すべての民に与えられる大きな喜び 2024年8月18日(日曜 朝の礼拝)

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すべての民に与えられる大きな喜び

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
ルカによる福音書 2章1節~20節

聖句のアイコン聖書の言葉

2:1 その頃、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
2:2 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録であった。
2:3 人々は皆、登録するために、それぞれ自分の町へ旅立った。
2:4 ヨセフもダビデの家系であり、またその血筋であったので、ガリラヤの町ナザレからユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
2:5 身重になっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
2:6 ところが、彼らがそこにいるうちに、マリアは月が満ちて、
2:7 初子の男子を産み、産着にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる所がなかったからである。
2:8 さて、その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
2:9 すると、主の天使が現れ、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
2:10 天使は言った。「恐れるな。私は、すべての民に与えられる大きな喜びを告げる。
2:11 今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
2:12 あなたがたは、産着にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つける。これがあなたがたへのしるしである。」
2:13 すると、突然、天の大軍が現れ、この天使と共に神を賛美して言った。
2:14 「いと高き所には栄光、神にあれ/地には平和、御心に適う人にあれ。」
2:15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行って、主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
2:16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝ている乳飲み子を探し当てた。
2:17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使から告げられたことを人々に知らせた。
2:18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
2:19 しかし、マリアはこれらのことをすべて心に留めて、思い巡らしていた。
2:20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の告げたとおりだったので、神を崇め、賛美しながら帰って行った。ルカによる福音書 2章1節~20節

原稿のアイコンメッセージ

序、

 かつて学んだ第1章26節以下に、「イエス様の誕生が予告される」お話が記されていました。天使ガブリエルは、ダビデ家のヨセフという人のいいなずけ、おとめマリアに、こう言いました。「あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と呼ばれる」。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを覆う。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる」。聖霊によっておとめマリアの胎に宿った男の子は、罪のない聖なる人であり、神の子であるのです。それは、御自分の民を罪から救うためでありました。その男の子は、自分の民を罪から救うゆえに、イエス(主は救い)と名付けられるのです。今朝の御言葉には、イエス様のご誕生が記されています。 

1、主イエス・キリストの誕生

 第2章1節と2節にこう記されています。「その頃、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録であった」。皇帝アウグストゥスとは、初代ローマ皇帝のガイウス・オクタヴィアヌスのことです。「アウグストゥス」とは「尊厳者」という意味の称号です。皇帝アウグストゥスの在位は、紀元前27年から紀元後14年までです。イエス様の誕生は、今からおよそ2000年前の出来事であるのです。皇帝アウグストゥスは、100年に渡る内乱を終わらせて、平和をもたらしました(いわゆるパクス・ロマーナ)。それゆえ、人々は、皇帝アウグストゥスを、「救い主」と呼びました。また、人々は、皇帝アウグストゥスの誕生こそ、良き知らせ(福音)であると言いました。そのようなことを背景にして、福音書記者ルカは、飼い葉桶に寝ている乳飲み子こそ、救い主であり、その誕生こそ、良き知らせ(福音)であると言うのです。また、飼い葉桶に寝ている乳飲み子こそ、神の平和をもたらす者であると言うのです。福音書記者ルカは、皇帝アウグストゥスのことを念頭に置きながら、イエス・キリストの誕生について記しているのです。

 イエス様がお生まれになったユダヤの国は、ローマ帝国の属州であり、皇帝アウグストゥスの支配のもとにありました。それゆえ、ユダヤの人々も、住民登録の勅令に従って、おのおの自分の町へ旅立って行きました。マリアの夫であり、イエス様の法的な父親であるヨセフも、ダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレからダビデの町ベツレヘムに上って行きました。また、ヨセフと一緒に身重になっていた、いいなずけのマリアも上って行きました。そして、このベツレヘムで、マリアは月が満ちて、初子の男子を産むことになるのです。このようにして、預言者ミカの預言が実現することになるのです。『ミカ書』の第5章1節にこう記されています。旧約の1433ページです。

 エフラタのベツレヘムよ/あなたはユダの氏族の中では最も小さな者。あなたから、私のために/イスラエルを治める者が出る。その出自は古く、とこしえの昔に遡る。

 預言者ミカは、紀元前8世紀に活躍した預言者です。イエス様がお生まれになる700年以上も前から、ベツレヘムのユダの氏族の中から、イスラエルを治める者が出ると預言されていました。この預言のとおり、イエス・キリストは、ダビデの町ベツレヘムでお生まれになるのです。神様は、皇帝アウグストゥスを用いて、聖書の預言を実現されるのです。イスラエルの神、主こそ、王たちの王、主たちの主であられるのです。

 今朝の御言葉に戻ります。新約の101ページです。

 ベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初子の男子を産み、産着にくるんで飼い葉桶に寝かせました。マリアは、赤ちゃんがいつ産まれてもいいように、産着をちゃんと準備していたのです。「飼い葉桶」とは、牛や馬に食べさせる飼い葉を入れる桶のことです。ヨセフとマリアは、飼い葉桶にきれいな藁を入れて、ベビーベッドにしたのです。イエス様は、牛や馬のいる薄汚い家畜小屋でお生まれになったのです。神の子であるイエス様がお生まれになったのは、家畜小屋であったのです。福音書記者ルカは、その理由をこう記します。「宿屋には彼らの泊まる所がなかったからである」。この御言葉は、イエス様の将来を暗示しています。イエス様は、およそ30歳で、公に救い主として歩み出されました。しかし、人々はイエス様を受け入れず、十字架につけてしまいました。宿屋に泊まる場所がなかったように、人々の心にもイエス様を受け入れる場所はなかったのです(ヨハネ1:11「言は自分のところへ来たが、民は言を受け入れなかった」参照)。

2、すべての民に与えられる大きな喜び

 約束の救い主がお生まれになった。この良き知らせ(福音)は、主の天使によって、羊飼いたちにもたらされます。その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていました。すると、主の天使が現れ、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れました。その羊飼いたちに天使はこう言います。「恐れるな。私は、すべての民に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、産着にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つける。これが、あなたがたへのしるしである」。当時、羊飼いは身分の低い者でした。羊飼いたちは、皇帝アウグストゥスの住民登録から洩れる者たちであったのです。そのような身分の低い羊飼いたちに、約束のメシア、救い主の誕生の知らせが最初に告げられたのです。神様は、約束のメシアの誕生の知らせを最初に伝える相手として、身分の低い羊飼いたちを選ばれたのです。天使は、「私は、すべての民に与えられる大きな喜びを告げる」と言いました。その大きな喜びから羊飼いたちも洩れていないのです。イエス・キリストは、身分の低い羊飼いのためにもお生まれになった救い主であるのです。それゆえ、私たちも、イエス・キリストの誕生をお祝いすることができるし、お祝いすべきであるのです(一コリント1:26「きょうだいたち、あなたがたが召されたときのことを考えてみなさい。世の知恵のある者は多くなく、有力な者や家柄のよい者も多くはいませんでした」参照)。

 天使は、「この方こそ主メシアである」と言いました。「主」とは天地万物を造られた神様のお名前です。また、「メシア」と訳されている元の言葉は「キリスト」で、「油を注がれた者」「王様」を意味します。すべての民の救い主としてお生まれになった男の子は、神である主であり、約束のメシア、王であるのです。

 天使は、羊飼いたちのためにお生まれになった救い主のしるしとして、「あなたがたは、産着にくるまって飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見つける」と言います。羊飼いにとって家畜小屋はなじみのある場所です。おそらく、羊飼いたちも、飼い葉桶にきれいな藁を入れて、ベビーベッドにしていたのではないかと思います。それゆえ、イエス様が飼い葉桶の中に寝ていることは、羊飼いたちにとって、イエス様が自分たちのためにお生まれになった救い主であることのしるしであるのです。もし、羊飼いたちに与えられたしるしが、「立派なお屋敷の豪華なベビーベッドに寝ている乳飲み子」であれば、どうだったでしょうか。羊飼いたちは、そのような乳飲み子を自分たちのためにお生まれになった救い主として受け入れることができたでしょうか。おそらく、できなかったと思います。しかし、実際、イエス様は、産着にくるまれて、飼い葉桶に寝かされました。そのようにして、イエス様は、すべての民の救い主としてお生まれになったのです。イエス様は、すべての人が訪れることのできる家畜小屋でお生まれになったのです。

3、天使たちの賛美

 主の天使が羊飼いたちに良き知らせを告げると、突然、天の大軍が現れ、この天使と共に神を賛美してこう言います。「いと高き所には栄光、神にあれ/地には平和、御心に適う人にあれ」。この天使たちの賛美は、救い主がお生まれになったことを受けてのものです。救い主の誕生は、天におられる神の栄光をほめたたえる出来事であり、地に生きる御心に適う人に平和をもたらす出来事であるのです。ここで注意したいことは、「地には平和、人にあれ」と記されてはいないということです。天使たちは、「地には平和、御心に適う人にあれ」と歌いました。「御心」とは、神の心、神の意志のことです。「御心に適う人」とは、どのような人のことを言うのでしょうか。それは、「飼い葉桶に寝かされている乳飲み子を、救い主であり、主メシアである」と信じる人のことです。その「御心に適う人」の最初の人たちが、羊飼いたちであるのです。

 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行って、主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合いました。このことは、羊飼いたちも、約束のメシアの誕生を待ち望む者たちであったことを示しています。彼らは急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝ている乳飲み子を探し当てました(ここに羊飼いたちの信仰がある)。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使から告げられたことを人々に知らせます。羊飼いたちは、救い主の誕生という良き知らせを伝える者となりました。彼らは、天使と同じ働きをする者となったのです。同じことが、私たちにも言えます。私たちも、天使のように、救い主イエス・キリストの誕生を告げ知らせているからです(クリスマス特別伝道礼拝!)。

 聞いた者は、羊飼いたちの話を不思議に思いました。もっとはっきり言えば、人々は信じなかったのです。しかし、母マリアはこれらのことをすべて心に留めて、思い巡らしていました。羊飼いたちから聞いた天使の言葉と天使たちの賛美を、マリアは心に留めて、思い巡らしていたのです。そのようなマリアの思い巡らしに基づいて、福音書記者ルカは、イエス・キリストの誕生を記したのです。

 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の告げたとおりだったので、神を崇め、賛美しながら帰って行きました。たとえ人々が信じなくても、羊飼いたちの喜びが色褪せることはなかったのです。羊飼いたちは、飼い葉桶に寝ている乳飲み子に、自分たちのためにお生まれになった救い主のしるしを見て、神様を崇め、賛美しながら帰って行きました。このとき、羊飼いたちは、どのような言葉で神様を賛美したのでしょうか。それはおそらく、天使たちが賛美した言葉であったと思います。「いと高き所には栄光、神にあれ/地には平和、御心に適う人にあれ」。羊飼いたちは、飼い葉桶の乳飲み子を救い主と信じる御心に適う人として、神の平和にあずかり、神様をほめたたえたのです。

結、神の平和

 『ルカによる福音書』を読み進めていくと、イエス様はおよそ30歳で、救い主として公の生涯を始められたことが記されています(3:23参照)。そして、イエス様の生涯の終わりは、十字架の死であったことが記されています(23:46参照)。イエス・キリストは、父なる神の御心に従って、多くの人の罪を担い、十字架の死を死んでくださいました(イザヤ53章参照)。そのようにして、イエス・キリストは、御自分の民を罪から救ってくださったのです。その証拠として、神様は、イエス・キリストを十字架の死から三日目に栄光の体で復活させられました。神様がイエス・キリストを復活させられたのは、イエス・キリストが神の御心に完全に従われた正しい人であったからです(ルカ23:47「本当に、この人は正しい人だった」参照)。私は、先程、「御心に適う人とは、飼い葉桶に寝かされたイエス様を救い主、主メシアであると信じる人のことだ」と言いました。しかし、その前に、心に留めたいことは、イエス様こそ、神の御心に適う人であったということです(3:22「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」、ヨハネ8:29「私は、いつもこの方の御心に適うことを行うからである」参照)。イエス様が神の御心に適う人であるゆえに、イエス様を救い主、主メシアと信じる私たちも神の御心に適う人であるのです。

 神様は御心に適う人イエス・キリストを信じる者を、御心に適う人として受け入れ、平和を与えてくださいます。その平和とは、イエス・キリストの十字架の贖いに基づく、神との平和、神の平和であるのです。イエス・キリストを、自分のためにお生まれになった救い主と信じて、心の王座に迎え入れるとき、その人は神様との平和、神の平和に生きる者となるのです。そして、「いと高き所には栄光、神にあれ」と神様を心からほめたたえる者となるのです。「いと高き所には栄光、神にあれ」。この御言葉は、ラテン語では、「グロリア インエクセルシスデオ」となります。私たちは、この後、『讃美歌21』の263番「あら野の果てに」を歌います。その折り返しが「グロリア インエクセルシスデオ」であるのです。私たちは、イエス・キリストを信じる、神の平和に生きる者として、「いと高き所には栄光、神にあれ」と心からの賛美をささげたいと願います。 

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