2020年05月03日「パウロの使徒職の独立性」

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【讃美歌534】

【主の祈り】

【信仰告白_ウェストミンスター小教理問答29~31】
問29 わたしたちはどのようにして、キリストによって買い取られた贖いにあずかる者とされるのですか。
答 わたしたちは、キリストによって買い取られた贖いが、彼の聖霊により、わたしたちに有効に適用されることによって、それにあずかる者とされます。
問30 御霊は、キリストによって買い取られた贖いを、どのようにしてわたしたちに適用されるのですか。
答 御霊は、わたしたちの内に信仰を生じさせ、それによってわたしたちを有効召命においてキリストに結びつけることにより、キリストによって買い取られた贖いをわたしたちに適用されます。
問31 有効召命とは何ですか。
答 有効召命とは、神の御霊のわざであって、それによって御霊は、わたしたちに自分の罪と悲惨を自覚させ、わたしたちの知性をキリストを知る知識で照らし、わたしたちの意志を新たにしてくださいます。こうして御霊は、福音においてわたしたちに無償で提供されているイエス・キリストを、受け入れるように説得し、それができるようにしてくださいます。

【献金】

【聖書朗読】

1:11兄弟たち、あなたがたにはっきり言います。わたしが告げ知らせた福音は、人によるものではありません。
1:12わたしはこの福音を人から受けたのでも教えられたのでもなく、イエス・キリストの啓示によって知らされたのです。
1:13あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。
1:14また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。
1:15しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、
1:16御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、
1:17また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。
1:18それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、
1:19ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。
1:20わたしがこのように書いていることは、神の御前で断言しますが、うそをついているのではありません。
1:21その後、わたしはシリアおよびキリキアの地方へ行きました。
1:22キリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした。
1:23ただ彼らは、「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と聞いて、
1:24わたしのことで神をほめたたえておりました。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ガラテヤの信徒への手紙 1章11節~24節

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【序】

 1章11~12節の命題を受けて13節より、パウロの自叙伝が始まっていきますが、これが2章14節まで続いて行きます。本日の自叙伝的回想を通してパウロが説明している内容は、パウロがダマスコに不在であった時に、どこに行っていたのか、それは、決してエルサレムの使徒たちの下に行っていたわけではないし、或いはエルサレムではない、違う場所において使徒たちから福音を伝授してもらったことなどはないということを力説しています。パウロは、自分のダマスコ不在におけるアリバイについて説明することによって、パウロの説く福音が人から受けたものではない、啓示を通して受けたという命題を証明しているのであります。

【1】. パウロの救われる前

 13~14節を御覧ください。

“あなたがたは、わたしがかつてユダヤ教徒としてどのようにふるまっていたかを聞いています。わたしは、徹底的に神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていました。また、先祖からの伝承を守るのに人一倍熱心で、同胞の間では同じ年ごろの多くの者よりもユダヤ教に徹しようとしていました。”

パウロはここで、教会という言葉を使っています。教会という言葉はギリシャ語でエクレシアという単語であり、ヘブル語の集会を意味するカーハールを翻訳した言葉です。旧約のユダヤ人にとってカーハールとは、「ヤハウェの集会」とか、「ヤハウェの集い」という意味であり、これは即ち自分たちがヤハウェなる神さまに召された者たちである、我々は選ばれた者だということを意味していました。パウロが「あなた方が聞いている通り、私はかつて神の教会を迫害し、滅ぼそうとしていた」と言った時、選民イスラエルを迫害していたのか、キリスト者を迫害していたのかよくわからない曖昧な言葉だったかもしれません。そもそも当時、新約の教会はユダヤ教の中の一分派として考えられていて、完全には袂を分かっていなかったという事情がありました。当時パウロを批判するユダヤ主義者たちの理論として、ユダヤ教においてパウロが劣等生だったために、当初の志半ばで、キリスト者に転じた者であるという批判がありました。キリキアのタルソスで恐らくギリシャ化された父とギリシャ化された母の子として生まれたであろうパウロは、大祭司の娘と結婚することを渇望したが、その女性と結婚することがかなわなかったので、パウロが現在割礼を否定し、自由な福音を説くのは、一種のユダヤ教に対する劣等感と恨みによるものだと言うのです。しかし14節へ読み進んで行くと、どうやらファリサイ派のパウロは、先祖の伝承を守ることに人一倍熱心で、同じ年頃の同胞よりもユダヤ教に先んじていたということが分かります。先祖の伝承というのは、律法を守ることと、さらにミドラシュやタルグムなどの言い伝えもきちんと守っていたことを意味し、ユダヤ教徒としては模範生であり、実際、大祭司の許可状を握りしめて、徹底的にキリスト者を迫害していました。ですからユダヤ主義者たちのパウロが劣等生だったから、こんな自由な教えを広めているという批判は全くあたらないということです。このように、信念を持ちながら迫害するということは、旧約聖書をよく学び、ユダヤ教に人一倍熱心だったパウロならではのことでした。なぜなら旧約聖書に次のような記事があるからです。出エジプトをしたイスラエルの民がモアブの地においてミディアン人の女とみだらな行いをするようになり偶像礼拝が入ってきた時の話ですが、ピネハスはそのように罪を犯す男女を槍で突き殺したことにより、神によって賞賛されるのです。民数記25:5~11を御覧ください。

“モーセはイスラエルの裁判人たちに言った。「おのおの、自分の配下で、ペオルのバアルを慕った者を殺しなさい。」そのとき、モーセとイスラエルの人々の共同体全体が臨在の幕屋の入り口で嘆いているその目の前に、一人のイスラエル人がミディアン人の女を連れて同胞のもとに入って来た。祭司アロンの孫で、エルアザルの子であるピネハスはそれを見ると、共同体の中から立ち上がって、槍を手に取り、そのイスラエル人の後を追って奥の部屋まで行き、この二人、すなわちイスラエル人とその女を共に突き刺した。槍は女の腹に達した。それによって、イスラエルを襲った災害は治まったが、この災害で死んだ者は二万四千人であった。主はモーセに仰せになった。「祭司アロンの孫で、エルアザルの子であるピネハスは、わたしがイスラエルの人々に抱く熱情と同じ熱情によって彼らに対するわたしの怒りを去らせた。それでわたしは、わたしの熱情をもってイスラエルの人々を絶ち滅ぼすことはしなかった。”

ですから、ピネハスと同じような心情を持ちながら、恐らくパウロも、当時のメシアに対する期待が社会的に高まる状況において、民が一つになって律法に服従していくためにも、キリスト者を殺すことに使命を感じていたのではないかと思われるのです。

【2】. 御子を啓示される

 パウロのキリスト者への迫害が、脂が乗っていたまさにその時、ダマスコにおいて、神の啓示が与えられ回心させられました。啓示とは、神の救済についての神知識であり、ここでの文脈ではパウロの啓示は御子がパウロの心の中に現れて、不思議な神の知識が与えられたこととして説明されます。15~17節を御覧ください。

“しかし、わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神が、御心のままに、御子をわたしに示して、その福音を異邦人に告げ知らせるようにされたとき、わたしは、すぐ血肉に相談するようなことはせず、また、エルサレムに上って、わたしより先に使徒として召された人たちのもとに行くこともせず、アラビアに退いて、そこから再びダマスコに戻ったのでした。”

パウロの啓示の体験は、私たちがイエス様を心に迎え入れることとは全く別次元のことでありますので、この時パウロに一体何が起こったのか、私たちは自分の経験からは推測することができません。今の時代には、神の新しい啓示はありません。御子イエス・キリストによって完全に父なる神が証しされ、そして御言葉である聖書が完結されたからです。16節を、直訳しますと、「御子が私の中に啓示され、彼つまり、イエス様を異邦人に宣べ伝えるようにされた」となります。ですから、パウロにとってイエス様が心の中に入って来られ、パウロの中に住まわれるようになった時、非常に大きな変化が、つまり、新しく生まれ変わるような変化が起こされたということです。その変化とは、第一に、パウロは自分が母の胎にある時から既に選び分かたれていたことを悟りました。第二に、キリスト者を迫害するという大きな罪を犯しながら、一方的な恵みによってキリスト者に召されたことを悟りました。第三に、神の善しとされる御心に従って、そのような衝撃的な体験をもたらしたイエス・キリストを、異邦人に伝えるように使命を与えられたのです。パウロの福音理解には、段階があり、少しずつ変化していったとも考えられますが、イエス様を宣べ伝えることに関しては直ちに異邦人への使徒として働きをしたようです。使徒の言行録9:18~20には次のように書かれているからです。そのままお聞きください。

“すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちと一緒にいて、すぐあちこちの会堂で、「この人こそ神の子である」と、イエスのことを宣べ伝えた。”

神学者たちの間において、パウロが受けた啓示とは一体何だったのか、議論が分かれるところですが、少なくとも啓示によってパウロが受け取ったものは単なる知識として伝達されたものではなく、御子がパウロの内に住み、パウロの心を照らし出されたということです。そして、目からうろこが落ちるような劇的な衝撃を受けるわけですが、それはイエスこそ、パウロが探し求めてきた律法の目的であり、律法の終わりであることを知ったからだと思います。

【3】. 神の教会とは、信仰の土台の上に立てられている。

 この後、パウロはただちにダマスコ東南のアラビアと呼ばれるナバテヤ王国に出て行きますが、このアレタ王の統治するナバテヤ王国というのは大変広大な領土を持っていて、南はシナイ半島とアラビア半島の一部を含み、北はヨルダン川東のアンモンから、現在のシリアの南部まで含んでおり、一時はダマスコもナバテヤ王国の領土になったことがあったほどでした。パウロが、ダマスコから姿を消して、アラビアと呼ばれるナバテヤ王国に出て行ったことはありましたが、決してエルサレムに上ったり、使徒たちに会いに行った訳ではなかったということです。続いて18~21を御覧ください。

“それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しましたが、ほかの使徒にはだれにも会わず、ただ主の兄弟ヤコブにだけ会いました。わたしがこのように書いていることは、神の御前で断言しますが、うそをついているのではありません。その後、わたしはシリアおよびキリキアの地方へ行きました。”

それから三年後にペトロと知り合いになろうと、初めてエルサレムに上って、実際に使徒たちに会うことになりますが、この時の滞在期間はわずか15日間であり、それまでの使徒と会っていない三年間に比べるなら、比べ物にならないほど短い期間でした。また、使徒たちといっても、ペトロとイエス様の兄弟ヤコブに会っただけでした。パウロは、そのことを神の御前で断言しながら誓っています。その後再び、シリア地方と、パウロの生まれた町タルソスのあるキリキア地方に行きましたが、やはりここにおいても使徒たちと会う可能性であったり、或いは、教えを教授される可能性などは一切なかったということです。そして、パウロは最終的に結論を結びます。22~24を御覧ください。

“キリストに結ばれているユダヤの諸教会の人々とは、顔見知りではありませんでした。ただ彼らは、「かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている」と聞いて、わたしのことで神をほめたたえておりました。”

22節を見ますと、再び「エクレシア、教会」という言葉が、今度は複数形ですが、出てまいります。しかし今度はキリストに結ばれているユダヤの諸教会というふうに、修飾語がついています。ですから、ユダヤの神に召された集いには、キリストに結ばれている者たちとキリストに結ばれていない者たちがいて、結局パウロが使用している「エクレシア(教会)」という言葉は、旧約時代からの選民イスラエルではなく、イエス様を信仰によって受け入れたキリスト者たちを指しているということが明らかにされるのです。パウロは、エルサレムには一度しか訪問したことなく、しかもその滞在期間も15日間だけでしたので、当然ですが、ユダヤの諸教会の人々はパウロとはきちんとした面識はありませんでした。ところがそのユダヤの諸教会の人々が、23節を見ますと“かつて我々を迫害した者が、あの当時滅ぼそうとしていた信仰を、今は福音として告げ知らせている”という知らせを聞いて神を賛美していると、パウロは証言しています。パウロはここで、自分が迫害し、滅ぼそうとする対象である目的語を、「私たちの信仰」としています。ところが13節においては、「神の教会」を迫害し滅ぼそうとしていたのに、23節においては「私たちの信仰」に置き換えられています。まさにこの点にパウロの言いたいことが凝縮されているのではないかと思わされるのです。つまり、パウロが熱心に迫害していたのは、フィリポカイサリアにおいて、ペトロが弟子たちを代表として告白した「あなたこそ生ける神の子であり、メシアです」という信仰の土台の上に築き上げられた、神の選民であり、神によって召し集められた者たちであったということです。神の民とは、これ以上、律法に服従し、行いによって義とされる群れではない、イエス・キリストの恵みによって、信仰によって義とされる群れであるということを暗に主張しているのです。そしてその恵みこそ、パウロが啓示において衝撃をもって受け取ったイエス・キリストそのものだったということです。従って、もしイスラエルの民が御子イエス・キリストを受け入れなければ、もうそれ以上、神の民ではないということです。私たちはパウロの言葉から、キリストに結ばれた共同体が、旧約のイスラエルの場所に、「神の民、神のエクレシア」として移行されたことを確認することができるのです。歴史的に見ましても、この後、新約の教会は徐々にユダヤ人から区別されていき、祭司長と律法から分離していき、さらには神殿と祭壇から分離していくことになるのです。

【結論】

第一に、パウロの伝えている福音は使徒たちから伝授されたり、教授を受けたものではなく、啓示というパウロ独自の方法によって与えられたものであるということです。そして啓示によってパウロは、自分が探し求めてきた律法の目的であり、律法の終わりがイエス・キリストであるということを悟らされました。第二に、パウロの使う「エクレシア」という言葉から分かってくることとして、神によって召された者たちの集い、つまり教会とは、キリストを頭とする、キリストに結び合わされたキリストの身体であり、それは「信仰の土台の上に」築き上げられ、建て上げられている群れであるということです。そしてその普遍的な教会は、今もなお、せんげん台教会のお一人お一人を生ける石として、信仰の土台の上に一つの神殿として有機的に建て上げられているのです。

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