2024年10月24日「神の回復の働き 하나님의 회복의 역사 」

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神の回復の働き 하나님의 회복의 역사

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
エズラ記 1章1節~11節

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聖句のアイコン聖書の言葉

1:1ペルシアの王キュロスの第一年のことである。主はかつてエレミヤの口によって約束されたことを成就するため、ペルシアの王キュロスの心を動かされた。キュロスは文書にも記して、国中に次のような布告を行き渡らせた。
1:2「ペルシアの王キュロスはこう言う。天にいます神、主は、地上のすべての国をわたしに賜った。この主がユダのエルサレムに御自分の神殿を建てることをわたしに命じられた。
1:3あなたたちの中で主の民に属する者はだれでも、エルサレムにいますイスラエルの神、主の神殿を建てるために、ユダのエルサレムに上って行くがよい。神が共にいてくださるように。
1:4すべての残りの者には、どこに寄留している者にも、その所の人々は銀、金、家財、家畜、エルサレムの神殿への随意の献げ物を持たせるようにせよ。」
1:5そこで、ユダとベニヤミンの家長、祭司、レビ人、つまり神に心を動かされた者は皆、エルサレムの主の神殿を建てるために上って行こうとした。
1:6周囲の人々は皆、あらゆる随意の献げ物のほかに、銀と金の器、家財、家畜、高価な贈り物をもって彼らを支援した。
1:7キュロス王は、ネブカドネツァルがエルサレムの主の神殿から出させて、自分の神々の宮に納めた祭具類を取り出させた。
1:8ペルシアの王キュロスは財務官ミトレダトによってそれを取り出させ、ユダの首長シェシュバツァルの前で数えさせたところ、
1:9その数は次のとおりであった。金の容器三十、銀の容器一千、小刀二十九、
1:10金杯三十、二級品の銀杯四百十、その他の祭具一千、
1:11以上金銀の祭具の合計五千四百。シェシュバツァルは、捕囚の民がバビロンからエルサレムに上って来たとき、これらの品々をすべて携えて上った。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
エズラ記 1章1節~11節

原稿のアイコン日本語メッセージ

【序】

旧約聖書のエズラ記を通して御言葉の恵みに与っていきたいと思います。大部分の神学者たちによると、エズラ記とネヘミヤ記は本来、一つの書物であったと考えられています。その理由は、第一に古代ヘブライ語の写本では一つであったこと、第二にギリシア語で書かれた70人訳聖書の最も初期の写本も、この二つの書物を一つとして見ていること、そして第三に、歴史家のヨセフスの聖書目録も、この二つが一つとして見なしていることが挙げられます。従いまして、私たちもエズラ・ネヘミヤ記を一つの書物として見ていきたいと思います。週報の年表をご覧ください。エズラ・ネヘミヤ記は歴史書に分類され、キュロスの第一年、即ち、BC.538年から、アルタクセルクセスの治世のBC.430年頃まで、約110年の歴史が記述されています。預言が一切与えられなかった中間時代が、キリストが現れるまでの400年の期間を指しますので、エズラ・ネヘミヤ記は旧約聖書の中でも、後代に書かれた書物だということが分かります。著者は不明です。私たちの聖書で、エズラ記1章の前のページの、歴代誌36章17~20節に記されているように、主はカルデア人の王をイスラエルに向かって攻め上らせました。すべてのものが容赦なくカルデア人の王の手に渡り、主の神殿の宝物はバビロンに持ち去られ、神殿には火が放たれ、城壁も宮殿も崩されてしまいました。生き残った者たちもバビロンに連行されて行きました。預言者たちの口を通して語られた主の裁きが、ついに紀元前586年に南ユダの上に下されたのであります。

しかし神様は、預言者の口を通して、イスラエルの民に、捕囚による懲らしめを与えられることだけではなく、回復が与えられることも預言させられました。エズラ記とは、バビロン捕囚後の回復の物語です。神の回復の預言は、ペルシアの王キュロスの手によって成就されて行きます。この、ペルシア王キュロスとは、どのような人物なのでしょうか。当時ペルシアという国は、現在のペルシャ湾岸に位置する小国で、メディア王国の一部でありました。キュロスは、ペルシア王の父とメディア王の娘から生まれたため、メディア王の孫に当たります。BC.559年にキュロスはペルシアの王に即位すると、何と、舅であるメディア王に反乱を起こし、メディア王国を滅ぼし、そしてアケメネス朝ペルシア王国を樹立してしまいました。メディアの領土を全て支配した後、破竹の勢いで小アジアまで征服し、ついに紀元前539年にはバビロン王国をも滅ぼしてしまいました。キュロスの第一年とは、バビロン王国を滅ぼした年の翌年であるBC.538年と考えられています。この年に、キュロスの勅令が布告されたのであります。1:1~4節をご覧ください。

【1】. 神様が心を動かされた

ペルシアの王キュロスの第一年のことである。主はかつてエレミヤの口によって約束されたことを成就するため、ペルシアの王キュロスの心を動かされた。キュロスは文書にも記して、国中に次のような布告を行き渡らせた。「ペルシアの王キュロスはこう言う。天にいます神、主は、地上のすべての国をわたしに賜った。この主がユダのエルサレムに御自分の神殿を建てることをわたしに命じられた。あなたたちの中で主の民に属する者はだれでも、エルサレムにいますイスラエルの神、主の神殿を建てるために、ユダのエルサレムに上って行くがよい。神が共にいてくださるように。すべての残りの者には、どこに寄留している者にも、その所の人々は銀、金、家財、家畜、エルサレムの神殿への随意の献げ物を持たせるようにせよ。」

この歴史書であるエズラネヘミヤ記は、キュロスの第一年であるBC.538年からの歴史を、神様の視点から眺めているのが特徴です。キュロスの勅令が布告された要因は、聖書によれば「主はかつてエレミヤの口によって約束されたことを成就するため、ペルシアの王キュロスの心を動かされた」ためであるというふうに書かれています。キュロスの勅令が布告された要因は、キュロスにあるのではなく、神様にあるという点に注目してください。それではどのような約束を成就しようとされたのでしょうか。エレミヤ書25:12と、51:11をご覧ください。

25:12

七十年が満ちると、私は、バビロンの王とその国民の上に、またカルデア人の地の上に、その過ちのゆえに罰を下し、これをとこしえに荒廃させる――主の仰せ。

51:11

矢を研ぎ、矢筒を満たせ。/主はメディアの王たちの霊を奮い起こさせる。/バビロンに対する主の計画は彼女を滅ぼすこと。/これこそ主の復讐/その神殿の復讐だ。

これらのエレミヤの預言を成就させるために、神様は異邦人であるペルシア王のキュロスの心を動かされたと考えられます。キュロス王はイスラエルの民にとって救世主のような人物となりました。キュロスは3節で、次のように語っています。「あなたたちの中で主の民に属する者はだれでも…行くがよい」つまり、ユダの民は、無条件エルサレムに戻るようにと命じているのではなく、「自分が主の民に属すると思う者は誰でも…」という言い方をしています。神様はユダヤ人という血統によって、ご自身の民を括ろうとするのではなく、一人ひとりの信仰を問うているのだと思います。そして、その信仰さえも、実は神様から与えられるということが分かります。というのは5節を見ますと、再び神様が「民の心を動かされた」と書かれていまして、神によって心動かされたユダとベニヤミンの家長、祭司、レビ人は、エルサレムに上り、神殿を立て直すことを決意したとあるからです。「神によって心動かされた人びとは、神によって新しい人へと変えられる」このことに私たちは目を留めたいと思います。私たちに適用するなら、洗礼を受けたから、教会に籍があるから、そのことによって神の民とされているのではなく、神の御言葉を聞いて、聖霊の感動を頂き、御言葉を従順に行う者こそ、神の民であるということが言えるのではないでしょうか。バビロン捕囚前のイスラエルの民は、すぐに主を忘れ、戒めを破り続ける民でありました。偶像礼拝にすぐに走る民でありました。しかし、捕囚以降、帰還した民の信仰生活において明らかな変化が生じました。それがたとえ行き過ぎた律法主義になってしまったとしても、捕囚前と捕囚後において、イスラエルの民に、大きな変化がもたらされたことを否定することは出来ません。神様は私たちに少しずつ働きかけながら神の民として整えてくださるのです。そして、もう一点、目に留めたいことは、神様の御心とは、たとえ、頑ななイスラエルに一定期間、懲らしめを与えたとしても、懲らしめ自体が目的なのではなく、再びご自身との愛の交わりを回復させたい、ご自身の信仰の民に、罪と咎からの解放を与え、そして豊かな恵みと祝福に与らせること、そのことこそ神の御心であるという事です。

少し余談になりますが、「70年」という期間が、一体いつからいつまでなのか、色々な解釈があります。実際にバビロン捕囚によって連行されたのが、紀元前586年で、その48年後にキュロスの勅令がなされました。ですから預言された70年という期間より約20年も早く、キュロスの勅令が出されたことになります。ある学者は、バビロン捕囚のBC.586年から、その後エルサレムに帰還し、再建工事を始めて、最終的に神殿が完成することになるBC .515年までの、その70年であると解釈します。また、ある学者は、いやいや、そうではなく、宗教改革を起こしたヨシヤ王以降、南ユダ王国には律法に従わない王が即位しました。従って事実上、霊的な神の国イスラエルは、ヨシヤ王の死によって滅んでしまったと言える。ですからBC .609年からキュロスの勅令のBC .538年まで、この期間の70年であると解釈します。いずれの解釈であれ、70年間、神様の懲らしめを受けた後、イスラエルは神の恵みを受けて大きく変えられました。彼らは御言葉を中心に生きるように新しく生まれ変わったのです。彼らは、契約の民イスラエルとは、どのような存在だったのか、もう一度思い起こし、神様の愛に、信仰によって応答していく民へと変えられたのです。そのことが記述されているのが、エズラ・ネヘミヤ記だと言うことができるでしょう。

さて、バビロンからエルサレムへの帰還は、周囲の人々から家畜や家財を初めとし、ありとあらゆる捧げ物を支援していただきました。その様子は、まさに出エジプトを彷彿させるかのように描かれています。また、人々の自発の献げ物の他にも、キュロス王はかつてネブカドネツァルによって持っていかれた祭具をそのままエルサレムに返却するように、エルサレムに携え上るように手配いたしました。7~11節をご覧ください。

キュロス王は、ネブカドネツァルがエルサレムの主の神殿から出させて、自分の神々の宮に納めた祭具類を取り出させた。ペルシアの王キュロスは財務官ミトレダトによってそれを取り出させ、ユダの首長シェシュバツァルの前で数えさせたところ、その数は次のとおりであった。金の容器三十、銀の容器一千、小刀二十九、金杯三十、二級品の銀杯四百十、その他の祭具一千、以上金銀の祭具の合計五千四百。シェシュバツァルは、捕囚の民がバビロンからエルサレムに上って来たとき、これらの品々をすべて携えて上った。

ここで著者は、以前、エルサレム神殿において祭儀のために用いた「祭具類」をとても詳細に描写しています。それら金銀の祭具類の合計は、とんでもない数、とんでもない重さであったことでしょう。その重さをかみしめながら、帰還する民の喜びは、さらに増し加えられたに違いありません。バビロンからの帰還は、神の一方的な働きであり、それはまさに第二の出エジプトであったのです。

【2】. ペルシア王キュロスの政策

次に、実際の歴史の観点から当時のペルシア帝国とキュロス王の政策を確認していきましょう。ペルシア王キュロスはアッシリア帝国とバビロン帝国でなされていた厳しい武断統治を止めて、「宗教寛容政策」へと政策を大転換しました。その理由は、帝国が各民族による反逆に悩まされるよりも、各民族の宗教や、アイデンティティを尊重することによって、ペルシア王に感謝するようにさせ、帝国をより強固にしたいという思いがあったからだと考えられます。ダレイオス1世の治世には、ペルシアの支配地域が州ごとに分けられ、各州に「サトラップ」と呼ばれる総督を配置するようになり、一段と組織化されていきました。ですから、2節にあるようにキュロス王が、主ヤハウェに対し、「天にいます神、主は、云々」という言葉を使ったとしても、彼が回心して主なる神を信じるようになったという事を意味しているのではありません。また、大英博物館に所蔵されている「キュロスの円筒形碑文(キュロスシリンダー)」には、キュロスは、バビロンの神であるマルドゥクを指して、自分自身を「偉大な主、マルドゥクを敬拝する者」であると呼んでいます。これも、やはりキュロスがバビロンの神マルドゥクに回心したということを意味しているのではありません。このように彼が他の宗教に寛容であったのは、キュロス王が信じているゾロアスター教の影響だと考えられています。ゾロアスターの神、「アフラ・マツダ」は光の勢力であり、敵である闇の勢力と絶えず戦っていました。その中で、バビロンのマルドゥクや、イスラエルのヤハウェは、ペルシア王を助ける神々であり、光の勢力の一員として認識されていたようです。ですから、キュロス王は、特別にエルサレムの神殿の再建だけを命じたのではなく、他の神々の神殿再建についても同じような措置を取りました。こういった歴史的事実を確認すると、「なんだ、ペルシアの宗教寛容政策の中で、偶然にイスラエルのエルサレム帰還が許可されたに過ぎなかったのか」と考える人もいるかもしれません。しかし、そのような見方も一方的な見方だと思います。確かに歴史の観点から、人間的な見方を優先することによって「この出来事は、神の恵みや、神の介入などではなく、たまたま、そうなっただけである」と結論を下すことが出来るかもしれません。「神がただ、『イスラエル民族』だけのために、そのような御業をされた」と考えることは、大変利己的であり、偏狭で、危険極まりない思想だと、断定することが出来るかもしれません。しかし実際、聖書はそのようには語っていないのであります。先ほども、確認しましたように、この出来事は、『イスラエル民族』のために起こされたのではなく、主なる神が御自身の約束を成就するために起こされたという事でありました。ですから、一方で歴史的、人間的な側面も重要でありますが、他方でその背後には、御自身の御言葉を成就させようとする神様の熱心さ、神の誠実があったということを見落としてはならないのだと思います。主なる神は、信仰のない異邦人の心にも働きかけてくださり、ご自身の御心を成就されるのです。神はイスラエルの血統引く、『イスラエル民族』を回復させるのではなく、ご自身の約束の御言葉を成就させるため、もっと言えば、霊的な神の国を、信仰の共同体を、建て上げようとするために御自身の働きをなされるのであります。

【結論】

本日の内容をまとめます。神様は、懲らしめ自体を目的とされるのではないということを見てきました。神様は、ご自身との愛の交わりを再び回復させたい、ご自身の信仰の民に、罪と咎からの解放を与え、そして豊かな恵みと祝福に与らせたいと願っておられ、ご自身の民に出エジプトの恵みを体験させたいと願っておられます。出エジプトの恵みとは、神様の一方的な働きです。今日も神様は、一定期間の懲らしめと訓練の後、私たちの心を動かしてくださり、私たちの心を感動させて、豊かな祝福の中で出エジプトの恵みを与えてくださることでしょう。そして、契約の民、霊のイスラエルとは、どのような存在であるのか、もう一度私たちに思い起こさせてくださり、私たちを御言葉に従順する民として導いてくださるのです。新しい一週間も、私たちは神様との交わりの中で、御言葉に従順する民へ変えられるようにお祈りしていきましょう。

原稿のアイコンハングル語メッセージ

하나님의 회복의 역사

2024년 10월20일 센겐다이교회 주일설교 카와에 토오마키 목사

에스라서 1장 1~11절

서론

구약성경의 에스라서를 통해 말씀의 은혜를 나누고자 합니다. 대부분의 신학자들에 따르면 에스라서와 느헤미야서는 본래 하나의 책이었다고 합니다. 그 이유는 첫째, 고대 히브리어 사본에서는 하나였다는 점, 둘째 헬라어로 쓰인 70인역 성경의 가장 초기 사본도 이 두 책을 하나로 보고 있다는 점, 그리고 셋째, 역사가 요셉푸스의 성경목록도 이 두 책을 하나로 보고 있다는 점을 들 수 있습니다. 따라서 우리도 에스라・느헤미야서를 하나의 책으로 보고자 합니다. 주보의 연표를 참고하시기 바랍니다. 에스라・느헤미야서의 이야기는 역사서로 분류되며, 고레스 원년, 즉 BC. 538년부터 아르타크세르크세스의 통치 시기인 BC. 430년경까지 약 110년의 역사가 기록되어 있습니다. 예언이 전혀 주어지지 않았던 중간 시대가 그리스도가 나타나시기까지 400년의 기간을 가리킴으로 에스라서・느헤미야서의 이야기는 구약성경 중에서도 후대에 쓰인 책이라는 것을 알 수 있습니다. 저자는 알 수 없습니다. 우리 성경에서 에스라서 1장 앞 페이지의 역대기상 36장 17~20절에 기록된 것처럼 여호와께서 갈대아인의 왕을 이스라엘을 향해 쳐들어 오게 하셨습니다. 모든 것이 무자비하게 갈대아의 왕의 손에 넘어갔고, 주님의 성전 보물은 바벨론으로 옮겨졌고, 성전에는 불이 나서 성벽도 궁전도 무너져 버렸습니다. 살아남은 자들도 바벨론으로 끌려갔습니다. 선지자들의 입을 통해 말씀하신 주님의 심판이 마침내 기원전 586년 남유다에 임한 것입니다.

그러나 하나님께서는 선지자의 입을 통해 이스라엘 백성들에게 포로로 끌려가는 징계를 주실 뿐만 아니라 회복을 주실 것임을 예언하게 하셨습니다. 에스라서는 바벨론 포로 이후 회복의 이야기입니다. 하나님의 회복의 예언은 페르시아(바사) 왕 고레스의 손에 의해 성취되어 갑니다. 이 페르시아 왕인 고레스는 어떤 인물일까요? 당시 페르시아라는 나라는 현재의 페르시아만에 위치한 소국으로 메디아 왕국의 일부였습니다. 고레스는 페르시아 왕의 아버지와 메대(메디아) 왕의 딸 사이에서 태어났기 때문에 메대 왕의 손자에 해당합니다. BC.559년에 고레스는 페르시아의 왕으로 즉위하자, 무려 외할아버지인 메대 왕에게 반란을 일으켜 메대 왕국을 멸망시키고 아케메네스 왕조 페르시아 왕국을 세우게 됩니다. 메대의 모든 영토를 지배한 후 파죽지세로 소아시아까지 정복하고 마침내 기원전 539년에는 바벨론 왕국도 멸망시키고 말았습니다. 고레스의 원년은 바벨론 왕국을 멸망시킨 해의 다음 해인 BC.538년으로 여겨집니다. 이 해에 고래스의 칙령이 선포된 것입니다. 1장 1~4절을 보시기 바랍니다.

(1) 여호와께서 마음을 감동시키시매

1 바사 왕 고레스 원년에 여호와께서 예레미야의 입을 통하여 하신 말씀을 이루게 하시려고 바사 왕 고레스의 마음을 감동시키시매 그가 온 나라에 공포도 하고 조서도 내려 이르되

2 바사 왕 고레스는 말하노니 하늘의 하나님 여호와께서 세상 모든 나라를 내게 주셨고 나에게 명령하사 유다 예루살렘에 성전을 건축하라 하셨나니

3 이스라엘의 하나님은 참 신이시라 너희 중에 그의 백성 된 자는 다 유다 예루살렘으로 올라가서 이스라엘의 하나님 여호와의 성전을 건축하라 그는 예루살렘에 계신 하나님이시라

4 그 남아 있는 백성이 어느 곳에 머물러 살든지 그 곳 사람들이 마땅히 은과 금과 그 밖의 물건과 짐승으로 도와 주고 그 외에도 예루살렘에 세울 하나님의 성전을 위하여 예물을 기쁘게 드릴지니라 하였더라

이 역사서인 에스라・느헤미야서는 고레스 원년인 BC.538년부터의 역사를 하나님의 관점에서 바라보고 있는 것이 특징입니다. 고레스의 칙령이 선포된 요인은 성경에 따르면 「여호와께서 예레미야의 입을 통하여 하신 말씀을 이루게 하시려고 바사 왕 고레스의 마음을 감동시키시매」라는 식으로 기록되어 있습니다. 고레스의 칙령이 선포된 요인은 고레스에게 있는 것이 아니라 하나님께 있다는 점에 주목해야 합니다. 그렇다면 어떤 약속을 성취하려고 하셨을까요? 예레미야서 25장 12절과 51장 11절을 보시기 바랍니다.

예레미야 25장 12절

여호와의 말씀이니라 칠십 년이 끝나면 내가 바벨론의 왕과 그의 나라와 갈대아인의 땅을 그 죄악으로 말미암아 벌하여 영원히 폐허가 되게 하되

51장 11절

화살을 갈며 둥근 방패를 준비하라 여호와께서 메대 왕들의 마음을 부추기사 바벨론을 멸하기로 뜻하시나니 이는 여호와께서 보복하시는 것 곧 그의 성전을 위하여 보복하시는 것이라

이 예레미야의 예언을 성취시키기 위해 하나님께서는 이방인인 페르시아 왕 고레스의 마음을 감동시키신 것으로 생각됩니다. 고래스 왕은 이스라엘 백성들에게 구세주와 같은 인물이 되었습니다. 고레스는 3절에서 다음과 같이 말하고 있습니다. 「그의 백성 된 자는 다 유다 예루살렘으로 올라가서 이스라엘의 하나님 여호와의 성전을 건축하라」즉, 유다 백성들은 무조건 예루살렘으로 돌아가라고 명령하는 것이 아니라, 「그의 백성 된 자는 다...」라고 말하고 있습니다. 하나님은 유대인이라는 혈통에 따라 자신의 백성을 묶으려는 것이 아니라 한 사람 한 사람의 믿음을 묻는 것이라고 생각합니다. 그리고 그 믿음조차도, 실은 하나님께서 주신다는 것을 알 수 있습니다. 왜냐하면 5절을 보면, 다시「그 마음이 하나님께 감동을 받고」라고 적혀 있고, 하나님에 의해 마음이 움직인 유다와 베냐민의 족장들과 제사장들과 레위 사람들은 예루살렘으로 올라가 성전을 다시 건축하기로 결심했다고 합니다. 「하나님에 의해 마음이 감동한 사람들은 하나님에 의해 새로운 사람으로 변화 될 수 있다」는 이 말씀에 우리는 주목을 하고 싶습니다. 우리에게 적용하자면 세례를 받았다고 해서, 교회에 등록되어 있다고 해서 하나님의 백성이 되는 것이 아니라 하나님의 말씀을 듣고 성령의 감동을 받아 말씀에 순종하는 자만이 하나님의 백성이라고 말할 수 있지 않을까요? 바벨론 포로 이전의 이스라엘 백성들은 금방 주님을 잊어버리고 계명을 계속 어기는 백성들이었습니다. 금방 우상예배로 달려가는 백성들이었습니다. 그러나 포로 이후 귀환한 백성들의 신앙생활에 분명한 변화가 일어났습니다. 그것이 비록 지나친 율법주의가 되어버렸지만, 포로 전과 포로 귀환 후에 이스라엘 백성들에게 큰 변화가 일어났음을 부정할 수는 없습니다. 하나님은 우리에게 조금씩 역사하시면서 하나님의 백성으로 준비시켜 주시는 것입니다. 그리고 한가지 더 주목하고 싶은 것은, 하나님의 마음이란 비록 불순종하는 이스라엘에게 일정 기간 동안 징계를 하셨더라도 징계 자체가 목적인 것이 아니라 다시 자신과의 사랑의 교제를 회복시키고자 하는, 믿음의 백성을 죄와 허물에서 해방시키고, 풍성한 은혜와 축복을 주시는 것, 그것이야말로 하나님의 마음이라는 것입니다.

조금 여담이 되지만 「70년」이라는 기간이 도대체 언제부터 언제까지인지 여러 가지 해석이 있습니다. 실제로 바벨론 포로로 끌려간 것이 기원전 586년으로, 그 48년 후에 고레스의 칙령이 이루어졌습니다. 그래서 예언된 70년이라는 기간보다 약 20년이나 일찍 고레스의 칙령이 내려진 것입니다. 어떤 학자는 바벨론 포로기인 BC.586년부터 이후 예루살렘으로 귀환하여 재건공사를 시작하여 최종적으로 성전이 완성되는 BC. 515년까지를 그 70년이라고 해석합니다. 또 어떤 학자는 “아니, 그게 아니라 종교개혁을 일으킨 요시야 왕 이후 남유다 왕국에는 율법을 따르지 않는 왕이 즉위했다. 따라서 사실상 영적인 하나님의 나라 이스라엘은 요시야 왕의 죽음으로 인해 멸망해 버렸다고 할 수 있다. 그래서 BC. 609년부터 고레스의 칙령인 BC. 538년까지 이 기간의 70년이다”라고 해석합니다. 어느 해석이든 70년 동안 하나님의 징계를 받은 후 이스라엘은 하나님의 은혜를 받아 크게 변화되었습니다. 그들은 말씀을 중심으로 살도록 새롭게 거듭난 것입니다. 그들은 언약의 백성 이스라엘이란 어떤 존재였는지 다시 한 번 되새기며 하나님의 사랑에 믿음으로 응답해가는 백성으로 변하게 된 것입니다. 그것이 기록되어 있는 것이 에스라・ 느헤미야서라고 할 수 있을 것입니다.

그런데 바벨론에서 예루살렘으로 귀환 할 때, 주변 사람들이 가축과 가재도구를 비롯해 온갖 예물을 지원해주었습니다. 그 모습은 바로 출애굽을 방불케 하는 것처럼 그려져 있습니다. 또한 사람들의 자발적인 예물 외에도 고래스 왕은 과거 느부갓네살이 가져갔던 성전그릇들을 그대로 예루살렘으로 가져가도록, 예루살렘에 반납할 수 있도록 준비했습니다. 7~11절을 보시기 바랍니다.

7 고레스 왕이 또 여호와의 성전 그릇을 꺼내니 옛적에 느부갓네살이 예루살렘에서 옮겨다가 자기 신들의 신당에 두었던 것이라

8 바사 왕 고레스가 창고지기 미드르닷에게 명령하여 그 그릇들을 꺼내어 세어서 유다 총독 세스바살에게 넘겨주니

9 그 수는 금 접시가 서른 개요 은 접시가 천 개요 칼이 스물아홉 개요

10 금 대접이 서른 개요 그보다 못한 은 대접이 사백열 개요 그밖의 그릇이 천 개이니

11 금, 은 그릇이 모두 오천사백 개라 사로잡힌 자를 바벨론에서 예루살렘으로 데리고 갈 때에 세스바살이 그 그릇들을 다 가지고 갔더라

여기서 저자는 이전에 예루살렘 성전에서 제사를 위해 사용했던 「성전 그릇」을 아주 상세하게 묘사하고 있습니다. 그 금은 성전그릇의 합계는 어마어마한 숫자, 어마어마한 무게였을 것입니다. 그 무게를 생각하며 귀환하는 백성들의 기쁨은 더욱 커졌을 것입니다. 바벨론에서의 귀환은 하나님의 일방적인 역사였고, 그것은 바로 제 2의 출애굽이었던 것입니다.

(2) 페르시아 왕 고레스의 정책

다음으로 실제 역사의 관점에서 당시 페르시아 제국과 고레스 왕의 정책을 확인해 보겠습니다. 페르시아 왕 고레스는 아시리아 제국과 바벨론 제국에서 행해지던 엄격한 무력 통치를 중단하고 「종교 관용 정책」으로 정책을 대폭 전환했습니다. 그 이유는 제국이 각 민족에 의한 반역에 시달리기보다는 각 민족의 종교외 정체성을 존중함으로써 페르시아 왕에게 감사하게 만들고 제국을 더욱 견고히 하고자 하는 마음이 있었기 때문이라고 생각됩니다. 다리오스 1세의 치세에는 페르시아의 지배 지역을 주별로 나구고 각 주에 「사트라프」라는 총독을 배치하면서 한층 더 조직화되어 갔습니다. 따라서 2절에 나오는 것처럼 고레스 왕이 주 여호와에게 「하늘의 하나님 여호와께서..」라고 하는 단어를 썼다고 해서 그가 개종해서 주 하나님을 믿게 되었다는 것을 의미하지는 않습니다. 또한 대영박물관에 소장되어 있는「고레스의 원통형 비문(고레스 실린더)」에는 고레스는 바벨론의 신 마르둑을 가르켜 자신을「위대한 신 마르둑을 경배하는 자」라고 부르고 있습니다. 이것 역시 고레스가 바벨론의 신 마르둑에게 개종했다는 것을 의미하는 것은 아닙니다. 이처럼 그가 다른 종교에 관용을 베풀었던 것은 고레스 왕이 믿고 있는 조로아스터교의 영향이라고 생각됩니다. 조로아스터의 신 「아후라・마츠다」는 빛의 세력이자 적인, 어둠의 세력과 끊임없이 싸우고 있었습니다. 그 속에서 바벨론의 마르둑이나 이스라엘의 여호와는 페르시아 왕을 돕는 신들이자 빛의 세력의 일원으로 인식되었던 것 같습니다. 그래서 고레스 왕은 특별히 예루살렘의 성전의 재건만을 명령한 것이 아니라 다른 신들의 신전 재건에 대해서도 같은 조치를 취했습니다. 이런 역사적 사실을 확인하면 “뭐야, 페르시아의 종교 관용 정책 속에서 우연히 이스라엘의 예루살렘 귀환이 허용된 것에 불과했나”라고 생각하는 사람도 있을지 모릅니다. 하지만 그런 시각도 일방적인 시각이라고 생각합니다. 확실히 역사의 관점에서 인간적인 관점을 우선시함으로써 “이 사건은 하나님의 은총이나, 하나님의 개입이 아니고, 우연히, 그렇게 되었을 뿐이다”라고 결론을 내릴 수 있을지도 모릅니다. 하나님이 오직 「이스라엘 민족」만을 위해 그런 역사를 이루셨다고 생각하는 것은 대단히 이기적이고 편협하며 위험하기 짝이 없는 사상이라고 단정할 수 있을지도 모릅니다. 그러나 실제로 성경은 그렇게 말하지 않습니다. 앞에서도 확인한 것처럼 이 일은 「이스라엘 민족」을 위해 일어난 것이 아니라, 때문에 주 하나님께서 자신의 약속을 성취하기 위해 일으키신 것이었습니다. 그래서 한편으로는 역사적, 인간적인 측면도 중요하지만 다른 한편으로는 그 배후에는 자신의 말씀을 성취시키려는 하나님의 열심, 하나님의 성실이 있었다는 것을 간과해서는 안 된다고 생각합니다. 주님은 믿음이 없는 이방인의 마음에도 역사하셔서 자신의 뜻을 이루십니다. 하나님은 이스라엘의 혈통을 이어받은 「이스라엘 민족」을 회복시키는 것이 아니라, 자신이 약속하신 말씀을 성취하시기 위해, 더 말씀드리자면 영적인 하나님 나라를, 믿음의 공동체를 세우시기 위해 역사하시는 것입니다.

결론

오늘의 내용을 정리하겠습니다. 하나님은 징계 자체를 목적으로 하시는 것이 아니라는 것을 살펴보았습니다. 하나님은, 자신과의 사랑의 교제를 다시 회복시키고 싶으시고, 자신의 믿음의 백성들을, 죄와 허물로부터의 해방을 시켜 주시고, 풍성한 은혜와 복을 주시고 싶어 하시고, 자신의 백성에게 출애굽의 은혜를 체험시키고 싶어하십니다. 출애굽의 은혜란 하나님의 일방적인 역사입니다. 오늘도 하나님께서는 일정 기간의 징계와 훈련 후에 우리의 마음을 움직여 주시고, 우리의 마음을 감동시켜 주시고, 풍성한 축복 가운데 출애굽의 은혜를 베풀어 주실 것입니다. 그리고 언약의 백성, 영적 이스라엘이란 어떤 존재인지 다시 한 번 우리에게 상기시켜 주시고, 우리를 말씀에 순종하는 백성으로 인도해 주시는 것입니다. 새로운 한 주간도 우리는 하나님과의 교제 가운데 말씀에 순종하는 백성으로 변할 수 있도록 기도하며 나아갑시다.

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