2025年01月19日「祈りの応答を待つ」

問い合わせ

日本キリスト改革派 千間台教会のホームページへ戻る

祈りの応答を待つ

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
ネヘミヤ記 2章1節~10節

音声ファイルのアイコン音声ファイル

礼拝説教を録音した音声ファイルを公開しています。

聖句のアイコン聖書の言葉

2:1アルタクセルクセス王の第二十年、ニサンの月のことであった。王はぶどう酒を前にし、わたしがぶどう酒を取って、王に差し上げていた。わたしは王の前で暗い表情をすることはなかったが、
2:2王はわたしに尋ねた。「暗い表情をしているが、どうかしたのか。病気ではあるまい。何か心に悩みがあるにちがいない。」わたしは非常に恐縮して、
2:3王に答えた。「王がとこしえに生き長らえられますように。わたしがどうして暗い表情をせずにおれましょう。先祖の墓のある町が荒廃し、城門は火で焼かれたままなのです。」
2:4すると王は、「何を望んでいるのか」と言った。わたしは天にいます神に祈って、
2:5王に答えた。「もしも僕がお心に適い、王にお差し支えがなければ、わたしをユダに、先祖の墓のある町にお遣わしください。町を再建したいのでございます。」
2:6王は傍らに座っている王妃と共に、「旅にはどれほどの時を要するのか。いつ帰れるのか」と尋ねた。わたしの派遣について王が好意的であったので、どれほどの期間が必要なのかを説明し、
2:7更に、わたしは王に言った。「もしもお心に適いますなら、わたしがユダに行き着くまで、わたしを通過させるようにと、ユーフラテス西方の長官たちにあてた書状をいただきとうございます。
2:8また、神殿のある都の城門に梁を置くために、町を取り巻く城壁のためとわたしが入る家のために木材をわたしに与えるように、と王の森林管理者アサフにあてた書状もいただきとうございます。」神の御手がわたしを守ってくださったので、王はわたしの願いをかなえてくれた。
2:9こうして、わたしはユーフラテス西方の長官のもとに到着する度に、王の書状を差し出すことができた。王はまた将校と騎兵をわたしと共に派遣してくれた。
2:10ホロニ人サンバラトとアンモン人の僕トビヤは、イスラエルの人々のためになることをしようとする人が遣わされて来たと聞いて、非常に機嫌を損ねた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ネヘミヤ記 2章1節~10節

原稿のアイコン日本語メッセージ

【序】

ネヘミヤは祈りを捧げました。イスラエルの回復のために、そして主がその名を置かれる場所エルサレムの復興のために祈りを捧げました。その祈りの答えを、本日の箇所でいよいよいただくことになります。本日もネヘミヤ記を通して共に御言葉の恵みに与りたいと願います。

【1】. 神様は良いお方

2:1の冒頭にアルタクセルクセス王の第二十年、ニサンの月とあります。第一の月であります。1章において兄弟ハナニからネヘミヤが報告を受けたのが、第九の月でしたので、あれから四か月が経過しました。1~3節をご覧ください。

“アルタクセルクセス王の第二十年、ニサンの月のことであった。王はぶどう酒を前にし、わたしがぶどう酒を取って、王に差し上げていた。わたしは王の前で暗い表情をすることはなかったが、王はわたしに尋ねた。「暗い表情をしているが、どうかしたのか。病気ではあるまい。何か心に悩みがあるにちがいない。」わたしは非常に恐縮して、王に答えた。「王がとこしえに生き長らえられますように。わたしがどうして暗い表情をせずにおれましょう。先祖の墓のある町が荒廃し、城門は火で焼かれたままなのです。」”

ネヘミヤは四か月の間、祈り続けました。ある日のこと、ネヘミヤがいつものように献酌官として王に仕えていると、王がネヘミヤに尋ねました。「暗い表情をしているが、どうかしたのか。」この時、ネヘミヤは非常に恐れたと供述しています。ネヘミヤは普段、王の前で暗い表情をすることはありませんでした。ペルシアの礼儀作法として、王に仕える者たちは、王の前で不快な印象を与えてはならず、常に明るい表情で仕えなければならなかったからです。それはたとえ王妃であっても、例外ではありませんでした。どんなに心が沈んでいても、喜びながら仕えることが求められたのです。エステル記を見ますとそのような雰囲気を読み取ることができます。「どうかしたのか。」という王の質問に対し、ネヘミヤは非常に恐れつつも、王に理解してもらえるよう、賢明な答え方をしました。

「王がとこしえに生き長らえられますように。わたしがどうして暗い表情をせずにおれましょう。先祖の墓のある町が荒廃し、城門は火で焼かれたままなのです。」

現代でもそうですが、古代の人々はなお一層、先祖の遺骨をきちんと保存することに細心の注意を払いました。例えば族長時代のヨセフは、自分の子孫がもしエジプトを離れて、カナンの地に戻ることになれば、その時、自分の骨を必ずカナンへ持っていくよう指示しています。このような脈絡から「墓のある町が荒廃し、城門が火で焼かれたまま」になっている事態は、顔色が優れない理由として十分に考えられるものでありました。アルタクセルクセス王が「何を望んでいるのか」と言った時、もし私がネヘミヤの立場だったら、喜びながら「王様、私の望みはですね…えーと、」と目を輝かせながら話したと思います。ところが、ネヘミヤは違いました。なお慎重な態度を崩すことはありませんでした。ネヘミヤは、まず天の神様に瞬間的に祈ってから、王に答えています。そしてその答えは、「エルサレム」という言葉を注意深く避けながら答えていることに注目してください。2:5をお読みします。

“王に答えた。「もしも僕がお心に適い、王にお差し支えがなければ、わたしをユダに、先祖の墓のある町にお遣わしください。町を再建したいのでございます。」”

実は、エルサレムの再建事業は、かつて王自らの勅令によって中断されていました。ネヘミヤの申し出は、場合によっては、王が下した「中断命令」を、あからさまに非難するようにもなりかねません。王の勅令を真っ向から否定するようなリスクの伴う願いを、今申し出ているのです。従って、ネヘミヤは慎重には慎重を期しながら、あえてエルサレムという言葉を使わずに、ユダにある先祖の墓のある町の再建について願い出ているのです。

私たちは口で罪を犯しやすい者であります。つい口が滑って、とんでもないことを言ってしまったという苦い経験を、私もよくしてきました。上司であったり、上司のさらにその上の上司であったり、特に恐れ多い人の前で、口を開く時にはそうですが、ネヘミヤのようにまず神様に祈ってから、自分の考えを述べたいと日々思わされています。

5節でネヘミヤは「もしもお心に敵うならば」と、切り出していますが、ここの箇所はヘブライ語のトーブ「良い」という言葉が使われていて「もし、王様が良しとされるなら」と直訳されます。つまり、ネヘミヤは、まだこの時点では、祈りが聞き遂げられた訳ではないと自分に言い聞かせながら、慎重に祈りの答えの「しるし」を神様に求めているのだと思います。6~8節をご覧ください。

“王は傍らに座っている王妃と共に、「旅にはどれほどの時を要するのか。いつ帰れるのか」と尋ねた。わたしの派遣について王が好意的であったので、どれほどの期間が必要なのかを説明し、更に、わたしは王に言った。「もしもお心に適いますなら、わたしがユダに行き着くまで、わたしを通過させるようにと、ユーフラテス西方の長官たちにあてた書状をいただきとうございます。また、神殿のある都の城門に梁を置くために、町を取り巻く城壁のためとわたしが入る家のために木材をわたしに与えるように、と王の森林管理者アサフにあてた書状もいただきとうございます。」神の御手がわたしを守ってくださったので、王はわたしの願いをかなえてくれた。”

ネヘミヤはどれくらいで戻って来られるのか王に説明しました。実際、城壁の再建事業は、ネヘミヤがエルサレムに到着し、工事を着工してから52日目で完成しました。つまりアルタクセルクセス王の第二十年とされているBC.445年、その年の内に完成したということです。ネヘミヤ記6:15を見るとそのことが分かります。6:15をご覧ください。

“城壁は五十二日かかって、エルルの月の二十五日に完成した。”

エルルの月、即ち第六の月の、25日に城壁が完成したと書かれています。そこから逆算すれば工事を着工したのが、第五の月の初旬であったということが分かります。つまりエルサレムに到着してしばらくして工事が着工したということです。これは推測ですけれども、ネヘミヤはこの時から12年後にアルタクセルクセス王のもとに戻ったのではなく、城壁の再建工事を終えて、一端、アルタクセルクセス王のもとに戻ってきたのでしょう。その後、再度、ユダ州に総督として派遣されることになり、ネヘミヤ記のストーリーにあるように12年間、総督としてユダ州を治めたのだと思います。いずれにせよ、ネヘミヤは自分の説明に対し、王が好意的であったのを見て、自分の祈りが神様に聞き入れられたと感じたのかもしれません。そのことをさらに確かめるため、エルサレムへ帰還するに当たって必要とされるものを王に注意深く要求しています。7節の、もしも「お心に敵いますなら」と言う言葉も、5節と同じように、ヘブライ語のトーブという言葉が使われていて「王様が良しとされるなら」と直訳されます。そして要求の中身は二つのことです。一つはユーフラテス西方の長官たちにあてた通行許可証であり、もう一つは王の森林管理者にあてた木材供給のための書状でありました。王はこの二つの要求を受け入れ、さらにそれに加えて、護衛のため将校と騎兵さえも与えてくださいました。この時ネヘミヤは、はっきりと悟ったに違いありません。これは良い神様のお働きである、ということをです。ネヘミヤはトーブというヘブライ語を使い「王様が良しとされるなら」と、「もし王様が良しとされるなら」と二度もしるしを求めました。王は好意的に受け入れてくださり、将校と騎兵さえも与えてくださったのです。8節の終わりに「神の恵みの御手がわたしをまもってくださった」とありますが、ヘブライ語を見ますとやはりここでもトーブという言葉が使われています。直訳しますと「神の良い御手が私の上に置かれていたので」ということです。ネヘミヤは自分の祈りに答えてくださった「良きお方」神様に感謝と栄光を捧げたのです。このように神様はご自身に信頼する者たちに常に良いお方であられるのです。

【2】. 祈りの応答を待つ

ネヘミヤは四か月の間、ただ漠然として祈っていただけではありませんでした。私たちが特に驚かされるのは、ペルシアの森林管理者の官僚が誰であるのか、その名前までネヘミヤは正確に認識していたということです。つまり、祈りを通して、エルサレム復興のビジョンを具体的に描いていたということではないでしょうか。エルサレム帰還がかなえられれば、まず自分がしなければならないこと何か?そして、工事のための日数は最低どのくらいかかりそうなのか?工事のために木材がどのくらい必要で、誰が森林管理者なのか?祈りの中でシュミレーションをしながら、具体的な必要を把握していたということです。そして、神の時をひたすら待ちながら、神ご自身が御手を動かされるまで、じっと待ち続けるという姿勢を崩しませんでした。

私たちも、日々祈りを捧げていますね。継続して祈ることの難しさについては、皆様も承知の事と思います。しかし、そもそも祈りとは、神様との交わりであり、神様は必ず私たちの祈りを聞いていてくださっているという事を第一に覚えたいと思います。ヨハネの手紙一5:14には、次のような御言葉があります。ご覧ください。

“何事でも神の御心に適うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる。これが神に対するわたしたちの確信です。”

神様は良い神様であり、私たちの祈りを待ち望んでおられます。そして、誰よりもその祈りを叶えてやりたいと神様ご自身が願っておられるのです。神様から祈りの答えを得るために、多くの時間が掛かったり、神様から頂いた祈りの答えが、当初自分が考えていたものではなかったということは、しばしばあるかもしれませんが、神様は私たちに最もふさわしい時に、最もふさわしい仕方で、御手を動かされ私たちを導いてくださるのです。例えばアブラハムは、不妊の女であった妻サラを通して子供が与えられるという約束を75歳の時に神様から頂きました。しかしその後、一向に子どもは与えられませんでした。25年待ってアブラハムが100歳になり、サラが90歳になって、ついに奇跡的にイサクが与えられたのです。この出来事を通してアブラハムとサラは不可能を可能とする神への信仰をもつようにされました。モーセは、エジプトで王子として育てられました。しかし成人した時に、自分の同胞であるイスラエル人がエジプト人から抑圧されていることに心を痛めました。40歳になりモーセは同胞イスラエルを解放する者としてのビジョンを抱きましたが、実際にモーセのビジョンが実現したのは、80歳になってシナイ山で燃える柴の木を通して主なる神様から召命を受けた時でありました。それまで40年の間は、荒れ野で羊飼いとしての生活を送り、神の時をひたすら待たなければなりませんでした。しかしその40年を通してモーセは柔和と謙遜を学んだのです。ダビデは預言者サムエルからまだ少年に過ぎない時に油注ぎを受けました。しかし実際にダビデがイスラエルの王になるまでには多くの紆余曲折を経ました。サウルの王の有能な部下でありながら、サウル王から執拗な迫害を受け、そしてサウル王がペリシテ人との闘いで戦死してから七年後に、ようやく全イスラエルの王として認められることになります。ダビデもやはり神の時を、忍耐強く待たなければならなかったのです。

時に私たちは、神の時を忍耐強く待つことを放棄し、自分勝手に動いてしまう事があるかもしれません。或いは、祈りの答えを自分で操りながら、根回しや、裏工作をして、自分の思う通りにしようと先走ってしまうことがあるかもしれません。しかし、もしそのようにして自分の願った結果を得たとしても、神の御手が引き続き私たちを守ってくださるという保証はどこにもないのです。全能の神の御手にすべてをお委ねしたいと真剣に考えるなら、私たちはネヘミヤのように、祈りの答えをひたすら待つという姿勢を貫き通す必要があります。或いは聖書の中に出て来た登場人物のように、全面的に神の御手に信頼し、必ず時にかなって、神様の時に、祈りの答えが得られることを信じて待たなければならないのです。私たちの家族の伝道や、子どもたちへの信仰の継承については、特に時間のかかる祈祷課題であり、ある意味で困難な課題なのかもしれません。しかし神様は良いお方です。神の御手を待ちながら、あきらめずに祈り続けること、それこそ私たちが取るべき信仰の姿勢ではないでしょうか。

【結論】

本日の内容をまとめます。王の献酌官であったネヘミヤは王とどんなに親しい間柄であっても、王に対し何か工作したり、根回しすることをせず、ひたすら神の時を待ちつつ祈り続けました。そして、神の御手が王を通して働いているのか、慎重に見極めようとしました。祈りとはこのようなものです。たとえ神様の時が遅いからと言って、私たちは短気を起こすのではなく、また、神様の方法が気に入らないと考えて、こっちの方がいいではないかと自分のやり方を頑なに主張するのでもなく、良き神様に全面的に委ねる歩みを私たちは重ねていきましょう。神様は私たちの祈りと願いをすべて聞いていてくださいます。良いお方である神様が全てを支配され、私たちの祈りに対し、最善の道を示してくださるのです。祈りによって、神ご自身が御手を動かされるまで、じっと待ち続けること、このことはどれほど尊い態度でありましょうか。私たちもの信仰の態度とは、祈って待つことであります。そのことを覚え日々の歩みを重ねていく者たちとならせていただきましょう。

原稿のアイコンハングル語メッセージ

ハングル語によるメッセージはありません。

関連する説教を探す関連する説教を探す