2025年02月23日「恐れを抱き面目を失う敵たち 두려움을 느끼고 크게 낙담한 적들」

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恐れを抱き面目を失う敵たち 두려움을 느끼고 크게 낙담한 적들

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
ネヘミヤ記 6章1節~19節

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聖句のアイコン聖書の言葉

6:1サンバラト、トビヤ、アラブ人ゲシェム、その他わたしたちの敵は、わたしが城壁を再建し、崩れた所が一つとして残らず、あとは城門に扉を付けるだけだということを耳にした。
6:2サンバラトとゲシェムはわたしのもとに使者をよこして、「オノの谷にあるケフィリムで会おう」と言った。彼らはわたしに危害を加えようとたくらんだのであった。
6:3そこでわたしは使者を送って言わせた。「わたしは大きな工事をしているので、行けません。中断して出かけたのでは、どうして工事が終わるでしょうか。」
6:4彼らは同じことを四度も言ってきたが、わたしも同じように返事を繰り返した。
6:5五度目にサンバラトは、配下の者を同じ言葉をもってわたしのもとによこしたが、その手には開封の手紙があった。
6:6そこには、こう書かれていた。「あなたとユダの人々は反逆を企てていると、諸国のうわさにもなっているし、ガシュムも言っている。城壁を建てているのはそのためであろう。あなたはユダの人々の王になろうとしているということだ。
6:7また、あなたはあなたのことを宣言する預言者をエルサレムに立てて、ユダの王だと言わせているそうだ。今このうわさは、王のもとに届こうとしている。早速相談しようではないか。」
6:8そこでわたしは返事を送った。「あなたの言うことは事実に反する。あなたの勝手な作り事だ。」
6:9彼らは皆、わたしたちの手が弱り、工事は完成しないだろうと言って、わたしたちに恐怖を与えている。神よ、今こそわたしの手を強くしてください。
6:10わたしが、メヘタブエルの孫でデラヤの子であるシェマヤの家に行くと、彼は閉じこもっていた。彼は言った。「神殿で会おう、聖所の中で。聖所の扉を閉じよう。あなたを殺しに来る者がある。夜、あなたを殺しにやって来る。」
6:11しかし、わたしは言った。「わたしの立場にある者は逃げることはできない。わたしのような者で、聖所に入って、なお生き長らえることのできる者があろうか。わたしは入らない。」
6:12彼は神が遣わした者ではなく、トビヤとサンバラトに買収されてわたしに預言したのだということをわたしは悟った。
6:13なぜ彼を買収したのか。それはわたしが恐怖心から彼らの言いなりになって罪を犯せば、彼らはそれを利用してわたしの悪口を言い、わたしを辱めることができるからである。
6:14わが神よ、トビヤとサンバラトのこの仕業と、わたしを脅迫した女預言者ノアドヤや他の預言者たちを覚えていてください。
6:15城壁は五十二日かかって、エルルの月の二十五日に完成した。
6:16わたしたちのすべての敵がそれを聞くに及んで、わたしたちの周囲にいる諸国の民も皆、恐れを抱き、自らの目に大いに面目を失った。わたしたちの神の助けによってこの工事がなされたのだということを悟ったからである。
6:17そのころ、ユダの貴族は頻繁にトビヤに手紙を送り、トビヤの手紙も彼らに届いていた。
6:18ユダの多くの人は彼と互いに誓約を交わす関係にあったからで、トビヤはアラの子シェカンヤの娘婿であり、トビヤの子ヨハナンはベレクヤの子メシュラムの娘をめとっていた。
6:19彼らはわたしの前ではトビヤへの賛辞を述べ、トビヤにはわたしの言葉を密告した。トビヤはわたしに脅迫の手紙をよこした。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ネヘミヤ記 6章1節~19節

原稿のアイコン日本語メッセージ

【序】

聖徒の交わりが回復され、教会が教会らしさを取り戻していく中で、城壁再建工事の完成も、あとは残すところ城門に扉を付けるだけとなりました。その知らせを聞いた敵たちは、これまでのユダの民全体に対し、嘲ったり、脅迫しながら、民全体の士気を低下させるという作戦から、リーダーであるネヘミヤ個人に照準を絞る作戦へと変更しました。個人攻撃を受けたネヘミヤは、本日の箇所でも私たちにキリスト者としての模範を示してくださいます。本日もネヘミヤ記を通して共に御言葉の恵みに与りたいと願います。

【1】. 毅然とした態度

初めにサンバラトとゲシェムによる策略が書かれています。彼らはネヘミヤに使者を遣わして、「オノの谷にあるケフィリムで会おう」と言いました。オノの谷のケフィリムという場所は、エルサレムから北西約45キロ地点にあったと考えられており、そこはユダの地ではなく、むしろ敵地でありました。ネヘミヤは賢明にも、すぐに、これは自分に危害を加えるための敵の策略であるということを察し、「わたしは大きな工事をしているので、行けません。工事をそっちのけにして、あなた方のところへ下って行ったために、工事が中断するようなことがあってよいものだろうか」と、断りの返事を使者に託しました。「大きな工事」とは、主から任せられた大事な働き、責任ある働きをしているという事なのでしょう。丁重にお断りしているのにも拘わらず、サンバラトとゲシェムは、同じことを三度ならず四度も繰り返し言ってきました。その度にネヘミヤは同じように断ったのですが、このしつこい脅迫じみた要求に、ネヘミヤは敵の殺意を感じたに違いありません。どれほど恐ろしかったことでしょうか。敵がネヘミヤの城壁再建工事をこれほどまでに嫌がっている背景には、以前、ネヘミヤがエルサレムに来る前まで、サマリアとエルサレムの関係が、サマリア人たちにとって好ましい状況にあったということが推測されます。その好ましい状況とは、何かと言いますと、かつてサマリア人がアルタクセルクセス王に虚偽の書簡を送り、帰還民による工事を中断させることによってもたらされた状況です。エズラ記4:11~16をご覧ください。当時、サマリア地方の総督レフムと、彼の同僚たちがアルタクセルクセス王に送った書簡の内容が書かれています。

“これが、彼らの書き送った書簡の写しである。「アルタクセルクセス王に、ユーフラテス西方の臣下一同より御報告します。王のもとからこちらに上って来たユダの者らがエルサレムに着き、反逆と悪意の都を再建していることをご存じでしょうか。彼らは既に城壁の工事を始め、基礎を修復しました。ご存じでしょうが、もしその都が再建され、城壁が完成しますと、彼らは年貢、関税、交通税を納めず、王に次々と損害を与えることになるに相違ありません。王室から俸給をいただく臣下として、王に対する非礼は見過ごすわけにはいかないので、事情をお知らせいたします。あなたの先祖の残された記録をお調べになれば、そこに出ているはずで、お分かりになることですが、この都は反逆の都で、歴代の王と諸州に損害を与えてきました。昔から反乱を繰り返し、そのためにこの都は破壊されたのです。この都が再建され、城壁が完成すれば、ユーフラテスの西方には、王の領土がなくなるということを、あらかじめお知らせします。」”

この虚偽の書簡によって、かつてアルタクセルクセス王から城壁工事の一時中断の命令を引き出したのであります。それ以来、ネヘミヤがやって来るまで、サンバラトとゲシェムたちにとって好ましい状況が続きました。サマリア人の信仰とは、主ヤハウェを信じると言いながら、同時に異教の神々にも仕える「混合宗教」であります。要するに、自分たちに都合の良い神様を自分たちで仕立てあげるという発想です。聖書にははっきりと書かれていないため、あくまで推測になりますが、そのような発想から生まれて来る宗教的・政治的要求というのは、例えば、安息日にも商売ができるよう規制緩和をしてほしいだったり、或いは神殿の中でも自由に荷物が往来できるようにしてほしい、要は、律法を無視し、世俗化の政策を掲げるように要求したということが容易に想像できるのであります。しかし、今や、ネヘミヤを通して城壁工事が間もなく完成しようとしています。焦ったサンバラトは、五度目にネヘミヤに使者を送る際に、一通の手紙を持たせました。その手紙には次のような内容が書かれていました。6~7節をご覧ください。

“そこには、こう書かれていた。「あなたとユダの人々は反逆を企てていると、諸国のうわさにもなっているし、ガシュムも言っている。城壁を建てているのはそのためであろう。あなたはユダの人々の王になろうとしているということだ。また、あなたはあなたのことを宣言する預言者をエルサレムに立てて、ユダの王だと言わせているそうだ。今このうわさは、王のもとに届こうとしている。早速相談しようではないか。」”

ガシュムとは、1節のアラブ人ゲシェムと同一人物と考えられています。この手紙は一見すると、サンバラトはネヘミヤについて、巷で噂になっている悪い情報を心配しているように見えます。その問題について、一緒に前向きに検討しようという風に聞こえてきます。しかし、その手紙が封印されておらず、誰でも手紙の内容を見ることができたという事を考えますと、実情は、ネヘミヤが王になろうとしている噂を広めている張本人がサンバラトであり、ネヘミヤを苦境に陥れようとする彼の思惑が透けて見えてくるのであります。ネヘミヤはここでも毅然とした態度でサンバラトに対応することが出来ました。「あなたの言うことは事実に反する。あなたの勝手な作り話だ。」と返事を送っています。敵の攻撃に対し、ひるむことなく、このようにネヘミヤが毅然として立ち続けることができた秘訣は一体何だったのでしょうか。それは恐らく、ネヘミヤが主と常に祈りによって交わりをしていたことに起因するのだと私は思います。9節をご覧ください。

“彼らは皆、わたしたちの手が弱り、工事は完成しないだろうと言って、わたしたちに恐怖を与えている。神よ、今こそわたしの手を強くしてください。”

敵たちは、世の権威、或いは常識、世論などを見方にし、ネヘミヤとユダの民を嘲り非難してきます。自分が世の人々からどのように見られているのか、とても気になりますし、人々の目に、身勝手な王や独裁者のように見えているとなると大変恐れ、不安になり、仕事が手につかなくなると思います。最近ではSNSによる誹謗中傷や、名誉棄損が問題になっていて、精神的にひどく追い込まれるというケースが見受けられます。しかしネヘミヤは、堅く立つことが出来ました。ネヘミヤは自分のしたいことをしている訳ではなく、主が御言葉を通して語ってくださった主の働きを行っている、そのことを確信していました。共におられる主に支えられて、恐れと不安を乗り越えて進んでいくことができたのだと思います。

【2】. 城壁の完成

敵の攻撃は依然として止むことがありませんでした。続いてシェマヤという預言者がネヘミヤに助言をしました。それは、いかにも神の託宣であるかのように、詩の形式で語られています。10節の後半です。

「神殿で会おう、聖所の中で。聖所の扉を閉じよう。あなたを殺しに来る者がある。夜、あなたを殺しにやって来る。」

神殿の祭壇の角は、イスラエルの民にとって神聖な場所と考えられ、唯一の避難所として迷信のように信じられていました (出21:14)。そのような迷信がありますので、預言者はネヘミヤの命を狙っている刺客から守るため、神殿の聖所に匿ってやると提案しています。この提案に対し、ネヘミヤはやはり毅然とした態度で答えました。11~13節をご覧ください。

“しかし、わたしは言った。「わたしの立場にある者は逃げることはできない。わたしのような者で、聖所に入って、なお生き長らえることのできる者があろうか。わたしは入らない。」彼は神が遣わした者ではなく、トビヤとサンバラトに買収されてわたしに預言したのだということをわたしは悟った。なぜ彼を買収したのか。それはわたしが恐怖心から彼らの言いなりになって罪を犯せば、彼らはそれを利用してわたしの悪口を言い、わたしを辱めることができるからである。”

預言者シェマヤの託宣のような預言に対し、ネヘミヤは神の大きな働きに従事している者として、大切な仕事に携わっているので、逃げることなど出来ない、ましてや、自分のような分際の者が、祭司しか入ることが許されていない聖所に入って、なお生きながらえることなどできるだろうかと答えています。自らの使命の重要性を認識しつつも、謙遜な態度を見せました。この時、シェマヤの言葉を聞いて、「なるほど自分は重要人物だから、こんな所で死ぬ訳にはいかない。自分が神殿の聖所に入るくらいの資格は、十分にあるだろう」という思いが誘惑として迫ってきたのだと思います。しかし、ネヘミヤはこれを敵の策略であることを見破りました。シェマヤの提案とは、冷静に考えるなら、神の御前に罪を犯すようにさせるものであったため、神が遣わした預言者ではなく、敵に買収された偽預言者であるということを悟ったのです。もし、ネヘミヤが罪を犯し、祭司でもない者が聖所に入ったという噂が広がれば、リーダーとしての民の信頼を失い、一気に求心力が弱められたことでしょう。このような揺さぶりや脅迫は、シェマヤだけでなく、様々な偽預言者を通してもなされたようです。ネヘミヤはそれこそ、メンタルがやられそうな状況の中で、なおも毅然として対応することができたのは、やはり祈りを通して主との交わりを欠かさなかったからだと思います。14節をご覧ください。

“わが神よ、トビヤとサンバラトのこの仕業と、わたしを脅迫した女預言者ノアドヤや他の預言者たちを覚えていてください。”

神に祈りを捧げる中で、ネヘミヤは知恵と分別と勇気が与えられました。そして、ネヘミヤは次のように信じることが出来ました。きっと主なる神が敵の卑劣な行動を一つ一つ覚えてくださり、それを公正に裁いてくださり、敵たちが主によって辱められる日が来るということをです。ついに城壁が完成した時に、そのことは起こりました。エルルの月の25日、エルルの月とは第六の月ですが、現代の8~9月に相当します。工事に着手してからわずか52日目に城壁は完成しました。その時、敵たちのうちに恐れが起こったと書かれています。敵たちでさえ、この奇跡的な工事が神の助けによるものであることを認めたのであります。16節をご覧ください。

“わたしたちのすべての敵がそれを聞くに及んで、わたしたちの周囲にいる諸国の民も皆、恐れを抱き、自らの目に大いに面目を失った。わたしたちの神の助けによってこの工事がなされたのだということを悟ったからである。”

御言葉を信じない頑なな人々に対し、主なる神がいかに全能であるお方であるのかが明らかにされ、イスラエルの民が、主ヤハウェの愛する民であることが明らかにされました。キリストの体である教会は究極的には勝利者とされます。たとえ、現在、不信者の人々が繁栄を誇っているように見えても、それは一時的であり、彼らは最後には面目を失い、恥を見ることになるのです。ヨハネの福音書16:33には次のような御言葉があります。ご覧ください。

“これらのことを話したのは、あなたがたがわたしによって平和を得るためである。あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。”

イエス・キリストの十字架と復活によって、罪と死の権勢に打ち勝ったことが啓示されました。イエス・キリストは世に打ち勝ち、サタンの働きを滅ぼすために世に来られました。サタンはイエス様を支配することはできず、イエス様は既にサタンが天から稲妻のように落ちてくるのを目にし(ルカ10:18)、サタンの武装を完全に解除いたしました(コロ2:15)。ですから、主と共にある教会、キリストの体である教会は、試練や苦難は確かにありますが、既に世に勝利しているのです。どんなに敵の脅迫や嫌がらせが激しく、メンタルがくじけそうになっても、安心してください。主が共におられるので、勝利は約束されています。私たちは敵の攻撃に対しネヘミヤのように毅然とした態度で臨むことができるのです。

【結論】

本日の内容をまとめます。城壁の完成が間近に迫ると、いよいよ敵の攻撃は激しくなりました。ネヘミヤ個人にまで及ぶ熾烈な攻撃を見てまいりました。主の働きに従事しているのに拘わらず、幾度となく妨害されて、心が折れそうになった時もあったと思います。考えてみれば、ペルシア王の献酌官として、そのままとどまっていた方が良かったのではないかという後悔も一瞬頭によぎったかもしれません。しかし、ネヘミヤは最後まで主から与えられた使命に堅く立ち、敵に毅然とした態度で臨むことが出来ました。それはネヘミヤが世に勝利された主といつも共にいたからです。私たちの主は、世に勝利されました。罪と死の権勢に勝利されました。ですから私たち教会に、勝利は約束されており、敵は必ず私たちの背後におられる主を認め、恐れを抱き、面目を失い、恥をみることになるのです。教会生活の営みの中で、相変わらず試練の中に置かれていたとしても、忍耐し、勝利の主が共におられることを信じ、日々の歩みを重ねていく私たちとならせていただきましょう。

原稿のアイコンハングル語メッセージ

두려움을 느끼고 크게 낙담한 적들

2025년 2월23일 센겐다이교회 주일설교 카와에 토모아키 목사

느헤미야 6장 1~19절

서론

성도의 교제가 회복되고 교회가 교회다움을 되찾아가는 가운데 성벽 재건 공사의 완성도 이제 성문에 문짝을 다는 일만 남았습니다. 이 소식을 들은 적들은 유다 백성 전체에 대한 조롱과 협박을 통해 백성 전체의 사기를 떨어뜨리는 전략에서 지도자인 느헤미야 개인을 겨냥하는 전략으로 변경했습니다. 개인적 공격을 받은 느헤미야는 오늘 본문에서도 우리에게 그리스도인으로서의 모범을 보여 주고 있습니다. 오늘도 느헤미야서를 통해 말씀의 은혜를 함께 누리는 시간이 되기를 소망합니다.

(1) 단호한 태도

첫머리에 산발랏과 게셈의 계략이 기록되어 있습니다. 그들은 느헤미야에게 사람을 보내어

「우리가 오노 평지 한 촌에서 서로 만나자」라고 했습니다. 오노 평지 한 촌은 예루살렘에서 북서쪽으로 약 45km 떨어진 곳으로, 유다의 땅이 아니라 오히려 적의 땅이었습니다. 느헤미야는 현명하게도 이것이 자신을 해치려는 적의 계략임을 금방 알아차리고,「내가 이제 큰 역사를 하니 내려가지 못하겠노라 어찌하여 역사를 중지하게 하고 너희에게로 내려가겠느냐」고 거절의 대답을 보냈습니다. 「큰 역사」란 하나님이 맡기신 중요한 일, 책임감 있는 일을 하고 있다는 뜻일 것이다. 정중히 거절했음에도 불구하고 산발랏과 게셈은 세 번이 아니라 네 번이나 같은 말을 반복했습니다. 그 때마다 느헤미야는 똑같이 거절했지만, 이 끈질긴 협박성 요구에 느헤미야는 적의 살의를 느꼈을 것입니다. 얼마나 두려웠을까요? 적들이 느헤미야의 성벽 재건 공사를 이토록 싫어하는 배경에는, 이전에 느헤미야가 예루살렘에 오기 전까지는 사마리아와 예루살렘의 관계가 사마리아인들에게 유리한 상황이었다는 것을 짐작할 수 있습니다. 그 유리한 상황이란, 사마리아인들이 예전에 아닥사스다 왕에게 거짓 편지를 보내 귀환민들의 공사를 중단시킴으로써 초래된 상황입니다. 에스라기 4:11~16절을 참고하시기 바랍니다. 당시 사마리아 지방 총독 르훔과 그의 동료들이 아닥사스다 왕에게 보낸 편지의 내용의 기록되어 있습니다.

11 아닥사스다 왕에게 올린 그 글의 초본은 이러하니 강 건너편에 있는 신하들은

12 왕에게 아뢰나이다 당신에게서 우리에게로 올라온 유다 사람들이 예루살렘에 이르러 이 패역하고 악한 성읍을 건축하는데 이미 그 기초를 수축하고 성곽을 건축하오니

13 이제 왕은 아시옵소서 만일 이 성읍을 건축하고 그 성곽을 완성하면 저 무리가 다시는 조공과 관세와 통행세를 바치지 아니하리니 결국 왕들에게 손해가 되리이다

14 우리가 이제 왕궁의 소금을 먹으므로 왕이 수치 당함을 차마 보지 못하여 사람을 보내어 왕에게 아뢰오니

15 왕은 조상들의 사기를 살펴보시면 그 사기에서 이 성읍은 패역한 성읍이라 예로부터 그 중에서 항상 반역하는 일을 행하여 왕들과 각 도에 손해가 된 것을 보시고 아실지라 이 성읍이 무너짐도 이 때문이니이다

16 이제 감히 왕에게 아뢰오니 이 성읍이 중건되어 성곽이 중건되면 이로 말미암아 왕의 강 건너편 영지가 없어지리이다 하였더라

이 거짓 편지를 통해 예전에, 아닥사스다 왕으로부터 성벽 공사를 중단하라는 명령을 이끌어 냈습니다. 이후 느헤미야가 올 때까지 산발랏과 게셈에게 유리한 상황이 계속되었습니다. 사마리아인들의 신앙은 주 여호와를 믿는다고 하면서 동시에 이교도 신들을 섬기는 「혼합종교」입니다. 요컨대, 자신들에게 유리한 신을 자신들이 만들어서 섬긴다는 발상입니다. 성경에는 명확하게 기록되어 있지 않아 추측에 불과하지만, 그런 생각에서 비롯된 종교적, 정치적 요구는 예를 들어 안식일에도 장사를 할 수 있도록 규제를 완화해 달라거나, 혹은 성전 안에서도 자유롭게 짐을 들고 다닐 수 있게 해달라거나, 요컨대 율법을 무시하고 세속화 정책을 펼치라고 요구했다는 것을 쉽게 상상할 수 있습니다. 그러나 이제 느헤미야를 통해 성벽 공사가 곧 완공될 예정이었습니다. 다급해진 산발랏은 다섯 번째로 느헤미야에게 사람을 보낼 때 한 통의 편지를 가지고 가게 합니다. 그 편지에는 다음과 같은 내용이 적혀 있었습니다. 6~7절을 보시겠습니다.

6 그 글에 이르기를 이방 중에도 소문이 있고 가스무도 말하기를 너와 유다 사람들이 모반하려 하여 성벽을 건축한다 하나니 네가 그 말과 같이 왕이 되려 하는도다

7 또 네가 선지자를 세워 예루살렘에서 너를 들어 선전하기를 유다에 왕이 있다 하게 하였으니 지금 이 말이 왕에게 들릴지라 그런즉 너는 이제 오라 함께 의논하자 하였기로

가스무는 1절에 나오는 아라비아 사람 게셈과 동일 인물로 여겨집니다. 이 편지는 언뜻 보면 산발랏이 느헤미야에 대한 소문으로 떠도는 나쁜 정보를 걱정하고 있는 것처럼 보입니다. 그 문제에 대해 함께 긍정적으로 검토해 보자는 식으로 들립니다. 하지만 그 편지가 봉인되지 않아 누구나 편지 내용을 볼 수 있었다는 점을 고려하면, 사실은 느헤미야가 왕이 되려고 한다는 소문을 퍼뜨리는 장본인이 바로 산발랏이며, 느헤미야를 곤경에 빠뜨리려는 그의 의도가 엿보입니다. 느헤미야는 여기서도 단호한 태도로 산발랏에게 대응합니다.「네가 말한 바 이런 일은 없는 일이요 네 마음에서 지어낸 것이라」라고 답장을 보냅니다. 적의 공격에도 굴하지 않고 이렇게 느헤미야가 의연하게 버틸 수 있었던 비결은 무엇이었을까요? 그것은 아마도 느헤미야가 주님과 늘 기도로 교제하고 있었기 때문이라고 생각합니다. 9절을 보시기 바랍니다.

이는 그들이 다 우리를 두렵게 하고자 하여 말하기를 그들의 손이 피곤하여 역사를 중지하고 이루지 못하리라 함이라 이제 내 손을 힘있게 하옵소서 하였노라

적들은 세상의 권위, 혹은 상식, 여론 등을 내세워 느헤미야와 유다 백성들을 조롱하고 비난합니다. 자신이 세상 사람들에게 어떻게 비춰지는지 매우 신경이 쓰이고, 사람들 눈에 이기적인 왕이나 독재자처럼 비춰진다면 매우 두렵고 불안해서 일이 손에 잡히지 않을 것 같습니다. 요즘은 SNS로 인한 비방이나 명예훼손이 문제가 되어 정신적으로 힘들어하는 경우를 많이 볼 수 있습니다. 하지만 느헤미야는 꿋꿋하게 버틸 수 있었습니다. 느헤미야는 자신이 하고 싶은 일을 하는 것이 아니라, 주님께서 말씀을 통해 말씀하신 주님의 일을 하고 있다는 것을 확신했습니다. 함께 하시는 주님의 도우심으로 두려움과 불안을 극복하고 나아갈 수 있었던 것 같습니다.

(2) 성벽의 완성

적의 공격은 여전히 멈추지 않았습니다. 이어 스마야라는 선지자가 느헤미야에게 충고합니다. 그것은 마치 하나님의 계시를 받은 것처럼 시 형식으로 되어 있는데, 10절 후반부를 보시기 바랍니다.

.. 그들이 너를 죽이러 올 터이니 우리가 하나님의 전으로 가서 외소 안에 머물고 그 문을 닫자 저들이 반드시 밤에 와서 너를 죽이리라

성전의 제단의 뿔은 이스라엘 백성에게 있어 신성한 장소로 여겨졌고, 유일한 피난처로 미신처럼 믿어졌습니다(출21:13). 그런 미신이 있었기에 선지자 스마야는 느헤미야의 목숨을 노리는 자객으로부터 보호하기 위해, 성전 외소에 숨겨주겠다고 제안합니다. 이 제안에 대해 느헤미야는 역시 단호한 태도로 대답합니다. 11~13절을 보시기 바랍니다.

11 내가 이르기를 나 같은 자가 어찌 도망하며 나 같은 몸이면 누가 외소에 들어가서 생명을 보존하겠느냐 나는 들어가지 않겠노라 하고

12 깨달은즉 그는 하나님께서 보내신 바가 아니라 도비야와 산발랏에게 뇌물을 받고 내게 이런 예언을 함이라

13 그들이 뇌물을 준 까닭은 나를 두렵게 하고 이렇게 함으로 범죄하게 하고 악한 말을 지어 나를 비방하려 함이었느니라

선지자 스마야의 신탁과 같은 예언에 대해, 느헤미야는「나 같은 자가 어찌 도망하며 나 같은 몸이면 누가 외소에 들어가서 생명을 보존하겠느냐」라고 대답합니다. 자신의 사명의 중요성을 인식하면서도 겸손한 태도를 보였습니다. 이때 스마야의 말을 듣고 「그래, 내가 중요한 인물인데 이런 곳에서 죽을 수는 없지 않은가. 내가 성전 외소에 들어갈 자격은 충분하겠지」라는 생각이 유혹으로 다가왔을 것입니다. 그러나 느헤미야는 이것이 적의 계략임을 간파했습니다. 스마야의 제안은, 냉정하게 생각해보면 하나님 앞에 죄를 짓게 하는 것이었기에 하나님이 보내신 선지자가 아니라 원수에게 매수된 거짓 선지자임을 깨달은 것입니다. 만약 느헤미야가 죄를 짓고 제사장이 아닌 자가 외소에 들어갔다는 소문이 퍼지면 지도자로서 백성들의 신뢰를 잃어 구심력이 단숨에 약화되었을 것입니다. 이런 흔들기와 협박은 스마야뿐만 아니라 여러 거짓 선지자들을 통해서도 이루어졌던 것 같습니다. 느헤미야가 그야말로 멘탈이 흔들리는 상황 속에서도 꿋꿋하게 대처할 수 있었던 것은 역시 기도를 통해 주님과의 교제를 놓치지 않았기 때문이라고 생각합니다. 14절을 보시기 바랍니다.

내 하나님이여 도비야와 산발랏과 여선지 노아댜와 그 남은 선지자들 곧 나를 두렵게 하고자 한 자들의 소행을 기억하옵소서 하였노라

하나님께 기도하는 가운데, 느헤미야는 지혜와 분별력과 용기를 얻었습니다. 그리고 느헤미야는 다음과 같이 믿을 수 있었습니다. 분명 주 하나님께서 적들의 비열한 행동을 하나하나 기억하시고 공정하게 심판하실 것이며, 적들이 주님께 치욕을 당할 날이 올 것이라는 것을 말입니다. 마침내 성벽이 완성되었을 때 그 일은 일어났습니다. 엘룰월 이십오일, 엘룰월이란, 여섯 번째 달로 현대의 8~9월에 해당합니다. 공사를 시작한 지 불과 52일 만에 성벽이 완성되었습니다. 그때 적들 사이에 두려움이 일어났다고 기록되어 있습니다. 원수들조차도 이 기적적인 공사가 하나님의 도우심에 의한 것임을 인정한 것입니다. 16절을 보시겠습니다.

우리의 모든 대적과 주위에 있는 이방 족속들이 이를 듣고 다 두려워하여 크게 낙담하였으니 그들이 우리 하나님께서 이 역사를 이루신 것을 앎이니라

말씀을 믿지 않는 완고한 사람들에게, 주 하나님이 얼마나 전능하신 분이신지 드러났고, 이스라엘 백성이 주 여호와의 사랑하는 백성이라는 것이 드러났습니다. 그리스도의 몸인, 교회는 궁극적으로 승리자가 될 것입니다. 비록 현재 불신자들이 번영을 누리는 것처럼 보일지라도 그것은 일시적인 것이며, 결국에는 체면을 잃고 부끄러움을 당하게 될 것입니다. 요한복음 16:33에는 다음과 같은 말씀이 있습니다. 보시겠습니다.

이것을 너희에게 이르는 것은 너희로 내 안에서 평안을 누리게 하려 함이라 세상에서는 너희가 환난을 당하나 담대하라 내가 세상을 이기었노라

예수 그리스도의 십자가와 부활로 죄와 사망의 권세를 이기셨다는 것이 계시되었습니다. 예수 그리스도는 세상을 이기시고 사탄의 역사를 멸하기 위해 세상에 오셨습니다. 사탄은 예수님을 지배할 수 없으며, 예수님은 이미 사탄이 하늘로부터 번개같이 떨어지는 것을 보시고(누가복음 10:18) 사탄의 무장을 완전히 해제하셨습니다(골로새서 2:15). 그러므로 주님과 함께 있는 교회, 그리스도의 몸인 교회는 시련과 고난은 분명 있지만 이미 세상을 이긴 것입니다. 아무리 원수의 협박과 괴롭힘이 심해져, 멘탈이 무너질 것 같아도 안심하시기 바랍니다. 주님이 함게 하시기에 승리는 약속되어 있습니다. 우리는 적의 공격에 대해 느헤미야처럼 단호한 태도로 맞설 수 있습니다.

결론

오늘의 내용을 정리해 보겠습니다. 성벽의 완성이 가까워지자 드디어 적의 공격이 거세졌습니다. 느헤미야 개인에 대한 공격도 치열하게 전개되는 것을 보아왔습니다. 주님의 사역에 종사하고 있음에도 불구하고 수차례 방해를 받아 마음이 꺽일 뻔한 적도 있었을 것입니다. 생각해보면, 페르시아 왕의 술 맡은 관원으로서 그대로 머물러 있었으면 좋았을 것이라는 후회도 잠시 스쳐 지나갔을지도 모릅니다. 하지만 끝까지 주님이 주신 사명에 굳건히 서서 적에게 단호한 태도로 임할 수 있었습니다. 그것은 느헤미야가 세상을 이기신 주님과 늘 함께 있었기 때문입니다. 우리 주님은 세상을 이기셨습니다. 죄와 사망의 권세를 이기셨습니다. 그러므로 우리 교회에 승리가 약속되어 있고, 원수는 반드시 우리 뒤에 걔신 주님을 인정하고 두려워하며, 면목을 잃고, 수치를 당하게 될 것입니다. 교회 생활을 하면서, 여전히 시련 가운데 놓여 있더라도 인내하며, 승리의 주님이 함께 하심을 믿고 하루하루를 살아가는 우리 모두가 되도록 합시다.

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