2024年11月10日「土台の上に祭壇を築く 제단을 그 터에 세우고」

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土台の上に祭壇を築く 제단을 그 터에 세우고

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
エズラ記 3章1節~4章5節

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聖句のアイコン聖書の言葉

3:1第七の月になって、イスラエルの人々は自分たちの町にいたが、民はエルサレムに集まって一人の人のようになった。
3:2祭司たち、すなわちヨツァダクの子イエシュアとその兄弟たちは、シェアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちと共に立ち上がり、イスラエルの神の祭壇を築き、神の人モーセの律法に書き記されているとおり、焼き尽くす献げ物をその上にささげようとした。
3:3彼らはその地の住民に恐れを抱きながら、その昔の土台の上に祭壇を築き、その上に焼き尽くす献げ物、朝と夕の焼き尽くす献げ物を主にささげた。
3:4書き記されているとおり仮庵祭を行い、定めに従って日ごとに決められた数を守って日ごとの焼き尽くす献げ物をささげた。
3:5その後、絶やすことなくささぐべき焼き尽くす献げ物、新月祭、主のすべての聖なる祝祭、主に随意の献げ物をするすべての人のために献げ物をささげた。
3:6第七の月の一日に、彼らは主に焼き尽くす献げ物をささげ始めた。しかし、主の神殿の基礎はまだ据えられていなかった。
3:7彼らは石工と大工に銀貨を支払い、シドン人とティルス人に食べ物と飲み物と油を与え、ペルシア王キュロスの許しを得て、レバノンから海路ヤッファに杉材を運ばせていた。
3:8エルサレムの神殿に帰った翌年の第二の月に、シェアルティエルの子ゼルバベルとヨツァダクの子イエシュアは彼らの他の兄弟たち、祭司とレビ人、および捕らわれの地からエルサレムに帰って来たすべての人と共に仕事に取りかかり、二十歳以上のレビ人を主の神殿の工事の指揮に当たらせた。
3:9イエシュアもその子らと兄弟たち、カドミエルとその子ら、ホダウヤの子らと一緒になって、神殿の工事に携わる者を指揮することとなった。ヘナダドの子ら、およびその子らと兄弟たち、レビ人も同様であった。
3:10建築作業に取りかかった者たちが神殿の基礎を据えると、祭服を身に着け、ラッパを持った祭司と、シンバルを持ったアサフの子らであるレビ人が立って、イスラエルの王ダビデの定めに従って主を賛美した。
3:11彼らも「主は恵み深く、イスラエルに対する慈しみはとこしえに」と唱和して、主を賛美し、感謝した。主の神殿の基礎が据えられたので、民も皆、主を賛美し大きな叫び声をあげた。
3:12昔の神殿を見たことのある多くの年取った祭司、レビ人、家長たちは、この神殿の基礎が据えられるのを見て大声をあげて泣き、また多くの者が喜びの叫び声をあげた。
3:13人々は喜びの叫び声と民の泣く声を識別することができなかった。民の叫び声は非常に大きく、遠くまで響いたからである。
4:1ユダとベニヤミンの敵は、捕囚の子らがイスラエルの神、主のために聖所を建てていることを聞いて、
4:2ゼルバベルと家長たちのもとに来て言った。「建築を手伝わせてください。わたしたちも同じようにあなたがたの神を尋ね求める者です。アッシリアの王エサル・ハドンによってここに連れて来られたときから、わたしたちはこの神にいけにえをささげています。」
4:3しかし、ゼルバベルとイエシュア、他のイスラエルの家長たちは言った。「わたしたちの神のために神殿を建てるのは、あなたたちにではなく、わたしたちに託された仕事です。ペルシアの王キュロスがそう命じたのですから、わたしたちだけでイスラエルの神、主のために神殿を建てます。」
4:4そこで、その地の住民は、建築に取りかかろうとするユダの民の士気を鈍らせ脅かす一方、
4:5ペルシアの王キュロスの存命中からダレイオスの治世まで、参議官を買収して建築計画を挫折させようとした。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
エズラ記 3章1節~4章5節

原稿のアイコン日本語メッセージ

【序】

キュロスの元年にペルシアを出発した帰還の民は、ついにエルサレムに到着しました。第七の月とは、現代の暦では秋であり、9月~10月に相当しますが、この月は、ユダヤ人にとって大事な月でありました。なぜなら、律法によると、第七の月の10日に大贖罪日(レビ23:27)が定められており、第七の月の15日からの七日間は仮庵の祭り(レビ23:34)として定められているからです。この第七の月に、帰還の民は自分たちの町からエルサレムに集まり、一人の人のようになって祭壇を築き、焼き尽くす献げ物をささげました。ペルシアの地においては、礼拝自体は出来ても、祭壇を築いて生贄を献げることは叶いませんでした。今、エルサレムに戻ってきて、祭壇を築き、礼拝が献げられるということは、彼らにとってどれほど大きな恵みだったでしょうか。本日もエズラ記3章の御言葉を通して恵みに与りたいと願います。3:2~3をご覧ください。

【1】. 土台の上に祭壇を築く

“祭司たち、すなわちヨツァダクの子イエシュアとその兄弟たちは、シェアルティエルの子ゼルバベルとその兄弟たちと共に立ち上がり、イスラエルの神の祭壇を築き、神の人モーセの律法に書き記されているとおり、焼き尽くす献げ物をその上にささげようとした。彼らはその地の住民に恐れを抱きながら、その昔の土台の上に祭壇を築き、その上に焼き尽くす献げ物、朝と夕の焼き尽くす献げ物を主にささげた。”

3節に「昔の土台の上に」とあります。主ヤハウェを礼拝するための祭壇の場所は、決して任意に、適当な場所に設定されることはありませんでした。その場所は主によって定められているためです。「焼き尽くす献げ物」とは、文字通り、生贄のすべての部位を祭壇の上で焼き尽くす祭儀であり、これを朝と夕に献げることによって、祭壇から絶えず煙が立ち上るようにいたしました。律法によると、毎日、朝夕に、供え物を献げるように書かれていまして(出29:38-42、民28:3-8)、イスラエルの先祖たちは、日々、焼き尽くす献げ物を献げることが習わしになっていました。たとえ、一時的にそのような習わしが無視されたり、禁止されることがあっても、再び律法に従って、再開されたという記事が聖書に何度か記されています。例えば、歴代誌下29:7、29:27-29をご覧ください。

歴代誌下29:7

“また彼らは前廊の扉を閉じ、ともし火を消し、聖所でイスラエルの神に香をたくことも、焼き尽くす献げ物をささげることもしなかった。”

歴代誌下29:27-29

“ヒゼキヤは祭壇に焼き尽くす献げ物をささげるように命じた。焼き尽くす献げ物をささげ始めると、イスラエルの王ダビデの楽器の伴奏で、主の賛歌とラッパの演奏が始まった。会衆は皆ひれ伏し、賛歌がうたわれ、ラッパが響き渡り、これらの事はすべて、焼き尽くす献げ物をささげ終わるまで続いた。”

ここにはヒゼキヤ王が日々の焼き尽くす献げ物を再開させたということが書かれています。従いまして、帰還の民が朝と夕の献げ物が行われるようになったということは、祭壇が完全に整備されたことを示す表示でもありました。こうして、彼らは、周囲の人々を恐れながらも、イスラエルの神に祭壇を築き、律法に書かれている通り、朝と夕の焼き尽くす献げ物をささげ始めたのです。奇しくも時は、第七の月であったため、仮庵の祭りも捧げました。仮庵の祭りというのは、厳しい荒れ野において、40年間、幕屋で仮住まい生活したことを思い起こしつつ、神様に感謝する祭りであります。彼らはまさに、荒れ野のようなバビロンでの仮住まい生活を思い起こしつつ、今、本来の場所に戻ることができたことに感謝しながら、仮庵の祭りを捧げているのです。しかし、まだこの時は、主の神殿の基礎は据えられていませんでした。6節をご覧ください。

“第七の月の一日に、彼らは主に焼き尽くす献げ物をささげ始めた。しかし、主の神殿の基礎はまだ据えられていなかった。”

【2】. 過去の神殿との連続性

神殿の再建工事はいつ始まったのか?というのが、エズラ・ネヘミヤ記を読む上で、重要な解釈ポイントとなります。エズラ記の3:8には、その時はゼルバベルがエルサレム神殿に帰った翌年だと書かれていますが、ハガイ書を見ると、ダレイオスの時代に初めて神殿の再建が始まったと記されています。ハガイ2:10、2:18(聖書協会共同訳)をご覧ください。

ハガイ2:10(聖書協会共同訳)

ダレイオスの治世第二年、第九の月の二十四日に、預言者ハガイに主の言葉が臨んだ。

ハガイ2:18(聖書協会共同訳)

今日から後、あなたがたは心に留めよ。/この第九の月の二十四日/主の神殿の基が据えられたこの日から/心に留めよ。

ゼルバベルがエルサレム神殿に戻った年代が具体的にいつなのか、聖書にははっきりと書かれていませんが(2章の名簿は第一次帰還の名簿に違いありませんが、タテナイに報告された名簿と考えられている)、最近の注解書では、ゼルバベルはキュロス王と同じ時代の人物というより、むしろダレイオス王と同じ時代の人物として聖書に描写されていると指摘されています。私もその解釈が正しいと思います。つまり、エズラ記の3章6節と7節の間には時間のずれがあり、1~6節はキュロスの時代、7節~4:3節まではダレイオス王の時代であるというふうに考えてください。そのように読み進めるなら帰還の民は、エルサレムに戻ってすぐに神殿の建築に取り組んだ訳ではなく、最初は周囲の人々を恐れながら細々と祭壇で献げ物をささげ、18年後のダレイオスの治世になって初めて建築に着手することができたということが分かってくるのです。神殿が再建されるまで、帰還の民は18年間、その場所で妨害を受けながら、時を待たなければならなかったのです。

預言者ハガイに主の言葉が臨み、ダレイオス王の治世にようやく再建が始まりましたが、この新しい神殿は、ソロモンの第一神殿との連続性が保たれて再建されたということが強調されています。例えば、第一神殿はシドンとティルスから、杉材を大量に海路で輸入し、ヤッファの港まで運んできましたが、今回も同じようにシドンとティルスから杉材を運び込んでいます。また、建築に着手した時期に注目すると、ソロモンの神殿は第二の月に開始しましたが、第二神殿もやはり3:8を見れば分かりますが、第二の月に着手したとあります。神殿の基礎も、第一神殿と連続性を持って、同じ場所に据えられました。神殿の基礎が据えられた時、イスラエルの民の感情は最高潮に達しました。その感情とは喜びの声と、悲しみの声が入り混じった大変複雑なものでありましたが、とにかくイスラエルの民にとって、その感慨深さはひとしおでありました。神殿の基礎が据えられたこの場所の由来は、第一にダビデ王の罪の贖いの場所であったことに由来しています。1歴代誌21:1~5を見てみましょう。抜粋のプリントをご覧ください。

“サタンがイスラエルに対して立ち、イスラエルの人口を数えるようにダビデを誘った。ダビデはヨアブと民の将軍たちに命じた。「出かけて行って、ベエル・シェバからダンに及ぶイスラエル人の数を数え、その結果をわたしに報告せよ。その数を知りたい。」ヨアブは言った。「主がその民を百倍にも増やしてくださいますように。主君、王よ、彼らは皆主君の僕ではありませんか。主君はなぜ、このようなことをお望みになるのですか。どうしてイスラエルを罪のあるものとなさるのですか。」しかし、ヨアブに対する王の命令は厳しかったので、ヨアブは退き、イスラエルをくまなく巡ってエルサレムに帰還した。ヨアブは調べた民の数をダビデに報告した。全イスラエルには剣を取りうる男子が百十万、ユダには剣を取りうる男子が四十七万であった。”

ダビデ王は、サタンに誘惑されて人口調査を命じました。人口調査がなぜ罪なのかと申しますと、人口調査が、即ち、どれくらい兵力が強いのかを表しているからです。イスラエルの王国が確立されたのは、ダビデ王の政治力やダビデ王の実力によるものだったのでしょうか。そうではありません。神の恵みでありました。そもそもダビデがイスラエルの王とされた事、それ自体も神の一方的な恵みでありました。そうであるなら、なぜ国の兵力を調査し、自らを誇ろうとする必要があったのでしょうか。神に栄光を捧げなかったダビデの罪のために、大変な事態が引き起こされることになります。国中に疫病が起こり、その結果、七万人の民が倒れることになったのです。そして、主は預言者ガドを通してダビデに次のように言われました。1歴代誌21:18節をご覧ください。

“主の御使いは、ダビデにこう伝えるようガドに言った。「ダビデはエブス人オルナンの麦打ち場に上り、主のための祭壇を築かなければならない。」”

麦打ち場とは、脱穀場のことです。刈り取りした麦を「実」と、「もみ殻」にふるい分けるところです。それは霊的な意味において、「審判の場所」を意味しました。最後の審判の時、神様はあたかも麦打ち場で「実」と、「もみ殻」をふるい分けるようにされるのです。その麦打ち場に生贄を捧げるための祭壇を築きなさいと主は言われました。ガドによって語られた御言葉に、ダビデは従順しました。続く21:22節と25~27節をご覧ください。

1歴代誌21:22節

“ダビデはオルナンに言った。「この麦打ち場を譲ってもらいたい。わたしはそこに主のために祭壇を築かなければならない。代価を十分支払ってそれを譲り受け、民から疫病を除きたい。」”

1歴代誌21:25~27節

“ダビデはその土地の代金として金六百シェケルをオルナンに渡した。ダビデはそこに主のための祭壇を築き、焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげ、主に祈り求めた。主は焼き尽くす献げ物の祭壇に天からの火を送って答えられた。主は御使いに命じて、剣をさやに納めるようにされた。”

ダビデはエブス人オルナンの麦打ち場を購入し、そこに祭壇を築いて焼き尽くす献げ物と和解の献げ物をささげました。すると、ようやく主の御使いが剣をさやに納めたので、疫病は止んだと言うのです。生贄をささげて、ダビデの罪は赦されたのですが、まさにこの場所こそ、ソロモン王が神殿の建設に取りかかった際、祭壇の場所として定めた場所でもありました。2歴代誌3:1~2をご覧ください。

“ソロモンはエルサレムのモリヤ山で、主の神殿の建築を始めた。そこは、主が父ダビデに御自身を現され、ダビデがあらかじめ準備しておいた所で、かつてエブス人オルナンの麦打ち場があった。建築を始めたのは、その治世第四年の第二の月の二日であった。”

ダビデが自分の罪の贖いのために、購入したエブス人オルナンの麦打ち場を、ソロモンは神殿の基礎として定め、第二の月に工事を着手したのであります。さらに言えば、その場所は「モリヤ山」であったとも書かれています。かつてアブラハムがイサクを献祭したモリヤ山のあの場所でもありました。聖書に流れているこのような統一性を通して、神殿の基礎を据える場所、即ち、祭壇を築くべき唯一の場所は、永遠の昔から神によって定められたいたことがよくわかります。神殿の基礎が据えられる場所、祭壇を築くべき唯一の場所とは、イエス・キリストを予表しているからです(1コリント3:11)。神殿の基礎が据えられた時、民に迫って来た感情というのは、恐らくそれはイスラエルの民の罪が受け入れられ、赦され、神と和解したことの喜びだったのではないでしょうか。それと同時に、第一神殿の威厳と華やかさを知っていた年配の人々にとって、イスラエルの民が犯してきた罪がどれほど重く、罪深いものであったのか、自分たちの罪と無能さを悲しみ、そのことへ目が開かれ、深い悲しみと悔い改めに導かれたということを表わしているのだと思います。

【3】. 再建の妨害

4:1~5節までは、神殿の再建の妨害について書かれています。エズラ記4:1~2をご覧ください。

“ユダとベニヤミンの敵は、捕囚の子らがイスラエルの神、主のために聖所を建てていることを聞いて、ゼルバベルと家長たちのもとに来て言った。「建築を手伝わせてください。わたしたちも同じようにあなたがたの神を尋ね求める者です。アッシリアの王エサル・ハドンによってここに連れて来られたときから、わたしたちはこの神にいけにえをささげています。」”

アッシリア捕囚の時に北イスラエルは滅ぼされ、民はアッシリアに連行されていきましたが、代わりに外国人が北イスラエルに移住させられました。移住させられた外国人は次第にイスラエルの人々と混血し、後にサマリア人と呼ばれるようになりますが、1節の「敵」とは、このサマリア人のことを指しています。彼らの信仰は、もともと異邦人が持っていた信仰とイスラエルの人々が持っていた信仰が混ざり合った「混合宗教」という特徴を持っていました。ですからゼルバベルやイエシュアたちは「あなた方に何の関わりがありますか」と言って、彼らの提案を断ったのであります。サマリア人の本音は、自分たちの支配している土地に勝手に神殿を再建されるのが面白くなかったのでしょう。何としても神殿の再建を妨害し、ユダとベニヤミンの人々の士気を鈍らせ、挫折させようとしたのです。最終的には、5章、6章で詳しく見ることになりますが、彼らはダレイオス王へ抗議の書簡を送って、王から返答をもらうのですが、ダレイオス王は、むしろイスラエルの神殿再建を奨励し、これ以上の妨害は禁じられることになります。いずれにせよ、ここではキュロスの治世からダレイオスの治世まで18年の間、執拗な妨害が続き、神殿の再建に中々着手できなかったということが示されているのです。

【結論】

本日の内容をまとめます。再建された神殿とソロモンの第一神殿との連続性を通して、神殿の基礎を据える場所、即ち、祭壇を築くべき唯一の場所は、永遠の昔から定められていたことを見てまいりました。私たちキリスト者の人生も、同じ様に永遠の昔に定められていたイエス・キリストという土台の上に築かれています。イエス・キリストの犠牲祭事により、私たちの罪は赦され、神様との交わりが回復されていることを心から喜び、また深い悔い改めに立ちながら、礼拝の民として歩ませていただきましょう。また、神様は私たちと共におられ、そして教会を通してご自身の御業が前進されますが、そのような中でも敵による妨害や、前に立ちはだかる障害物は、決してなくならないという事も併せて覚えたいと思います。そのために私たちには、一人の人のようになって心を合わせ、粘り強く祈っていく者たちとならせていただきましょう。

原稿のアイコンハングル語メッセージ

제단을 그 터에 세우고

2024년 11월10일 센겐다이교회 주일설교 카와에 토모아키 목사

에스라 3장 1~4장 5절

(서론)

고레스 원년에 페르시아를 출발했던 귀환민들은 마침내 예루살렘에 도착했습니다. 일곱째 달은 현대의 달력으로는 가을, 즉 9~10월에 해당하지만, 유대인들에게 이 달은 매우 중요한 달이었습니다. 왜냐하면 율법에 따르면 일곱째 달 열흘날은 속죄일(레위기 23장 27절)로 정해져 있고, 일곱째 달 열닷샛날부터 이레 동안은 초막절(레위기 23장 34절)로 정해져 있기 때문입니다. 이 일곱째 달에 귀환한 백성들은 각자의 성읍에서 예루살렘으로 모여 한 마음이 되어 제단을 쌓고, 제물을 태워 드리는 번제를 드렸습니다. 페르시아 땅에서는 예배 자체는 드릴 수 있었지만, 제단을 쌓고 제물을 바치는 것은 불가능했습니다. 이제 예루살렘에 돌아와서 제단을 쌓고 예배를 드릴 수 있다는 것은 그들에게 얼마나 큰 은혜였을까요? 오늘도 에스라기 3장 말씀을 통해 은혜를 얻고자 합니다. 3장 2~3절을 보시기 바랍니다.

(1)제단을 그 터에 세우고

2 요사닥의 아들 예수아와 그의 형제 제사장들과 스알디엘의 아들 스룹바벨과 그의 형제들이 다 일어나 이스라엘 하나님의 제단을 만들고 하나님의 사람 모세의 율법에 기록한 대로 번제를 그 위에서 드리려 할새

3 무리가 모든 나라 백성을 두려워하여 제단을 그 터에 세우고 그 위에서 아침 저녁으로 여호와께 번제를 드리며

3절에 「그 터에」라고 했습니다. 주 여호와를 예배하기 위한 제단의 위치는 임으로, 적당한 장소에 설정된 것이 아닙니다. 그 장소는 주님께서 정하셨기 때문입니다. 「번제」는 말 그대로 제물의 모든 부위를 제단 위에서 불태우는 제의로 아침 저녁으로 제물을 드리라고 기록되어 있고(출애굽기 29장 38~42절. 민수기 28장 3~8절), 이스라엘의 선조들은 매일 번제를 드리는 것이 습관이 되어 있었습니다. 비록 일시적으로 그러한 관습이 무시되거나 금지된 적이 있더라도 다시 율법에 따라 재개되었다는 기사가 성경에 여러 번 기록되어 있습니다. 예를 들어 역대하 29장 7절, 29장 27~29절을 참고하세요.

역대하 29장

7 또 낭실 문을 닫으며 등불을 끄고 성소에서 분향하지 아니하며 이스라엘의 하나님께 번제를 드리지 아니하므로

역대하 29장

27 히스기야가 명령하여 번제를 제단에 드릴새 번제 드리기를 시작하는 동시에 여호와의 시로 노래하고 나팔을 불며 이스라엘 왕 다윗의 악기를 울리고

28 온 회중이 경배하며 노래하는 자들은 노래하고 나팔 부는 자들은 나팔을 불어 번제를 마치기까지 이르니라

29 제사 드리기를 마치매 왕과 그와 함께 있는 자들이 다 엎드려 경배하니라

여기에는 히스기야 왕이 매일 드리는 번제를 다시 시작했다는 내용이 기록되어 있습니다. 따라서 귀환한 백성들이 아침과 저녁 제사를 드리게 되었다는 것은 제단이 완전히 정비되었다는 표시이기도 했습니다. 그리하여 그들은 주변 사람들을 두려워하면서도 이스라엘의 하나님께 제단을 쌓고 율법에 기록된 대로 아침과 저녁으로 번제를 드리기 시작했습니다. 공교롭게도 그 때가 일곱째 달이었기 때문에 초막절까지 지켰다고 합니다. 초막절은 험난한 광야에서 40년 동안 회막에서 임시 거처 생활을 살았던 것을 회상하며 하나님께 감사하는 축제입니다. 그들은 바로 광야와 같은 바벨론에서의 임시 거처 생활을 떠올리며, 이제 본래의 자리로 돌아갈 수 있게 된 것을 감사하며 초막절을 드리고 있는 것입니다. 그러나 아직 이때는 주님의 성전 지대는 미처 놓지 못한 상태였는데, 6절을 보시기 바랍니다.

일곱째 달 초하루부터 비로서 여호와께 번제를 드렸으나 그 때에 여호와의 성전 지대는 미처 놓지 못한지라

(2)과거 성전과의 연속성

성전 재건 공사는 언제부터 시작되었을까요? 이것이 에스라・느헤미야를 읽을 때 중요한 해석 포인트가 됩니다. 에스라기 3장 8절에는 그 때가 스룹바벨이 예루살렘 성전으로 돌아간 다음 해라고 기록되어 있지만, 학개를 보면 다리오 시대에 처음으로 성전 재건 공사가 시작되었다고 기록되어 있습니다. 학개 2장 10절, 2장 18절을 참고하시기 바랍니다.

학개 2장

10 다리오 왕 제이년 아홉째 달 이십사일에 여호와의 말씀이 선지자 학개에세 임하니라 이르시되

18 너희는 오늘 이전을 기억하라 아홉째 달 이십사일 곧 여호와의 성전 지대를 쌓던 날부터 기억하여 보라

스룹바벨이 예루살렘 성전으로 돌아온 연대가 구체적으로 언제인지는 성경에 명확하게 기록되어 있지 않지만(2장의 명단은 1차 귀환 명단임에 틀림없지만, 닷드내에게 보고된 명단으로 여겨진다). 최근의 주석서에는 스룹바벨이 고래스 왕과 같은 시대의 인물이라기보다는 다리오 왕과 같은 시대의 인물로 묘사되어 있다고 지적하고 있습니다. 저도 그 해석이 옳다고 생각됩니다. 즉, 에스라기 3장 6절과 7절 사이에는 시간적 간격이 있고, 1~6절은 고래스 시대, 7~43절까지는 다리오 왕 시대라는 식으로 생각하시면 됩니다. 그렇게 읽으면 귀환한 백성들이 예루살렘에 돌아와서 바로 성전 건축에 착수한 것이 아니라, 처음에는 주변 사람들을 두려워하며 제단에 제물을 바치다가 18년후 다리오의 치세가 되어서야 건축에 착수할 수 있었다는 것을 알 수 있습니다. 성전이 재건될 때까지 귀환한 백성들은 18년 동안 그 자리에서 방해받으며 하나님의 때를 기다려야 했던 것입니다.

선지자 학개에게 여호와의 말씀이 임하여 다리오 왕의 치세에 드디어 재건이 시작되었는데, 이 새로운 성전은 솔로몬의 제1성전과 연속성을 유지하며 재건되었다는 점이 강조되고 있습니다. 예를 들어, 제 1성전은 시돈과 두로에서 백향목을 대량으로 해로로 수입해 욥바 해변까지 운송하게 하였는데, 이번에도 마찬가지로 시돈과 두로에서 백향목을 운반해 왔습니다. 또한 건축에 착수한 시기를 보면 솔로몬 성전은 둘째 달에 시작했는데, 둘째 성전도 역시 3장 8절을 보면 알 수 있듯이 둘째 달에 착수했다고 기록되어 있습니다. 성전의 기초도 제1성전과 연속성을 가지고 같은 장소에 세웠습니다. 성전 기초가 놓였을 때 이스라엘 백성들의 감정은 최고조에 달했습니다. 그 감정은 기쁨의 목소리와 슬픔의 목소리가 뒤섞인 매우 복잡한 것이었지만, 어쨌든 이스라엘 백성들에게는 그 감격이 남달랐습니다. 성전의 기초가 세워진 이 장소의 유래는 첫째, 다윗 왕의 죄를 속죄하는 장소였다는 데서 비롯됩니다. 역대상 2장 1~5절을 살펴 보겠습니다. 발췌한 프린트를 봐 주시기 바랍니다.

1 사탄이 일어나 이스라엘을 대적하고 다윗을 충동하여 이스라엘을 계수하게 하니라

2 다윗이 요압과 백성의 지도자들에게 이르되 너희는 가서 브엘세바에서부터 단까지 이스라엘을 계수하고 돌아와 내게 보고하여 그 수효를 알게 하라 하니

3 요압이 아뢰되 여호와께서 그 백성을 지금보다 백 배나 더하시기를 원하나이다 내 주 왕이여 이 백성이 다 내 주의 종이 아니니이까 내 주께서 어찌하여 이 일을 명령하시나이까 어찌하여 이스라엘이 범죄하게 하시나이까 하나

4 왕의 명령이 요압을 재촉한지라 드디어 요압이 떠나 이스라엘 땅에 두루 다닌 후에 예루살렘으로 돌아와

5 요압이 백성의 수효를 다윗에게 보고하니 이스라엘 중에 칼을 뺄 만한 자가 백십만 명이요 유다 중에 칼을 뺄 만한 자가 사십칠만 명이라

다윗 왕은 사탄의 유혹에 넘어가 인구 조사를 명령했습니다. 인구 조사가 왜 죄인가 하면, 인구 조사가 곧 병력이 얼마나 강한지 알 수 있기 때문입니다. 이스라엘 왕국이 세워진 것은 다윗 왕의 정치력이나 다윗 왕의 실력 때문이었을까요? 그렇지 않습니다. 하나님의 은혜였습니다. 애초에 다윗이 이스라엘의 왕이 된 것, 그 자체도 하나님의 일방적인 은혜였습니다. 그렇다면 왜 굳이 나라의 병력을 조사하고 스스로를 자랑하려고 할 필요가 있었을까요? 하나님께 영광을 돌리지 않은 다윗의 죄로 인해 엄청난 사태가 발생하게 됩니다. 나라 전체에 전염병이 일어나고, 그 결과 7만 명의 백성이 죽게 된 것입니다. 그리고 주님은 갓 선지자를 통해 다윗에게 다음과 같이 말씀하십니다. 역대상 21장 18절을 보시겠습니다.

여호와의 천사가 갓에게 명령하여 다윗에게 이르시기를 다윗은 올라가서 여부스 사람 오르난의 타작 마당에서 여호와를 위하여 제단을 쌓으라 하신지라

타작 마당은 탈곡장을 뜻합니다. 추수한 밀을 「알곡」과 「쭉정이」로 구분하는 곳입니다. 그것은 영적인 의미에서 「심판의 장소」를 의미했습니다. 최후의 심판 때에 하나님은 마치 타작 마당에서 「알곡」과 「쭉정이」를 가르는 것과 같은 심판을 하실 것입니다. 주님은 그 타작마당에 제물을 드리기 위한 제단을 쌓으라고 하셨습니다. 갓을 통해 들은 말씀대로 다윗은 순종했습니다. 이어지는 21장 22절과 25~27절을 보시기 바랍니다.

역대상 21장

22 다윗이 오르난에게 이르되 이 타작하는 곳을 내게 넘기라 너는 상당한 값으로 내게 넘기라 내가 여호와를 위하여 여기 한 제단을 쌓으리니 그리하면 전염병이 백성 중에서 그치리라 하니

25 그리하여 다윗은 그 터 값으로 금 육백 세겔을 달아 오르난에게 주고

26 다윗이 거기서 여호와를 위하여 제단을 쌓고 번제와 화목제를 드려 여호와께 아뢰었더니 여호와께서 하늘에서부터 번제단 위에 불을 내려 응답하시고

27 여호와께서 천사를 명령하시매 그가 칼을 칼집에 꽃았더라

다윗은 여부스 사람 오르난의 타작 마당을 사서 제단을 쌓고 번제와 화목제를 드렸습니다. 그러자 마침내 여호와의 천사가 칼을 칼집에 꽂아 넣으니 전염병이 그쳤다고 합니다. 제물을 드리고 다윗의 죄는 용서받았는데, 바로 이 장소가 솔로몬 왕이 성전 건축을 시작할 때 제단 위치로 정한 곳이기도 합니다. 역대하 3장 1,2절을 보시기 바랍니다.

1 솔로몬이 예루살렘 모리아 산에 여호와의 전 건축하기를 시작하니 그 곳은 전에 여호와께서 그의 아버지 다윗에게 나타나신 곳이요 여부스 사람 오르난의 타작 마당에 다윗이 정한 곳이라

2 솔로몬이 왕위에 오른 지 넷째 해 둘째 달 둘째 날 건축을 시작하였더라

다윗이 자신의 죄를 속죄하기 위해, 구입한 여부스 사람 오르난의 타작 마당을 솔로몬은 성전의 기초로 정하고 두 번째 달에 공사를 시작한 것입니다. 더 나아가 그 장소는 「모리야 산」이었다고 기록되어 있습니다. 예전에 아브라함이 이삭을 제물로 바쳤던 바로 그 모리아 산이었습니다. 성경에 흐르는 이러한 통일성을 통해 성전의 기초를 놓을 장소, 즉 제단을 쌓아야 할 유일한 장소는 영원전부터 하나님께서 정하시고자 하셨음을 알 수 있습니다. 성전의 기초를 놓을 곳, 제단을 쌓아야 할 유일한 장소는 영원 전부터 하나님께서 정하시고자 하셨음을 알 수 있습니다. 성전의 기초를 놓을 곳, 제단을 쌓아야 할 유일한 장소는 예수・그리스도를 예표하기 때문입니다(고린도전서 3장 11절). 성전 기초가 놓였을 때 백성들에게 다가온 감정은 아마도 이스라엘 백성의 죄가 용서받고 받아들여져 하나님과 화해했다는 기쁨이 아니었을까 싶습니다. 그것과 동시에 제 1성전의 위엄과 화려함을 알고 있던 노인들에게는 이스라엘 백성이 지은 죄가 얼마나 무겁고 죄악이 많았는지, 자신들의 죄와 무능을 슬퍼하고 그것에 대해 눈을 뜨여져, 깊은 슬픔과 회개에 이르게 되었다는 것을 표현하고 있는 것 같습니다.

(3)재건의 방해

4장 1~5절까지는 성전 재건 방해에 대한 내용이 기록되어 있습니다. 에스라기 4장 1,2절을 보세요.

1 사로잡혔던 자들의 자손이 이스라엘의 하나님 여호와의 성전을 건축한다 함을 유다와 베냐민의 대적이 듣고

2 스룹바벨과 족장들에게 나아와 이르되 우리도 너희와 함께 건축하게 하라 우리도 너희 같이 너희 하나님을 찾노라 앗수르 왕 에살핫돈이 우리를 이리로 오게 한 날부터 우리가 하나님께 제사를 드리노라 하니

앗수르 포로기 때 북이스라엘은 멸망하고 백성들은 앗수르로 끌려갔지만, 대신 이방인들이 북이스라엘로 이주하게 됩니다. 이주한 이방인들은 점차 이스라엘 사람들과 혼혈이 되어 나중에 사마리아인으로 불리게 되는데, 1절의 「대적」은 바로 이 사마리아인들을 가리킵니다. 그들의 신앙은 원래 이방인이 가지고 있던 신앙과 이스라엘 사람들이 가지고 있던 신앙이 섞인 「혼합종교」라는 특징을 가지고 있었습니다. 그래서 스룹바벨과 예수아 와 기타 이스라엘 족장들은 「너희는 우리와 상관이 없느니라」라며 그들의 제안을 거절했던 것입니다. 사마리아인들의 속마음은 자신들이 지배하고 있는 땅에 성전을 마음대로 재건하는 것이 재미있지 않았을 것입니다. 어떻게든 성전 재건을 방해하고 유다와 베냐민 사람들의 사기를 떨어뜨리고 좌절시키려 했던 것입니다. 결국 5장, 6장에서 자세히 보게 되겠지만, 그들은 다리오 왕에게 항의 서한을 보내어 왕의 답변을 듣게 되는데, 다리오 왕은 오히려 이스라엘의 성전 재건을 장려하고 더 이상의 방해는 금지하게 합니다. 어쨌든 여기서는 고레스 치세부터 다리오 치세까지 18년 동안 집요한 방해가 계속되어 성전 재건을 제대로 시작하지 못했음을 알 수 있습니다.

(결론)

오늘의 내용을 정리하겠습니다. 재건된 성전과 솔로몬의 제 1 성전과의 연속성을 통해 성전의 기초가 놓여질 장소, 즉 제단을 쌓아야 할 유일한 장소가 영원 전부터 정해져 있었음을 살펴보았습니다. 우리 그리스도인의 삶도 마찬가지로 영원 전부터 정해진 예수・ 그리스도라는 토대 위에 세워져 있습니다.

예수 그리스도의 희생제사로 인해 우리의 죄가 용서받고 하나님과의 교제가 회복된 것을 진심으로 기뻐하며, 깊은 회개 가운데 예배하는 백성으로 살아가도록 합시다. 또한 하나님께서 우리와 함께 하시고 교회를 통해 하나님의 역사가 진행되지만, 그 가운데서도 대적의 방해와 장애물은 결코 사라지지 않을 것임을 함께 기억하기를 원합니다. 이를 위해 우리는 한 마음으로 마음을 합하여 끈질기게 기도하는 자들이 되도록 합시다.

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