離散し滞在している選ばれた人たちへ
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- 説教
- 川栄智章 牧師
- 聖書 ペトロの手紙一 1章1節~2節
1イエス・キリストの使徒ペトロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ。
2あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、“霊”によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために選ばれたのです。恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。日本聖書協会『聖書 新共同訳』
ペトロの手紙一 1章1節~2節
ハングル語によるメッセージはありません。
【序】
本日からペトロの手紙1に入っていきます。最初ですので概論的お話しを少しさせていただきます。ペトロの手紙を、一貫しているキーワードとして三つの単語をあげることができます。それは、「苦しみ」と、「希望(望み)」と、「栄光」です。この「苦しみ、希望、栄光」とは、一体何かということですが、それは、そのまま私たち信者の信仰生活にピッタリあてはまるものではないでしょうか。つまりキリスト教というのは、決してご利益宗教ではないということです。確かにキリスト教とは、神様の恵みの中を歩ませていただくことですが、信じるならば、人生に幸運や、繁栄が訪れてくるというものではありません。これは「幸運」と「祝福」という英語を調べてみればわかります。英語で幸運は「グッドラック」ですね。祝福は「ブレシング」ですが、この語源を調べると「血によって清められる」と出てきます。信じるならラッキーになるのではなく、キリストの流された血潮に裏付けされた祝福が与えられるということでございます。神の祝福というのは、神のご計画が私たちの人生を通して成就されることでありまして、これは私たちの側から見るならば、それはまさにペトロの手紙のキーワードである「苦しみ、希望、栄光」の歩みなのです。言い換えれば、神様のご計画は苦難を通してでなければ、成就されないと言うこともできるでしょう。苦難を通して初めてはっきりと見えてくるものがあると思います。また、苦難を通して初めて本物と偽物の区別がつくこともあるのではないでしょうか。キリスト者の歩みも必ずキリストに従いながら、自分の十字架を負いつつ、聖別された歩みになるということです。その聖別の過程において、希望が与えられ、やがての日に栄光が約束されていることをはっきりと知るようになるのです。その栄光とは私たちの人生をすべて捧げても、身にあまる栄誉であるということは言うに及びません。これからペトロの手紙の講解を通して、御言葉による励ましと慰めをいただきたいと思います。
【1】. 執筆者はペトロである
この手紙を読んでいくにあたって、何よりも重要なことは、この手紙の著者がペトロであるということです。それを認めることがスタートです。この点を外してしまうと、とんでもない方向に迷い出てしまいます。ギリシア語の聖書を見ると、手紙の冒頭には、ペトロスと書かれています。この手紙の著者がペトロであるということは、初代教会の教父たちによっても証言されていますが、それでも、一部の人はこの手紙のギリシア語が無学なペトロにしてはあまりにも流暢であるということから、著者がペトロであることを受け入れられません。このような考え方は、ガリラヤの漁師であるペトロがギリシア語を話せなかったに違いないという先入観に捕らわれているために出てくると思われます。というのは最近の研究では、当時、パレスチナにおいて使用された言語はアラム語ですけれども、多くのユダヤ人は、第二言語としてギリシア語を使用していたということがわかってきました。ですから比較的ギリシア文化に影響を受けやすい、北側に位置する、ガリラヤで育ったユダヤの少年が、ギリシア語を知らないというのは、あたかもウェールズで育った少年が、ウェールズ語しか話せず英語を話せないだろうというふうに主張するようなものだと注解書には書いてありました。イエス様とガリラヤ出身の弟子たちは、アラム語同様にギリシア語を話す「バイリンガル」であったことを、これまで認められてきた以上に、私たちは認めるべきであるということです。次に、この手紙が書かれた執筆年代ですが、AD.62~64年頃と推測されます。実はこの手紙が書かれてからしばらくしてAD.64年にローマ大火災が起きると、皇帝ネロは、その火災の原因を、キリスト者に転嫁しました。キリスト者は普段から皇帝崇拝を拒絶するなどして、疎ましい存在だったからです。このようにしてキリスト者に対する国家的で組織的な大迫害が公然と起こりました。ペトロもその迫害の中でAD.64~68年に殉教したと言われています。ですからこの手紙はキリスト者に対する社会的な険悪な雰囲気が色濃く漂う中で、もう間もなく始まろうとしているネロによる大迫害に備えさせるために書かれたということです。そのような中にあるキリスト者を励ますために書かれた手紙がペトの第一の手紙です。
【2】. ペトロの使命
次に著者であるペトロについて背景を理解するために調べてみましょう。ペトロには神様から三つの使命が与えられていたことを振り返りたいと思います。第一に割礼を受けた人々に対する宣教であり、第二に散らされた人々を力づける働きであり、第三にイエス様の羊を飼う事であります。本来、小アジアへの伝道と言えば、第一次宣教旅行で訪問し、その後にガラテヤ書を執筆したりして、誰よりも積極果敢に取り組んでいたパウロを思い浮かべるのではないでしょうか。しかし、パウロは第二次宣教旅行においてアジアへの宣教の道が塞がれてしまい、幻でマケドニア人の助けを求める声を聞いたために、ヨーロッパのマケドニアに渡っていくことになりました。パウロには異邦人伝道としての使命が与えられていて、ペトロには、割礼を受けた人々に対する伝道の使命が与えられていたということです。ガラテヤ書2:7~8をご覧ください。
それどころか、彼らは、ペトロには割礼を受けた人々に対する福音が任されたように、わたしには割礼を受けていない人々に対する福音が任されていることを知りました。
割礼を受けた人々に対する使徒としての任務のためにペトロに働きかけた方は、異邦人に対する使徒としての任務のためにわたしにも働きかけられたのです。
ペトロに対する使命とは、ペトロ個人に対し神様がオリジナルにご計画してくださった使命であって、おそらくペトロでなければ担うことが出来ない、ペトロだからこそ全うすることができるような、そのような使命ではなかったのかと思います。ペトロは、本来シモンという名前でしたが、イエス様から「岩」という意味のケパ、ギリシア語で「ペトロ」という名をいただき、十二弟子の中でもリーダー的な存在でありました。しかし、イエス様が十字架に架かられる前夜、決定的な失敗を犯してしまいます。大祭司の屋敷の中庭で炭火に当たっている時、三度、イエス様を知らないと否認してしまいました。三度というのは完全数ですから、完全に「自分は救い主イエス様とは関わりがない」、「光であり、命の源である主とは関係がない」という死の宣告を自ら下してしまったようなものです。この告白はペトロの一生の汚点であり、ペトロが信仰に立つことを妨げる、恐ろしい心の傷であったことでしょう。それはまるで、パウロがステファノを迫害し殺害に追い込んだような汚点でもありました。しかし神様はそのようにふるいにかけられ、完全につまずいてしまったペトロを立ち直らせるとおっしゃってくださり、そうして、立ち直ったら同じように「兄弟たちを力づけてやりなさい」とおっしゃってくださったのです。ルカによる福音書22:31~32をご覧ください。
「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」
この約束の通り、イエス様が十字架に架かり、復活されて、そして、ガリラヤの湖畔に現れてくださった時、ペテロを完全に立ち直らせてくださいました。イエス様は浜辺で炭火を焚きながら、弟子たちを朝食に招いてくださいました。その炭火はペトロがあの夜、温まっていた炭火を思い出させるような温かい炭火でした。静かな朝食の席で、イエス様は、ペトロに対して三回「あなたはわたしを愛しているか」と質問してくださいました。それはまるで、ペトロがイエス様を三度否認したことを贖うかのように、です。この時ペトロは、自分自身を呪いにかけていた過去の失敗から解放されるような体験をしたことでしょう。自分が犯した取返しのつかない罪に対して、キリストの血潮が注がれて、完全な赦しをいただき、自由になって、再び信仰に堅く立つことができるようになったのです。そして、先ほどの「立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」という使命と併せて、「私の羊を飼いなさい」という新しい使命を受け取ったことでありましょう。ペトロは、信仰から完全につまずいた人であったために、その痛みを十分に知っているがために、立ち直ったら、主に従って、イエス様の羊に寄り添いながら、自分に与えられた使命を全うすることができるようになったのです。それではようやくですが、本文に目を向けてみましょう。1:1節をご覧ください。
【3】. 私たちはディアスポラ
イエス・キリストの使徒ペトロから、ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ。
この箇所は手紙の挨拶部分でありますが、手紙の受取人として、「ポントス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニアの各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たち」と書かれています。地図を確認してみましょう。小アジアと呼ばれている場所は現在のトルコでございます。黒海が上にあり、下に地中海があります。この手紙はペトロによってローマで執筆されて観覧版のように、読まれました。最初に上の方にあるポントスのアミソスという港に送られました。それから東ガラテヤのアマシヤとゼラを通過し、カパドキアのカイザリアとイコニウムを通過し、ピシディア州のアンティオキアを通過し、最終的には北上してカルケドンに渡ったと思われます。
1節で「離散している」という言葉は、ギリシア語を見ると「ディアスポラ」と書かれています。つまりこの手紙の受取人はエルサレムから追放されて小アジア全体に散らされたユダヤ人キリスト者と、そして、異邦人キリスト者の入り混じった総体であるということが分かります。ディアスポラはなぜ散らされたのかと言えば、その歴史はバビロン捕囚にまでさかのぼります。彼らユダヤ人は捕囚によって散らされてしまいましたが、その散らされた場所において自分たちの宗教と民族的な特質を失うことがありませんでした。そしてイスラエルの三大祭りの際には巡礼者として聖地エルサレムにやってくるわけです。詩編の中の「都上りの歌(120~134編)」は、散らされたディアスポラがエルサレムに「巡礼」する際に歌われたものと言われています。巡礼と言います時に、これは旅行とは異なりますね。皆様の中でGo toトラベルを利用された方もおられるかもしれませんが、旅行と言えば、自分が行きたい所を温泉ですとか、好き勝手に訪問するわけですが、巡礼とは、そこに神の召しがあります。これが大きな違いです。従いまして、旅行には最終的、究極的目的地はありませんが、巡礼とは、私を召した方がおられ、最終目的地へと私を導くものであります。つまりペトロは、信仰者の歩みとは、天のエルサレムという最終目的に向かった歩み、これこそ信仰生活の巡礼であると言っているのです。続いて1:2節をご覧ください。
あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、“霊”によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために選ばれたのです。恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。
ペトロによるなら、天のエルサレムに向かった巡礼の歩みとは、三位一体の神様の驚くべき働きが、その人と共にあると言っています。つまり、御父なる神によってあらかじめ永遠においてご計画された歩みであって、御子イエス・キリストに従い行く歩みであり、そして聖霊によって聖別されていく歩みであるというのです。これはペトロ自身の実体験を通しての証言であると言えるでしょう。決してつまずいたとしても、聖霊の聖めと、赦しと、導きの中で最終的に御子イエス・キリストに従い行く歩みになるということです。ペトロに対して使命を与えられたように、同じように永遠の中で選ばれた私たちキリスト者お一人お一人に対しても、神様は使命を持っておられます。私たちはその使命を受けて、イエス様に従いゆかなければなりません。しかし、イエス様に従おうとする私たちに対し、世は、常に誘惑してくるのです。「世のやり方に従いなさい。」「苦難、苦しみを避ける方法がありますから、迫害から免れる方法がありますから、世が提供するその富と、繁栄と、快楽に従って歩みなさい」と迫ってくるのです。そのような時、「キリスト者はディアスポラであるというペトロの言葉に耳を傾けなければなりません。私たちはこの世において何か、仮住まいを強いられているディアスポラのうように、不便さを感じるのです。私たちは自分たちが置かれている地域コミュニティに根差し、きちんと法を守り、責任を果たして、生活していきますけれども、しかし、どうもあたかも外国に住んでいるような緊張感がつきまとい、社会からの疎外感の中で生きていくことになるのです。しかし、ディアスポラとして生きるそのような苦難の中にあって、信仰が練り清められ、それが、はっきりとした希望に変えられるのです。その希望によって、やがての日に栄光を受けることになることが確かに約束されていることを、はっきりと知るようになるのです。カルヴァンは次のように言いました。「人は信仰によって神の恵みを受け入れ、また、希望によってそれを所持する」今、私たちが直面している苦難とは、私たちの信仰がはっきりとした希望に変えられる過程であり、いよいよ確信をもって天にある栄光を悟るための通過点であることを覚えていきましょう。ですからペトロの手紙のキーワードであります、「苦しみ、希望、栄光」を私たちは決して忘れることなく、しっかりと握りしめながら、ディアスポラの歩みを感謝しつつ歩ませていただきましょう。