2024年12月08日「エズラの使命 에스라의 사명」

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エズラの使命 에스라의 사명

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
エズラ記 7章1節~28節

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聖句のアイコン聖書の言葉

7:1aこれらの事があって後、ペルシアの王アルタクセルクセスの治世に、
7:6aエズラがバビロンから上って来た。
7:1bエズラの祖先は、父がセラヤ、祖父がアザルヤ、更にヒルキヤ、
7:2シャルム、ツァドク、アヒトブ、
7:3アマルヤ、アザルヤ、メラヨト、
7:4ゼラフヤ、ウジ、ブキ、
7:5アビシュア、ピネハス、エルアザル、そして祭司長アロンとさかのぼる。
7:6bエズラは、イスラエルの神なる主が授けられたモーセの律法に詳しい書記官であり、その神なる主の御手の加護を受けて、求めるものをすべて王から与えられていた。
7:7アルタクセルクセス王の第七年に、イスラエルの人々、祭司、レビ人、詠唱者、門衛、神殿の使用人から成る一団がエルサレムに上り、
7:8同王の第七年の第五の月にエルサレムに到着した。
7:9彼らは第一の月の一日をバビロン出発の日とし、神の慈しみ深い御手の加護を受けて、第五の月の一日にエルサレムに到着した。
7:10エズラは主の律法を研究して実行し、イスラエルに掟と法を教えることに専念した。
7:11イスラエルに対する主の戒めと掟の言葉に精通した、祭司であり書記官であるエズラに、アルタクセルクセス王は親書を送った。以下はその写しである。
7:12「諸王の王であるアルタクセルクセスは、天にいます神の律法の書記官、祭司エズラに心からの挨拶を送る。
7:13さて、ここにわたしの命令を明記する。わが国にいるイスラエルの人々、祭司、レビ人でエルサレムに行くことを望む者はだれでも、あなたと共に行ってよい。
7:14わたしは七人の顧問官と共にあなたに次の使命を託す。すなわちあなたにゆだねられた神の律法に従って、ユダとエルサレムの事情を調べること、
7:15エルサレムに住まいを定められたイスラエルの神に、わたしと顧問官が寄進する金銀を持って行くこと、
7:16またバビロニアの州の至るところであなたが得るすべての金銀を、民と祭司がエルサレムにある彼らの神殿に寄進する献げ物と共に持って行くことである。
7:17それゆえ、あなたはその銀を持って雄牛、雄羊、小羊、および穀物とぶどう酒の献げ物を丹念に買い集め、エルサレムにあるあなたたちの神の神殿の祭壇にささげよ。
7:18そのほかあなたとあなたの仲間が適切と思うことがあれば、残りの金銀を神の御旨に従って用いてよい。
7:19あなたの神の神殿の儀式のためにあなたに託す祭具類も、エルサレムの神の御前に納めよ。
7:20その他、神殿に必要なもので費用がかさむなら、それも国庫負担としてよい。
7:21天にいます神の律法の書記官、祭司エズラの要求には、すべて怠りなくこたえるように、このアルタクセルクセス王がユーフラテス西方の全財務官に命令しておく。
7:22銀は百キカルまで、小麦は百コルまで、ぶどう酒は百バトまで、油は百バトまで、塩は制限なく与えられる。
7:23王とその子孫の国に怒りが下らないように、天にいます神の命令であれば、天にいます神の神殿のために、すべてを滞りなく実行しなければならない。
7:24また祭司、レビ人、詠唱者、門衛、神殿の使用人など総じて神殿に仕える者に、年貢、関税、交通税を課す権限が、だれにもないことをあなたたちに知らせておく。
7:25エズラよ、ゆだねられた神の知恵によってあなたは治める者と裁く者を任命して、ユーフラテス西方のすべての民、あなたの神の律法を知るすべての者を治めさせ、律法を知らない者にはあなたたちは教えを授けよ。
7:26あなたの神の律法と王の法律に従わない者は、すべてこれを厳しく裁き、死刑または流刑、財産没収、または投獄によって処罰しなければならない。」
7:27わたしたちの先祖の神、主はほめたたえられますように。主は、このようにエルサレムの神殿を栄えあるものとする心を王にお与えになり、
7:28わたしには王とその参議官、そのすべての優れた高官の好意を受けるようにしてくださった。わたしは、わが神なる主の御手の加護によって勇気を得、イスラエルの中でわたしと共に上って行こうとする頭たちを集めた。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
エズラ記 7章1節~28節

原稿のアイコン日本語メッセージ

【序】

本日の7章からエズラ書は後半部分に入ります。1~6章までの前半部分では、「神殿の再建築」について書かれていました。7~10章までの後半部分では、共同体の建て上げについて書かれています。共同体を建て上げるにあたり、神様はこの書の主人公であるエズラを第二次帰還の民としてエルサレムに派遣しました。エズラとは、どのような人物だったのか、神がイスラエルへ注がれた恵みとは、どのようなものだったのか、7章から始まるエズラ記の後半部分を通して、本日も御言葉の恵みに与りたいと願います。

【1】. 祭司長であり、書記官であるエズラ

7章の冒頭には、「これらのことがあって後」とあります。「これらのこと」とは、即ち6章で語られていた神殿の再建築の完成を指しているのですが、実際にエズラが派遣された時期は、神殿が再建されから約60年後の事でありました。つまり6章と7章の間にはそれほどの長い時間が流れているということです。従いまして、エズラとは、恐らくペルシアで生まれた人物であり、BC.586年のバビロン捕囚を経験していない、所謂「戦後の世代」であったと考えられます。

このエズラがどのような人物であったのか、聖書には二つの観点から記されています。第一に大祭司であるということ、第二に書記官であるということです。最初にエズラの家系が出てきますが、その家系が主張していることは、エズラが由緒ある大祭司の家系であるということです。抜粋のプリントにエズラの家系を掲載しましたので参照してください。エズラの父がセラヤ、祖父がアザルヤ、さらにヒルキヤ、シャルム、ツァドク、アヒトブ、アマルヤ、アザルヤ、メラヨト、ゼラフヤ、ウジ、ブキ、アビシュア、ピネハス、エルアザル、そして祭司長アロンと16名の名前が挙げられています。歴代誌上5:27~41(新改訳6:1~15)と比較すれなら、少なくともこのリストにはメラヨトとアザルヤの間に6人の名前が抜け落ちていることが確認できまので、エズラ記の系図は、何人かが省略され、代表者だけが列挙されているということが分かります。それでは、どのような規準で16人の名前がピックアップされたのかということですが、恐らくソロモンの時代に仕えていた祭司アザルヤを境にして、ソロモンの第一神殿からバビロンに捕囚に至るまでの祭司七人と、ソロモンの第一神殿以前の祭司七人が挙げられているのでしょう。神様はエルサレムに共同体を再建するために、イエシュアのような大祭司の子孫を、今回、第二次派遣においても派遣されたということです。民に神の御言葉である律法を伝えるため、「大祭司」という役割は、それほど重要な役割を担っているということです。

次に、6節の後半を見ると、エズラは書記官(新改訳:学者)であった、とも書かれています。この「書記官 סֵ֖פֶר ソーフェール」とは何かと言いますと、後代のイエス様の時代の「律法学者」のような人なのかなと想像されます。その通りでありますが、エズラの時代においては、書記官とはペルシアの役人としての一つの称号であったと考えられています。ですから、現在で言うところの公務員の「事務官」のようなものであり、したがってエズラの仕事というのは、「ペルシア帝国の中のユダヤ関係_担当者」であったと考えられます。たとえエズラは血統的にはユダヤ人ではありますけれども、肩書としては、役人としてアルタクセルクセス王から派遣された公式な代表として、一人の役人であったということです。大祭司であると同時に、ペルシアの役人という二つの顔を持つエズラに率いられて、第二次帰還の群れは、アルタクセルクセス王の第七年の第一の月に、エルサレムに向けて出発することにしました。7~9節をご覧ください。

“アルタクセルクセス王の第七年に、イスラエルの人々、祭司、レビ人、詠唱者、門衛、神殿の使用人から成る一団がエルサレムに上り、同王の第七年の第五の月にエルサレムに到着した。彼らは第一の月の一日をバビロン出発の日とし、神の慈しみ深い御手の加護を受けて、第五の月の一日にエルサレムに到着した。”

抜粋のプリントをご覧ください。アルタクセルクセス王が即位したのが紀元前465年ですから、第七年とは、紀元前458年となります。すなわち、神殿が再建されたBC.516年から58年後、さらに言えば、キョロスの勅令による第一次帰還からは80年後のことでありました。この時エズラの年齢が80歳だとすると、ちょうどエズラが生まれた時に第一次帰還が行われたという事です。それほどの長い時間が経過しているのですから、あえて生活が苦しいと思われるエルサレムに帰還するよりも、慣れ親しんだペルシアにそのまま定住し続ける方が、はるかに快適であったに違いありません。それにも拘わらず、エズラと志を同じくする者たちの群れは、第二次帰還をすることに決意したのです。7節の「神殿の使用人」とは、一言で「ネティニム」と書かれていまして、エズラ記2章にも出てまいりましたが、神殿で薪を準備したり、水を準備したりする仕事を任された僕たちの事です。この帰還の際、エズラがどのような決意を持って帰還したのかが、10節に書かれています。ご覧ください。

“エズラは主の律法を研究して実行し、イスラエルに掟と法を教えることに専念した。”

10節の最後に「専念した」という言葉がありますが、この言葉には「堅く建てる、心を定める」という意味が含まれています。エズラはこの時、何を心に定めたのかと言いますと、ズバリ「律法を研究すること」、「実行すること」、「掟と法を教える」こと、この三点であります。エズラは神様から与えられたこの三つの働きを、自らの使命として心に定めていました。それは、神の御言葉を宣教する者として、最も大切な三原則として言い換えることもできるのではないでしょうか。エズラの模範に従って、私たちも御言葉を「研究すること」、「実行すること」、「教えること」を、日々の営みの中で実行していきたいと思います。私たちにとって日々聖書を開き、御言葉を黙想することはとても大切であり、このエズラの模範こそ、御言葉によって導かれるキリスト者の姿であると思います。私たち改革派教会では、日々の聖書日課として、リジョイスが発行されていますので、ぜひ皆様のディボーションの中で、利用してくださればと思います。また、教えることがなぜ大切なのかと申しますと、人に教えることによって自分が知識的に学んだことが、血肉化され、自分のものとなるからです。教えてもらった御言葉を、まだ知らない人に対し、説明し、教える時に、初めてその知識が自分のものとなるのです。相互牧会の大切さが、まさにここにあるのではないでしょうか。教えること、それは、人のためより、何よりも自分自身のためになるのです。ですから皆様もどうぞ、御言葉によって互いに励まし合い、互いに教え合い、一人ひとり祭司としての自覚を持ち、主の教会を立て上げていく者たちとならせていただきましょう。因みに、彼らが「第一の月」のニサンの月にペルシアを出発したというのは、エルサレムへの帰還を、第二の出エジプトとして考えていたからだと思われます。ニサンの月に出エジプトの出来事を覚えるため「過ぎ越しの祭り」を捧げるよう律法に定められていました。彼らは聖書をよく読んで、出エジプトの出来事を自分たちに適用したのです。こうして第二次帰還の群れは、まる四か月かけて、第五の月の一日、即ち7~8月の夏の真っ盛りの時期に、エルサレムに到着いたしました。乾燥した中での四か月間の旅であり、一日、約16キロずつ進んだと考えられています。この旅路において、エズラは護衛兵をつけることを断りましたが、神様の御手が群れの上に置かれていたため、無事にエルサレムに到着することが出来ました。

【2】. アルタクセルクセスの親書

7:12節からは、エズラが手にしていたアルタクセルクセス王からの親書について書かれています。再び12節から26節まで、文体がアラム語に変化しています。王の親書の冒頭を見ますと「諸王の王であるアルタシャスタは、云々」と書かれていますが、「諸王の王」という言葉は、キュロス王を初め、ペルシア帝国の王たちが、自分たちを指す称号として用いられた言葉です。そして14節に「七人の顧問官」という言葉が出てきます。これはペルシア王の最側近のことを意味します。ペルシアの王は常に自分の周りに七人の顧問官を置いていました。エステル記には、クセルクセス王が当時七人の側近を大臣として置いていたことが聖書に書かれています。エステル1:14をご覧ください。

“王は、王の側近で、王国の最高の地位にある、ペルシアとメディアの七人の大臣カルシェナ、シェタル、アドマタ、タルシシュ、メレス、マルセナ、メムカンを呼び寄せた。”

このクセルクセスとは、ダレイオスの次の王であり、アルタクセルクセスの前の王に当たります。この時もやはり、王の周りに七人の側近が置かれていたことが分かります。ですからエズラが手にしている親書は、王様から直々に命令された親書であることを意味しているのです。このアルタクセルクセス王からの親書の中身ですが、最初の14節にはエズラの託された任務について書かれています。15~18節まで、バビロンから持っていくべき神殿の奉献物について書かれています。そして21~24節までは、ユーフラテス川西側州から集められるべき神殿の奉献物について書かれています。非常にたくさんの奉献物が書かれており、その間にある19~20節には、ペルシアの国庫から神殿儀式に必要なものをサポートするという保証が書かれていました。19~20節をご覧ください。

“あなたの神の神殿の儀式のためにあなたに託す祭具類も、エルサレムの神の御前に納めよ。その他、神殿に必要なもので費用がかさむなら、それも国庫負担としてよい。”

祭具類とは、バビロン捕囚によってエルサレム奪ってきたものです。第一次帰還の時に全部エルサレムにお返ししたはずですが、まだ、返し切れていなかった祭具類が見つかったのかもしれません。その他にも神殿に必要なもので費用がかさむなら、それも国庫負担としてよいと、言っている訳です。なんというペルシアからの手厚い保証でしょうか。ダレイオス王の時と同じように、至れり尽くせりの優遇措置です。エズラ記4章では、アルタクセルクセス王の治世における城壁工事の妨害について書かれていましたので、このような優遇措置が本当なのか、にわかには信じられないくらいです。4:21~23を調べてみましょう。

“従って今、その人々に工事を中止するように命令せよ。改めてわたしが命令を出すまで、その都は再建されてはならない。この事をなおざりにしないように留意し、損失が大きくなって、王になおいっそうの迷惑が及ばぬようにせよ。」このアルタクセルクセス王の公文書の写しは、レフム、書記官シムシャイおよびその仲間の前で朗読された。彼らはエルサレムにいるユダの人々のもとに急いで行き、強引に武力で工事を中止させた。”

このような背景があるので、エズラが持っている親書が本当に同じ王様から出されたものか信じられないほどですが、最近の神学者たちは、7章の親書が間違いなくアルタクセルクセス王から出たものとして意見が一致しています。それだけではありません。アルタクセルクセス王はこの後、ネヘミヤ記に書かれていますように、城壁再建のために、自身の献酌官であるネヘミヤをもエルサレムに派遣することになるのです。エズラは、この親書を握りしめながら、主なる神に感謝を捧げました。7:27~28節をご覧ください。27節からは再びヘブライ語に戻ります。

“わたしたちの先祖の神、主はほめたたえられますように。主は、このようにエルサレムの神殿を栄えあるものとする心を王にお与えになり、わたしには王とその参議官、そのすべての優れた高官の好意を受けるようにしてくださった。わたしは、わが神なる主の御手の加護によって勇気を得、イスラエルの中でわたしと共に上って行こうとする頭たちを集めた。”

エズラは「わたしたちの先祖の神、主はほめたたえられますように」と感謝を捧げています。自らはペルシアの役人でありながら、神の民としてのアイデンティティを決して失うことはありませんでした。たとえ異教の地にあっても、たとえ本来の場所ではない、仮住まいの生活をしていたとしても、周りの人々と同化することなく、信仰に堅く立っていたのです。「主の御手の加護によって」という言葉は、9節にも出てきました。イスラエルに、このように優遇措置が与えられたのは、王の背後におられる神の御手によるものであったという告白です。また、28節の「好意」というヘブライ語は、「ヘセッド」という単語が用いられていまして、「恵み」とか「慈しみ」などとも訳される言葉です。エズラの告白の通り、神の民は神の恵みによって、神の慈しみによって、生かされるのです。そして、恵みの応答として、感謝の告白が、唇から信仰によって捧げられるのです。ですから感謝の祈り、感謝の告白も、神の恵みに対する応答であり、信仰の業であると言えるでしょう。私たちも日々自らの唇を通して、感謝の告白を捧げていきたいと思わされます。長い歴史を通して、執拗な妨害は確かにありました。しかしそれにも勝る神の御手がイスラエルの上にありました。神様は御手をもってご自身の民を導かれ、異教社会の王の助けの中で、信仰の共同体を立て上げてくださるのです。今日、私たちキリスト者も日本という異教社会に置かれていますが、その中にあっても神様は私たち教会と共におられ、私たちを導いてくださり、教会を立て上げてくださることでしょう。

【結論】

本日の内容をまとめます。神様は信仰の共同体の建て上げるために、エズラを派遣されました。祭司であり書記官であるエズラの使命とは、御言葉を研究すること、御言葉を実行すること、そして民に教えることでありました。エズラの決心が私たちの決心となるように歩ませていただきましょう。日々、聖書を学び、まず自分自身が御言葉の教えを実践し、そしてそれを人々に教えること、このサイクルを通して相互牧会がなされ、神様が教会を立て上げてくださるのです。また、エズラは、ペルシア王の配慮を通して確かに神の御手の業を確認し、その恵みに感謝の告白を捧げました。私たちも日々自らの唇を通して感謝の生贄を神様に捧げていく者たちとならせていただきましょう。

原稿のアイコンハングル語メッセージ

에스라의 사명

2024년 12월8일 센겐다이교회 주일설교 카와에 토모아키 목사

에스라 7장 1~28절

서론

오늘 7장부터 에스라서는 후반부에 접어듭니다. 1~6장까지의 전반부에서는「성전의 재건」에 대해, 7~10장까지의 후반부에서는 공동체를 세우는 것에 대해 기록되어 있습니다. 공동체를 세우기 위해 하나님께서는 이 책의 주인공인 에스라를 2차 귀환 백성으로 예루살렘에 파견하셨습니다. 에스라는 어떤 인물인지, 하나님께서 이스라엘에 부어주신 은혜는 어떤 것이었는지, 7장 부터 시작되는 에스라서의 후반부분을 통해서, 오늘도 말씀의 은혜를 받기를 소망합니다.

(1) 제사장이자 율례 학자인 에스라

7장 첫머리에 「이 일 후에」라는 말이 나옵니다. 「이 일」은, 즉 6장에서 말씀하신 성전 재건의 완성을 가리키고 있는데, 실제로 에스라가 파견된 시기는, 성전이 재건된 지 약 60년 후의 일이였습니다. 즉, 6장과 7장 사이에는 그만큼 긴 시간이 흘렀다는 뜻입니다. 따라서 에스라는 아마도 페르시아에서 태어난 인물로 BC.586년 바벨론 포로기를 경험하지 않은, 이른바「전후 세대」였을 것으로 추정됩니다.

이 에스라가 어떤 인물인지 성경에는 두 가지 관점에서 기록되어 있습니다. 첫째는 대제사장이라는 것, 둘째는 율례 학자라는 것입니다. 먼저 에스라의 가문이 나오는데, 그 가문이 주장하는 것은 에스라가 유서 깊은 대제사장의 가문이라는 것입니다. 발췌본 인쇄물에 에스라의 가계도를 실었으니 참고하시기 바랍니다. 에스라의 아버지는 스라야, 할아버지는 아사랴, 그리고 힐기야, 샬롬, 사독, 아히둡, 아마랴, 아샤라, 므라욧, 스라히야, 웃시엘, 북기, 아비수아, 비느하스, 엘르아살, 그리고 대제사장 아론까지 총 16명의 이름을 나열하고 있습니다. 역대상6장 1~15절과 비교해 보면, 적어도 이 목록에는 므라욧과 아사랴 사이에 6명의 이름이 빠진 것을 확인할 수 있으므로, 에스라에서의 계보에는 몇 명이 생략되고 대표자들만 열거되어 있음을 알 수 있습니다. 그렇다면 어떤 기준으로 16명의 이름이 뽑혔을까 하는 것인데, 아마도 솔로몬 시대에 섬겼던 제사장 아사랴를 기점으로 솔로몬의 제1성전에서 바벨론에 포로로 잡혀가기 전까지의 제사장 7명과 솔로몬의 제1성전 이전의 제사장 7명이 열거되어 있는 것으로 보입니다. 하나님은 예루살렘에 믿음의 공동체를 재건하기 위해, 예수아와 같은 대제사장의 후손을 이번의 2차 파송에서도 파견하셨다는 것입니다. 백성들에게 하나님의 말씀인 율법을 전하기 위해「대제사장」이라는 역할은, 그만큼 중요한 역할을 담당하고 있다는 것입니다.

다음에 6절의 후반부를 보면, 에스라는 율법에 익숙한 학자였다고 쓰여 있습니다. 이「율례 학자סֵ֖פֶר 소페르」는 무엇인가 하면, 후대 예수님 시대의 「서기관」같은 사람이었지 않았을까 상상됩니다. 맞습니다만, 에스라 시대에는, 율례 학자란 페르시아 관리로서의 하나의 칭호였다고 생각되고 있습니다. 그래서 현재로 말하면 공무원의 「사무관」과 같은 것이며, 따라서 에스라의 일이라고 하는 것은 「페르시아 제국 안의 유대 관계 담당자」였다고 생각됩니다. 비록 에스라는 혈통적으로는 유대인이지만 직함으로는 관리로서 아닥사스다 왕이 파견한 공식적인 대표로서 한 명의 관리였다는 것입니다. 대제사장이자 페르시아 관리라는 두 얼굴의 에스라가 이끄는 제2차 귀환의 무리는 아닥사스다 왕의 제칠년 첫째 달에 예루살렘으로 출발하기로 했습니다. 7~9절을 보시기 바랍니다.

7 아닥사스다 왕 제칠년에 이스라엘 자손과 제사장들과 레위 사람들과 노래하는 자들과 문지기들과 느디님 사람들 중에 몇 사람이 예루살렘으로 올라올 때에

8 이 에스라가 올라왔으니 왕의 제칠년 다섯째 달이라

9 첫째 달 초하루에 바벨론에서 길을 떠났고 하나님의 선한 손의 도우심을 입어 다섯째 달 초하루에 예루살렘에 이르니라

발췌한 프린트를 보시기 바랍니다. 아닥사스다 왕이 즉위한 것이 기원전 465년이기 때문에, 제7년은 기원전 458년입니다. 즉 성전이 재건된 BC.516년에 58년 후, 다시 말하면 고레스의 칙령에 의한 제1차 귀환으로부터는 80년 후의 일이었습니다. 이때 에스라의 나이가 80세라고 한다면, 마침 에스라가 태어났을 때 제 1차 귀환이 이루어졌다는 것입니다. 그만큼 오랜 시간이 지났으니 굳이 생활이 어렵다고 생각되는 예루살렘으로 귀환하는 것보다 정든 페르시아에 그대로 정착하는 것이 훨씬 쾌적했을 것입니다. 그럼에도 불구하고, 에스라와 뜻을 같이하는 자들의 무리는 제 2차 귀환을 하기로 결심한 것입니다. 7절에「느디님」이라고 쓰여 있는데, 이 「느디님」은 에스라서 2장에도 나왔는데, 성전에서 땔감을 준비하거나 물을 긷는 일을 하는 무리들을 말합니다. 이 귀환 때 에스라가 어떤 결의를 가지고 귀환했는지가 10절에 적혀 있습니다. 보시기 바랍니다.

에스라가 여호와의 율법을 연구하여 준행하며 율례와 규례를 이스라엘에게 가르치기로 결심하였었더라

10절 끝에 「결심하였었더라」라는 말이 있는데, 이 말에는 「단단히 짓다, 마음을 정하다」라는 뜻이 담겨 있습니다. 에스라는 이때, 무엇을 마음에 정했냐면 바로 「율법을 연구하는 것」,「실행하는 것」「율례와 규례를 가르치는 것」이 세 가지입니다. 에스라는 하나님이 주신 이 세 가지 일을 스스로의 사명으로 마음에 정하고 있었습니다. 그것은 하나님의 말씀을 선교하는 사람으로서 가장 중요한 3원칙으로 바꾸어 말할 수도 있지 않을까요? 에스라의 모범에 따라, 우리도 말씀을 「연구하는 것」, 「실행하는 것」「가르치는 것」을 일상의 삶 속에서 실천해 나가기를 원합니다. 우리에게 매일 성경을 펴고 말씀을 묵상하는 것은 매우 중요하며, 이 에스라의 모범이야말로 말씀으로 인도함을 받는 그리스도인의 모습이라고 생각합니다. 우리 개혁교회에서는 매일의 성경일과로 리죠이스(일본 그리스도 개혁파 교단의 말씀 묵상 월간지)를 발행하고 있으니, 여러분들의 묵상 가운데 꼭 활용하시길 바랍니다. 또한, 가르치는 것이 왜 중요한가 하면, 남을 가르치는 것을 통해 자신이 지식적으로 배운 것이 피와 살이 되어 자신의 것이 되기 때문입니다. 자신이 배운 말씀을, 아직 모르는 사람에게 설명하고 가르칠 때, 비로소 그 지식이 자신의 것이 되는 것입니다. 상호목회의 중요성이 바로 여기에 있는 것이 아닐까요. 가르치는 것, 그것은 다른 사람을 위해서라기보다 무엇보다 자기 자신을 위해서입니다. 그러니 여러분도 말씀으로 서로 격려하고, 서로 가르치며, 한 사람 한 사람이 제사장이라는 의식을 가지고 주님의 교회를 세우는 자들이 되시기를 바랍니다. 참고로 그들이 「첫째 달」니산월에 페르시아를 출발한 것은 예루살렘으로의 귀환을 제 2의 출애굽으로 생각했기 때문인 것으로 보입니다. 율법에는 니산월에 출애굽 사건을 기억하기 위해 「유월절」을 지키도록 규정되어 있었습니다. 그들은 성경을 잘 읽고 출애굽의 사건을 자신들에게 적용했던 것입니다. 이렇게 해서 2차 귀환백성은 4개월에 걸쳐 다섯째 달의 첫째 날, 즉 7,8월의 여름이 한창인 시기에 예루살렘에 도착했습니다. 건조한 날씨 속에서 4개월 동안 하루 16km씩 이동한 것으로 추정됩니다. 이 여정에서 에스라는 호위병의 호위를 거부했지만, 하나님의 손이 귀환백성들 위에 임하였기 때문에 무사히 예루살렘에 도착할 수 있었습니다.

(2) 아닥사스다 왕의 친서

7장 12절부터는, 에스라가 손에 들고 있던 아닥사스다 왕의 친서에 대한 내용이 나옵니다. 다시 12절부터 26절까지 문체가 아람어로 바뀌어 있습니다. 왕의 친서의 서두를 보면 「모든 왕의 왕 아닥사스다는 …」이라고 쓰여 있는데, 「모든 왕의 왕」이라는 말은 고레스 왕을 비롯한 페르시아 제국의 왕들이 자신들을 지칭하는 호칭으로 사용했던 말입니다. 그리고 14절에 「일곱 자문관」이라는 말이 나옵니다. 이는 페르시아 왕의 최측근을 의미합니다. 페르시아 왕은 항상 자기 주변에 일곱 자문관을 두었습니다. 에스더서에는 당시 아하수에로 왕이 일곱 명의 지방관을 측근으로 두고 있었다는 내용이 성경에 기록되어 있습니다. 에스더서 1장 14절을 보시기 바랍니다.

그 때에 왕에게 가까이 하여 왕의 기색을 살피며 나라 첫 자리에 앉은 자는 바사와 메대의 일곱 지방관 곧 가르스나와 세달과 아드마다와 다시스와 메레스와 마르스나와 므무간이라)

이 아하수에로는 다리오의 다음 왕이자 아닥사스다 이전의 왕에 해당합니다. 이 때도 역시 왕의 주변에 일곱 명의 지방관이 배치되어 있었음을 알 수 있습니다. 따라서 에스라가 손에 들고 있는 친서는 왕이 직접 명령한 친서라는 것을 의미합니다. 이 아닥사스다 왕의 친서의 내용인데, 처음 14절에는 에스라에게 맡겨진 임무에 대한 내용이 기록되어 있고, 15~18절까지는 바벨론에서 가져가야 할 성전 봉헌물에 대한 내용이 기록되어 있습니다. 그리고 21~24절까지는 유프라테스 강 건너편 지방에서 모아야 할 성전 봉헌물에 대해 기록되어 있습니다. 매우 많은 봉헌물이 기록되어 있고, 그 사이에 있는 19,20절에는 페르시아의 국고에서 성전 의식에 필요한 것들을 지원하겠다는 약속이 기록되어 있습니다. 19,20절을 보시기 바랍니다.

19 네 하나님의 성전에서 섬기는 일을 위하여 네게 준 그릇은 예루살렘 하나님 앞에 드리고

20 그 외에도 네 하나님의 성전에 쓰일 것이 있어서 네가 드리고자 하거든 무엇이든지 궁중창고에서 내다가 드릴지니라

이「그릇」이란, 바벨론 포로를 끌고 갈 때 예루살렘에서 빼앗아 간 것들입니다. 1차 귀환 때 모두 예루살렘으로 돌려보냈을 텐데, 아직 다 돌려주지 못한 그릇들이 발견되었을 수도 있습니다. 그 밖에도 성전에 필요한 것들로 비용이 많이 든다면 그것도 국고로 부담해도 좋다고 말한 것입니다. 이 얼마나 페르시아의 후한 우대 조치입니까? 다리오 왕 때와 마찬가지로 파격적인 특혜를 베풀어 준 것입니다. 에스라기 4장에는 아닥사스다 왕의 치세 아래에서, 성벽 공사의 방해에 대한 기록이 있는데 이런 우대 조치가 사실인지 도무지 믿기지 않을 정도입니다. 4장 21~23절을 살펴 보시겠습니다.

21 나 곧 아닥사스다 왕이 유브라데 강 건너편 모든 창고지기에게 조서를 내려 이르기를 하늘의 하나님의 율법학자 겸 제사장 에스라가 무릇 너희에게 구하는 것을 신속히 시행하되

22 은은 백 달란트까지, 밀은 백 고르까지, 포도주는 백 밧까지, 기름도 백 밧까지 하고 소금은 정량 없이 하라

23 무릇 하늘의 하나님의 전을 위하여 하늘의 하나님이 명령하신 것은 삼가 행하라 어찌하여 진노가 왕과 왕자의 나라에 임하게 하랴

이런 배경이 있기에 에스라가 가지고 있는 친서가 정말 같은 왕의 친서인지 믿기 힘들지만, 최근 신학자들은 7장의 친서가 틀림없이 아닥사스다 왕의 친서라는 데 의견을 같이하고 있습니다. 그뿐만이 아닙니다. 아닥사스다 왕은 이후 느헤미야에 기록된 대로 성벽 재건을 위해 자신의 술 관원인 느헤미야도 예루살렘에 파견하게 됩니다. 에스라는 이 친서를 손에 쥐고 여호와 하나님께 감사를 드렸습니다(7장 27,28절). 27절부터 다시 히브리어로 돌아갑니다.

27 우리 조상들의 하나님 여호와를 송축할지로다 그가 왕의 마음에 예루살렘 여호와의 성전을 아름답게 할 뜻을 두시고

28 또 나로 왕과 그의 보좌관들 앞과 왕의 권세 있는 모든 방백의 앞에서 은혜를 얻게 하셨도다 내 하나님 여호와의 손이 내 위에 있으므로 내가 힘을 얻어 이스라엘 중에 우두머리들을 모아 나와 함께 올라오게 하였노라

에스라는「우리 조상들의 하나님 여호와를 송축할지로다」라고 감사를 드립니다. 자신은 페르시아의 관리였지만, 하나님의 백성이라는 정체성을 결코 잃지 않았습니다. 비록 이교도 땅에서, 비록 본향이 아닌 나그네처럼 살더라도 주변 사람들과 동화되지 않고 믿음을 굳건히 지켰던 것입니다. 「여호와의 손이 내 위에 있으므로」라는 말은 9절에도 나옵니다. 이스라엘에게 우대 조치가 주어진 것은 왕의 배후에 계신 하나님의 손길에 의한 것이라는 고백입니다. 또한 28절의 「은혜」라는 히브리어는 「헤세드」라는 단어가 사용되었는데,「선한」등으로도 번역되는 단어입니다. 에스라의 고백처럼 하나님의 백성은 하나님의 은혜로, 하나님의 긍휼로, 하나님의 자비로 살아가게 됩니다. 그리고 그 은혜에 대한 응답으로 감사의 고백이 입술에서 믿음으로 드려지는 것입니다. 그러므로 감사의 기도, 감사의 고백도 하나님의 은혜에 대한 응답이며 믿음의 행위라고 할 수 있습니다. 우리도 날마다 자신의 입술을 통해 감사의 고백을 드리고 싶다는 생각이 듭니다. 오랜 역사를 통해 집요한 방해가 있었던 것은 사실입니다. 그러나 그것보다 더 큰 하나님의 선한 손의 도우심이 이스라엘 위에 있었습니다. 하나님은 선한 도우심의 손으로 자기 백성을 인도하시고, 이교 사회의 왕의 도움 가운데 믿음의 공동체를 세우셨습니다. 오늘날, 우리 그리스도인들도 일본이라는 이교 사회에 놓여 있지만, 그 가운데서도 하나님은 우리 교회와 함께 하시며 우리를 인도하시고 교회를 세우실 것입니다.

결론

오늘의 내용을 정리합니다. 하나님께서는 믿음의 공동체를 세우기 위해, 에스라를 보내셨습니다. 제사장이자 율례 학자인 에스라의 사명은 말씀을 연구하고, 말씀을 실행하고, 백성들에게 가르치는 것이었습니다. 에스라의 결단이 우리의 결단이 되도록 합시다. 날마다 성경을 공부하고, 먼저 자신이 말씀의 가르침을 실천하고, 그것을 사람들에게 가르치는 것, 이 사이클을 통해 상호목회가 이루어지고, 하나님께서 교회를 세우시는 것입니다. 또한 에스라는 페르시아 왕의 배려를 통해 하나님의 선한 손의 도우심을 확실히 확인하고 그 은혜에 대한 감사의 고백을 드렸습니다. 우리도 날마다 자신의 입술을 통해 하나님께 감사의 제사를 드리는 자들이 되도록 합시다.

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