2024年11月24日「神の目が注がれていたので 하나님이 돌보셨으므로」

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神の目が注がれていたので 하나님이 돌보셨으므로

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
エズラ記 5章1節~6章12節

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聖句のアイコン聖書の言葉

5:1預言者ハガイとイドの子ゼカリヤが、ユダとエルサレムにいるユダの人々に向かってその保護者であるイスラエルの神の名によって預言したので、
5:2シェアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシュアは立ち上がって、エルサレムの神殿建築を再開した。神の預言者たちも彼らと共にいて、助けてくれた。
5:3そのときには、ユーフラテス西方の総督タテナイとシェタル・ボゼナイ、およびその仲間たちが彼らのもとに来て言った。「この神殿を建て、その飾りつけを完成せよ、と誰がお前たちに命令したのか。」
5:4そこでまた彼らに、「この建物を建てている人々の名前は何というのか」と尋ねた。
5:5しかし、神の目がユダの長老たちの上に注がれていたので、彼らは建築を妨げることができず、その報告がダレイオスになされ、それに対する王の返書が送られてくるのを待った。
5:6ユーフラテス西方の長官タテナイとシェタル・ボゼナイおよびその仲間であるユーフラテス西方の巡察官たちがダレイオス王に送った手紙の写し、
5:7すなわち彼らが王に送った報告書にはこのように書かれていた。「ダレイオス王へ、大いなる平和をお祈り申し上げます。
5:8早速王に知っていただきたいことがございます。わたしどもがユダの州に赴き、大いなる神の神殿に来てみますと、それは切り石で建てられ、壁には板が張られ、工事は熱心に進められ、彼らの手によって完成は間近に迫っておりました。
5:9わたしどもはそこでその長老たちに、『この神殿を建て、その飾りつけを仕上げよ、と誰がお前たちに命令したのか』と尋ねました。
5:10また御報告申し上げるために彼らの名前を尋ね、その責任者たちの名前を書き留めておきました。
5:11彼らはこのような返事をいたしました。『我々は、天地の神に仕える僕であって、今から何年も前に建てられた神殿を再建しているところである。かつてイスラエルの偉大な王が神殿を建て、完成したが、
5:12我々の先祖たちが天にいます神を怒らせたので、神は彼らをバビロンの王、カルデア人ネブカドネツァルの手に渡され、王はこの神殿を破壊し、民を捕囚としてバビロンに連れ去ったのであった。
5:13しかし、バビロンの王キュロスはその治世の第一年に、この神殿の再建をお命じになった。
5:14また、ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から取り出して、バビロンの神殿に持ち帰った金銀の祭具を、キュロス王はこのバビロンの神殿から取り出し、長官に任命したシェシュバツァルという名の人に託し
5:15これらの祭具を携えてエルサレムの神殿に行き、そこに納め、神殿をかつてあった所に再建せよ、と言われた。
5:16そこで、そのシェシュバツァルはエルサレムに来て、その神殿の基礎を据えた。そのときから今に至るまで建築は続いており、まだ完成していないのである。』
5:17従って、もし王のお心に適いますなら、エルサレムにあるこの神殿を建てよとの命令が、キュロス王によって出されたことがあるのかどうか、バビロンにある王宮の記録保管所をお調べいただきたいのです。また、この件に関する王様の御裁定もいただければ有り難く存じます。」
6:1そこで、ダレイオス王により命令が出され、バビロンにある記録保管所が調べられ、
6:2メディア州の都エクバタナで一つの巻物が見つかった。それには、このように記されていた。「覚書。
6:3キュロス王の第一年、キュロス王、勅令を発布。エルサレムの神殿、いけにえをささげる場所として、以前の基礎を保ったまま、神殿は再建されなければならない。建物の高さは六十アンマ、間口は六十アンマとする。
6:4切り石の列を三段置き、木材の列を一段置く。費用は国庫負担とする。
6:5更に、ネブカドネツァルがエルサレムの神殿から取り出して、バビロンに持って来た神殿の金銀の祭具類は返還され、エルサレムの神殿にある元の場所に戻されなければならない。それをその神殿に納めるようにせよ。」
6:6「それゆえ、ユーフラテス西方の長官タテナイとシェタル・ボゼナイ、およびその仲間であるユーフラテス西方の巡察官たちは干渉をやめ、
6:7その神殿の工事をさせることにせよ。ユダの長官と長老たちは、かつて神殿があった場所にその神殿を再建しなければならない。
6:8この神殿を建てるために、あなたたちがそのユダの長老たちを援助することを、わたしは命ずる。その経費はユーフラテス西方からの税収による国費によって賄われ、滞りなく正確にそれを彼らに与えよ。
6:9天にいます神に、焼き尽くす献げ物としてささげるために必要な雄牛、雄羊、小羊、それに小麦、塩、ぶどう酒、油をエルサレムの祭司たちの要求に従って、毎日欠かさず与えなければならない。
6:10こうして彼らが天にいます神に供え物をささげ、王と王子らの幸福な人生を願って祈ってくれるようにせよ。
6:11この定めに違反するものはだれであれ、自分の家から抜き取られた角材にはりつけにし、その家も廃虚とすることを、わたしは命ずる。
6:12この命令をあえて犯し、エルサレムにあるこの神殿を破壊しようとする王や国があれば、そこを御自分の名の住まいとされた神が、一人残らず滅ぼされるように。わたしダレイオスが、この命令を下す。命令どおり実行せよ。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
エズラ記 5章1節~6章12節

原稿のアイコン日本語メッセージ

【序】

神様の働きに対し、常に妨害してくる悪の勢力があるという事を私たちは前回のエズラ記4章において見てまいりました。本日のエズラ記5章からは、それにも拘わらず、「神の目が注がれていたため、神殿の再建という神様の御心は成就される」ということが書かれています。本日もエズラ記の御言葉を通して恵みに与りたいと願います。

【1】. 総督タテナイのダレイオス王への書簡

本日の箇所ではゼカリヤとハガイという預言者の名前が冒頭に出てきます。エズラ記のエズラという名前の意味は「助け」という意味でありますが、「ゼカリヤ」という名前の意味は「ヤハウェは覚えておられる」という意味です。このゼカリヤという名前は、バビロン捕囚時期によくつけられた名前でありました。「ハガイ」という名前の意味は「お祝い」、「祭り」という意味です。ゼカリヤとハガイは、ほぼ同時期に預言者として活躍した人物でありました(エズラこれより後代になります)。旧約聖書のゼカリヤ書とハガイ書の著者でもあります。ハガイ書というのは大変分かりやすく、細部にまで気が配られているのが特徴でありますが、一方、ゼカリヤ書というのは驚くほど謎めいていて、黙示的な雰囲気のあるのが特徴です。神殿の再建のために、ゼカリヤとハガイはそれぞれの個性が生かされながら、イスラエルの民を励ますために、神様によって遣わされた預言者でありました。このゼカリヤ書とハガイ書によって、実際に神殿工事が始まった時期が、キュロスの治世ではなく、ダレイオスの治世の第二年だということが分かります。確認してみましょう。ハガイ書2:10、18と、ゼカリヤ書1:1、16をご覧ください。

ハガイ書2:10

“ダレイオスの第二年九月二十四日、預言者ハガイに主の言葉が臨んだ。”

続いてハガイ書2:18です。

“この日以後、よく心に留めよ。この九月二十四日/主の神殿の基が置かれたこの日から、心に留めよ。”

このようにハガイ書には、神殿の基礎が置かれたのが、ダレイオス第二年の9月24日であると書かれています。続いてゼカリヤ書1:1をご覧ください。

“ダレイオスの第二年八月に、イドの孫でベレクヤの子である預言者ゼカリヤに主の言葉が臨んだ。”

続いてゼカリヤ書1: 16です。

“それゆえ、主はこう言われる。わたしは憐れみをもってエルサレムに帰り/わが家をそこに建て直させると/万軍の主はこう言われる。エルサレムには、測り縄が張られる。”

このように、測り縄が張られたのが、ダレイオス第二年の8月であると書かれています。ですからハガイ書もゼカリヤ書もダレイオスの第二年に建築が始まったと証言しているのです。ダレイオスの在位期間はBC.522年~BC.486年ですから、ダレイオスの第二年とは、BC.520年ということになります。従いまして、新共同訳聖書の5:2の「エルサレム神殿建築を再開した」という翻訳は誤訳でありまして、新しく出ました、聖書協会共同訳では、この箇所は、「神の宮の再建にとりかかった」と訂正されています。また、新改訳2017でも、「神の宮を建て始めた」となっています。この時にやっと神殿再建に着手されたということであります。工事が本格的になると、ユーフラテス川西側州の総督であるタテナイと、タテナイの下役と考えられるシェタル・ボゼナイという人物がやって来て、言いました。3節後半です。「この神殿を建て、その飾りつけを完成せよ、と誰がお前たちに命令したのか。」「この建物を建てている人々の名前は何というのか」。つまり、建築許可の信任状と、あなた方の名前を教えろと言うのであります。実は、この時イスラエルの民が総督タテナイに提出した名簿こそ、エズラ記2章にリストアップされていた名簿であると考えられています。そのことは横に置いておいて、またもや不穏な空気が漂ってきました。妨害が始まるのではないかと予想されます。しかしイスラエルの民は、今回はこれまでのように弱気になったり、或いは「だから再建なんて無理に決まってるじゃないか」というような、あきらめムードにはなりませんでした。その理由が、5節に書かれています。ご覧ください。

“しかし、神の目がユダの長老たちの上に注がれていたので、彼らは建築を妨げることができず、その報告がダレイオスになされ、それに対する王の返書が送られてくるのを待った。”

その理由とは、「神の目がユダの長老たちの上に注がれていたから」と言うのであります。どんなに難しいことでも、そこに神の目が注がれるなら、不思議と問題解決の道が開かれていくということを示しているのだと思います。それではどのように問題が解決されていったのか、その過程を詳しく見ていきましょう。総督タテナイがダレイオス王に送った書簡は、次のようなものでありました。アラム語で引き続き書かれています。7節途中から8節をご覧ください。

“ダレイオス王へ、大いなる平和をお祈り申し上げます。早速王に知っていただきたいことがございます。わたしどもがユダの州に赴き、大いなる神の神殿に来てみますと、それは切り石で建てられ、壁には板が張られ、工事は熱心に進められ、彼らの手によって完成は間近に迫っておりました。”

8節に「それは切り石で建てられ」とあります。「切り石」という言葉は、新改訳聖書では、「大きな石」と翻訳されていまして、もともとのアラム語は「転がせてはめる石」という意味です。つまり、あまりにも石が巨大すぎて、転がす以外には運搬方法がなかったということなのでしょう。恐らく総督タテナイたちは、その石が、あまりにも大きな「切り石」であったために、びっくり仰天したと考えられます。ソロモンの第一神殿をそのまま復元しようとすれば、そのようになることは目に見えていますが、もしかしたら、ソロモンの第一神殿の絢爛さにおいて、到底及ばないことを分かっていた彼らは、せめて神殿の大きさだけでも第一神殿に負けないようにしようと、少し大きなものを建築しようとしていたのかもしれません。具体的に言えば、この時の神殿の石一つの大きさは、長さが15メートル(大型バス1台ほどの長さ)、高さは2.5メートルにもなり、その重さは420トンから600トンであったと推定されています。タテナイは、この度肝を抜かれる工事について、イスラエルの長老たちに問い合わせますと、長老たちは、総督タテナイに次のように語りました。要約しますと、かつて偉大なイスラエルの王が(即ち、ソロモン王のことを言っているのですが)、第一神殿を建てたこと、その後、彼らは天におられる神を怒らせたため、カルデア人のネブカドネツァルの手に渡されたこと、神殿は破壊され、彼らは捕囚として連れ去られたことなどを語りました。ところが、キュロス王が、キュロスの第一年にイスラエルの民に神殿の再建を命じたこと、そして、ネブカドネツァルによって持ち出された金銀の祭具もシェシュバツァルに託して元に戻すように命じた、などということが報告されました。因みに、「シェシュバツァル」という人物は、エズラ記1章にもその名前が出ておりまして、一番最初の帰還の民の中で、総督を務めていた人物だと考えられています。後にダレイオスの時代になって、ゼルバベルが総督の職務を引き継ぐことになるのですが、ですから、実際には、神殿の基礎は、総督ゼルバベルの時代になって初めて据えられたはずなのに、なぜ、ここでシェシュバツァルの名前が5:16節に出て来るのか、そのことで疑問が起こります。この疑問については次のように理解してください。キュロス王から直接勅令を賜ったのは、シェシュバツァルを初めとした草創期の人々でありました。イスラエルの民はここで、「キュロスの勅令」とのつながりを強調するために「シェシュバツァル」という過去の総督の名前を挙げ、彼こそ基礎を据えたと語っているのです。その事業をそのまま、今、我々は引き継いでいるのです、と言っているのです。これを聞いたタテナイは、エルサレムに神殿を建てよという命令が、かつてキュロス王によって本当に出されたのかどうか、ダレイオス王に調査していただくことにしました。そして「この件に関して王様の御裁定もいただければ有難く存じます」と、書簡の最後に付け加えました。

【2】. 神の目が注がれていたので

タテナイからの書簡を受け取ったダレイオス王は早速、調査を開始し、キュロスの勅令の覚書をエクバタナで発見することになります。6:1~5まで、発見された覚書の内容が記されています。特に私たちが注目したい点は、ダレイオス王は、キュロスの覚書以上に、イスラエルの民をさらに優遇する政策を施したという点であります。6:6~10までご覧ください。

“それゆえ、ユーフラテス西方の長官タテナイとシェタル・ボゼナイ、およびその仲間であるユーフラテス西方の巡察官たちは干渉をやめ、その神殿の工事をさせることにせよ。ユダの長官と長老たちは、かつて神殿があった場所にその神殿を再建しなければならない。この神殿を建てるために、あなたたちがそのユダの長老たちを援助することを、わたしは命ずる。その経費はユーフラテス西方からの税収による国費によって賄われ、滞りなく正確にそれを彼らに与えよ。天にいます神に、焼き尽くす献げ物としてささげるために必要な雄牛、雄羊、小羊、それに小麦、塩、ぶどう酒、油をエルサレムの祭司たちの要求に従って、毎日欠かさず与えなければならない。こうして彼らが天にいます神に供え物をささげ、王と王子らの幸福な人生を願って祈ってくれるようにせよ。”

建築の経費は、ユーフラテス川西側州の税収から賄われました。また、6:4の覚書を見ると、王の予算からもその一部が支払われると書かれています。そして、なんと礼拝のために必要な献げ物である雄牛、雄羊、小羊、それに小麦、塩、ぶどう酒、油さえ、毎日欠かさずに彼らの礼拝のために提供せよと命じています。何と気前のいいことでしょうか。こうして、ゼルバベルは干渉を一切受けず、ペルシア帝国から資金と保護という、至れり尽くせりのサポートを受けて、神殿の再建工事に取り組むことが出来たのでありました。冷静に考えて見ると、これは信じられないことです。帰還した当初は、エルサレム周辺の居住民から絶えず、悪質な妨害や、嫌がらせを受け、何度も心が折れそうな経験をしたのに、ダレイオスの第二年になると、急に状況は変わり、目の前にまっすぐな道が開けていったのです。イスラエルの民が、何か特別な策を講じたために、状況が変化したというよりは、神様の導きの中で不思議に道が開かれていったといった感じです。これは帰還の民のその困難な営みの中にあって、神様が共におられ、神様の目が常にイスラエルの民に注がれていたということの証拠だと思います。

少し恐縮ですけれども、私自身の証しをさせていただきます。ご存じのように私は9年前にこのせんげん台教会から招聘を受けて、赴任いたしました。しかし、牧会を続ける中で、現住陪餐会員、礼拝出席者数、共に減少し、それに伴って教会財政も大変厳しくなりました。また、長老を二名立てることができなくなり、昨年の4月に教会から伝道所に種別変更し、牧師給与は当初約束されていた金額の半分になりました。減額された給与の埋め合わせをするために、2022年の冬から夫婦で共にアルバイトをするようになりましたが、子どもを大学に通わせている状況で、アルバイトをしても、とてもやり繰りしていくことは不可能な状況でした。もう少し、アルバイトの日数を増やさなければと思いつつも、自分自身の体力の限界もあり、もうどうにもならなくなっていました。ところが神様は不思議な奇跡を起こしてくださいました。まず最初に、埼玉東部地区の教会が、せんげん台伝道所と牧師家庭に、定期的に献金してくださるようにしてくださいました。大宮教会に続いて、南越谷コイノニア教会も定期的に献金してくださるようになりました。また、上福岡教会、南浦和教会は、以前から変わらずに、せんげん台を支援し続けてくださっています。そして、給与が減額された関係で、大学の奨学金の枠がさらに多くなりましたので、学費については奨学金で十分にやり繰りできるようになりました。さらに、韓国の教会からも、せんげん台教会とそして牧師家庭に対し、献金を送ってきてくださいました。依然として生活の不安はありますが、心が折れそうな状況において、不思議と問題解決の道が開かれていき、まさに私たち家族のせんげん台の地での宣教の働きの上に、神様が共におられ、神様の目が注がれているということを、身を持って体験させていただいております。夫婦二人で毎日祈りながら、そのことを強く思い知らされています。私たちの主はこのように、私たちのことを愛してくださり、日々顧みてくださる神様であられるのです。

【結論】

本日の内容をまとめます。私たちの日々の歩みは、先が見通せない困難な道のりであります。常に心配と不安が付きまとう道のりであります。しかし、そのような中にあっても、神様は私たちと共におられ、困難の中にある私たちのことを覚えておられ、神様の目が常に注がれているのです。ですから私たちは何も心配することはありません。神様の不思議な導きの中で、不安の霧は晴れて、見通しの良い道が必ず開かれて行くことでしょう。私たちはそのことを信じ、愛する神様を礼拝する者として歩ませていただきたいと思います。また、信仰の試みにあっている兄弟姉妹がいるならば、互いに励まし合い、助け合いながら、神様を仰ぎ歩ませていただきましょう。

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하나님이 돌보셨으므로

2024년 11월24일 센겐다이교회 주일설교 카와에 토모아키 목사

에스라 5장 6~12절

서론

하나님의 역사에 대해서, 항상 방해하는 악의 세력이 있다는 것을 우리는 지난 주 에스라 4장에서 살펴 보았습니다. 오늘 설교 본문인, 에스라 5장부터는 그럼에도 불구하고 「하나님이 돌보셨으므로 성전 재건이라는 하나님의 뜻이 이루어진다」라는 내용이 쓰여져 있습니다. 오늘도 에스라의 말씀을 통해 은혜를 얻기를 소망합니다.

(1) 총독 닷드내가 다리오 왕에게 보내는 편지

 오늘의 본문에는 스가랴와 학개라는 선지자의 이름이 첫머리에 나옵니다. 에스라서의 에스라라는 이름의 의미는 「도움」이라는 뜻이지만, 「스가랴」라는 이름의 의미는 「여호와께서는 기억하신다」는 뜻입니다. 이 「스가랴」라는 이름은 바벨론 포로기에 많이 지어졌던 이름입니다. 「학개」라는 이름의 의미는 「축하」, 「축제」라는 뜻입니다. 스가랴와 학개는 거의 비슷한 시기에 선지자로 활동한 인물입니다(에스라는 이보다 후대입니다). 구약성경의 스가랴와 학개의 저자이기도 합니다. 학개는 매우 알기 쉽고 세세한 부분까지 신경을 쓴 것이 특징이지만, 반면 스가랴는 놀라울 정도로 수수께끼 같고 묵시적인 분위기가 있는 것이 특징입니다. 성전 재건을 위해 스가랴와 학개는 각자의 개성을 살려서 이스라엘 백성들을 격려하기 위해 하나님께서 보내신 선지자였습니다. 이 스가랴와 학개를 통해 실제로 성전 공사가 시작된 시기가 고래스 치세가 아닌 다리오 치세 제이년에 시작되었음을 알 수 있습니다. 확인해 보겠습니다. 학개 2장 10,18절과 스가랴 1장 1,16절을 보시기 바랍니다.

학개 2장

10 다리오 왕 제이년 아홉째 달 이십사일에 여호와의 말씀이 선지자 학개에게 임하니라 이르시되

18 너희는 오늘 이전을 기억하라 아홉째 달 이십사일 곧 여호와의 성전 지대를 쌓던 날부터 기억하여 보라

이처럼 학개에는 성전 지대를 쌓던 날이 다리오 왕 제이년 아홉째 달 이십사일이라고 기록되어 있습니다. 이어서 스가랴 1장 1절을 보시겠습니다.

스가랴 1장

1 다리오 왕 제이년 여덟째 달에 여호와의 말씀이 잇도의 손자 베레갸의 아들 선지자 스가랴에게 임하니라 이르시되

이어서 스가랴 1장 16절입니다.

16 그러므로 여호와가 이처럼 말하노라 내가 불쌍히 여기므로 예루살렘에 돌아왔은즉 내 집이 그 가운데에 건축되리니 예루살렘 위에 먹줄이 쳐지리라 만군의 여호와의 말이니라

이처럼 먹줄이 쳐진 것이 다리오 왕 제이년 여덟째 달이라고 기록되어 있습니다. 그래서 학개와 스가랴 모두 다리오 왕 제이년에 건축이 시작되었다고 증언하고 있는 것입니다. 다리오의 재위 기간은 BC.522년~BC.486년 이므로, 다리오 제이년은 BC.520년이라는 뜻입니다. 따라서 신공동역성경(일본성경) 5장 2절의 「예루살렘 성전 건축을 재개했다」는 번역은 오역이며, 새로 나온 성서협회공동역(일본성경)에서는 이 구절이 「성전 재건에 착수했다」로 수정되어 있습니다. 또한 신개역2017(일본성경)에서도 「성전을 짓기 시작하였다」로 되어 있습니다. 이때 비로서 성전 재건에 착수했다는 것입니다. 공사가 본격화되자 유브라데 강 건너편 지방의 총독인 닷드내와 닷드내의 부하로 추정되는 스달보스내와 그들의 동관들이 다 나아와 이렇게 말했습니다. 3절 후반부입니다. 「누가 너희에게 명령하여 이 성전을 건축하고 이 성곽을 마치게 하였느냐」고 물었고 4절에는 「우리가 이 건축하는 자의 이름을 아뢰었으나」라는 이스라엘 백성의 답이 기록되어 있습니다. 즉, 건축 허가증과 너희들의 이름을 말하라는 것입니다. 사실 이때 이스라엘 백성들이 총독 닷드내에게 제출한 명단이 에스라2장에 나오는 명단이라고 생각됩니다. 그런 것은 제쳐두고, 또 다시 불온한 기운이 감돌기 시작했습니다. 방해가 시작될 것으로 예상됩니다. 그러나 이스라엘 백성들은 이번엔 지금까지처럼 「재건한다는 것은 무리일 수밖에 없지 않느냐」는 식의 낙담이나 포기하는 분위기는 아니었습니다. 그 이유가 5절에 기록되어 있습니다. 보시기 바랍니다.

하나님이 유다 장로들을 돌보셨으므로 그들이 능히 공사를 막지 못하고 이 일을 다리오에게 아뢰고 그 답장이 오기를 기다렸더라

그 이유로서는 「하나님이 유다 장로들을 돌보셨으므로」라는 것입니다. 아무리 어려운 일이라도 하나님이 돌보시면 신기하게도 문제 해결의 길이 열린다는 것을 보여주는 것 같습니다. 그럼 어떻게 문제가 해결되어 갔는지 그 과정을 자세히 살펴볼까요? 총독 닷드내가 다리오 왕에게 보낸 편지는 다음과 같은 내용입니다. 계속해서 아람어로 쓰여져 있는데, 7절 중간부터 8절까지를 살펴보겠습니다.

7… 다리오 왕은 평안하옵소서

8 왕께 아뢰옵나이다 우리가 유다 도에 가서 지극히 크신 하나님의 성전에 나아가 본즉 성전을 큰 돌로 세우며 벽에 나무를 얹고 부지런히 일하므로 공사가 그 손에서 형통하옵기에

8절에 「큰 돌로 세우며」라고 되어 있습니다. 「돌」이라는 단어는 신개역성경(일본성경과 한국성경) 에서는 「큰 돌」로 번역되어 있는데, 원래 아람어는 「굴려서 끼워 넣는 돌」이라는 뜻입니다. 즉, 돌이 너무 거대해서 굴리는 것 말고는 운반할 방법이 없었다는 뜻일 것입니다. 아마도 총독 닷드내 일행은 그 돌이 너무 「큰 돌」이었기 때문에 깜짝 놀랐을 것으로 생각됩니다. 솔로몬의 제 1성전을 그대로 복원하려고 하면 그렇게 될 것이 뻔히 보이는데, 어쩌면 솔로몬의 제 1성전의 화려함에는 도저히 미치지 못한다는 것을 알았던 그들은 적어도 성전의 크기만큼은 제 1성전에 지지 않으려고 조금 더 큰 것을 건축하려고 했던 것일지도 모릅니다. 구체적으로 말하면, 당시 성전의 돌 한 조각의 크기는 길이가 15미터(대형 버스 한 대 정도의 길이), 높이가 2.5미터에 달했고 그 무게는 420톤에서 600톤에 달했던 것으로 추정됩니다. 닷드내 총독은 이 엄청난 공사에 대해 이스라엘 장로들에게 물었고, 장로들은 총독 닷드내에게 다음과 같이 말했습니다. 요약하면, 예전에 위대한 이스라엘 왕이 (즉, 솔로몬 왕을 말하는 것입니다.) 제 1성전을 지었고, 그 후 그들은 하늘에 계신 하나님을 노엽게 하였으므로 하나님이 그들을 갈대아 사람 바벨론 왕 느부갓네살의 손에 넘기시매 성전은 파괴되고 그들은 포로로 끌려갔다는 것 등을 이야기했습니다. 그런데 고레스 왕이 고레스 원년에 이스라엘 백성에게 성전 재건을 명령했고, 느브갓네살에 의해 반출된 금은 제구도 고레스가 세운 총독 세스바살에게 맡겨서 다시 돌려놓으라고 명령했다는 내용 들이 보고되었습니다. 참고로 「세스바살」이라는 인물은 에스라1장에서도 그 이름이 나오는데, 가장 먼저 귀환한 백성들 중 총독을 지낸 인물로 여겨지고 있습니다. 나중에 다리오 시대에 이르러 스룹바벨이 총독의 직무를 맡게 되는데, 사실 성전의 지대는 총독 스룹바벨 시대에 이르러서야 비로소 세워졌을 텐데, 왜 여기 5장 16절에 「세스바살」의 이름이 나오는지 의문이 생깁니다. 이 의문에 대해서는 다음과 같이 이해하시면 됩니다. 고레스 왕으로부터 직접 칙령을 받은 것은 세스바살을 비롯한 초창기 사람들이었습니다. 이스라엘 백성들은 여기서 「고레스 칙령」과의 연관성을 강조하기 위해 「세스바살」이라는 과거 총독의 이름을 거론하며 그가 지대를 놓았다고 말하고 있는 것입니다. 그 사업을 그대로, 지금 우리는 그 사업을 이어받고 있다고 말하고 있는 것입니다. 이 말을 들은 닷드내는 예루살렘에 성전을 지으라는 명령이 정말 예전에 고레스 왕이 내린 명령이 맞는지 다리오 왕에게 조사해 달라고 요청합니다. 그리고 「왕은 이 일에 대하여 왕의 기쁘신 뜻을 우리에게 보이소서」라고 편지의 마지막에 덧붙였습니다.

(2) 하나님이 돌보셨으므로

닷드내의 편지를 받은 다리오 왕은 곧바로 조사를 시작하여 고레스의 칙령 각서를 악페다 궁성에서 발견하게 되는데, 6장 1~5절까지, 발견한 칙령 각서의 내용이 기록되어 있습니다. 특히 우리가 주목해야 할 점은 다리오 왕이 고래스의 각서 이상으로 더 이스라엘 백성을 우대하는 정책을 시행했다는 점입니다. 6장 6~10절까지 보시기 바랍니다.

6 이제 유브라데 강 건너편 총독 닷드내와 스달보스내와 너희 동관 유브라데 강 건너편 아바삭 사람들은 그 곳을 멀리하여

7 하나님의 성전 공사를 막지 말고 유다 총독과 장로들이 하나님의 이 성전을 제자리에 건축하게 하라

8 내가 또 조서를 내려서 하나님의 이 성전을 건축함에 대하여 너희가 유다 사람의 장로들에게 행할 것을 알리노니 왕의 재산 곧 유브라데 강 건너편에서 거둔 세금 중에서 그 경지를 이 사람들에게 끊임없이 주어 그들로 멈추지 않게 하라

9 또 그들이 필요로 하는 것 곧 하늘의 하나님께 드릴 번제의 수송아지와 숫양과 어린 양과 또 밀과 소금과 포도주와 기름을 예루살렘 제사장의 요구대로 어김없이 날마다 주어

10 그들이 하늘의 하나님께 향기로운 제물을 드려 왕과 왕자들의 생명을 위하여 기도하게 하라

건축 비용은 유브라데 강 건너편에서 거둔 세금 수입으로 충당했습니다. 또한 6장 4절의 각서를 보면 경비를 다 왕실에서 냈다는 기록이 있습니다. 그리고 예배에 필요한 제물인 수송아지와 숫양과 어린 양과 또 밀과 소금과 포도주와 기름을 어김없이 날마다 주라고 명령하고 있습니다. 이 얼마나 후한 처사입니까? 이렇게 해서 스룹바벨은 아무런 간섭을 받지 않고, 페르시아 제국으로부터 자금과 보호라는 전폭적인 지원을 받으며 성전 재건 공사를 할 수 있게 된 것입니다. 냉정하게 생각해보면 믿기지 않는 일입니다. 귀환 초기에는 예루살렘 주변 거주민들로부터 끊임없이 악의적인 방해와 괴롭힘을 당하며 몇 번이나 마음이 무너질 것 같은 경험을 했지만, 다리오 제이년에 이르러서는 갑자기 상황이 바뀌어 눈앞에 곧게 뻗은 길이 열리게 된 것입니다. 이스라엘 백성이 어떤 특별한 조치를 취해서 상황이 바뀌었다기보다는 하나님의 인도하심 가운데 불가사이하게도 길이 열리게 된 것입니다. 이것은 귀환하는 백성들의 그 어려운 여정 가운데 하나님께서 함께 하셨고, 하나님이 항상 이스라엘 백성을 돌보고 계셨다는 증거라고 생각합니다.

조금은 부끄럽습니다만, 제 자신의 간증을 말씀 드리겠습니다. 아시다시피 저는 9년전 이 센겐다이교회에 청빙을 받고 부임했습니다. 그러나 목회를 계속해 오는 가운데, 등록교인, 예배 참석자 수, 모두 감소했고, 그에 따라 교회 재정도 많이 어려워졌습니다. 또한 장로를 두 명 세울 수 없게 되어 작년 4월에 교회에서 전도서로 변경을 했고, 목회자 급여는 당초에 약속했던 금액의 절반으로 줄었습니다. 줄어든 급여를 보충하기 위해 2022년 겨울부터 부부가 함께 아르바이트를 하게 되었는데, 자녀를 대학에 보내고 있는 상황에서 아르바이트를 해도 도저히 감당할 수 없는 상황이었습니다. 아르바이트 일수를 좀 더 늘려야겠다는 생각을 하면서도 자신의 체력적인 한계도 있고, 더 이상 어떻게 할 수 없는 상황이었습니다. 그런데 하나님께서 놀라운 기적을 베풀어 주셨습니다. 먼저 사이타마 동부지역 교회에서 센겐다이 전도소와 목회자 가정에 정기적으로 헌금해 주시게 되었습니다. 오오미야 교회에 이어 미나미코시가야 코이노니아 교회도 정기적으로 헌금해주셨습니다. 또한 카미후쿠오카 교회, 미나미우라와 교회는 예전처럼 변함없이 센겐다이 교회를 후원해 주시고 있습니다. 그리고 급여가 삭감된 관계로 대학의 장학금 액수가 더 많아져서 학비는 장학금으로 충분히 충당할 수 있게 되었습니다. 또한 한국 교회에서도 센겐다이 교회와 목회자 가정을 위해 헌금을 보내주셨습니다. 여전히 생활의 불안은 있지만, 마음이 무너질 것 같은 상황에서 신기하게도 문제 해결의 길이 열리고, 그야말로 목회자 가족의 센겐다이 지역에서의 선교사역의 위에, 하나님께서 함께 하여 주시고, 하나님이 돌보고 계신다는 것을 몸소 체험하고 있습니다. 부부가 함께 매일 기도하면서 그 사실을 강하게 깨닫고 있습니다. 우리 주님은 이처럼 우리를 사랑하시고 날마다 우리를 돌보아 주시는 하나님이십니다.

결론

오늘의 내용을 정리합니다. 우리의 하루하루의 여정은 한치 앞을 내다볼 수 없는 험난한 길입니다. 항상 걱정과 불안이 따라다니는 길입니다. 그러나 그런 가운데서도 하나님은 우리와 함께 계시고, 어려움 가운데 있는 우리를 기억하고 계시고, 하나님의 눈은 항상 우리를 바라보고 계시며 우리를 돌보십니다. 그러므로 우리는 아무것도 걱정할 필요가 없습니다. 하나님의 놀라운 인도하심 속에서 불안의 안개는 걷히고, 반드시 앞이 보이는 길이 열릴 것입니다. 우리는 그 사실을 믿고 사랑하는 하나님을 예배하는 자로 걸어가기를 원합니다. 또한 믿음의 시련을 겪고 있는 형제자매가 있다면 서로 격려하고 도와주며 하나님을 바라보며 걸어가도록 합시다.

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