洗礼者ヨハネ 2024年9月22日(日曜 朝の礼拝)

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洗礼者ヨハネ

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ルカによる福音書 3章1節~6節

聖句のアイコン聖書の言葉

3:1 皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、
3:2 アンナスとカイアファが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに臨んだ。
3:3 ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼(バプテスマ)を宣べ伝えた。
3:4 これは、預言者イザヤの言葉の書に書いてあるとおりである。/「荒れ野で叫ぶ者の声がする。/『主の道を備えよ/その道筋をまっすぐにせよ。
3:5 谷はすべて埋められ/山と丘はみな低くされる。/曲がった道はまっすぐに/でこぼこの道は平らになり
3:6 人は皆、神の救いを見る。』」ルカによる福音書 3章1節~6節

原稿のアイコンメッセージ

序、天使と言葉とザカリアの預言

 先程は第3章1節から20節までを読みましたが、今朝は1節から6節までを中心にして、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。 

 今朝の御言葉には、小見出しにあるように、洗礼者ヨハネが悔い改めの洗礼を宣べ伝えたことが記されています。「洗礼者ヨハネ」とは、「ザカリアの子ヨハネ」のことです。ヨハネが生まれる前、天使ガブリエルは、ザカリアに次のように告げていました。第1章の13節から17節までを読みます。

 天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの祈りは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。彼は主の前に偉大な人になり、ぶどう酒も麦の酒も飲まず、すでに母の胎にいるときから聖霊に満たされ、イスラエルの多くの子らをその神である主に立ち帰らせる。彼は、エリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の思いを抱かせ、整えられた民を主のために備える。」

 また、ザカリアは、生まれて来た幼子ヨハネについて、次のように預言しました。第1章の76節と77節を読みます。

 幼子よ、あなたはいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を備え/主の民に罪の赦しによる救いを/知らせるからである。

 これらの天使の言葉とザカリアの預言を実現する者として、ヨハネは、荒れ野で、悔い改めの洗礼を宣べ伝えるのです。

1、預言者ヨハネ

 第3章1節と2節を読みます。

 皇帝ティベリウスの治世の第十五年、ポンティオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟フィリポがイトラヤとトラコン地方の領主、リサニアがアビレネの領主、アンナスとカイアファが大祭司であったとき、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに臨んだ。

 ここには、いつ頃、ヨハネが活動を始めたのかが記されています。これまでにも、福音書記者ルカは、王や皇帝の名前を記すことによって、いつ頃であったかを記してきました。第1章5節には、「ユダヤの王ヘロデの時代」と記されていました。天使がザカリアにヨハネの誕生を予告したのは、ユダヤの王ヘロデの時代であったのです(在位は紀元前37年から4年)。また、第2章1節には、ローマの皇帝アウグストゥスが全領土の住民に登録をせよと勅令を出したことが記されていました。イエス様がお生まれになったのは、ローマ皇帝アウグストゥスの時代であったのです(在位は紀元前27年から紀元14年)。そして、洗礼者ヨハネが活動を始めたのは、皇帝ティベリウスの治世の第15年であったのです。皇帝ティベリウスは、アウグストゥスの次の皇帝です。皇帝アウグストゥスは紀元14年に死んで、ティベリウスが2代目の皇帝になりました。その治世の第15年ですから紀元28年頃となります。洗礼者ヨハネは、紀元28年頃に活動を始めたのです。ちなみに、この時、ヨハネはおよそ30歳でした。第3章23節に「イエスご自身が宣教を始められたのは、およそ30歳の時であり」とあるので、ヨハネもおよそ30歳であったのです。

 天使がザカリアにヨハネの誕生を告げたとき、ユダヤの王はヘロデでした。しかし、紀元前4年に、ヘロデ大王は死んで、ユダヤの国は、息子たちによって分割統治されることになりました。ヘロデ大王の息子たちとは、アルケラオとアンティパスとフィリポの三人です。アルケラオは、ユダヤの領主となりましたが、過酷な政治を行って廃位となります(マタイ2:22参照)。ユダヤはローマ皇帝の直轄領となり、総督ポンティオ・ピラトによって治められていたのです(ピラトは第五代ユダヤ総督で、在位は26年から36年)。アンティパスは、ガリラヤの領主となりました。「ヘロデがガリラヤの領主」とありますが、この「ヘロデ」は、ヘロデ大王の息子「ヘロデ・アンティパス」のことです。このように時代は移り変わっているのです。

 2節に、「アンナスとカイアファが大祭司であったとき」とあります。当時の大祭司は、カイアファでしたが、アンナスは退職後も実権を握っていました。それで、アンナスとカイアファの二人の名前が大祭司として記されています。ちなみに、カイアファはアンナスの娘婿でした(アンナスはカイアファの義理の父)。アンナスの五人の息子は皆、大祭司となり、アンナスは最高法院において大きな力を持っていたのです(ヨハネ18:24参照)。

 そのような時代に、「神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに臨んだ」のです。つまり、ヨハネは預言者としての召命を受けたのです(エレミヤ1:4「主の言葉が私に臨んだ」参照)。このようなことは、ひさしく無かったことでした。旧約の最後の預言者はマラキです。マラキが活動したのは、神殿再建後のエズラ、ネヘミヤの時代、紀元前5世紀頃と考えられています。それから、イスラエルに預言者が遣わされることはなかったのです(ただし、ダニエル書の預言がギリシア帝国の王アンティオコス四世エピファネスについての事後預言であれば、紀元前2世紀まで預言があったことになる)。旧約と新約の間の時代、いわゆる中間時代において、神の啓示は止んでいました(一マカバイ4:46、9:27、14:41参照)。しかし、その何百年かの沈黙を破って、神の言葉が荒れ野でザカリアの子ヨハネに臨んだのです。「荒れ野」は、神とイスラエルとの関係が築かれた原点と言える場所です(ホセア11:1~4参照)。主はご自分の民イスラエルを40年間、荒れ野で養い、訓練し、導かれました。神の民の歴史の原点と言える荒れ野で、ヨハネは預言者としての召命を受けたのです。

2、洗礼者ヨハネ

 3節から6節までを読みます。

 ヨハネはヨルダン川沿いの地方一帯に行って、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。これは、預言者イザヤの言葉の書に書いてあるとおりである。「荒れ野で叫ぶ者の声がする。主の道をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ/山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに/でこぼこの道は平らになり/人は皆、神の救いを見る。』」

 ヨハネが活動した場所は、ヨルダン川沿いの地方一帯でした(ヨハネ1:28によればヨルダン川東岸のベタニア)。そこで、ヨハネは、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えました。このことの前提にあるのは、「悔い改めて洗礼を受ける人の罪を、神は赦してくださる」ということです。「悔い改める」とは、神のもとへと立ち帰ることです(ヘブライ語のシューブ)。また、洗礼(バプテスマ)とは水に浸すことです。ヨハネは、神のもとへ立ち帰った人に、そのしるしとして、ヨルダン川で洗礼を授けたのです(エゼキエル9:4参照)。「神のもとへと立ち帰るならば、神は罪を赦してくださる」。そのように、ヨハネは宣べ伝えて、悔い改めたことのしるしとして、洗礼を授けたのです。

 このヨハネの活動は、預言者イザヤの言葉の書に記されていたことでした。罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えるヨハネこそ、荒れ野で叫ぶ者であるのです。4節から6節までは、『イザヤ書』の第40章からの引用です。ただし、ルカが引用しているのは、ヘブライ語聖書のギリシア語訳なので、私たちが用いている旧約聖書とは本文が少し異なります。そのことを踏まえて、『イザヤ書』の第40章の御言葉を読んでみたいと思います。旧約の1107ページです。『イザヤ書』の第40章1節から5節までを読みます。

 「慰めよ、慰めよ、私の民を」と、あなたがたの神は言われる。「エルサレムに優しく語りかけ/これに呼びかけよ。その苦役の時は満ち/その過ちは償われた。そのすべての罪に倍するものを/主の手から受けた」と。呼びかける声がする。「荒れ野に主の道を備えよ。私たちの神のために/荒れ地に大路をまっすぐ通せ。谷はすべて高くされ、山と丘はみな低くなり/起伏のある地は平らに、険しい地は平地となれ。こうして主の栄光が現れ/すべての肉なる者は共に見る。主の口が語られたのである。」

 『イザヤ書』の文脈で言うと、荒れ野に備えられる主の道とは、バビロンの地からエルサレムへと至る道のことです。苦役の時が満ちたイスラエルの民は、バビロン捕囚から解放され、エルサレムへと帰ります。そのイスラエルの民を導かれるのが主なる神であるのです。それゆえ、バビロンからエルサレムへの道は、主が通られる道であるのです。その主に先立って、伝令は進み、まっすぐで平らな主の道を備えるのです。この『イザヤ書』の預言の言葉は、福音書記者ルカが資料として用いた『マルコによる福音書』にも記されています。しかし、違う点があります。それは、『マルコによる福音書』が3節だけを引用しているのに対して、『ルカによる福音書』は3節から5節までを引用している点です。「こうして主の栄光が現れ/すべての肉なる者は共に見る」。このところのギリシア語訳を引用して、福音書記者ルカは、「人は皆、神の救いを見る」と記したのです。それは、洗礼者ヨハネの後から来られる主イエス・キリストこそ、シメオンが言っていたように「万民の前に備えられた救い」であるからです(ルカ2:31)。

 今朝の御言葉に戻ります。新約の104ページです。

 福音書記者ルカが、ヨハネの活動を、預言者イザヤの言葉の成就であると言うとき、ある種の心理化がされており、心の有り様のことが言われています。つまり、悔い改めるとは、主をお迎えするために、曲がった心をまっすぐにし、でこぼこな心を平らにすることであるのです。そのようにして、洗礼者ヨハネの後から来る主イエス・キリストを迎え入れるとき、人は皆、神の救いを見るのです。

3、罪の赦しを得させるための悔い改めの洗礼

「人は皆、神の救いを見る」。この「神の救い」は「罪の赦し」と言い換えることができます。ヨハネは、自分の後から来られる主であり、力ある方のことを抜きにして、「罪の赦し」について語ったのではありません。ヨハネに臨んだ神の言葉の中心的なメッセージは、「ヨハネの後から力ある方が来られる。その御方は聖霊と火で洗礼を授ける御方である」ということです。16節と17節を読みます。

 ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたがたに水で洗礼を授けているが、私よりも力のある方が来られる。私は、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたがたに洗礼をお授けになる。その手には箕がある。そして、麦打ち場を掃き清め、麦は倉に納めて、殻を消えない火で焼き尽くされる。」

 力ある方、聖霊と火で洗礼を授ける方が来られるので、ヨハネは、人々に悔い改めの洗礼を宣べ伝えたのです。神のもとに立ち帰って、そのしるしとして悔い改めの洗礼を受けよと宣べ伝えたのです。「私よりも力のある方が来られる。その御方をお迎えする備えをせよ。そうすれば、あなたたちは皆、神の救いを見ることができる。罪の赦しを得ることができる」。そのような福音(良き知らせ)をヨハネは告げ知らせたのです。

 このヨハネのメッセージは、イエス様が来られた後の時代に生きる私たちには関係がないのでしょうか。そうではありません。なぜなら、十字架の死から復活され、天に昇られた主イエス・キリストは、再びこの地上に来てくださるからです。私たちは、イエス・キリストの洗礼、聖霊による洗礼を受けて、罪の赦しを既に得ています。しかし、私たちは完全な救いにあずかっているわけではありません。私たちの救いが完成されるのは、イエス・キリストが、天から再び来られる日であるのです(ヘブライ9:28参照)。それゆえ、私たちは、日々悔い改めて、主をお迎えするためにまっすぐで平らな心を備える必要があるのです。私たちは、主イエス・キリストを信じる者として、主の日の礼拝に集まり、罪の赦しにあずかり、神の救いを見ます。しかし、それは「望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認する」信仰によることであります(ヘブライ11:1新共同訳参照)。私たちは信仰によって、目に見えない御方をまるで見えるかのように礼拝しているのです(ヘブライ11:27参照)。けれども、主イエス・キリストが天から再び来られる日に、私たちは、生きていれば栄光の体に変えられて、死んでいれば栄光の体に復活させられて、その目をもって、主イエス・キリストと父なる神を見ることになるのです(一コリント15章、黙示21、22章参照)。私たちは罪の支配から完全に解放された正しい者として、主イエス・キリストと父なる神を仰ぎ見て、礼拝をささげることができるのです。

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