2025年02月02日「皆で修復した城壁 모두 함께 재건한 성벽」

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皆で修復した城壁 모두 함께 재건한 성벽

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
ネヘミヤ記 3章1節~32節

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聖句のアイコン聖書の言葉

3:1大祭司エルヤシブは、仲間の祭司と共に羊の門の建築に取りかかり、それを奉献し、扉を付けた。次いでハンメアの塔まで、更にハナンエルの塔まで奉献した。
3:2その傍らにはエリコの住民が一方に、イムリの子ザクルが他方にいて建築に携わった。
3:3魚の門を築き上げたのはハセナアの子らである。彼らはそれを組み立て、扉と金具とかんぬきを付けた。
3:4彼らの傍らではハコツの孫でウリヤの子であるメレモトが補強に当たり、またその傍らではメシェザブエルの孫でベレクヤの子であるメシュラムが補強に当たり、その傍らではバアナの子ツァドクが補強に当たり、
3:5更にその傍らではテコアの人々が補強に当たった。しかし、その貴族たちは彼らの指導者たちの作業に服そうとしなかった。
3:6古い門を補強したのは、パセアの子ヨヤダとベソデヤの子メシュラムである。彼らはそれを組み立て、扉と金具とかんぬきを付けた。
3:7彼らの傍らでは、ギブオン生まれのメラトヤ、メロノト生まれのヤドン、そしてギブオンとミツパの男子たちが補強に当たった。この二つの町はユーフラテス西方の長官の管轄下にあった。
3:8またその傍らでは鋳物師ハルハヤの子ウジエルが補強に当たり、その傍らでは香料調合師のハナンヤが補強に当たった。彼らは広壁までエルサレムを修復した。
3:9また彼らの傍らではエルサレムの半地区の区長フルの子レファヤが補強に当たり、
3:10また彼らの傍らではハルマフの子エダヤが補強に当たったが、それは自分の家の前であった。その傍らではハシャブネヤの子ハトシュが補強に当たり、
3:11ハリムの子マルキヤとパハト・モアブの子ハシュブは第二の部分を炉の塔も含めて補強した。
3:12その傍らでは、エルサレムの他の半地区の区長ハロヘシュの子シャルムが、その娘たちと共に補強に当たった。
3:13谷の門を補強したのはハヌン、それにザノアの住民である。彼らはそれを築き上げ、扉と金具とかんぬきを付けた。それに糞の門まで千アンマにわたって城壁を補強した。
3:14糞の門を補強したのはベト・ケレム地区の区長レカブの子マルキヤである。彼はそれを築き上げ、扉と金具とかんぬきを付けた。
3:15泉の門を補強したのはミツパ地区の区長コル・ホゼの子シャルンである。彼はそれを築き上げ、屋根を付け、扉と金具とかんぬきを付けた。また王の庭園にあるシェラの池の壁を、ダビデの町から下ってくる階段まで補強した。
3:16続いて、ベト・ツル半地区の区長アズブクの子ネヘムヤはダビデの墓地の前まで、次いで貯水池まで、更に兵舎まで補強した。
3:17続いて、レビ人が補強に当たり、バニの子レフムの傍らではケイラ半地区の区長ハシャブヤが、自分の区域で補強に当たった。
3:18続いて、彼らの兄弟が補強に当たり、ケイラの他の半地区の区長ヘナダドの子バワイ
3:19の傍らでは、ミツパの長イエシュアの子エゼルが第二の部分を、城壁の角の武器庫の上り道の前で補強した。
3:20続いて、ザバイの子バルクが第二の部分を城壁の角から大祭司エルヤシブの家の入り口まで熱心に補強した。
3:21続いて、ハコツの孫でウリヤの子であるメレモトが第二の部分をエルヤシブの家の入り口からその家の端まで補強した。
3:22続いて、盆地の男子である祭司たちが補強に当たり、
3:23続いて、ビンヤミンとハシュブが自分の家の前を補強した。続いて、アナネヤの孫でマアセヤの子であるアザルヤが自分の家のそばを補強し、
3:24続いて、ヘナダドの子ビヌイが第二の部分をアザルヤの家から城壁の角まで、および城壁の突端まで補強した。
3:25ウザイの子パラルは、城壁の角の前と、上の王宮から出ていて警護の庭のそばにある塔を補強した。続いて、パルオシュの子ペダヤは、
3:26オフェルには神殿の使用人が住んでいたのだが、東の水の門の前までその突き出た塔も含めて補強に当たり、
3:27続いて、テコアの人々が第二の部分をその突き出た大きな塔の前からオフェルの城壁まで補強した。
3:28馬の門の上からは、祭司たちがそれぞれ自分の家の前を補強し、
3:29続いて、イメルの子ツァドクが自分の家の前を補強した。続いて、東の門の守衛シェカンヤの子シェマヤが補強し、
3:30続いて、シェレムヤの子ハナンヤとツァラフの六男ハヌンが第二の部分を補強した。続いて、ベレクヤの子メシュラムが自分の収納庫の前を補強し、
3:31続いて、鋳物師マルキヤがミフカドの門の前にある神殿の使用人と商人の家まで、また城壁の突端の階上まで補強した。
3:32城壁の突端の階上から羊の門までの間は、鋳物師と商人が補強した。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ネヘミヤ記 3章1節~32節

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【序】

神の良き御手が置かれているというネヘミヤの呼びかけに、イスラエルの民は一丸となって反応しました。ネヘミヤ記2:18の「立ち上がって、再建しよう!」この民の掛け声が、実際に本日の3章において展開されていきます。3章の冒頭を見ると「建築に取りかかった」と書かれていますが、この「取りかかった」という箇所の、ヘブライ語には、「クムקוּם」という言葉が使用されています。「クム」とは「起きなさい」、「立ち上がりなさい」という意味です。福音書の中でイエス様が「タリタ・クム」(少女よ、起きなさい)と言われたことが思い出されます。従いましてネヘミヤ記3章の冒頭は、直訳しますと「立ち上がって、建築を始めた」となっている訳です。イスラエルの民の息遣いを感じ取れるような、とても勢いのある描写です。様々な立場の人々が、それぞれ置かれている状況が異なるにも拘わらず、神様の召しに応答し、立ち上がって献身していく姿が、本日の3章に書かれているのです。3:1~2をご覧ください。

【1】. 二か所の修復の参与

“大祭司エルヤシブは、仲間の祭司と共に羊の門の建築に取りかかり、それを奉献し、扉を付けた。次いでハンメアの塔まで、更にハナンエルの塔まで奉献した。その傍らにはエリコの住民が一方に、イムリの子ザクルが他方にいて建築に携わった。”

最初に「羊の門」が出てまいります。週報の地図をご覧ください。あくまで一つの仮説ですが、最近の考古学の発掘調査を手掛かりに再現したものであります。上の方にある羊の門を確認できますでしょうか。神殿の丘の北側にある、この羊の門を起点にして、反時計回りに説明がなされて行きます。紺色の番号が振ってあるのは、3章の節に対応していますので参考にしてください。「羊の門」は、生贄のための羊を出入りさせるため門でありました。ですから、この場所は、日々の祭事に携わる祭司たちが特に関心を持っていたと考えられます。そのため、羊の門の修復には大祭司と仲間の祭司たちが参与したということなのでしょう。しかしもっと深く考えるなら、羊の門とは子羊を連れて来る門でありました。そこを大祭司が修復する、つまり、彼らは、まず第一に、崩れた礼拝を立て直している、礼拝を回復させているとも解釈することができるのです。そして「奉献した」という言葉がありますが、聖書協会共同訳聖書では「聖別した」という翻訳に改訂されています。城壁を聖別するとはどういうことでしょうか。城壁そのものを神ご自身のものとして区別する、神ご自身の所有とするという意味です。城壁も神の神殿として、神殿の一部として見做していることが分かります。「聖別した」という言葉にも、礼拝を立て直すという思いが込められているのではないでしょうか。私たち一人ひとりも祭司であり、礼拝者であります。主日礼拝を第一に優先し、この日を聖別し、私たちの日々の生活を、礼拝から立て直す者として、神様の御前に立つ者とならせていただきましょう。続いて3~4節をご覧ください。

“魚の門を築き上げたのはハセナアの子らである。彼らはそれを組み立て、扉と金具とかんぬきを付けた。彼らの傍らではハコツの孫でウリヤの子であるメレモトが補強に当たり、またその傍らではメシェザブエルの孫でベレクヤの子であるメシュラムが補強に当たり、その傍らではバアナの子ツァドクが補強に当たり、”

ここでは、ハコツの子孫でウリヤの子であるメレモトに注目してください。後で再びメレモトという名前が出てきます。つまり彼は二か所の修復に参与したということです。メレモトは祭司でありますが、ハコツ家とは、元来祭司の血統を証明できなかったために祭司職を剥奪された家系でありました。そのことがエズラ記2:61~62に書かれてありますので調べてみましょう。

“また祭司の一族のうち、ホバヤの一族、ハコツの一族、ギレアド人バルジライの娘の一人をめとったので、その名が由来するバルジライの一族は、自分たちの家系の記録を捜したが発見できず、祭司職に就くことを禁じられた。”

このように一度は祭司職を剥奪されたハコツ家でありますが、その後、復職することが叶ったようです。エズラがバビロンから運んできた財宝を神殿に納める時に、メレモトがその量をきちんと量って記帳したということがエズラ記8:33~34に書かれていました。このような背景を持つメレモトは、自分のように全く相応しくない者にも拘わらず、神様がこの祭司としての働きに召してくださった。その思いを、日々心に刻み付けていたに違いありません。神様の恵みに人一倍感謝し、へりくだって歩んでいたのです。その人一倍の感謝が、人一倍の献身へと結ばれていったのでしょう。

5節を見ますと、気になる言葉が出てきます。エルサレムの南に位置するテコアの人々のうち、貴族たちがネヘミヤのリーダーシップに服そうとしなかったと言うのです。彼らは天の嗣業に与ることが出来ないかわいそうな人たちと言えるでしょう。しかし、テコアの一般の人々はネヘミヤの呼びかけに応答しました。そして実はテコアの一般の人々も後で再び名前が出てきます。彼らもメレモトのように二か所の修復に参与し、大きな献身をしたのであります。

【2】. 皆で修復した城壁

続いて6節以降には「古い門」から「広壁」までの修復について書かれています。6~8節までご覧ください。

“古い門を補強したのは、パセアの子ヨヤダとベソデヤの子メシュラムである。彼らはそれを組み立て、扉と金具とかんぬきを付けた。彼らの傍らでは、ギブオン生まれのメラトヤ、メロノト生まれのヤドン、そしてギブオンとミツパの男子たちが補強に当たった。この二つの町はユーフラテス西方の長官の管轄下にあった。またその傍らでは鋳物師ハルハヤの子ウジエルが補強に当たり、その傍らでは香料調合師のハナンヤが補強に当たった。彼らは広壁までエルサレムを修復した。”

古い門(聖書によってはエシャナの門)の修復には、エルサレムの北に位置するギブオンとミツパの人々が参与しました。ギブオンとミツパはユーフラテス西側の管轄地の人々だったとありますので、恐らく、捕囚から帰ってきたユダヤ人ではなく、エルサレム近隣の居住民が城壁の再建に協力したと考えられます。このことから私たちが適用できるのは、教会が建て上げられる時、決してこの世の人々を排除するのではなく、世の全ての人々が礼拝に招かれていて、教会は常に世に対し開かれているということをもう一度確認することができるのではないでしょうか。私たちは礼拝に新しく来られた新来会者に常に意識を向けながら、親切に対応するように心がけたいと思わされます。

次に「鋳物師」と「香料調合師」という言葉に注目してください。鋳物師とは、神殿の金細工の装飾を任せられた職人であると考えられます。香料調合師とは、礼拝で用いられる香料を調合する職人であると考えられます。古い門と広壁の付近に、職人たちが組合を形成する区域が形成されていたのでしょう。そして、11節にでてくる「炉の塔」とは、パンを焼くのに使われた建造物であると考えられています。炉の塔がある場所は製パン業者の区域だったということです。続いて12節をご覧ください。

“その傍らでは、エルサレムの他の半地区の区長ハロヘシュの子シャルムが、その娘たちと共に補強に当たった。”

ここには、驚くべき事柄が書かれています。それは、シャルムの娘たちが家族ぐるみで修復に当たっている姿が描写されていることです。私の家族にもご存じのように娘が一人いますが、シャルムの家族の姿に大変、勇気と励ましを受けました。私たち家族も、神の宮を建て上げるため、娘も含めて家族一丸となって邁進していきたいとチャレンジを与えられました。続いて13~14節をご覧ください。

“谷の門を補強したのはハヌン、それにザノアの住民である。彼らはそれを築き上げ、扉と金具とかんぬきを付けた。それに糞の門まで千アンマにわたって城壁を補強した。糞の門を補強したのはベト・ケレム地区の区長レカブの子マルキヤである。彼はそれを築き上げ、扉と金具とかんぬきを付けた。”

「谷の門」を修復した人々の町ザノアは、エルサレムの西に位置しています。谷の門から糞の門までの長い距離は千アンマと書かれていて、約500ヤード(457メートル)ほどの距離です。恐らくこの場所は、それほど破損がひどくなかったため、長い距離を担当することができたのでしょう。「糞の門」をぐるりと回って「泉の門」へと続いて行きます。「糞の門」とは、ゴミ捨て場であるヒノムの谷に出るための門でありました。余談ですが、ヒノムの谷とはヘブライ語で「ゲヒンノム」と言います。「地獄」と訳されている「ゲヘナΓέεννα」という言葉は、実はこのゴミ捨て場であるゲヒンノムに由来しています。地獄とはゴミ捨て場のように煙が立ちのぼり、燃える火のように熱い場所であるということです。続いて15~16節をご覧ください。

“泉の門を補強したのはミツパ地区の区長コル・ホゼの子シャルンである。彼はそれを築き上げ、屋根を付け、扉と金具とかんぬきを付けた。また王の庭園にあるシェラの池の壁を、ダビデの町から下ってくる階段まで補強した。続いて、ベト・ツル半地区の区長アズブクの子ネヘムヤはダビデの墓地の前まで、次いで貯水池まで、更に兵舎まで補強した。”

王の庭園にあるシャラの池とは、シロアムの池のことを指しています。福音書でイエス様が生まれつき目の不自由な人を癒した時、このシロアムの池の水で洗うように命じられました(ヨハ9:7)。また、「ダビデの町から下ってくる階段」とは、地図をご覧くださればと思いますが、泉の門へ下っていく階段のことを指しています。「貯水池」とは、王の池のことで、兵舎とは、階段の上にある兵士たちの家を指しています。東側の壁は、基本的にレビ人が修復に当たりました。東側は傾斜が非常に急であったため、城壁の破損が予想以上にひどかったようです。そのため、ある資料によれば既存の壁をそのまま修復するのではなく、少し内側へ入り込ませて修復したと書かれていました。20~21節をご覧ください。

“続いて、ザバイの子バルクが第二の部分を城壁の角から大祭司エルヤシブの家の入り口まで熱心に補強した。続いて、ハコツの孫でウリヤの子であるメレモトが第二の部分をエルヤシブの家の入り口からその家の端まで補強した。”

ここには「熱心に」補強したとあります。なぜかここにだけに「熱心に」という修飾語が付けられたのでしょうか。その理由は、恐らくこの東側の壁の修復がとりわけ大変だったということなのかもしれません。また、ウリヤの子メレモトの名前が再び登場しています。メレモトは人より二倍の働きに、喜んで参与したということです。続いて26~27節をご覧ください。

“続いて、パルオシュの子ペダヤは、オフェルには神殿の使用人が住んでいたのだが、東の水の門の前までその突き出た塔も含めて補強に当たり、続いて、テコアの人々が第二の部分をその突き出た大きな塔の前からオフェルの城壁まで補強した。”

オフェルとは、神殿の丘の南に面した傾斜地のことです。この傾斜地には神殿の使用人の家がありました。オフェルの城壁の修復のために、テコアの一般の人々がここで再び登場します。彼らはメレモトのように二倍の働きに喜んで参与したということです。神様はそのような奉仕を決して忘れることはありません。その奉仕を一つ残らず覚えておられ、その報いが必ず与えられることになるのです。30~31節をご覧ください。

“続いて、シェレムヤの子ハナンヤとツァラフの六男ハヌンが第二の部分を補強した。続いて、ベレクヤの子メシュラムが自分の収納庫の前を補強し、続いて、鋳物師マルキヤがミフカドの門の前にある神殿の使用人と商人の家まで、また城壁の突端の階上まで補強した。”

馬の門の上からは、再び祭司たちが修復に参与しました。自分たちの家の前の壁だったからです。最後に城壁の突端の階上から羊の門までの間は、鋳物師と商人が修復いたしました。これは、神殿に行き交いする人々の便宜をはかるための市場がこの場所に形成されていたため、商人と鋳物師が修復したと考えられます。このようにしてスタート地点の羊の門に戻ってくることが出来ました。全体的に見ますと、ネヘミヤは、仕事も、政治的立場も、それぞれの居住地も、年齢も全く異なる様々のグループに、城壁の修復工事を割り振ったということが見えてきます。すなわち、ある場所は職場の同僚たちに工事を任せ、ある場所は、町ごとの自治体に工事を任せ、ある場所は家族単位で工事を任せ、ある場所は商人や小売業者たちに工事を任せ、そして、ある場所は礼拝に直接関わる聖職者たちに工事を任せながら、全体を組織化することに成功しました。従いまして、ネヘミヤの優れたリーダーシップが非常に際立って見えてくるのであります。しかし、いくらネヘミヤの指導力が優れていたからと言っても、それだけでは、この3章を説明するのは難しいでしょう。ネヘミヤの指導力と共に、神の御霊の招きに応答した、人々の喜びに満ちた修復作業への参与と、そしてそのための献身が、この城壁再建事業を成し遂げたのだと私は思います。神の恵みに応答した人々によって、喜びの内に、主の働きが今日もなされていくということを覚えたいと思います。

【結論】

3章全体を通して、城壁の修復に参与した人々の名簿を見てきました。彼らはネヘミヤの呼びかけに応答し、聖霊の声に応答した人々であります。再建された城壁は多少縮小されたものでありました。しかし神様はそれをご覧になって大変喜ばれたと思います。かつて、モーセが幕屋を建設した時も、或いはソロモンが第一神殿を建設した時も、それに参与した人々の名前が細かく記述されるということはありませんでした。ですから、今回、このように城壁修復に参与した人々の名前が逐一聖書に記述されていることは、異例中の異例であります。これは、まさにネヘミヤの呼びかけを通して、神の招きの言葉を聞き、神の恵みに応答した人々の物語であると言えるのではないでしょうか。礼拝を立て直すために、倒れたダビデの幕屋を回復するために、御霊の御声を聞いて、喜んで主に献身した人々の物語がここに記されているのであります。私たちも、御霊の御声を聞く民であります。立ち上がって、主日礼拝を何より聖別し、最優先し、生活の中で神様への礼拝を立て直す働きに参与していきましょう。そして神様から頂いた恵みに、感謝と喜びを持って献身する民として、歩ませていただきましょう。

原稿のアイコンハングル語メッセージ

모두 함께 재건한 성벽

2025년 2월2일 센겐다이교회 주일설교 카와에 토모아키 목사

느헤미야 3장 1~32절

서론

하나님의 선한 손이 임했다는 느헤미야의 부름에 이스라엘 백성들은 한마음 한뜻으로 반응했습니다. 느헤미야 2:18의「일어나 건축하자!」라는 이 백성들의 외침이 실제로 오늘 3장에서 전개됩니다, 3장 서두를 보면 「일어나.. 건축하여」라고 기록되어 있는데, 이 「일어나.. 건축하여」라는 구절의 히브리어에는 「쿰קוּם」이라는 단어가 사용되어 있습니다.「쿰」은 「일어나라」,「서라」라는 뜻입니다. 복음서에서 예수님께서 「달리다・쿰(소녀야 일어나라)」라고 말씀하신 것이 생각납니다. 따라서 느헤미야 3장의 서두는 직역하면 「일어나서 건축을 시작하다」라는 뜻입니다. 이스라엘 백성들의 숨결을 느낄 수 있는 매우 힘찬 묘사입니다. 다양한 처지의 사람들이 각자 처한 상황이 다름에도 불구하고 하나님의 부르심에 응답하고 일어나 헌신하는 모습이 오늘 3장에 기록되어 있습니다. 3:1~2를 보시기 바랍니다.

(1) 두 곳의 재건 참여

1그 때에 대제사장 엘리아십이 그의 형제 제사장들과 함께 일어나 양문을 건축하여 성별하고 문찍을 달고 또 성벽을 건축하여 함메아 망대에서부터 하나넬 망대까지 성별하였고

2 그 다음은 여리고 사람들이 건축하였고 또 그 다음은 이므리의 아들 삭굴이 건축하였으며

먼저「양문」이 나옵니다. 주보의 지도를 참조하시기 바랍니다. 어디까지나 하나의 가설에 불과하지만, 최근 고고한 발굴조사를 단서로 재현한 것입니다. 위쪽에 있는 양문을 확인해 보세요. 성전 언덕 북쪽에 있는 이 양문을 기점으로 시계 반대 방향으로 설명이 진행됩니다. 「양문」은 제물로 바칠 양을 드나들게 하는 문이었습니다. 따라서 이곳은 매일 제사에 종사하는 제사장들이 특히 관심을 가졌을 것입니다. 그렇기 때문에, 양문의 재건에는 대제장과 제사장들이 참여했을 것으로 생각됩니다. 하지만 좀 더 깊이 생각해보면, 양문은 어린 양을 데려오는 문이었습니다. 그곳을 대제사장이 재건한다는 것은, 즉 그들은 제일 먼저, 무너진 예배를 다시 세우는 것, 예배를 회복시키는 것으로 해석할 수 있습니다. 그리고 「성별하였고」라는 말이 있습니다. 「성결케 했다」라는 말입니다. 성벽을 성결케 한다는 것은 어떤 의미일까요? 성벽 자체를 하나님 자신의 것으로 구별하는, 하나님 자신의 소유로 삼는다는 뜻입니다. 성벽도 하나님의 성전으로서, 성전의 일부로 간주하고 있음을 알 수 있습니다. 「성결케 했다」는 단어에도 예배를 다시 세우라는 뜻이 담겨 있지 않을까요? 우리 한 사람 한 사람도 제사장이자 예배자입니다. 주일 예배를 최우선으로 삼고 이 날을 성별하며, 우리의 일상을 예배에서 회복하는 자로 하나님 앞에 서는 자가 되도록 합시다. 이어서 3~4절을 보겠습니다.

3어문은 하스나아의 자손들이 건축하여 그 들보를 얹고 문짝을 달고 자물쇠와 빗장을 갖추었고

4 그 다음은 학고스의 손자 우리아의 아들 므레못이 중수하였고 그 다음은 므세사벨의 손자 베레갸의 아들 므슬람이 중수하였고 그 다음은 바아나의 아들 사독이 중수하였고

여기서 학고스의 손자 우리야의 아들 므레못에 주목해 보고 싶습니다. 나중에 다시 므레못이라는 이름이 나옵니다. 즉 그는 두 곳의 재건에 참여했다는 뜻입니다. 므레못은 제사장이지만, 학고스 가문은 원래 제사장의 혈통을 증명하지 못해 제사장 직분을 박탈당한 가문입니다. 그 내용이 에스라기 2:61~62에 기록되어 있으니 살펴보겠습니다.

61 제사장 중에는 하바야 자손과 학고스 자손과 바르실래 자손이니 바르실래는 길르앗 사람 바르실래의 딸 중의 한 사람을 아내로 삼고 바르실래의 이름을 따른 자라

62 이 사람들은 계보 중에서 자기 이름을 찾아도 얻지 못하므로 그들을 부정하게 여겨 제사장의 직분을 행하지 못하게 하고

이렇게 한 번 제사장직을 박탈당한 학고스 가문이지만, 이후 복직이 이루어진 것으로 보입니다. 에스라가 바벨론에서 가져온 보물을 성전에 바칠 때 므레못이 그 양을 제대로 계량하여 장부에 기록했다는 내용이 에스라기 8:33~34절에 기록되어 있습니다. 이런 배경을 가진 므레못은, 자신처럼 전혀 어울리지 않는 사람임에도 불구하고 하나님께서 제사장 직분으로 부르셨다는 그 생각을 날마다 마음에 새겼을 것입니다. 하나님의 은혜에 누구보다 감사하며 겸손하게 걸어갔던 것입니다. 그 남다른 감사가 남다른 헌신으로 이어졌을 것입니다.

5절을 보면, 마음에 걸리는 단어가 나옵니다. 예루살렘 남쪽에 위치한 드고아 사람들 중 귀족들이 느헤미야의 리더십에 복종하려 하지 않았다는 것입니다. 그들은 하늘의 기업을 물려받을 수 없는 불쌍한 사람들이라고 할 수 있습니다. 그러나 드고아의 일반 백성들은 느헤미야의 부름에 응답했습니다. 그리고 사실 드고아의 일반 백성들도 나중에 다시 이름이 나옵니다. 그들도 므레못처럼 두 곳의 재건에 참여하여 큰 헌신을 하였기 때문입니다.

(2) 모두 함께 재건한 성벽

이어6절 이후부터는「옛 문」에서 「성벽」까지의 재건에 대한 내용이 기록되어 있는데, 6~8까지 살펴보겠습니다.

6옛 문은 바세아의 아들 요야다와 브소드야의 아들 므슬람이 중수하여 그 들보를 얹고 문작을 달고 자물쇠와 빗장을 갖추었고

7 그 다음은 기브온 사람 믈라댜와 메로놋 사람 야돈이 강 서쪽 총독의 관할에 속한 기브온 사람들 및 미스바 사람들과 더불어 중수하였고

8 그 다음은 금장색 할해야의 아들 웃시엘 등이 중수하엿고 그 다음은 향품 장사 하나냐 등이 중수하되 그들이 예루살렘의 넓은 성벽까지 하였고

「옛 문」의 재건에는 예루살렘 북쪽에 위치한 기브온 사람들과 미스바 사람들이 참여했습니다. 기브온과 미스바는 유프라테스 강 서쪽 관할 지역 사람들이었으므로, 아마도 포로에서 돌아온 유대인이 아니라, 예루살렘 인근 거주민들이 성벽 재건에 협력한 것으로 추정됩니다. 이를 통해 우리가 적용할 수 있는 것은 교회가 세워질 때 결코 세상 사람들을 배제하는 것이 아니라 세상 모든 사람들이 예배에 초대받았고, 교회는 항상 세상을 향해 열려 있다는 것을 다시 한 번 확인할 수 있지 않을까요? 우리는 예배에 새로 온 새신자들을 항상 의식하면서 친절하게 대할 수 있도록 노력해야겠다는 생각을 하게 됩니다.

다음으로 「금장색」과「향품 장사」라는 단어에 주목해 보시기 바랍니다. 금장색은 성전의 금세공 장식을 맡은 장인이라고 할 수 있습니다. 향품 장사는 예배에 사용되는 향료를 조제하는 장인이라 할 수 있습니다. 옛 성문과 넓은 성벽 부근에 장인들이 조합을 이루는 구역이 형성되어 있었을 것입니디. 그리고 11절에 나오는 「화덕 망대」는 빵울 굽는데 사용되었던 건축물로 생각됩니다. 화덕 망대가 있는 장소는 제빵업자들의 구역이었다는 것입니다. 이어서 12절을 보시겠습니다.

그 다음은 예루살렘 지방 절반을 다스리는 할로헤스의 아들 살룸과 그의 딸들이 중수하였고

여기에는 놀라운 내용이 기록되어 있습니다. 바로 살룸의 딸들이, 온 가족이 함께 재건에 나선 모습이 묘사되어 있다는 것입니다. 저희 가족도 아시다시피 딸이 한 명 있는데, 살룸의 가족의 모습에서 큰 용기와 격려를 받았습니다. 우리 가족도 하나님의 집을 세우기 위해 딸을 포함해 가족 모두가 힘을 합쳐서 매진해야겠다는 도전을 받았습니다. 이어서 13~14절을 보시겠습니다.

13 골짜기 문은 하눈과 사노아 주민이 중수하여 문을 세우며 문짝을 달고 자물쇠와 빗장을 갖추고 또 본문까지 성벽 천 규빗을 중수하였고

14 분문은 벧학게렘 지방을 다스리는 레갑의 아들 말기야가 중수하여 문을 세우며 문짝을 달고 자물쇠와 빗장을 갖추었고

「골짜기 문」을 복구한 주민이 있는, 도시 사노아는 예루살렘 서쪽에 위치해 있습니다. 골짜기 문에서 「분문」까지의 긴 거리는 천 규빗으로 기록되어 있는데, 약 500야드(457미터) 정도의 거리입니다. 아마도 이곳은 그렇게 훼손이 심하지 않았기 때문에 긴 거리를 담당할 수 있었을 것입니다. 「분문」을 한 바퀴 돌아 「샘문」으로 이어집니다.「분문」은 쓰레기 처리장인 힌놈의 계곡으로 나가는 문이었습니다. 여담이지만 힌놈의 계곡은 히브리어로 「게힌놈」이라고 합니다. 「지옥」으로 번역되는 「게헨나έεννα」라는 단어는 사실 이 쓰레기장 「게힌놈」에서 유래한 것입니다. 지옥은 쓰레기장처럼 연기가 피어오르고 불이 타오르는 것처럼 뜨거운 곳이라는 뜻입니다. 이어서 15~16절을 보시겠습니다.

15 샘문은 미스바 지방을 다스리는 골호세의 아들 살룬이 중수하여 문을 세우고 덮었으며 문짝을 달고 자물쇠와 빗장을 갖추고 또 왕의 동산 근처 셀라 못 가의 성벽을 중수하여 다윗 성에서 내려오는 층계까지 이르렀고

16 그 다음은 벧술 지방 절반을 다스리는 아스북의 아들 느헤미야가 중수하여 다윗의 묘실과 마주 대한 곳에 이르고 또 파서 만든 못을 지나 용사의 집까지 이르렀고

왕의 정원에 있는 셀라 못은, 실로암 연못을 가리킵니다. 복음서에서 예수님께서 선천적으로 눈이 먼 사람을 고치실 때, 이 실로암 연못의 물로 씻으라고 명령하셨습니다(요9:7). 또한「다윗 성에서 내려오는 층계」는 지도를 보시면 아시겠지만, 「샘문」으로 내려가는 계단을 가리킵니다. 「못」이란 왕의 연못을 의미하며, 「용사의 집」이란 층계 위에 있는 병사들의 집을 가리킵니다. 동쪽 성벽은 기본적으로 레위인이 재건한 것입니다. 동쪽은 경사가 매우 가파르기 때문에 성벽의 파손이 예상보다 심했던 것 같습니다. 그래서 어떤 자료에 의하면 기존 성벽을 그대로 재건한 것이 아니라 조금 안쪽으로 들어가서 재건했다고 기록되어 있습니다. 20~21절에 보면 다음과 같이 기록되어 있습니다.

20 그 다음은 삽배의 아들 바룩이 한 부분을 힘써 중수하여 성 굽이에서부터 대제사장 엘리아십의 집 문에 이르렀고

21 그 다음은 학고스의 손자 우리야의 아들 므레못이 한 부분을 중수하여 엘리아십의 집 문에서부터 엘리아십의 집 모퉁이에 이르렀고

여기서는「힘써」재건했다고 되어 있습니다. 왜 이곳에만 「힘써」라는 수식어가 붙었을까요? 그 이유는 아마도 이 동쪽 성벽의 재건이 유난히 힘들었기 때문일지도 모릅니다. 또한 우리야의 아들 므레못의 이름이 다시 등장합니다. 므레못은 다른 사람보다 두 배나 많은 일을 기뻐하며 참여했다는 것입니다. 이어서 26~27절을 보십시오.

26 (그 때에 느디님 사람은 오벨에 거주하여 동쪽 수문과 마주 대한 곳에서부터 내민 망대까지 이르렀느니라)

27 그 다음은 드고아 사람들이 한 부분을 중수하여 내민 큰 망대와 마주 대한 곳에서부터 오벨 성벽까지 이르렀느니라

오벨은 성전 언덕의 남쪽 경사면을 가리킵니다. 이 경사면에는 성전 하인들의 집이 있었습니다. 오벨 성벽의 재건을 위해 드고아 사람들이 이곳에 다시 등장합니다. 그들은 므레못처럼 기뻐하며 기꺼이 두 배의 수고를 감당했다는 것입니다. 하나님은 그런 섬김을 결코 잊지 않으십니다. 그 섬김을 하나도 빠짐없이 기억하시고, 그 보상을 반드시 주실 것입니다. 30~31절을 보시겠습니다.

30 그 다음은 셀레먀의 아들 하나냐와 살랍의 여섯째 아들 하눈이 한 부분을 중수하였고 그 다음은 베레갸의 아들 므술람이 자기의 방과 마주 대한 부분을 중수하였고

31 그 다음은 금장색 말기야가 함밉갓 문과 마주 대한 부분을 중수하여 느디님 사람과 상인들의 집에서부터 성 모퉁이 성루에 이르렀고

「마문」위로부터는 제사장들이 다시 한 번 재건에 참여 했습니다. 자신들의 집 앞 성벽이었기 때문입니다. 마지막으로 성벽의 끝 층에서 양문까지의 구간은 금장색과 상인들이 재건했습니다. 이는 성전을 오가는 사람들의 편의를 위한 시장이 이곳에 형성되어 있었기 때문에 상인과 금장색이 재건했다고 볼 수 있습니다. 이렇게 해서 출발지점의 양문으로 다시 돌아올 수 있었습니다. 전체적으로 볼 때, 느헤미야는 직업도 정치적 입장도, 거주지도 나이도 전혀 다른 다양한 그룹에게 성벽 재건 공사를 배분했다는 것을 알 수 있습니다. 즉, 어떤 곳은 직장 동료들에게 공사를 맡기고, 어떤 곳은 마을별 자치단체에 맡기고 어떤 곳은 가족 단위로 맡기고, 어떤 곳은 상인이나 소매업자들에게 맡기고 그리고 어떤 곳은 제사에 직접 관여하는 성직자들에게 맡기면서 전체를 조직화하는데 성공했습니다. 따라서 느헤미야의 탁월한 리더십이 매우 두드러지게 드러나는 대목입니다. 그러나 아무리 느헤미야의 리더십이 뛰어났다고 해도 그것만으로는 이 3장의 역사를 설명하기 어려울 것입니다. 느헤미야의 리더십과 함께, 성령의 부르심에 응답한 사람들의 기쁨으로 가득찬 성벽 재건 작업에 대한 참여와 이를 위한 헌신이 이 성벽 재건 사업을 이루어냈다고 저는 생각합니다. 하나님의 은혜에 응답한 사람들에 의해, 기쁨 가운데, 하나님의 역사는 오늘도 이루어지고 있음을 기억하고 싶습니다.

결론

3장 전체를 통해서, 성벽 재건에 참여한 사람들의 명단을 살펴봤습니다. 그들은 느헤미야의 부름에 응답하고 성령의 음성에 응답한 사람들입니다. 재건된 성벽은 다소 축소된 성벽이었습니다. 그러나 하나님은 그것을 보시고 매우 기뻐하셨을 것입니다. 예전에 모세가 성막을 지을 때도, 혹은 솔로몬이 제 1성전을 지을 때도 거기에 참여한 사람들의 이름이 상세히 기록된 적이 없습니다. 그래서 이번에 이렇게 성벽 재건에 참여한 사람들의 이름이 일일이 성경에 기록된 것은 이례 중의 이례라고 할 수 있습니다. 이것은 바로 느헤미야의 부름을 통해 하나님의 초청의 말씀을 듣고 하나님의 은혜에 응답한 사람들의 이야기라고 알 수 있을 것입니다. 예배를 회복하기 위해, 무너진 다윗의 성막을 회복하기 위해 성령의 음성을 듣고 기꺼이 주님께 헌신한 사람들의 이야기가 여기에 기록되어 있는 것입니다. 우리도 성령의 음성을 듣는 백성입니다. 일어나서 주일 예배를 성별해서, 무엇보다도 최우선순위로 삼고, 삶속에서 하나님께 드리는 예배를 회복하는 일에 동참합시다. 그리고 하나님께서 주신 은혜에 감사와 기쁨으로 헌신하는 백성으로 살아갑시다.

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