自分の経験からは推測することができません。今の時代には、神の新しい啓示はありません。御子イエス・キリストによって完全に父なる神が証しされ、そして御言葉である聖書が完結されたからです。16節を、直訳しますと、「御子が私の中に啓示され、彼つまり、イエス様を異邦人に宣べ伝えるようにされた」となります。ですから、パウロにとってイエス様が心の中に入って来られ、パウロの中に住まわれるようになった時、非常に大きな変化が、つまり、新しく生まれ変わるような変化が起こされたということです。その変化とは、第一に、パウロは自分が母の胎にある時から既に選び分かたれていたことを悟りました。第二に、キリスト者を迫害するという大きな罪を犯しながら、一方的な恵みによってキリスト者に召されたことを悟りました。第三に、神の善しとされる御心に従って、そのような衝撃的な体験をもたらしたイエス・キリストを、異邦人に伝えるように使命を与えられたのです。パウロの福音理解には、段階があり、少しずつ変化していったとも考えられますが、イエス様を宣べ伝えることに関しては直ちに異邦人への使徒として働きをしたようです。使徒の言行録9:18~20には次のように書かれているからです。そのままお聞きください。

“すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。”

神学者たちの間において、パウロが受けた啓示とは一体何だったのか、議論が分かれるところですが、少なくとも啓示によってパウロが受け取ったものは単なる知識として伝達されたものではなく、御子がパウロの内に住み、パウロの心を照らし出されたということです。そして、目からうろこが落ちるような劇的な衝撃を受けるわけですが、それはイエスこそ、パウロが探し求めてきた律法の目的であり、律法の終わりであることを知ったからだと思います。

【3】. 神の教会とは、信仰の土台の上に立てられている。

 この後、パウロはただちにダマスコ東南のアラビアと呼ばれるナバテヤ王国に出て行きますが、このアレタ王の統治するナバテヤ王国というのは大変広大な領土を持っていて、南はシナイ半島とアラビア半島の一部を含み、北はヨルダン川東のアンモンから、現在のシリアの南部まで含んでおり、一時はダマスコもナバテヤ王国の領土になったことがあったほどでした。パウロが、ダマスコから姿を消して、アラビアと呼ばれるナバテヤ王国に出て行ったことはありましたが、決してエルサレムに上ったり、使徒たちに会いに行った訳ではなかったということです。続いて18~21を御覧ください。

“それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。わたしがこのように書いていることは、神の御前で断言しますが、うそをついているのではありません。その後、わたしはシリアおよびキリキアの地方へ行きました。”

それから三年後にペトロと知り合いになろうと、初めてエルサレムに上って、実際に使徒たちに会うことになりますが、この時の滞在期間はわずか15日間であり、それまでの使徒と会っていない三年間に比べるなら、比べ物にならないほど短い期間でした。また、使徒たちといっても、ペトロとイエス様の兄弟ヤコブに会っただけでした。パウロは、そのことを神の御前で断言しながら誓っています。その後再び、シリア地方と、パウロの生まれた町タルソスのあるキリキア地方に行きましたが、やはりここにおいても使徒たちと会う可能性であったり、或いは、教えを教授される可能性などは一切なかったということです。そして、パウロは最終的に結論を結びます。22~24を御覧ください。

“キリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした。ただ彼らは、「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と聞いて、わたしのことで神をほめたたえておりました。”

22節を見ますと、再び「エクレシア、教会」という言葉が、今度は複数形ですが、出てまいります。しかし今度はキリストに結ばれているユダヤの諸教会というふうに、修飾語がついています。ですから、ユダヤの神に召された集いには、キリストに結ばれている者たちとキリストに結ばれていない者たちがいて、結局パウロが使用している「エクレシア(教会)」という言葉は、旧約時代からの選民イスラエルではなく、イエス様を信仰によって受け入れたキリスト者たちを指しているということが明らかにされるのです。パウロは、エルサレムには一度しか訪問したことなく、しかもその滞在期間も15日間だけでしたので、当然ですが、ユダヤの諸教会の人々はパウロとはきちんとした面識はありませんでした。ところがそのユダヤの諸教会の人々が、23節を見ますと“かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている”という知らせを聞いて神を賛美していると、パウロは証言しています。パウロはここで、自分が迫害し、滅ぼそうとする対象である目的語を、「私たちの信仰」としています。ところが13節においては、「神の教会」を迫害し滅ぼそうとしていたのに、23節においては「私たちの信仰」に置き換えられています。まさにこの点にパウロの言いたいことが凝縮されているのではないかと思わされるのです。つまり、パウロが熱心に迫害していたのは、フィリポカイサリアにおいて、ペトロが弟子たちを代表として告白した「あなたこそ生ける神の子であり、メシアです」という信仰の土台の上に築き上げられた、神の選民であり、神によって召し集められた者たちであったということです。神の民とは、これ以上、律法に服従し、行いによって義とされる群れではない、イエス・キリストの恵みによって、信仰によって義とされる群れであるということを暗に主張しているのです。そしてその恵みこそ、パウロが啓示において衝撃をもって受け取ったイエス・キリストそのものだったということです。従って、もしイスラエルの民が御子イエス・キリストを受け入れなければ、もうそれ以上、神の民ではないということです。私たちはパウロの言葉から、キリストに結ばれた共同体が、旧約のイスラエルの場所に、「神の民、神のエクレシア」として移行されたことを確認することができるのです。歴史的に見ましても、この後、新約の教会は徐々にユダヤ人から区別されていき、祭司長と律法から分離していき、さらには神殿と祭壇から分離していくことになるのです。

【結論】

第一に、パウロの伝えている福音は使徒たちから伝授されたり、教授を受けたものではなく、啓示というパウロ独自の方法によって与えられたものであるということです。そして啓示によってパウロは、自分が探し求めてきた律法の目的であり、律法の終わりがイエス・キリストであるということを悟らされました。第二に、パウロの使う「エクレシア」という言葉から分かってくることとして、神によって召された者たちの集い、つまり教会とは、キリストを頭とする、キリストに結び合わされたキリストの身体であり、それは「信仰の土台の上に」築き上げられ、建て上げられている群れであるということです。そしてその普遍的な教会は、今もなお、せんげん台教会のお一人お一人を生ける石として、信仰の土台の上に一つの神殿として有機的に建て上げられているのです。

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바울의 사도직의 독립성

2020년 5월 3일 센겐다이 교회 주일설교 카와에 토모아키 목사

갈라디아서1장 11~24절

서론

1장 11~12절의 명제를 받아 13절부터 바울의 자서전이 시작되는데, 이는 2장 14절까지 이어집니다. 오늘의 자서전적 회상을 통해 바울이 설명하는 내용은, 바울이 다메섹에 없었을 때 어디에 있었는지, 그것은 결코 예루살렘의 사도들 아래에 있었던 것이 아니며, 혹은 예루살렘이 아닌 다른 곳에서 사도들에게서 복음을 전수받은 적이 없다는 점을 강조하고 있습니다. 바울은 다메섹에 없었던 자신의 알리바이를 설명함으로써, 바울이 전하는 복음이 사람에게서 받은 것이 아니라 계시를 통해 받은 것이라는 명제를 증명하고 있는 것입니다.

(1) 바울의 회심 전

13~14절을 보시기 바랍니다.

13 내가 이전에 유대교에 있을 때에 행한 일을 너희가 들었거니와 하나님의 교회를 심히 박해하여 멸하고

14 내가 내 동족 중 여러 연갑자보다 유대교를 지나치게 믿어 내 조상의 전통에 해하여 더욱 열심이 있었으나

바울은 여기서 교회라는 말을 사용하고 있습니다. 교회라는 말은 헬라어로 「에클레시아」라는 단어이며, 히브리어로 집회를 의미하는 「카하르」를 번역한 말입니다. 구약의 유대인들에게 카하르는「야훼의 집회」나 「야훼의 모임」이라는 의미였으며, 이는 곧 자신들이, 야훼 하나님께 부르심을 받은 자들, 즉 자신들은, 선택받은 자들임을 의미했습니다. 바울이 「너희가 들었거니와 하나님의 교회를 심히 박해하여 말하고」라고 말했을 때, 선택받은 이스라엘을 박해했는지, 그리스도인을 박해했는지 명확하지 않은 모호한 표현이었을지도 모릅니다. 애초에 당시 신약 교회는 유대교 내의 한 분파로 여겨져 완전히 갈라선 상태는 아니었다는 사정이 있었습니다. 당시 바울을 비판하는 유대주의자들의 이론으로는, 유대교에서 바울이 열등생이었기 때문에, 원래의 뜻을 이루지 못한 채 그리스도인으로 전향한 자라는 비판이 있었습니다. 길리기아(현재 튀르키예의 남동부 지역)의 다소에서 아마도 헬라화된 아버지와 헬라화된 어머니 사이에서 태어났을 바울은, 대제사장의 딸과 결혼하기를 갈망했으나, 그 여성과 결혼하는 것이 이루어지지 않았기 때문에 바울이 현재 할례를 부정하고 자유로운 복음을 전하는 것은, 일종의 유대교에 대한 열등감과 원한 때문이라고 말합니다. 그러나 14절로 읽어 나가 보면, 바리새파 출신인 바울이, 조상의 전통을 지키는 데 남보다 열성적이었고, 같은 또래 동족보다 유대교에 앞섰다는 사실을 알 수 있습니다. 조상의 전통이란 율법을 지키는 것과 더불어 미드라쉬나 탈무드 같은 구전 전통도 철저히 지켰음을 의미하며, 유대교도로서는 모범생이었고, 실제로 대제사장의 허가장을 쥐고 철저히 그리스도인들을 박해했습니다. 그러므로 유대주의자들의, 바울이 열등생이었기에 이런 자유로운 가르침을 퍼뜨린다는 비판은 전혀 맞지 않는다는 것입니다. 이처럼 신념을 가지고 박해한다는 것은 구약성경을 깊이 연구하고 유대교에 남다른 열정을 가졌던 바울만이 할 수 있는 일이었습니다. 왜냐하면 구약성경에 다음과 같은 기록이 있기 때문입니다. 출애굽을 한 이스라엘 백성이 모압 땅에서 미디안 여인과 음란한 행위를 하게 되어 우상 숭배가 들어왔을 때의 이야기입니다. 비네하스는 그렇게 죄를 범한 남녀를 창으로 찔러 죽임으로써 하나님께 칭찬을 받았습니다. 민수기 25:5~11을 보십시오.

민수기25장

5 모세가 이스라엘 재판관들에게 이르되 너희는 각각 바알브올에게 가담한 사람들을 죽이라 하니라

6 이스라엘 자손의 온 회중이 회막 문에서 울 때에 이스라엘 자손 한 사람이 모세와 온 회중의 눈앞에 미디안의 한 여인을 데리고 그의 형제에게로 온지라

7 제사장 아론의 손자 엘르아살의 아들 비느하스가 보고 회중 가운데에서 일어나 손에 창을 들고

8 그 이스라엘 남자를 따라 그의 막사에 들어가 이스라엘 남자와 그 여인의 배를 꿰뚫어서 두 사람을 죽이니 염병이 이스라엘 자손에게서 그쳤더라

9 그 염병으로 죽은 자가 이만 사천 명이었더라

10 여호와께서 모세에게 말씀하여 이르시되

11 제사장 아론의 손자 엘르아살의 아들 비느하스가 내 질투심으로 질투하여 이스라엘 자손 중에서 내 노를 돌이켜서 내 질투심으로 그들을 소멸하지 않게 하였도다

그러므로 비네하스와 같은 심정을 지니고 있었을 바울 역시, 당시 메시아에 대한 기대가 사회적으로 높아지는 상황에서 백성이 하나 되어 율법에 복종해 나가기 위해서라도 그리스도인을 죽이는 일에 사명을 느꼈을 것이라고 생각됩니다.

(2) 그의 아들을 계시하다

바울이 그리스도인들을 박해하던 기세가 가장 거세졌을 바로 그때, 다메섹에서 하나님의 계시가 주어져 회심하게 되었습니다. 「계시」란 하나님의 구원에 관한 신적 지식으로, 여기서 바울의 계시는 성자가 바울의 마음속에 나타나 신비로운 하나님의 지식을 주셨다고 설명됩니다. 15~17절을 보십시오.

15 그러나 내 어머니의 태로부터 나를 택정하시고 그의 은혜로 나를 부르신 이가

16 그의 아들을 이방에 전하기 위하여 나를 택정하시고 그의 은혜로 나를 부르신 이가

17 또 나보다 먼저 사도 된 자들을 만나려고 예루살렘으로 가지 아니하고 아라비아로 갔다가 다시 다메섹으로 돌아갔노라

바울의 계시 체험은, 우리가 예수님을 마음에 모시는 것과는 전혀 다른 차원의 일이므로, 이때 바울에게 대체 무슨 일이 일어났는지 우리는 자신의 경험으로는 추측할 수 없습니다. 지금 시대에는 하나님의 새로운 계시가 없습니다. 아들 예수 그리스도를 통해 아버지 하나님이 완전히 증거되셨고, 말씀이신 성경이 완성되었기 때문입니다. 16절을 직역하면,「아들이 내 안에 계시되셨고, 그분 곧 예수님을 이방인들에게 전파하도록 하셨다」가 됩니다. 그러므로 바울은, 예수님께서 마음속에 들어오셔서 바울 안에 거하시게 되셨을 때, 매우 큰 변화, 즉 새롭게 태어나는 변화가 일어났다는 것입니다. 그 변화는 첫째, 바울이 자신이 어머니 태중에 있을 때부터 이미 선택되어 구별되었음을 깨달았습니다. 둘째, 그리스도인을 박해하는, 큰 죄를 지으면서도 일방적인 은혜로 그리스도인으로 부르심을 받았음을 깨달았습니다. 셋째, 하나님의 선하신 뜻에 따라 그러한 충격적인 체험을 가져다주신 예수 그리스도를 이방인들에게 전하라는 사명을 부여받았습니다. 바울의 복음 이해에는 단계가 있어 조금씩 변화해 갔다고도 생각할 수 있지만, 예수님을 전파하는 일에 관해서는 즉시 이방인의 사도로서 사역한 것으로 보입니다. 사도행전 9:18~20에는 다음과 같이 기록되어 있기 때문입니다. 그대로 들어 주시기 바랍니다.

사도행전 9장

18 즉시 사울의 눈에서 비늘 같은 것이 벗어져 다시 보게 된지라 일어나 세례를 받고

19 음식을 먹으매 강건하여지니라 사울이 다베섹에 있는 제자들과 함께 며칠 있을새

20 즉시로 각 회당에서 예수가 하나님의 아들이심을 전파하니

신학자들 사이에서 바울이 받은 계시가 대체 무엇이었는지에 대해서는 의견이 분분하지만, 적어도 계시를 통해 바울이 받은 것은 단순한 지식으로 전달된 것이 아니라, 하나님의 아들이, 바울 안에 거하시며 바울의 마음을 비추셨다는 점입니다. 그리고 눈에서 비늘이 떨어지는 듯한 극적인 충격을 받게 되는데, 이는 예수님이 바로 바울이 찾아 헤매던 율법의 목적이자 율법의 완성임을 깨달았기 때문이라고 생각합니다.

(3) 믿음의 토대 위에 세워지는 하나님의 교회

이후, 바울은 즉시 다메섹의 남동쪽의 아라비아라 불리는 나바테아 왕국으로 떠납니다. 아레타스 왕이 통치하는 나바테아 왕국은 매우 광대한 영토를 가지고 있었는데, 남쪽으로는 시나이 반도와 아라비아 반도의 일부를 포함하고, 북쪽으로는 요르단 강 동쪽의 암몬에서 현재 시리아 남부까지 포함하고 있었습니다. 한때는 다메섹도 나바테아 왕국의 영토가 된 적이 있을 정도였습니다. 바울이 다메섹에서 모습을 감추고 아라비아라 불리는 나바테아 왕국으로 나간 적은 있었지만, 결코 예루살렘에 올라가거나 사도들을 만나러 간 것은 아니었다는 것입니다. 이어서 18~21절을 보십시오.

갈라디아서 1장

18 그 후 삼 년 만에 내가 게바를 방문하려고 예루살렘에 올라가서 그와 함께 십오 일을 머무는 동안

19 주의 형제 야고보 외에 다른 사도들을 보지 못하였노라

20 보라 내가 너희에게 쓰는 것은 하나님 앞에서 거짓말이 아니로다

21 그 후에 내가 수리아와 길리기아 지방에 이르렀으나

그로부터 3년 후 베드로를 만나기 위해 처음으로 예루살렘에 올라가 사도들을 실제로 만나게 되지만, 이때의 체류 기간은 고작 15일이었고, 그 전까지 사도들을 만나지 못했던 3년과 비교하면, 비교할 수 없을 정도로 짧은 기간이었습니다. 또한 사도들이라고 해도 베드로와 예수님의 형제 야고보만을 만났을 뿐이었습니다. 바울은 그 사실을 하나님의 면전에서 단언하며 맹세하고 있습니다. 그 후 다시 수리아 지방과 바울이 태어난 고향인 다소가 있는 길리기아 지방에 갔지만, 역시 이곳에서도 사도들을 만날 가능성이나 가르침을 받을 가능성 등은 전혀 없었다고 합니다. 그리고 바울은 최종적으로 결론을 내립니다. 22~24절을 보십시오.

22 그리스도 안에 있는 유대의 교회들이 나를 얼굴로는 알지 못하고

23 다만 우리를 박해하던 자가 전에 멸하려던 그 믿음을 지금 전한다 함을 듣고

24 나로 말미암아 하나님께 영광을 돌리니라

22절을 보면, 다시「에클레시아, 교회」라는 말이, 이번에는 복수형으로 나옵니다. 그러나 이번에는 「그리스도 안에 있는 유대의 교회들」이라는 수식어가 붙어 있습니다. 따라서 유대의 하나님께 부르심을 받은 모임에는, 그리스도 안에 있는, 자들과 그리스도 안에 있지 않은 자들이 있었으며, 결국 바울이 사용한 「에클레시아(교회) 」라는 용어는 구약 시대부터의 선택된 백성 이스라엘이 아니라 예수님을 믿음으로 받아들인 그리스도인들을 가리킨다는 것이 분명해집니다. 바울은 예루살렘에는 단 한 번만 방문했고, 그 체류 기간도 15일뿐이었기에 당연히 유대 지방 교회 사람들은 바울과 제대로 된 면식이 없었습니다. 그런데 그 유대 지방 교회 사람들이 23절을 보면 「우리를 박해하던 자가 전에 멸하려던 그 믿음을 지금 전한다」는 소식을 듣고 하나님께 영광을 돌리고 있다고 바울은 증언하고 있습니다. 바울은 여기서 자신이 박해하고 멸망시키려 했던 대상인 목적어를, 전에 멸하려던「그 믿음을」이라고 표현하고 있습니다. 그런데 13절에서는 「하나님의 교회」를 박해하고 멸망시키려 했음에도, 23절에서는 「그 믿음을」으로 대체되어 있습니다. 바로 이 점에 바울이 말하고자 하는 바가 응축되어 있지 않을까 생각됩니다. 즉, 바울이 열렬히 박해했던 대상은 빌립보 가이사랴에서 베드로가 제자들을 대표하여 고백한 「당신은 살아 계신 하나님의 아들이시며 메시아이십니다」라는 믿음의 토대 위에 세워진, 하나님의 선택된 백성이자 하나님께서 부르셔서 모으신 자들이었다는 것입니다. 하나님의 백성이란, 더 이상 율법에 복종하고 행위로 의롭다 함을 받는 무리가 아니라, 예수 그리스도의 은혜로, 믿음으로 의롭다 함을 받는 무리임을 암시적으로 주장하고 있는 것입니다. 그리고 그 은혜야말로 바울이 계시 안에서 충격적으로 받아들인 예수 그리스도 그 자체였다는 것입니다. 따라서 이스라엘 백성이, 아들 예수 그리스도를 받아들이지 않는다면, 더 이상 하나님의 백성이 아니라는 것입니다. 우리는 바울의 말씀으로부터 그리스도께 연합된 공동체가 구약의 이스라엘의 자리를 이어받아 「하나님의 백성, 하나님의 에클레시아」로 옮겨졌음을 확인할 수 있습니다. 역사적으로 보아도 이후 신약 교회는 점차 유대인들과 구분되어 나가며, 대제사장과 율법으로부터 분리되고 나아가 성전과 제단으로부터도 분리되어 가게 됩니다.

결론

첫째, 바울이 전하는 복음은 사도들에게서 전수받거나 가르침을 받은 것이 아니라, 계시라는 바울 고유의 방법으로 주어진 것임을 알 수 있습니다. 그리고 계시를 통해, 바울은 자신이 찾아 헤매던 율법의 목적이자 율법의 끝이 예수 그리스도임을 깨달았습니다. 둘째, 바울이 사용하는 「에클레시아」라는 단어에서 알 수 있듯이, 하나님께 부르심을 받은 자들의 모임, 즉 「교회」는 그리스도를 머리로 삼고 그리스도와 결합된 그리스도의 몸이며, 그것은 「믿음의 토대 위에」 세워지고 건축되고 있는 무리입니다. 그리고 그 보편적인 교회는 지금도 센겐다이교회의 한 사람 한 사람을 살아 있는 돌로 삼아, 믿음의 토대 위에 하나의 성전으로 유기적으로 세워지고 있습니다.

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