2025年03月02日「礼拝共同体の第一歩 예배 공동체의 첫 걸음」

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礼拝共同体の第一歩 예배 공동체의 첫 걸음

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
ネヘミヤ記 7章1節~72a節

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聖句のアイコン聖書の言葉

1城壁が築かれたので、わたしは扉を取り付けさせた。そして、門衛と詠唱者とレビ人を任務に就けた。
2わたしは、兄弟のハナニと要塞の長ハナンヤにエルサレムの行政を託した。このハナンヤは誠実で、だれよりも神を畏れる人物だった。
3わたしは彼らに言った。「日射しの暑くなる時まで、エルサレムの門を開いてはならない。また彼らが任務に就いている間に扉を固く閉ざしなさい。エルサレムの住民に守備態勢を取らせ、各自が自分の持ち場と、各自が自分の家の前を守るようにせよ。」
4町は二方向に大きく広がっていたが、その中に住む民は少数で、家屋は建てられてはいなかった。
5わたしは心に神の指示を受けて、貴族と役人と民を集め、家系に従って登録させようとしたところ、最初に帰還した人々の名簿を発見した。そこには次のように記録されているのを発見した。
6捕らえ移された先から上って来たこの州の人々は、次のとおりである。彼らは、バビロンの王ネブカドネツァルによって連行されたが、それぞれエルサレムとユダにある自分の町に帰ったものである。
7彼らはゼルバベル、イエシュア、ネヘムヤ、アザルヤ、ラアムヤ、ナハマニ、モルドカイ、ビルシャン、ミスペレト、ビグワイ、ネフム、バアナと共に帰って来た。イスラエルの民の男子の数。
8パルオシュの一族二千百七十二人、
9シェファトヤの一族三百七十二人、
10アラの一族六百五十二人、
11パハト・モアブの一族、すなわちイエシュアとヨアブの一族二千八百十八人、
12エラムの一族千二百五十四人、
13ザトの一族八百四十五人、
14ザカイの一族七百六十人、
15ビヌイの一族六百四十八人、
16ベバイの一族六百二十八人、
17アズガドの一族二千三百二十二人、
18アドニカムの一族六百六十七人、
19ビグワイの一族二千六十七人、
20アディンの一族六百五十五人、
21アテルの一族、すなわちヒズキヤの一族九十八人、
22ハシュムの一族三百二十八人、
23ベツァイの一族三百二十四人、
24ハリフの一族百十二人、
25ギブオンの一族九十五人、
26ベツレヘムとネトファの男子百八十八人、
27アナトトの男子百二十八人、
28ベト・アズマベトの男子四十二人、
29キルヤト・エアリムと、ケフィラとベエロトの男子七百四十三人、
30ラマとゲバの男子六百二十一人、
31ミクマスの男子百二十二人、
32ベテルとアイの男子百二十三人、
33別のネボの男子五十二人、
34別のエラムの一族千二百五十四人、
35ハリムの一族三百二十人、
36エリコの一族三百四十五人、
37ロド、ハディド、オノの一族七百二十一人、
38セナアの一族三千九百三十人。
39祭司。エダヤの一族、すなわちイエシュアの一族九百七十三人、
40イメルの一族千五十二人、
41パシュフルの一族千二百四十七人、
42ハリムの一族千十七人。
43レビ人。イエシュアとカドミエル、ビヌイ、ホダウヤの一族七十四人。
44詠唱者。アサフの一族百四十八人。
45門衛。シャルムの一族、アテルの一族、タルモンの一族、アクブの一族、ハティタの一族、ショバイの一族、百三十八人。
46神殿の使用人。ツィハの一族、ハスファの一族、タバオトの一族、
47ケロスの一族、シアの一族、パドンの一族、
48レバナの一族、ハガバの一族、シャルマイの一族、
49ハナンの一族、ギデルの一族、ガハルの一族、
50レアヤの一族、レツィンの一族、ネコダの一族、
51ガザムの一族、ウザの一族、パセアの一族、
52ベサイの一族、メウニムの一族、ネフィシェシムの一族、
53バクブクの一族、ハクファの一族、ハルフルの一族、
54バツリトの一族、メヒダの一族、ハルシャの一族、
55バルコスの一族、シセラの一族、テマの一族、
56ネツィアの一族、ハティファの一族。
57ソロモンの使用人の一族。ソタイの一族、ソフェレトの一族、ペリダの一族、
58ヤアラの一族、ダルコンの一族、ギデルの一族、
59シェファトヤの一族、ハティルの一族、ポケレト・ハツェバイムの一族、アモンの一族。
60神殿の使用人およびソロモンの使用人の一族、合計三百九十二人。
61テル・メラ、テル・ハルシャ、ケルブ、アドン、イメルから上って来たが、自分の家族と血筋がイスラエルに属するかどうか示せなかった者は次のとおりである。
62デラヤの一族、トビヤの一族、ネコダの一族、六百四十二人。
63また祭司のうちに、ホバヤの一族、ハコツの一族、ギレアド人バルジライの娘の一人をめとったので、その名が由来するバルジライの一族は、
64自分たちの家系の記録を捜したが発見できず、祭司職に就くことを禁じられた。
65総督は、ウリムとトンミムをつけた祭司が立つまで、彼らが聖なる食べ物にあずかることを禁じた。
66会衆の総数は、四万二千三百六十人であった。
67ほかに男女の使用人が七千三百三十七人いた。また、男女の詠唱者が二百四十五人いた。
68らくだは四百三十五頭、ろばは六千七百二十頭であった。
69家長の何人かは、工事のために寄付をした。総督は、会計に金一千ドラクメ、供え物用の器五十個、祭司の衣服五百三十着を差し出した。
70家長の幾人かは、工事の会計に金二万ドラクメ、銀二千二百マネを差し出した。
71残りの民が差し出したのは、金二万ドラクメ、銀二千マネ、祭司の衣服六十七着であった。
72祭司、レビ人、門衛、詠唱者、民の一部、神殿の使用人、すなわちイスラエル人は皆それぞれ自分たちの町に住んだ。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ネヘミヤ記 7章1節~72a節

原稿のアイコン日本語メッセージ

【序】

神は私たちを礼拝するために創造されました。それゆえ、私たちは神を礼拝するのです。礼拝は私たちの存在の中心にあり、私たちの存在理由の核心であります。イスラエルに礼拝を回復させるという使命を持ったネヘミヤは、ついにアルタクセルクセス第20年のエルルの月に、城壁再建工事を終えました。現代の暦では乾季に相当する8~9月の暑い頃です。工事に当たってネヘミヤは、自分自身の考えを推進していくというのではなく、主を畏れ、祈りの中で主が語ってくださった主の働きを推進していきました。ですから、どのような妨害や苦難に直面しても、共におられる主に支えられ、恐れと不安を乗り越えて、進んでいくことができたのです。本日の箇所では、礼拝奉仕者の任命について書かれています。本日もネヘミヤ記を通して共に御言葉の恵みに与りたいと願います。

【1】. 礼拝奉仕者の任命

7章の冒頭には、城壁が築かれ扉が取り付けられた後、ネヘミヤが行った三つの任命について書かれています。門衛と詠唱者とレビ人を任務に就けました。城壁を守るため、門衛を任務に就かせたことは理解できます。今日でも、新築マンションが完成すると建物のエントランスには管理人室があり、不審者が勝手にマンションに入ってくることができないよう警備されています。しかし「詠唱者とレビ人」を任務に就かせたというのは、どういうことでしょうか。城壁を守るために、果たして「詠唱者とレビ人」が必要なのでしょうか。これは、ネヘミヤが城壁も神殿の一部として考えていたということを表わしている証拠だと思います。詠唱者という役職はダビデ王の時代まで遡り、歌を歌う人を指しますが、ここでは楽器を演奏する人もこの詠唱者に含まれていたようです。また、レビ人というのは、礼拝全般を補助する人々を指しています。ネヘミヤが「詠唱者とレビ人」を、任務に就かせることは、神殿を回復するため、もっと言えば、礼拝を回復するために必要不可欠なことでありました。ネヘミヤは城壁工事を完成させましたが、それは霊的に見るならイスラエルに礼拝を回復させたのであります。

私たちの教会においても、主の日の礼拝が毎週欠かさず捧げられています。主日礼拝は、一見すると牧師さんの説教を聞くだけだと思いがちです。ともすると説教の時間に間に合えば、少しくらい遅刻してもいいだろうとか、或いは説教奉仕だけが、教会の奉仕として唯一の奉仕であるというような間違った認識がされる場合があります。しかし、礼拝とは、そもそも説教者が一人で捧げるものでもなく、また、聴衆である個人が捧げるものでもありません。私たち共々が一緒に捧げるものであります。主日礼拝のプログラムを見ますと、最初に神の側から招きの言葉があり、続いて礼拝者が共々に讃美を捧げる応答の部分がありますね。或いは神の側から罪の赦しが宣告され、礼拝者が共々に十戒を唱和したり、共々に信仰告白を捧げる応答の部分があります。このように、神の恵みの業と、礼拝者の応答が交互にされているのが分かります。この神との交わり、神の恵みと恵みの応答のキャッチボール、これこそが礼拝なのであります。ですから、私たち共々が、神様との交わりである礼拝をきちんと捧げられるように、朝早く来て祈りを捧げること、朝早く来て奏楽の練習をすること、受付の週報などを整えること、会堂やお手洗いの清掃をすること、聖餐式の準備をすること、或いは礼拝後の午後のプログラムの準備をすること、これらレビ人の働きのような一つ一つの奉仕が、非常に重要になってくるのであります。私たちが共々に捧げる礼拝とは、まさに私たち教会全体の共同作業なのです。そして、私たち教会は、共々に捧げる礼拝者として神様に召されているのです。続いて2節をご覧ください。

“わたしは、兄弟のハナニと要塞の長ハナンヤにエルサレムの行政を託した。このハナンヤは誠実で、だれよりも神を畏れる人物だった。”

ネヘミヤは、自らの働きを移譲するために、二人の行政官を立てました。前の章の6章では、サンバラトから「お前は預言者に宣言させて、ユダの王になろうとしているのではないか」と非難されました。ネヘミヤがその気になれば、自分がエルサレムを治めるんだ!として自らエルサレムの王としてふるまう事もできたはずです。もちろんネヘミヤはそのようなことをせず、二人を選び、彼らに働きを任せたのであります。兄妹のハナニは、ネヘミヤ記1章にも出てきました。ネヘミヤがペルシアのスサの宮殿で王の献酌官をしていた頃、ユダの状況を詳細に報告してくれた人物です。片道、千キロを優に超える道のりを、長い日数をかけて往復してくれました。また、ハナンヤは、誠実で、だれよりも神を畏れる人物であると書かれています。「誠実さ」と「神を畏れること」は、神様に仕える上で大切な規準となります。1コリント4:1~2には次のような御言葉があります。ご覧ください。

“こういうわけですから、人はわたしたちをキリストに仕える者、神の秘められた計画をゆだねられた管理者と考えるべきです。この場合、管理者に要求されるのは忠実であることです。”

私たちは忠実な管理者であるということですね。私たちもハナンヤのように、神を恐れ、そして神の前にも、人の前にも、忠実に歩む者たちとならせていただきましょう。続いて3、4節をご覧ください。

“私は彼らに言った。「太陽が昇って暑くなるまで、エルサレムの門を開いてはならない。また彼らが任務に就くまでは、扉を固く閉ざしておくように。エルサレムの住民を警護に就かせ、各自が自分の見張り場と、自分の家の向かい側を守るようにせよ。」町は両側に広がり、大きかったが、その中に住む民は少なく、再建された家屋はなかった。”

通常、都の門は日の出と共に開きますが、今お読みした個所では太陽が昇り、正午ごろになるまでは、門を固く閉ざしておくように命じられています。その理由として、警備の手薄感が指摘されています。エルサレムの都の中には、一部の指導者のみが居住していましたが、まだ家屋も十分ではなく、都には一般の人々は居住してはいなかったようです。都の中に人々が埋め尽くされるように居住し、そして各自割り振られた場所を守るようにして初めて、城壁の安全が確保されます。この都に礼拝者を満たすというという課題が、依然としてネヘミヤに残されたままとなりましたが、この課題は11章まで持ち越されることになります。

【2】. 贖われた人々のリスト

するとその時、神様が一つのことをネヘミヤに指示されました。5節をご覧ください。

“わたしは心に神の指示を受けて、貴族と役人と民を集め、家系に従って登録させようとしたところ、最初に帰還した人々の名簿を発見した。そこには次のように記録されているのを発見した。”

ネヘミヤが指示されたこととは、「家系に従って登録すること」、即ち「系図」を作成するようにということです。これは、かつてダビデ王が国力を自慢する動機から、自ら勝手に行った人口登録とは異なります。神様に祈りの中で示されて、系図を作るようにと言われました。その時、ちょうどタイミングよく最初に帰還した人々の名簿を発見することになりました。7章6~72節に書かれている内容がそれであります。実はこの6~72節は、エズラ記2章1~70節に書かれているものとほぼ同じであります。数字と内訳が微妙に異なる箇所もありますけれども、会衆の総数である「四万二千三百六十人」という数字も同じです(ネヘ7:66、エズ2:66)。それでは神様は一体なぜ、ここで系図 יחַשׁ を作成するようにしたのでしょうか。しかも、エズラ・ネヘミヤ記において、同じ名簿が二度も書き記すということが、一体なぜ起こったのでしょうか。

ここからは私の黙想ですけれども、その理由として第一に考えられることは、神様の視点はエルサレム神殿を再建し始めることから、城壁が完成するまで、一連の連続した工事と見做しているという事です。ダレイオス第2年(BC.520年)に始まった神殿再建工事から、アルタクセルクセス第20年(BC.445年)の城壁の完成までの75年、工期としては大変長い期間を要しましたが、聖書が語っているのは一つの工事であったということです。ゼルバベルを始めとする第一次帰還民が、まるで第二の出エジプトであるかのように一方的な神の恵みによってバビロンから解放されました。そして神がその名を置くエルサレムに戻ってきたことにより、神殿再建工事が始められました。彼ら第一次帰還民を、エズラ記では、「神によって心動かされた人々」とエズラ記1:5に描写されています。神殿再建の工事は、神様への恵みの応答として、信仰の業として始められたのです。言い換えれば、ゼルバベルたち第一次帰還民にとって工事それ自体が神との交わりであり、礼拝であったということです。このことは非常に重要なポイントだと思います。礼拝とは、ただ礼拝式に聴衆のように出席だけすれば、捧げたことになるというのでは、決してない。礼拝とは、恵みの応答として一人ひとりが何らかの形で自分に出来る神殿工事に参加することであります。

第一次帰還民の人々の名簿は、エズラ記2章に神殿再建工事に着手した者たちとして記録されました。そして今や、紆余曲折を経てついに城壁が完成し、すべての工事が完了した後で、改めてあの時、工事に着手した人々の名簿が本日のネヘミヤ記7章に記録されるのは、彼らの信仰を称え、忘れないようにするためということではないでしょうか。例えば、建物の基礎や壁に、「〇〇年〇〇月 定礎」というプレートをはめ込んだりしますね。建築工事の開始を記念したプレートでありますが、あのプレートに開拓者たちの名前が刻まれていて、開拓者たちの信仰を覚えるような、そんな行動だったのだと思います。私たちせんげん台伝道所も、今から52年前、1973年にこの春日部の地に、北米キリスト改革派教会(CRC)の支援の下、開拓伝道を始めました。私たちの教会の沿革について、毎年作成されている年報に細かく記載されている通りですが、まさに年報に記載されている、これまどたどった沿革と、一年間の報告と、それぞれの奉仕内容、これは礼拝者一人ひとりの恵みの応答として、その信仰を覚えるためのものであると言えるでしょう。そのような中で、今日生かされている私たちは信仰の先輩である兄弟姉妹の、その信仰の遺産を受け継いだ者たちなのであります。

第二に、第一次帰還民の信仰を覚えるという事からさらに敷衍して、自分たちが、彼ら開拓者と信仰を同じくする聖別された民であるということを忘れないようにするという意味もあったと思います。城壁の再建は、聖別された民にとって決して無視することのできない工事でした。彼らは神様によって自分たちが贖われたということをはっきりと知らなければならず、そして、この世からは、何らかの境界線、バウンダリーを引く必要性がどうしてもあったからです。城壁が完成した時に、自分たちが神によって聖なる者とされたという恵みが、目に見える形で迫って来ました。この世からバウンダリーが引かれ、区別されているということをはっきりと認識することが出来ました。聖なる民とは、神によって贖われ、神の所有とされたという意味です。神と契約を結び、今や神のすべての掟、戒めに従って生きていく者たちとされたということ、神を礼拝し、神から受けた恵みに感謝の応答を捧げる者たちとして生きていくということを心に決めた者たちです。時には、世の人々から、「安息日を無視し、もっと楽しく心地よいことを追求しよう!」とか「趣味や娯楽を満喫したらどうだ!」などと誘われることもあったでしょう。しかし、自分たちは神によって創造されたこと、そして礼拝とは私たちの存在の中心にあり、私たちの存在理由の核心であるというマインドセットから、決してぶれないで、この世の価値観から一線を画すことが出来たのです。従いまして、ネヘミヤが神様から指示された系図とは、自分たちイスラエルが、第一次帰還民の信仰を引き継いでいるということを示してくれるものであり、そして将来、自分たちが引き継いだ信仰を次の世代に継承していくことを促すものでもあったのです。このようにして、神に与えられた使命は、次の世代、また次の人へと引き継がれて行くのです。

【結論】

本日の内容をまとめます。城壁が完成し、ネヘミヤはイスラエルに礼拝を回復させるために、礼拝奉仕者たちの任命をいたしました。特に行政の後継者として、神を畏れ、神にも人にも誠実である二人を行政官として立てました。ネヘミヤが系図を作成し、第一次帰還民の名前を記したことにより、礼拝の回復の御業が75年前に始まった開拓者たちの信仰からスタートしたということをあらためて思い起こすことが出来ました。開拓者たちの礼拝の回復への情熱と信仰は、今を生きる自分たちにも引き継がれていて、城壁の完成はまさに自分たちがこの世から区別された聖なる民であることを思い起こさせるものでありました。彼らの礼拝者としての歩みは、ここから始まるのであります。このことは私たちにおいても同じことが言えると思います。共同作業としての礼拝が回復される時、私たち礼拝者の歩みは始まるのです。人生の中で失敗や堕落、様々な痛みを経験してきた私たちでありますが、神様はいつでも私たちと共におられ、今日まで私たちを導いてくださいました。その中で私たちが悟った内容とは、神は私たち共々を礼拝するために創造されたということ、それゆえ、私たちは神を礼拝するということです。神の愛が注がれた教会の一員であることを誇りに思い、私たちが受け継いだ礼拝者としての信仰を、次世代にもバトンタッチしていく私たちとならせていただきましょう。

原稿のアイコンハングル語メッセージ

예배 공동체의 첫 걸음

2025년 3월2일 센겐다이교회 주일설교 카와에 토모아키 목사

느헤미야 7장 1~73절

서론

하나님은 우리를 예배하도록 창조하셨습니다. 그러므로 우리는 하나님을 예배하는 것입니다. 예배는 우리 존재의 중심에 있고, 우리의 존재 이유의 핵심입니다. 이스라엘에 예배를 회복시켜야 한다는 사명을 가진 느헤미야는, 마침내 아닥사스다 이십 년 엘를월에 성벽 재건 공사를 마쳤습니다. 현대 달력으로는 건기에 해당하는 8~9월의 더운 시기입니다. 공사를 진행하면서 느헤미야는 자신의 생각을 추진하는 것이 아니라 여호와를 경외하며 기도 가운데 주님께서 말씀하신 주님의 일을 추진했습니다. 그래서 어떤 방해와 고난이 닥쳐와도 함께 하시는 주님의 도우심으로 두려움과 불안을 극복하고 나아갈 수 있었던 것입니다. 오늘 본문은 예배 봉사자의 임명에 대한 내용입니다. 오늘도 느헤미야서를 통해 말씀의 은혜를 함께 누리는 시간이 되기를 소망합니다.

(1) 예배 봉사자의 임명

7장 초반에는 성벽을 쌓고 성문을 설치한 후, 느헤미야가 세 가지 임명을 한 것에 대해 기록되어 있습니다. 성문을 지키는 문지기와 노래하는 자와 레위인을 임명했습니다 성벽을 지키기 위해, 문지기를 임명한 것은 이해할 수 있습니다. 오늘날에도 신축 아파트가 완공되면 건물 입구에 관리실이 있어 수상한 사람이 함부로 아파트에 들어올 수 없도록 경비를 서고 있습니다. 하지만「노래하는 자들과 레위 사람들을」세웠다는 것은 무엇을 의미하는 것일까요? 성벽을 지키기 위해 과연「노래하는 자들과 레위인들」이 필요한 것일까요? 이것은 느헤미야가 성벽도 성전의 일부로 생각했다는 것을 보여주는 증거라고 생각합니다. 노래하는 자라는 직책은 다윗 왕 시대까지 거슬러 올라가 노래를 부르는 사람을 가리키는데, 여기서는 악기를 연주하는 사람도 이 노래하는 자에 포함되었던 것 같습니다. 또한 레위인이란 예배 전반을 보조하는 사람들을 가리킵니다. 느헤미야가 「노래하는 자들과 레위인들」을 임무에 투입하는 것은 성전을 회복하기 위해, 더 나아가 예배를 회복하기 위해 꼭 필요한 일이었습니다. 느헤미야는 성벽 공사를 완성했지만, 그것은 영적으로 보면 이스라엘의 예배를 회복시킨 것입니다.

우리 교회에서도 매주 빠짐없이 주일예배를 드리고 있습니다. 주일예배는 언뜻 보면 목사님의 설료를 듣는 것으로만 생각하기 쉽습니다. 그러다 보니 설교 시간만 맞추면 조금 늦어도 괜찮다거나, 혹은 설교 선포만이 교회 섬김 중에 제일의 봉사라는 잘못된 인식이 있는 경우가 있습니다. 그러나 예배는 애초에 설교자 혼자 드리는 것도 아니고, 청중 개인이 드리는 것도 아닙니다. 우리 모두가 함께 드리는 것입니다. 주일예배 프로그램을 보면, 먼저 하나님 편에서 초청의 말씀이 있고, 이어서 예배자들이 함께 찬양을 드리는 응답이 부분이 있습니다. 혹은 하나님 편에서 죄 사함이 선포되고, 예배자들이 함께 십계명을 낭송하거나 함께 신앙고백을 드리는 응답의 시간이 있습니다. 이렇게 하나님의 은혜의 역사와 예배자의 응답이 번갈아가며 이루어지고 있음을 알 수 있습니다. 이 하나님과의 교제, 하나님의 은혜와 은혜의 응답을 주고 받는 것, 이것이 바로 예배입니다. 그러므로 우리 모두가 하나님과의 교제인 예배를 제대로 드릴 수 있도록 아침 일찍 와서 기도하는 것, 아침 일찍 와서 반주 연습을 하는 것, 접수처 주보 등을 정리하는 것, 회당과 화장실 청소를 하는 것, 성찬식 준비를 하는 것, 혹은 예배 후 오후 교회 행사를 준비 하는 것, 이러한 레위인의 사역과 같은 하나하나의 섬김이 매우 중요하게 여겨집니다. 우리가 함께 드리는 예배는, 바로 우리 교회 전체의 공동 작업인 것입니다. 그리고 우리 교회는 함께 드리는 예배자로 하나님께 부르심을 받은 것입니다. 이어서 2절을 보시기 바랍니다.

내 아우 하나니와 영문의 관원 하나냐가 함께 예루살렘을 다스리게 하였는데 하나냐는 충성스러운 사람이요 하나님을 경외함이 무리 중에서 뛰어난 자라

느헤미야는 자신의 사역을 이양하기 위해 두 명의 행정관을 세웠습니다. 앞의 6장에서 산발랏은「네가 그 말과 같이 왕이 되려 하는도다」라고 비난했습니다. 느헤미야가 마음만 먹으면 자신이 예루살렘을 다스릴 수 있다고 스스로 예루살렘의 왕으로 행세할 수도 있었을 것입니다. 물론 느헤미야는 그렇게 하지 않고 두 사람을 택하여 그들에게 일을 맡겼습니다. 형제인 하나니는 느헤미야서 1장에도 나옵니다. 느헤미야가 페르시아 수사의 궁전에서 왕의 술 맡은 관원으로 있을 때, 유다의 상황을 상세히 보고해 준 인물입니다. 편도 1,000 km가 훌쩍 넘는 먼 길을 며칠씩 왕복하며 보고를 해 주었습니다. 또한, 하나냐는 충성스럽고 누구보다 하나님을 경외하는 인물로 기록되어 있습니다. 「충성」과「하나님을 경외함」은 하나님을 섬기는 데 있어 중요한 기준이 됩니다. 고전 4:1~2에 다음과 같은 말씀이 있습니다. 함께 보시겠습니다.

1 사람이 마땅히 우리를 그리스도의 일꾼이요 하나님의 비밀을 맡은 자로 여길지어다

2 그리고 맡은 자들에게 구할 것은 충성이니라

우리는 충실한 일꾼이라는 말씀이네요. 우리도 하나냐처럼 하나님을 경외하며, 하나님 앞에서도 사람 앞에서도 충성스럽게 행하는 자들이 됩시다. 이어서 느헤미야7:3~4절을 보겠습니다.

3 내가 그들에게 이르기를 해가 높이 뜨기 전에는 예루살렘 성문을 열지 말고 아직 파수할 때에 곧 문을 닫고 빗장을 지르며 또 예루살렘 주님이 각각 자기가 지키는 곳에서 파수하되 자기 집 맞은편을 지키게 하라 하였노니

4 그 성읍은 광대하고 그 주민은 적으며 가옥은 미쳐 건축하지 못하였음이니라

보통 도성의 성문은 일출과 함께 열리지만, 방금 읽은 부분에서는 해가 뜨고 정오가 될 때까지 성문을 굳게 닫아두라고 명령하고 있습니다. 그 이유로 경비가 허술하다는 점을 지적하고 있습니다. 예루살렘 도성 안에는 일부 지도자들만 거주하고 있었고, 아직 집도 충분하지 않아 도성 안에는 일반인들은 거주하지 않았던 것으로 보입니다. 도성 안에 사람들이 가득 차도록 거주하고, 각자 할당된 장소를 지키도록 해야만 성벽의 안전이 확보될 수 있습니다. 이 성읍에 예배자를 채워야 하는 과제가 여전히 느헤미야에게 남게 되었는데, 이 과제는 11장까지 이어지게 됩니다.

(2) 돌아온 자의 계보

그 때 하나님께서 느헤미야에게 한 가지를 지시하셨는데, 5절을 보시기 바랍니다.

내 하나님이 내 마음을 감동하사 귀족들과 민장들과 백성을 모아 그 계보대로 등록하게 하시므로 내가 처음으로 돌아온 자의 계보를 얻었는데 거기에 기록된 것을 보면

느헤미야가 지시한 것은「계보대로 등록하라」, 즉 「족보」를 작성하라는 것입니다. 이는 과거 다윗 왕이 국력을 자랑하려는 동기로 자기 마음대로 했던 인구 등록과는 다릅니다. 하나님께서는 기도 중에 계보를 만들라는 계시를 주셨습니다. 그 때 때마침 타이밍 좋게 처음으로 돌아온 자의 계보를 발견하게 됩니다. 7: 6~73에 기록된 내용이 바로 그것입니다. 사실 이 6~73절은 에스라서 2:1~70에 기록된 내용과 거의 동일합니다. 숫자와 내역이 미묘하게 다른 부분도 있지만, 회중의 총수인 「사만 이천삼백육십 명」이라는 숫자도 동일합니다(느헤미야7:66, 에스라2:64). 그렇다면 하나님은 도대체 왜 여기서 계보 יחַשׁ 를 작성하게 하신 것일까요? 더구나 에스라・느헤미야서에서 같은 명단이 두 번이나 기록되는 일이 도대체 왜 일어났을까요?

여기서부터는 저의 묵상입니다만, 그 이유로서 첫째로 생각할 수 있는 것은 하나님의 관점은 예루살렘 성전을 재건하기 시작한 때부터 성벽이 완성될 때까지를 일련의 연속적인 공사로 보신다는 점입니다. 다리오 2년(BC.520년)에 시작된 성전 재건 공사부터 아닥사스다 20년(BC.445년)에 성벽이 완성되기까지 75년, 공사 기간으로는 매우 긴 기간이 걸렸지만, 성경이 말하는 것은 하나의 공사였다는 것입니다. 스룹바벨을 비롯한 1차 귀환민들이 마치 제2의 출애굽인 것처럼 일방적인 하나님의 은혜로 바벨론에서 해방되었습니다. 그리고 하나님이 그 이름을 두신 예루살렘으로 돌아옴으로써 성전 재건 공사가 시작되었습니다. 이 1차 귀환민을 에스라는 에스라1:5에「그 마음이 하나님께 감동을 받고 올라가서.. 건축하고자 하는 자」라고 묘사하고 있습니다. 성전 재건 공사는 하나님의 은혜에 대한 응답으로, 믿음의 역사로 시작된 것입니다. 다시 말해, 스룹바벨과 1차 귀환자들에게는 공사 자체가 하나님과의 교제요, 예배였다는 것입니다. 이 점은 매우 중요한 포인트라고 생각합니다. 예배란 단순히 예배의식에 청중처럼 참석만 하면 예배를 드린 것으로 간주하는 것은 걸코 아닙니다. 예배란 은혜에 대한 응답으로 각자가 어떤 형태로든 자신이 할 수 있는 성전 건축에 참여하는 것입니다.

1차 귀환 백성들의 명단은 에스라 2장에 성전 재건 공사에 착수한 사람들로 기록되어 있습니다. 그리고 이제 우여곡절 끝에 마침내 성벽이 완성되고 모든 공사가 완료된 후, 다시 한 번 그 때 공사에 착수한 사람들의 명단이 오늘 느헤미야 7장에 기록된 것은 그들의 믿음을 기리고 잊지 않기 위함이 아닐까요? 예를 들어, 건물의 기초나 벽에「〇〇년〇〇월 定礎(주춧돌을 놓음)」라고 플레이트를 새겨 넣기도 합니다. 건축 공사의 시작을 기념하는 판인데, 그 판에 개척자들의 이름이 새겨져 있고, 개척자들의 믿음을 기억하게 하는 그런 행동이었던 것 같습니다. 우리 센겐다이교회도 지금으로부터 52년 전인 1973년 이 카스카베 땅에 북미기독교개혁교회(CRC)의 지원으로 개척 전도를 시작했습니다. 우리 교회의 연혁에 대해서는 매년 작성되는 연보에 자세히 기재되어 있는데, 바로 연보에 기재되어 있는 지금까지의 연혁과 한 해 동안의 보고와 각각의 봉사의 내용, 이것은 예배자 한 사람 한 사람이 은혜의 응답으로, 그 믿음을 기억하기 위한 것이라고 할 수 있겠지요. 그런 가운데 오늘을 살아가고 있는 우리는, 믿음의 선배인 형제자매들의 믿음의 유산을 이어받은 자들이라고 할 수 있습니다.

둘째, 1차 귀환민들의 믿음을 기억한다는 것에서 더 나아가, 자신들이 그들과 같은 믿음을 가진 성별된 백성이라는 것을 잊지 말자는 의미도 있었을 것입니다. 성벽 재건은 성별된 백성들에게 있어서는 결코 소홀히 할 수 없는 공사였습니다. 그들은 하나님에 의해 자신들이 구속받았다는 것을 분명히 알아야 했고, 그리고 세상으로부터 어떤 경계선, 바운더리(경계)를 그을 필요가 있었기 때문입니다. 성벽이 완성되었을 때, 자신들이 하나님에 의해 거룩한 자가 되었다는 은혜가 눈에 보이는 형태로 다가왔습니다. 세상과 경계가 그어지고 구별되었다는 것을 분명하게 인식할 수 있었습니다. 거룩한 백성이란 하나님에 의해 구속받고 하나님의 소유가 되었다는 의미입니다. 하나님과 언약을 맺고 이제 하나님의 모든 법과 계명을 따라 사는 자로 삼으셨다는 것, 하나님을 예배하고 하나님께 받은 은혜에 대한 감사의 응답을 드리는 자로 살아가기로 마음먹은 자들입니다. 때로는 세상 사람들로부터 “안식일을 무시하고 더 즐겁고 편안한 것을 추구하자!” 라든지 “취미와 오락을 즐기면 좋지 않은가?”등으로 권유를 받을 때도 있었을 것입니다. 그러나 자신들이 하나님에 의해 창조되었다는 것, 그리고 예배는 우리 존재의 중심에 있고, 우리 존재 이유의 핵심이라는 마음가짐에서 결코 흔들리지 않고 세상의 가치관과 선을 그을 수 있었던 것입니다. 따라서 느헤미야가 하나님으로부터 지시받은 계보의 작성은 자신들, 이스라엘이 1차 귀환민들의 믿음을 계승하고 있다는 것을 보여주는 것이자, 앞으로 자신들이 물려받은 믿음을 다음 세대에 계승하도록 촉구하는 것이기도 했습니다. 이렇게 하나님께 받은 사명은 다음 세대로, 또 다음 세대로 이어져 가는 것입니다.

결론

오늘의 내용을 정리합니다. 성벽이 완성되고, 느헤미야는 이스라엘의 예배를 회복시키기 위해 예배 봉사자들을 임명했습니다. 특히 행정의 후계자로 하나님을 경외하고 하나님과 사람에게 충성된 두 사람을 행정관으로 세웠습니다. 느헤미야가 계보를 작성하고 1차 귀환민들의 이름을 기록함으로써 예배 회복의 역사가 75년 전 시작된 개척자들의 믿음에서 시작되었음을 다시 한 번 되새길 수 있었습니다. 개척자들의 예배 회복에 대한 열정과 믿음은 현재를 살아가는 우리들에게도 이어져 성벽의 완성은 바로 우리가 세상과 구별된 거룩한 백성이라는 것을 일깨워주는 것이었습니다. 그들의 예배자로서의 발걸음은 여기서부터 시작되는 것입니다. 이것은 우리도 마찬가지라고 생각합니다. 공동작업으로서의 예배가 회복될 때, 우리 예배자의 걸음은 시작됩니다. 인생에서 실패와 타락, 여러 가지 아픔을 겪어온 우리이지만, 하나님은 언제나 우리와 함께 하시며 오늘까지 우리를 인도해 주셨습니다. 그 속에서 우리가 깨달은 내용은 하나님은 우리 모두를 예배하기 위해 창조하셨다는 것, 그래서 우리는 하나님을 예배한다는 것입니다. 하나님의 사랑이 부어진 교회의 회원임을 자랑스럽게 여기며, 우리가 물려 받은 예배자로서의 믿음을 다음 세대에게 바톤 터치 해 가는 우리들이 되도록 합시다.

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