少年イエスの信仰告白 2024年9月08日(日曜 朝の礼拝)
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少年イエスの信仰告白
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- 村田寿和 牧師
- 聖書
ルカによる福音書 2章41節~52節
聖書の言葉
2:41 さて、両親は毎年、過越祭にはエルサレムへ旅をした。
2:42 イエスが十二歳になった時も、両親は祭りの慣習に従って都に上った。
2:43 祭りの期間が終わって帰路に着いたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気付かなかった。
2:44 道連れの中にいるものと思い込んで、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の中を捜し回ったが、
2:45 見つからなかったので、捜しながらエルサレムへ引き返した。
2:46 三日後にようやく、イエスが神殿の境内で教師たちの真ん中に座って、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
2:47 聞いている人は皆、イエスの賢さとその受け答えに驚嘆していた。
2:48 両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜ、こんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんも私も心配して捜していたのです。」
2:49 すると、イエスは言われた。「どうして私を捜したのですか。私が自分の父の家にいるはずだということを、知らなかったのですか。」
2:50 しかし、両親には、イエスの言葉の意味が分からなかった。
2:51 それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親にお仕えになった。母はこれらのことをみな心に留めていた。
2:52 イエスは神と人から恵みを受けて、知恵が増し、背丈も伸びていった。ルカによる福音書 2章41節~52節
メッセージ
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序、
前回私たちは、幼子であるイエス様が万民の前に備えられた主の救いであり、異邦人を照らす啓示の光であり、神の民イスラエルの栄光であることを学びました。今朝の御言葉には、幼子であるイエス様が神の恵みによって成長して、12歳になったときのお話しが記されています。
1、12歳の少年イエス
41節から45節までをお読みします。
さて、両親は毎年、過越祭にはエルサレムへ旅をした。イエスが12歳になった時も、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路に着いたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気付かなかった。道連れの中にいるものと思い込んで、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の中を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムへ引き返した。
ここでの「両親」は、「ヨセフとマリア」のことです。イエス様は、聖霊によって、ヨセフのいいなずけ、おとめマリアからお生まれになりました(1:34、35参照)。ですから、ヨセフはイエス様の育ての親です。ヨセフは、いいなずけ(妻)のマリアが聖霊によって身ごもったことを、信仰をもって受け入れました(マタイ1:20、21参照)。ヨセフは、天使から告げられていたとおり、男の子にイエスと名付け、自分の子として育てたのです。イエス様の両親であるヨセフとマリアは、過越祭には、毎年、故郷のナザレから都エルサレムへ旅をしていました。ガリラヤのナザレからユダヤのエルサレムまでは、およそ100キロメートルの距離で、歩いて3日ほどの道のりでした。イエス様が12歳になったときも、両親は祭りの慣習に従ってエルサレムに上りました。両親は、12歳のイエス様を連れて、過越祭を祝うためにエルサレムに上ったのです。これは、成人する前の準備教育でもありました。ユダヤでは、13歳で成人式を迎えます。13歳になると、「律法の子」(バル・ミツバ)と呼ばれ、律法に従う義務を負うのです。その律法の1つが、エルサレムに行って、過越祭を祝うことであったのです(申命16:1~8参照)。その準備教育として、両親は12歳のイエス様を連れて、エルサレムに上ったのです。祭りの期間が終わって帰路に着いたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられましたが、両親はそのことに気付きませんでした。当時は、村ごとにまとまって、巡礼の旅をしました。『詩編』の第120編から第134編までは「都に上る歌」と呼ばれています。人々は、都に上る歌を歌いながら、エルサレムへの巡礼の旅をしたのです。ある書物によると、男のグループと女のグループに分かれて進み、子供はどちらのグループにいてもよかったそうです。ヨセフは少年イエスが女のグループにいると思い、マリアは少年イエスが男のグループにいると思っていたのでしょう。そのように思いながら、一日分の道のり(およそ35キロメートル)を歩いた後で、両親は少年イエスが道連れの中にいないことに気がついたのです。両親は、親類や知人の中を捜し回りました。しかし、見つからなかったので、捜しながらエルサレムへ引き返したのです。ヨセフとマリアは、自分の子供が迷子になってしまったと心配しながら、エルサレムへ引き返したのです。
2、少年イエスの信仰告白
46節から50節までをお読みします。
三日後にようやく、イエスが神殿の境内で教師たちの真ん中に座って、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢さとその受け答えに驚嘆していた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜ、こんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんも私も心配して捜していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうして私を捜したのですか。私が自分の父の家にいるはずだということを、知らなかったのですか。」しかし、両親には、イエスの言葉の意味が分からなかった。
両親は、三日後にようやく、イエス様を見つけました。イエス様は、神殿の境内で教師たちの真ん中に座って、話を聞いたり、質問したりしておられたのです。誤解のないように申しますが、少年イエスが教師たちを教えていたのではありません。イエス様は教師たちから教えを受けていたのです。「聞いている人は皆、イエスの賢さとその受け答えに驚嘆していた」とありますから、イエス様は優秀な生徒であったのです。ここから教えられることは、聖霊によっておとめマリアから生まれた、神の子であるイエス様も教師たちから学ばれたということです。イエス様も、私たちと同じように、教師から聖書を学んで知識を得ていたのです。イエス様は、父なる神について、また、救い主としてのご自分のお働きについて、聖書から学ばれたのです。両親は、そのイエス様の姿を見て、驚きました。母マリアは、こう言います。「なぜ、こんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんも私も心配して捜していたのです」。聖書協会共同訳は訳出していませんが、元の言葉には、「子よ」という呼びかけの言葉が記されています。また、「お父さん」の前に「あなたの」という言葉が記されています。「子よ、なぜ、こんなことをしてくれたのです。御覧なさい。あなたのお父さんも私も心配して捜していたのです」。このような母マリアの言葉を受けて、イエス様は何と言われたのか。「お父さん、お母さん、心配をかけてごめんなさい」と言われたのではないのです。イエス様はこう言われます。「どうして私を捜したのですか。私が自分の父の家にいるはずだということを、知らなかったのですか」。両親は、イエス様を見つけようと、エルサレム中を捜し回りました。しかし、イエス様は、「捜す必要などなかったのです。私がいる場所は、神殿しかないのですから」と言われるのです。テレビのドラマなどで、行方不明になった生徒を先生や友人たちが捜し回るという場面があります。その生徒が行きそうな所を捜し回るのです。このとき、ヨセフとマリアも、イエス様がいそうなところを捜し回ったと思います。彼らは先ず、巡礼団の親類や知人の間を捜しました。しかし、そこにはイエス様はいませんでした。それで両親は、捜しながらエルサレムへと引き返して来たのです。そして、エルサレムの町中を歩き回って、イエス様を捜したのです。そのとき、両親は、イエス様が神殿にいるとは考えなかったのです。イエス様はそのことを指摘しているのですね。ここでイエス様は、神殿を「私の父の家」と言います。母マリアがヨセフのことを「あなたのお父さん」と言ったのに対して、イエス様は、神様のことを「私のお父さん」と言われたのです。また、ここで「何々するはずだ」と訳されている言葉(デイ)は、神様の定めや必然を表す言葉です(9:22「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている」参照)。「私を捜す必要はありません。私がいるべき場所は、私の父の家である神殿に決まっているのですから」。こうイエス様は言われたのです。ここにあるのは、イエス様の強烈な神の子意識です。イエス様は、ヨセフではなく、神様を「自分の父」と呼び、その家にいることが当たり前であると言われました(新共同訳参照)。しかし、両親には、イエス様の言葉の意味が分かりませんでした。イエス様が聖霊によって生まれたことを知っていた両親でも、イエス様の言葉の意味が分からなかったのです。それは、イエス様が他の子供たちと同じように、成長されたからだと思います。
「どうして私を捜したのですか。私が自分の父の家にいるはずだということを、知らなかったのですか」。このイエス様の御言葉は、「イエス様の信仰告白」とも言えます。ユダヤの社会では、13歳で律法の軛を負う大人となりました。イエス様はその一年前の12歳で、明確な神の子意識を持っておられたのです。幼児洗礼を受けた人は、分別年齢に達したときに、自分の口で信仰を言い表します。また、成人洗礼を受けた人も、自分の口で信仰を言い表します。そのとき、私たちも、イエス・キリストを神の御子、罪人の救い主と信じて、神様を「私の父」と言い表したのです。私たちは、神の独り子であるイエス・キリストを信じることによって、神の子となる権能を与えられました(ヨハネ1:12参照)。神の御子であるイエス・キリストの聖霊を与えられて、神様を「アッバ、父よ」と呼び、祈る者とされたのです(ガラテヤ4:6参照)。
『ハイデルベルク信仰問答』の問33に次のような問答があります(吉田隆訳)。
問33 わたしたちも神の子であるのに、なぜこの方(イエス・キリスト)は神の「独り子」と呼ばれるのですか。
答 なぜなら、キリストだけが/永遠から本来の神の御子だからです。わたしたちはこの方のおかげで、恵みによって神の子とされているのです。
イエス・キリストを神の御子、罪人の救い主と信じることによって、私たちは、神様を「私の父」と呼ぶことができるのです。それゆえ、私たちは、「日曜日に、私が教会にいるのは、当然のことではないですか」と言うことができる者とされたのです。それはひとえに、神の恵みによるのです(エフェソ2:8参照)。
3、両親に仕える少年イエス
51節と52節をお読みします。
それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親にお仕えになった。母はこれらのことをみな心に留めていた。イエスは神と人から恵みを受けて、知恵が増し、背丈も伸びていった。
「私が自分の父の家にいるはずだということを、知らなかったのですか」と言われたイエス様は、その後、神殿に住み着いたのではありません。イエス様は、一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親にお仕えになったのです。それは、イエス様の父なる神が、「あなたの父と母を敬いなさい」と命じられているからです(十戒の第五戒、出エジプト20:12)。イエス様は、父なる神の御言葉に従って、両親にお仕えになったのです。イエス様が公に救い主として活動されるおよそ30歳までの18年間、イエス様は両親にお仕えになりました。同じことが私たちにも求められています。イエス様を信じて、神の子とされた私たちは、「あなたの父と母を敬いなさい」という掟に従う者として、いよいよ親を重んじることが求められるのです。私たちが父と母を敬うのは、神様が父と母を立てられたゆえであり、父と母を通して恵みを与えてくださるからです(ハイデルベルク信仰問答 問104参照)。ですから、私たちは、父と母が年を重ねて衰えたとしても、敬わなければなりません(一テモテ5:8参照)。また、父と母が未信者であっても、敬わなければならないのです。しかし、もし、父と母が神様の掟に背くことを命じるならば、私たちをまことの父である神から引き離す他人と見なさなければならないのです(ジャン・カルヴァン著、渡辺信夫訳『信徒の手引き』の「第五戒」の解説を参照)。イエス・キリストを信じて、神様を「私の父」と告白することは、イエス・キリストの父なる神の御言葉を、善悪の判断基準として生きることです。イエス様は、両親に仕えることによって、まさしく神の子として歩まれたのです。イエス様は、神と人から恵みを受けて、知恵が増し、背丈も伸びていきました。私たちも、イエス・キリストの父なる神の言葉に従って歩むとき、神と人から恵みを受けて、成長することができるのです。たとえ外なる人は衰えても、内なる人は成長することができるのです(新共同訳、二コリント4:16「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます」参照)。