2019年02月17日「終末の前兆 종말의 전조 」

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終末の前兆 종말의 전조

日付
説教
川栄智章 牧師
聖書
マタイによる福音書 24章3節~14節

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聖句のアイコン聖書の言葉

3イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」
4イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。
5わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。
6戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。
7民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。
8しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。
9そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。
10そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。
11偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。
12不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。
13しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる
14そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」日本聖書協会『聖書 新共同訳』
マタイによる福音書 24章3節~14節

原稿のアイコン日本語メッセージ

日本の競馬の世界では、最も有名なレースであり頂上決戦として認められているのが、12月に行われる有馬記念と、5月に行われる日本ダービーです。このレースに勝利するために、競馬新聞を買ったり、テレビの解説を見ながら、データを収集します。出場する馬の過去の戦績はどうなのか、また、馬の騎手には誰が載るのか、東京競馬場と中山競馬場のそれぞれのコースの状態はどうか、集めたデータから、勝利の兆しを掴み、勝ちそうな馬を選んで馬券を買います。

年末ジャンボ宝くじの場合も同じですね。過去にこのチケット売り場から当選が出たのかどうかが、重要になってきます。普通一度、当選くじが出たら、また出る可能性があるということで、そこの売り場は、人気が出てきます。特に渋谷のハチ公前の宝くじ売り場には過去に1億円以上の当選者を24人も出した、ということで人気があり、常に行列ができるほどです。このように人は何か前兆とか兆しを掴み、その情報をもって勝負に出るのです。

イエスさまの弟子たちも、エルサレムが滅亡し神殿が崩壊するにあたって、そのことの前兆に大変、興味を持っていました。イエスさまが神殿を後にして、祭りの間、宿泊していたベタニアに帰るためにオリーブ山を登っています。オリーブ山からは夕日に照らされて美しい神殿を見下ろすことが出来ました。そこで腰を下ろしたときに弟子たちがひそかにイエスさまに質問をしました。3節をご覧ください。

イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」

弟子たちにとって、幼い時から、神殿というのは彼らの生活の中心であり、世の最後まで残っているに違いないという考え方が彼らには常識としてしみ込んでいましたので、この美しい神殿がまさか、一つの石も残らず崩壊するということは、考えもつかない想定外のことであり、従っていよいよ世の終わりが来るに違いないだろうと思い込んでいました。ダニエル書7:13-18(旧1393)には世の終わりについて次のように預言されています。

夜の幻をなお見ていると、/見よ、「人の子」のような者が天の雲に乗り/「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み

権威、威光、王権を受けた。諸国、諸族、諸言語の民は皆、彼に仕え/彼の支配はとこしえに続き/その統治は滅びることがない。

わたしダニエルは大いに憂い、頭に浮かんだこの幻に悩まされた。

そこに立っている人の一人に近づいてこれらのことの意味を尋ねると、彼はそれを説明し、解釈してくれた。

「これら四頭の大きな獣は、地上に起ころうとする四人の王である。

しかし、いと高き者の聖者らが王権を受け、王国をとこしえに治めるであろう。」

ですから弟子たちは、世の終わりに「人の子」であるメシアが、この世を速やかに統治することになれば、それこそ、全ての面において祝福を受け取ることになるだろうと考えていましたし、「世の終わり」と、「神殿の崩壊」を切っても切れない関係として考えていましたから、「世の終わり」と、「神殿崩壊」は、即ち、預言されている万物の回復を意味するのであり、混沌とした宇宙に回復がもたらされ、神の秩序がその姿を現し、自分たちは一気に安息の中に入れられ、キリストの弟子たちは、もはや何不自由もない幸いな人生が享受するのだろうという妄想を描いていたのです。ですから彼らが突然、目の色を変えながら、色々な質問を連発したのも、無理はありませんでした。

イエスさまは答えを通して、終末の前兆について数々の事を教えてくださいましたが、具体的ないつとか、どこで、というような内容は教えてくれませんでした。その代り、詐欺師のような者が現れて、自分がメシアであると名乗ったり、いよいよ終わりが来て審判が始まったと嘘を流すので彼らに注意しなさいということです。そして、弟子たちは迫害されることになるということです。それらのこと一切を忍耐し、最後までイエスさまにつながって、福音を証ししなさい。どんなことが起こっても驚かないで忍耐しなさいと、励ましの言葉をかけてくださいました。それでは具体的に見て参りましょう。4-5節をご覧ください。

イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。

わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。

弟子たちの目をぎらぎらさせた質問に対し、イエスさまのお答えの中には、「惑わす」という言葉が二度も出てきます。つまり、イエスさまの返事は、弟子たちが期待した内容とは正反対でした。

旧約聖書を見ると、確かに人の子の到来によって平和、公義、喜び、すべての善なることに対する成就が約束されています。弟子たちはキリストが到来するその日になれば、戦争の恐怖、略奪、飢饉と災難から完全に解放されるだろうと信じていたのに、今、イエスさまは、律法の時代に、偽りの預言者や、偽善者であるファリサイ派の人々、律法学者たちと同じような部類の人たちが、新しい福音の時代においてもやはり猛威を振るうことになると警告しているのです。「何も変わらないではないか」と思ったかもしれません。このことは、旧約聖書に預言者によって書かれたメシア預言が成就されないということではなく、それらが一気に、完全に成就するのではないということです。

従ってキリスト者は一生を通じて、悪の迷宮を、キリストのたいまつを掲げて歩いていくようなものです。悪の迷宮を歩く中で、救いを確信することになりますが、試練が繰り返しやって来て、常に罪と悪との戦いが強いられるのです。

ところで、救いの教理に対する詐欺師が初代教会にたくさん現れました。所謂、異端とよばれる教えです。現在見ることが出来る異端の教えのすべてのルーツが、初代教会の時代に遡ります。神がこのように多くの異端の発生を初代教会において許されたのは、彼らが勝手に聖書を超えたり、勝手に聖書の一部分を削除して、自分たちの教理を作ることに対して、強い嫌悪感を抱かせることであり、また、聖書の内に留まらなければ、救いの確信は得られないということを御自身の民に教えるためでした。続いて6-8節をご覧ください。ここではまだ終末ではないこと、むしろそれは、始まりであることを教えられます。

戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。

民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる。

しかし、これらはすべて産みの苦しみの始まりである。

ここでは、悲しい戦争や凄まじい事件を通して、弟子たちが苦難と恐れの中に置かれても、まだ世の終わりではないことが強調されています。むしろそれは、苦しみの始まりであるというのです。イエスさまは、この罪深い世が、どれくらい悪に対して粘り強く執着しているのか知っておられ、神の国に従順できない者たちが、やがてこの世を悲惨な殺戮によって満たしてしまうことを知っていました。ですから、御自身の民が、戦争や、そのような悲惨な状況に置かれても、決して困惑しないで、それらは神の許しの中で起こっているのであり、歴史は神の権威によって統制されていることを覚え、信仰を保ち忍耐するように励ましています。続いて9-10節をご覧ください。

そのとき、あなたがたは苦しみを受け、殺される。また、わたしの名のために、あなたがたはあらゆる民に憎まれる。

そのとき、多くの人がつまずき、互いに裏切り、憎み合うようになる。

イエスさまの弟子たちはイエスさまが、十字架に架けられたように、全く同じように迫害にあい、十字架に架けられたり、殺されたりします。最初キリスト者への迫害はユダヤ人からの迫害でしたが、次第に、ローマ帝国からの迫害に移っていきました。キリスト者はあらゆる民族から憎まれます。ネロ皇帝の時には、キリスト者がライオンの餌として殺されたり、火あぶりにされました。そのような中で、信仰から離れて行く人々も大勢出てきました。教会の中で愛が冷えて行きました。11-13節をご覧ください。

偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。

不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。

しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。

偽預言者と偽キリストが出て来る理由の一つとして、主の日が既に到来したかのように教えるところにあります。2テサロニケ2:2には次のようにあります。

霊や言葉によって、あるいは、わたしたちから書き送られたという手紙によって、主の日は既に来てしまったかのように言う者がいても、すぐに動揺して分別を無くしたり、慌てふためいたりしないでほしい。

2世紀にはシメオン・バル・コクバという人が自称メシアとして現れ、ローマ帝国に対し兵を挙げました。6世紀、ムハンマドは、自分をイエスより偉大な預言者であると称して、イスラム教をおこしました。近代においても、19世紀にジョセフ・スミス・ジュニアという人が、預言者として啓示を受け、「モルモン経典」を書き、モルモン教という異端が起こりました。また、1914年にイエスキリストが再臨するという主張から、「エホバの証人」という異端起こりました。イエスさまは、このような惑わす者を注意しなさいと言っているのです。そして、最後まで信仰を守り、耐え忍ぶ者こそが救われるのです。イエスさまは、弟子たちの描いていた妄想を少しずつ取り除き、修正しようとされているのです。

当時の弟子たちだけでなく、私たちもそうですが、季節外れの、時期尚早の収穫をしようとします。旧約の預言者たちによって約束された神の国の到来の豊かな実だけを刈り取ろうとするのです。これは、戦争が始まっていないのに、戦争後の来るであろう勝利を眺めているようなものです。レースをする人がまだ走ってもいないのに金メダルやトロフィーを獲得したかのように、金メダルは重いかなとか、純粋な銀は純粋な金に比べてさらにやわらかいかなとか、トロフィーに口づけをする角度などを議論しているようなものです。

イエスさまは弟子たちのはやる気持ちを抑えながら、スタート地点に立った弟子たちに、むしろコースを外れないで最後まで走りぬきなさいと勧められます。信仰とは、天国に入るための入場券ではありません。それをタンスの引き出しに大事にしまっておいて、いざ、この肉体の寿命が尽きた時に入場券を持って天国に入ろうというのではないのです。信仰とはチケットではなく、プロセスです。人柄からにじみ出てくるものです。信仰とは毎日の「戦い」であり、自分の弱さと罪の性質から少しずつ解放され聖められるための「地道な歩み」なのです。ですから、神の国の豊かな約束を、私たちは、あくまで信仰の目で眺めるのであって、一気にそれらが完成されるのではないのです。私たちの信仰生活は、喜びは喜びであっても、それは信仰を背景として喜びであって、現実は、悪魔の惑わしと試練の中で、日々訓練され、鍛錬される過程であって、キリストにある勝利は約束されていますが、迫害され、死に渡されることもあり、見方によってそれは、葛藤であり、絶望的なのです。

私たちの内で、種を撒く者になることを望む人は誰もいません。みんなが自分が蒔いていないところから収穫しようと飛びつこうとするのです。しかし福音伝道とは、まさにこの地道な働きである、種を撒くことなのです。私たちの生活を通してキリストを証しすることなのです。私たちが、忍耐をもってこの世の生を全うし、福音が全世界に宣べ伝えられる時になって初めて終わりが来るのです。14節をご覧ください。

そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。」

イエスさまは弟子たちから投げかけられた質問に対する答えを通して、弟子たちに悲しい迫害と混乱が長く続くことを警告されました。弟子たちが目をギラギラさせながら、直ちに天の栄光に移行するのだろうと性急に考えていたので、弟子たちの考えの誤りを修正することがイエスさまの目的だったと思われます。

キリストの贖いの道は、大きくて、人々を魅了する贅沢なエントランスによって迎え入れられる大通りではなく、小さな門から通じる細い道であり、数多くの坂を経なければならない小道なのです。聖徒は、終末の前兆である、戦争や地震などを分析し、前兆を正確に把握して、いよいよ時が迫ってきてから、備えるのではありません。偽預言者が現れ、偽キリストが現れてから、惑わされないよう注意するのでもありません。それらの前兆は、実は、初代教会の時から今に至るまで継続して起こっているのです。ですから、今がまさに終末であり、今、私たちは惑わされないよう信仰の戦いをあゆまなければなりません。私たちはゴールではなく、むしろ始まりであるスタート地点に立っており、数多くの苦しみと試練を通過することがなければ天の報いを得られることはないのです。

原稿のアイコンハングル語メッセージ

종말의 전조

2019년 2월17일 설교 카와에 토모아키 목사

마태복음 24장 4절~24장 14절

일본 경마계에서 가장 유명한 경주이자 정상 대결로 인정받는 것은, 12월에 열리는 아리마 기념과 5월에 열리는 일본 더비입니다. 이 경주에서 승리하기 위해 경마 신문을 사거나 TV 해설을 보며 데이터를 수집합니다. 출전하는 말의 과거 전적은 어떠한지, 또 기수는 누가 타는지, 도쿄 경마장과 나카야마 경마장의 각 코스 상태는 어떤지, 수집한 데이터를 통해 승리의 조짐을 포착하고, 이길 것 같은 말을 골라 마권을 구매합니다.

연말 점보 복권의 경우도 마찬가지입니다. 과거에 이 매표소에서 당첨자가 나왔는지 여부가 중요해집니다. 보통 한 번 당첨 복권이 나오면 다시 나올 가능성이 있다는 이유로, 그 매표소는 인기가 높아집니다. 특히 시부야 하치코 앞의 복권 매표소는, 과거에 1억 엔 이상의 당첨자를 24명이나 배출했다는 이유로 인기가 많아, 항상 줄이 길게 늘어설 정도입니다. 이처럼 사람은 무언가 전조나 징조를 포착하고, 그 정보를 바탕으로 승부를 거는 것입니다.

예수님의 제자들도 예루살렘이 멸망하고 성전이 무너질 것을 앞두고, 그 일의 전조에 큰 관심을 가지고 있었습니다. 예수님께서 성전을 떠나, 축제 기간 동안 머물렀던 베다니아로 돌아가시기 위해 감람 산을 오르고 계셨습니다. 감람 산에서는, 석양에 비친 아름다운 성전을 내려다볼 수 있었습니다. 그곳에 앉으셨을 때 제자들이 조용히 예수님께 질문을 드렸습니다. 3절을 보십시오.

3 예수께서 감람 산 위에 앉으셨을 때에 제자들이 조용히 와서 이르되 우리에게 이르소서 어느 때에 이런 일이 있겠사오며 또 주의 임하심과 세상 끝에는 무슨 징조가 있사오리이까

제자들에게 있어 성전은, 어릴 적부터 그들의 삶의 중심이었으며, 세상의 끝까지 남아 있을 것이라는 생각이 상식으로 깊이 뿌리내려 있었기에, 이 아름다운 성전이, 설마 돌 하나 남기지 않고 무너질 것이라고는 상상조차 할 수 없는 예상 밖의 일이었고, 따라서 이제야말로 세상의 끝이 다가왔을 것이라고 굳게 믿고 있었습니다. 다니엘서 7:13-18에는 세상의 끝에 대해 다음과 같이 예언되어 있습니다.

다니엘 7장

13 내가 또 밤 환상 중에 보니 인자 같은 이가 하늘 구름을 타고 와서 옛적부터 항상 계신 이에게 나아가 그 앞으로 인도되매

14 그에게 권세와 영광과 나라를 주고 모든 백성과 나라들과 다른 언어를 말하는 모든 자들이 그를 섬기게 하였으니 그의 권세는 소멸되지 아니하는 영원한 권세요 그의 나라는 멸망하지 아니할 것이니라

15 나 다니엘이 중심에 근심하며 내 머리 속의 환상이 나를 번민하게 한지라

16 내가 그 곁에 모셔 선 자들 중 하나에게 나아가서 이 모든 일의 진상을 물으매 그가 내게 말하여 그 일의 해석을 알려 주며 이르되

17 그 네 큰 짐승은 세상에 일어날 네 왕이라

18 지극히 높으신 이의 성도들이 나라를 얻으리니 그 누림이 영원하고 영원하고 영원하리라

그러므로 제자들은 세상의 끝에「인자」이신 메시아가 이 세상을 속히 다스리게 된다면, 그야말로 모든 면에서 축복을 받게 될 것이라고 생각했고, 「세상의 끝」과「성전의 붕괴」를 떼려야 뗄 수 없는 관계로 여겼기 때문에, 「세상의 끝」과 「성전의 붕괴」는 곧 예언된 만물의 회복을 의미하며, 혼돈에 빠진 우주에 회복이 가져오고, 하나님의 질서가 모습을 드러내며, 자신들은 단숨에 안식 속으로 들어가게 되고, 그리스도의 제자들은, 더 이상 아무런 부족함 없는 행복한 삶을 누리게 될 것이라는 망상을 품고 있었던 것입니다. 그래서 그들이 갑자기 눈빛을 달리하며 온갖 질문을 쏟아낸 것도 무리는 아니었습니다.

예수님께서는 답변을 통해, 종말의 전조에 대해 여러 가지를 가르쳐 주셨지만, 구체적인 시기나 장소와 같은 내용은 알려주지 않으셨습니다. 대신, 사기꾼 같은 자들이 나타나 자신이 메시아라고 자칭하거나, 드디어 끝이 와서 심판이 시작되었다고 거짓말을 퍼뜨릴 것이니 그들에게 주의하라고 하셨습니다. 그리고 제자들은 박해를 받게 될 것이라고 하셨습니다. 그 모든 일을 인내하며, 끝까지 예수님과 연결되어 복음을 증거하라고 하셨습니다. 무슨 일이 일어나도 놀라지 말고 인내하라고 격려의 말씀을 주셨습니다. 그럼 구체적으로 살펴보겠습니다. 4-5절을 보십시오.

4 예수께서 대답하여 이르시되 너희가 사람의 미혹을 받지 않도록 주의하라

5 많은 사람이 내 이름으로 와서 이르되 나는 그리스도라 하여 많은 사람을 미혹하리라

제자들의 눈빛이 반짝이는 질문에 대한 예수님의 답변에는 「미혹하다」라는 말이 두 번이나 등장합니다. 즉, 예수님의 대답은 제자들이 기대했던 내용과는 정반대였습니다.

구약성경을 보면, 확실히 인자의 도래를 통해 평화와 공의, 기쁨, 그리고 모든 선한 일의 성취가 약속되어 있습니다. 제자들은, 그리스도가 오시는 그날이 되면 전쟁의 공포, 약탈, 기근과 재앙으로부터 완전히 해방될 것이라고 믿었으나, 지금 예수님께서는, 율법의 시대에 거짓 선지자나 외식하는 바리새인들, 서기관들과 같은 부류의 사람들이 새로운 복음의 시대에도 여전히 횡행할 것이라고 경고하고 계십니다. 「아무것도 변하지 않는 것 아닌가」라고 생각했을지도 모릅니다. 이것은 구약성경에 선지자들에 의해 기록된 메시아 예언이 성취되지 않는다는 것이 아니라, 그것들이 단번에, 완전히 성취되는 것은 아니라는 뜻입니다.

따라서 그리스도인은 일생을 통해, 악의 미로를 그리스도의 횃불을 들고 걸어가는 것과 같습니다. 악의 미로를 걷는 가운데 구원을 확신하게 되지만, 시련이 반복해서 닥쳐와 항상 죄와 악과의 싸움을 강요당하는 것입니다.

그런데 구원의 교리에 대한 사기꾼들이 초대 교회에 많이 나타났습니다. 이른바 이단이라 불리는 가르침입니다. 현재 볼 수 있는 이단 교리의 모든 뿌리는 초대 교회 시대로 거슬러 올라갑니다. 하나님께서 초창기 교회에서 이처럼 많은 이단의 발생을 허락하신 것은, 그들이 제멋대로 성경을 넘어가거나, 제멋대로 성경의 일부를 삭제하여 자신들의 교리를 만드는 것에 대해 강한 혐오감을 갖게 하기 위함이었으며, 또한 성경 안에 머물지 않으면 구원의 확신을 얻을 수 없다는 것을, 자신의 백성에게 가르치기 위함이었습니다. 이어서 6-8절을 보십시오. 여기서는 아직 종말이 아니라는 것, 오히려 그것이 시작이라는 것을 가르쳐 줍니다.

6 난리와 난리 소문을 듣겠으나 너희는 삼가 두려워하지 말라 이런 일이 있어야 하되 아직 끝은 아니니라

7 민족이 민족을, 나라가 나라를 대적하여 일어나겠고 곳곳에 기근과 지진이 있으리니

8 이 모든 것은 재난의 시작이라

여기서는 슬픈 전쟁과 끔찍한 사건들을 통해, 제자들이 고난과 두려움 속에 놓여 있더라도 아직 세상의 끝이 아니라는 점이 강조되고 있습니다. 오히려 그것은 고통의 시작일 뿐이라고 말씀하십니다. 예수님께서는, 이 죄 많은 세상이, 악에 얼마나 집요하게 매달려 있는지 아셨으며, 하나님의 나라에 순종하지 못하는 자들이, 머지않아 이 세상을 비참한 학살로 가득 채울 것임을 알고 계셨습니다. 그러므로 주님은, 자신의 백성이 전쟁이나 그러한 비참한 상황에 처하더라도 결코 당황하지 말고, 그것들이 하나님의 허락 안에서 일어나고 있으며 역사는 하나님의 권위에 의해 통제되고 있음을 기억하며, 믿음을 지키고 인내하도록 격려하고 계십니다. 이어서 9-10절을 보십시오.

9 그 때에 사람들이 너희를 환난에 넘겨 주겠으며 너희를 죽이리니 너희가 내 이름 때문에 모든 민족에게 미움을 받으리라

10 그 때에 많은 사람이 실족하게 되어 서로 잡아 주고 서로 미워하갰으며

예수님의 제자들은, 예수님께서 십자가에 못 박히신 것과 똑같이 박해를 받아 십자가에 못 박히거나 살해당하기도 했습니다. 처음에는 유대인들로부터 기독교인들에 대한 박해가 있었지만, 점차 로마 제국으로부터의 박해로 바뀌어 갔습니다. 그리스도인들은 모든 민족에게 미움을 받습니다. 네로 황제 시대에는, 그리스도인들이 사자의 먹이로 죽임을 당하거나 화형에 처해지기도 했습니다. 그런 와중에 믿음에서 떠나가는 사람들도 많이 나왔습니다. 교회 안에서 사랑이 식어갔습니다. 11-13절을 보십시오.

11 거짓 선지자가 많이 일어나 많은 사람을 미혹하겠으며

12 불법이 성하므로 많은 사람의 사랑이 식어지리라

13 그러나 끝까지 견디는 자는 구원을 얻으리라

거짓 선지자와 거짓 그리스도가 나타나는 이유 중 하나는, 주님의 날이 이미 도래한 것처럼 가르치기 때문입니다. 데살로니가후서 2장 2절에는 다음과 같이 기록되어 있습니다.

데살로니가후서 2장

2 영으로나 또는 말로나 또는 우리에게서 받았다 하는 편지로나 주의 날이 이르렀다고 해서 쉽게 마음이 흔들리거나 두려워하거나 하지 말아야 한다는 것이라

2세기에는, 시몬 바르 코크바라는 인물이 자칭 메시아로 나타나 로마 제국에 대항해 무기를 들었습니다. 6세기, 무함마드는 자신을 예수보다 위대한 예언자라고 칭하며 이슬람교를 창시했습니다. 근대에도 19세기에 조셉 스미스 주니어라는 인물이 예언자로서 계시를 받아「몰몬 경전」을 저술했고, 이로 인해 몰몬교라는 이단이 생겨났습니다. 또한, 1914년에 예수 그리스도가 재림한다는 주장에서 「여호와의 증인」이라는 이단이 일어났습니다. 예수님께서는, 이러한 미혹하는 자들을 조심하라고 말씀하고 계십니다. 그리고 끝까지 믿음을 지키고 끝까지 견디는 자는 구원을 얻는 것입니다. 예수님께서는 제자들이 품고 있던 망상을 조금씩 제거하고 바로잡으려 하시는 것입니다.

당시 제자들뿐만 아니라 우리도 마찬가지지만, 제철이 아닌, 시기상조인 수확을 하려고 합니다. 구약의 예언자들에 의해 약속된 하나님 나라의 도래라는, 풍성한 열매만을 거두려 하는 것입니다. 이는 전쟁이 시작되지도 않았는데, 전쟁 후에 올 승리를 바라보는 것과 같습니다. 경주하는 사람이 아직 달리지도 않았는데 금메달이나 트로피를 획득한 것처럼, 금메달은 무거울까, 순은은 순금에 비해 더 부드러울까, 트로피에 입을 맞출 각도 등을 논의하는 것과 같습니다.

예수님께서는, 제자들의 조급한 마음을 달래시며, 출발선에 선 제자들에게 오히려 코스를 벗어나지 말고 끝까지 달려 나가라고 권면하십니다. 믿음이란, 천국에 들어가기 위한 입장권이 아닙니다. 그것을 옷장 서랍에 소중히 간직해 두었다가, 마침내 이 육신의 생명이 다했을 때 입장권을 가지고 천국에 들어가려는 것이 아닙니다. 믿음은 티켓이 아니라 과정입니다. 인품에서 자연스럽게 배어 나오는 것입니다. 믿음이란 매일의 「싸움」이며, 자신의 연약함과 죄의 본성에서 조금씩 해방되어 거룩해지는 「꾸준한 걸음」입니다. 그러므로 우리는, 하나님의 나라의 풍성한 약속을 어디까지나 믿음의 눈으로 바라보는 것이지, 단번에 그것이 완성되는 것은 아닙니다. 우리의 신앙생활 가운데, 기쁨이 있다는 것은 틀림이없지만, 그것은 믿음을 바탕으로 한 기쁨일 뿐이며, 현실은, 마귀의 유혹과 시련 속에서 매일 훈련되고 단련되는 과정입니다. 그리스도 안에 있는 승리는 약속되어 있지만, 박해를 받고 죽음을 맞이할 수도 있으며, 보는 관점에 따라 그것은 갈등이자 절망적인 것입니다.

우리 가운데 씨를 뿌리는 자가 되기를 바라는 사람은 아무도 없습니다. 모두가 자신이 뿌리지 않은 곳에서 수확하려고 달려들려고 합니다. 그러나 복음 전도란 바로 이 꾸준한 수고, 곧 씨를 뿌리는 일입니다. 우리의 삶을 통해 그리스도를 증거하는 것입니다. 우리가 인내로 이 세상의 삶을 다하고, 복음이 전 세계에 선포될 때가 되어서야 비로소 끝이 오는 것입니다. 14절을 보십시오.

14 이 천국 복음이 모든 민족에게 증언되기 위하여 온 세상에 전파되리니 그제야 끝이 오리라

예수님께서는 제자들이 던진 질문에 대한 답변을 통해, 제자들에게 슬픈 박해와 혼란이 오랫동안 계속될 것임을 경고하셨습니다. 제자들이 눈을 반짝이며, 곧바로 하늘의 영광으로 옮겨갈 것이라고 성급하게 생각하고 있었기에, 제자들의 잘못된 생각을 바로잡는 것이 예수님의 목적이었을 것으로 보입니다.

그리스도의 구속의 길은 크고 사람들을 매료시키는 호화로운 입구로 맞이하는 대로가 아니라, 작은 문으로 통하는 좁은 길이며, 수많은 언덕을 넘어야 하는 오솔길입니다. 성도들은 종말의 전조인, 전쟁이나 지진 등을 분석하여 전조를 정확히 파악하고, 마침내 때가 다가와서야 대비하는 것이 아닙니다. 거짓 선지자가 나타나고, 거짓 그리스도가 나타난 후에야 미혹되지 않도록 주의하는 것도 아닙니다. 그러한 전조들은 사실 초대 교회 시절부터 지금까지 계속 일어나고 있는 것입니다. 그러므로 지금이 바로 종말이며, 지금 우리는 미혹되지 않도록 믿음의 싸움을 치러야 합니다. 우리는 결승점이 아니라 오히려 시작인 출발점에 서 있으며, 수많은 고통과 시련을 통과하지 않고서는 하늘의 상을 받을 수 없는 것입니다.

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