主は恵み深い、ヨハネ 2024年7月14日(日曜 朝の礼拝)
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主は恵み深い、ヨハネ
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- 村田寿和 牧師
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ルカによる福音書 1章5節~25節
聖書の言葉
1:5 ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアと言う人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトと言った。
1:6 二人とも神の前に正しい人で、主の戒めと定めとを、みな落ち度なく守って生活していた。
1:7 しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには子がなく、二人ともすでに年を取っていた。
1:8 さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の前で祭司の務めをしていたとき、
1:9 祭司職の慣例に従ってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった。
1:10 香をたいている間、大勢の民衆が皆外で祈っていた。
1:11 すると、主の天使が現れ、香をたく祭壇の右に立った。
1:12 ザカリアはこれを見てうろたえ、恐怖に襲われた。
1:13 天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの祈りは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。
1:14 その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。
1:15 彼は主の前に偉大な人になり、ぶどう酒も麦の酒も飲まず、すでに母の胎にいるときから聖霊に満たされ、
1:16 イスラエルの多くの子らをその神である主に立ち帰らせる。
1:17 彼は、エリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の思いを抱かせ、整えられた民を主のために備える。」
1:18 そこで、ザカリアは天使に言った。「どうして、それが分かるでしょう。私は老人ですし、妻も年を取っています。」
1:19 天使は答えた。「私はガブリエル、神の前に立つ者。あなたに語りかけ、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。
1:20 あなたは口が利けなくなり、このことの起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現する私の言葉を信じなかったからである。」
1:21 民衆はザカリアを待っていたが、聖所であまりに手間取るので不思議に思った。
1:22 ザカリアはやっと出て来たが、ものが言えなかった。そこで、人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った。ザカリアは身振りで示すだけで、口が利けないままだった。
1:23 やがて、務めの期間が終わって自分の家に帰った。
1:24 その後、妻エリサベトは身ごもったが、五か月の間は身を隠していた。そして、こう言った。
1:25 「主は今、こうして、私に目を留め、人々の間から私の恥を取り去ってくださいました。」ルカによる福音書 1章5節~25節
メッセージ
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序.
先週から『ルカによる福音書』を学び始めました。今朝は、第1章5節から25節より、御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
1.ザカリアの祈り
5節に、「ユダヤの王ヘロデの時代、アビヤ組の祭司にザカリアと言う人がいた。その妻はアロン家の娘の一人で、名をエリサベトと言った」とあります。ユダヤの王ヘロデの時代とは、西暦で言うと「紀元前37年から紀元前4年まで」となります。今からおよそ2000年前のユダヤの国がお話しの舞台です。「アビヤ組」とありますが、神殿で仕える祭司は、24の組に分けられていました。その8番目がアビヤ組であったのです(上歴代24:10参照)。洗礼者ヨハネの父となるザカリアは、アビヤ組の祭司であったのです。洗礼者ヨハネの母となるエリサベトも祭司の家系でした。「アロン家の娘の一人で」とありますが、「アロン」とは、モーセの兄で、イスラエルで最初に祭司に任職した人です(レビ8章参照)。洗礼者ヨハネは、祭司の家に生まれてくるのです。二人は神の前に正しい人で、主の戒めと定めとを、みな落ち度なく守っていました。しかし、エリサベトは不妊の女だったので、彼らには子がなく、二人ともすでに年を取っていたのです。
8節に、「さて、ザカリアは自分の組が当番で、神の前で祭司の務めをしていたとき、祭司職の慣例に従ってくじを引いたところ、主の聖所に入って香をたくことになった」とあります。主の聖所に入って香をたくことは、祭司としての誉れでありました。一生に一度あるかないかの喜ばしい務めを、ザカリアはくじによって得たのです。主イエス・キリストによって聖霊が遣わされるまで、「くじを引く」ことは、神様の御意志を問うことでありました(使徒1:26「二人のことでくじを引くと、マタティアに当たったので、この人が十一人の使徒たちに加えられた」参照)。ですから、ザカリアが主の聖所に入って香をたくことになったことは、神様によることであったのです。ザカリアが聖所で香をたいている間、大勢の民衆が外で祈っていました。また、ザカリアもイスラエルの民を代表して、祈りをささげていたと思います。当時のイスラエルは、ローマ帝国の支配下に置かれていました。ユダヤ人たちは、神の選びの民であります。その彼らが、まことの神を知らない異邦人であるローマ帝国の支配下に置かれていたのです。ですから、大勢の民衆は、主が自分たちをローマ帝国の支配から救い出してくださるようにと祈っていたと思います。また、祭司ザカリアも、主の救いを祈り求めていたと思います。
そのようなとき、主の天使が現れ、香をたく祭壇の右に立ちました。その天使を見て、ザカリアはうろたえて、恐怖に襲われました。天使はこう言います。「恐れることはない。ザカリア、あなたの祈りは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を生む。その子をヨハネと名付けなさい。その子はあなたにとって喜びとなり、楽しみとなる。多くの人もその誕生を喜ぶ。彼は主の前に偉大な人となり、ぶどう酒も麦の酒も飲まず、すでに母の胎にいるときから聖霊に満たされ、イスラエルの多くの子らをその神である主に立ち帰らせる。彼は、エリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の思いを抱かせ、整えられた民を主のために備える」。天使は、「あなたの祈りは聞き入れられた。あなたの妻エリサベトは男の子を生む」と言います。聞き入れられたザカリアの祈りとは何でしょうか。私は二つの祈りがあると思います。一つは、「子どもを授けてください」という祈りです。もう一つは、「イスラエルを救ってください」という祈りです。「子どもを授けてください」。「イスラエルを救ってください」。この二つの祈りを一つの祈りとして、神様は聞き入れてくださったのです。
2.主は恵み深い、ヨハネ
不妊の女であり、年を取っていたエリサベトが男の子を生む。このように聞くと、私たちは、『創世記』に記されているアブラハムとサラのお話しを思い起こします。サラは不妊の女であり、アブラハムもサラも年を取っていました。しかし、そのような二人に、主は男の子の誕生を予告されたのです。神様は、アブラハムに、「あなたの妻であるサラが男の子を産む。その子をイサクと名付けなさい」と言われました(創世17:19)。そして、主の天使は、ザカリアに、「あなたの妻エリサベトは男の子を生む。その子をヨハネと名付けなさい」と言うのです。「ヨハネ」とは、「主は恵み深い」という意味です。生まれて来る男の子は、主が恵み深いお方であることを示しているのです。生まれて来る男の子は老夫婦であるザカリアとエリサベトにとって喜びとなり、楽しみとなります。また、多くの人もその誕生を喜ぶことになるのです。それは、ヨハネが主の前に偉大な人になるからです。天使は、「ぶどう酒も麦の酒も飲まず」と言いますが、この背景には、『民数記』の第6章に記されている「ナジル人の誓願」があります。そこには、主に献身するナジル人は、ぶどう酒と麦の酒を断つことを誓願するようにと記されています。ヨハネは、生まれる前から主に献げられたナジル人であるのです。また天使は、こう言います。「すでに母の胎にいるときから聖霊に満たされている」。ヨハネは母エリサベトのお腹の中にいるときから聖霊に満たされているのです。さらに、天使は、その子が大人になったとき、どのような働きをするのかを告げます。「イスラエルの多くの子らをその神である主に立ち帰らせる。彼は、エリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の思いを抱かせ、整えられた民を主のために備える」。「エリヤ」とは、紀元前9世紀に、北王国イスラエルで活躍した預言者です。『列王記上』の第18章には、カルメル山で、エリヤがバアルの預言者たちと対決したお話しが記されています。しかし、この天使の言葉の背後にあるのは『列王記』ではなく、『マラキ書』の御言葉です。『マラキ書』は、旧約聖書の最後に置かれている書物であり、紀元前5世紀頃に記されたと考えられています(神殿再建後のエズラ、ネヘミヤの時代)。『マラキ書』の第3章19節から24節までをお読みします。旧約の1478ページです。
その日が来る/かまどのように燃える日が。傲慢な者、悪を行う者は/すべてわらになる。到来するその日は彼らを焼き尽くし/根も枝も残さない ――万軍の主は言われる。しかし、わが名を畏れるあなたがたには/義の太陽が昇る。その翼には癒しがある。あなたがたは牛舎の子牛のように/躍り出て跳ね回る。私が事を行うその日に/あなたがたは悪しき者たちを踏みつける。彼らはあなたがたの足の裏で灰になる。――万軍の主は言われる。わが僕モーセの律法を思い起こせ。それは、私がホレブで全イスラエルのために/彼に命じておいた掟と法である。大いなる恐るべき主の日が来る前に/私は預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は父の心を子らに/子らの心を父に向けさせる。私が来て、この地を打ち/滅ぼし尽くすことがないように。
主は、「大いなる恐るべき主の日が来る前に/私は預言者エリヤをあなたがたに遣わす」と言われます。『列王記下』の第2章に、エリヤが生きたままで炎の馬車に乗って、天に上げられたお話しが記されています。そのエリヤが、主の日が来る前に遣わされるとマラキは預言したのです。そして、主の天使は、ザカリアとエリサベトの間に生まれて来る男の子は、エリヤの霊と力で、主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の思いを抱かせ、整えられた民を主のために備えると預言するのです。
今朝の御言葉に戻ります。新約の98ページです。
「彼は、エリヤの霊と力で主に先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に正しい人の思いを抱かせ、整えられた民を主のために備える」。ここに記されている預言は、およそ30歳になったヨハネが荒れ野で悔い改めの洗礼を宣べ伝えることによって成就します(3:1~20参照)。ですから、ここでの主は、人となられた神の御子、主イエス・キリストのことです。洗礼者ヨハネの働きは、主イエス・キリストに先立って行き、主イエス・キリストのために整えられた民を備えることであるのです。それゆえ、ヨハネは、罪から神へと立ち帰る、悔い改めの洗礼を宣べ伝えるのです。
3.信じるためのしるし
18節で、ザカリアは天使にこう言います。「どうして、それが分かるでしょう。私は老人ですし、妻も年を取っています」。かつてアブラハムもサラも、年を取った自分たちに子供が生まれるはずはないと笑いました(創世17:17「アブラハムはひれ伏して笑い、心の中で言った。『百歳の男に子どもが生まれるだろうか。九十歳のサラに子どもが産めるだろうか』」、18:12「サラは心の中で笑って言った。『老いてしまった私に喜びなどあるだろうか。主人も年を取っているのに』」参照)。ザカリアも、老夫婦である自分たちに子供が生まれることを信じられず、そのしるしを求めます。天使はこう答えます。「私はガブリエル、神の前に立つ者。あなたに語りかけ、この喜ばしい知らせを伝えるために遣わされたのである。あなたは口が利けなくなり、このことの起こる日まで話すことができなくなる。時が来れば実現する私の言葉を信じなかったからである」。天使は、自分の名前と自分がどのような者であるのかを語ります。天使ガブリエルは、ダニエルに幻の意味を解き明かした天使です(ダニエル8:16、9:21参照)。主は、天使ガブリエルを遣わして、ザカリアとエリサベトの間に男の子が生まれること。その子は偉大な人になり、エリヤの霊と力で主に先立って行き、整えられた民を主のために備えるという喜ばしい知らせ(福音)を伝えるのです。しかし、ザカリアは喜ぶことなく、しるしを求めました。ザカリアは祭司として主の聖所に入って香をたいていながら、自分の祈りが聞き入れられたという喜ばしい知らせを信じることができないのです。そのザカリアに、天使は一つのしるしを与えます。それは、「あなたは口が利けなくなり、このことの起こる日まで話すことができなくなる」というしるしです。口が利けなくなる。これは罰とも思えるしるしであります。しかし、やはり主の恵み深い取り計らいであったと思います。主は、ザカリアの口を利けなくすることによって、時が来れば実現する神の言葉を黙って見ているようにと導かれるのです。
21節に、「民衆はザカリアを待っていた」とあります。それは、聖所から出て来た祭司が、民衆を祝福することになっていたからです(民数6:22~27参照)。しかし、聖所から出て来たザカリアはものが言えなくなっていました。
務めの期間を終えたザカリアは、自分の家に帰ります。ザカリアは、話すことはできませんでしたが、板に文字を書いて、天使から伝えられた喜ばしい知らせを、エリサベトに伝えたと思います。そして、ザカリアとエリサベトは、主が自分たちの祈りを聞き入れてくださったことを信じて、夫婦の交わりを持ったのです。このように見てくると、ザカリアの口が利けなくなったのは、エリサベトが信じるためのしるしであったことが分かります。エリサベトが喜ばしい知らせを信じることができたのは、ザカリアの口が利けなくなっていたことによるのです(1:22「そこで、人々は彼が聖所で幻を見たのだと悟った」参照)。エリサベトはザカリアの口が利けなくなったのを見て、天使が告げた喜ばしい知らせを信じて、夫婦の交わりを持ったのです。
その後(のち)、妻エリサベトは、身ごもりました。五ヶ月の間、身を隠していた後(あと)で、エリサベトはこう言います。「主は今、こうして、私に目を留め、人々の間から私の恥を取り去ってくださいました」。主はエリサベトに対しても恵み深いお方であるのです。