神の友、テオフィロ 2024年7月07日(日曜 朝の礼拝)
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ルカによる福音書 1章1節~4節
聖書の言葉
1:1-2 私たちの間で実現した事柄について、最初から目撃し、御言葉に仕える者となった人々が、私たちに伝えたとおりに物語にまとめようと、多くの人がすでに手を着けてまいりました。
1:3 敬愛するテオフィロ様、私もすべてのことを初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。
1:4 お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのです。ルカによる福音書 1章1節~4節
メッセージ
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序.
先週で『フィリピの信徒への手紙』を学び終えました。さて、次はどこからお話ししようかと考えたのですが、しばらく書簡からの説教が続いていましたので、『ルカによる福音書』からお話しすることにしました。実は、2003年から2006年に渡って、『ルカによる福音書』から連続講解説教をしたことがあります。私が神戸改革派神学校を卒業し、羽生栄光教会に定住伝道者として赴任して、最初に取り組んだのが『ルカによる福音書』の連続講解説教でした。今から20年ほど前の話しになります。その『ルカによる福音書』を、今朝から御一緒に学びたいと思います。
1.ルカについて
この福音書を記したルカは、使徒パウロの同労者でした。新約聖書に「ルカ」の名前が出て来る箇所が3箇所あります。それは、『コロサイの信徒への手紙』の第4章14節と『フィレモンへの手紙』の24節と『テモテへの手紙二』の4章11節です。一つずつ確認したいと思います。
最初に『コロサイの信徒への手紙』の第4章14節です。新約の365ページです。
愛する医者ルカ、それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています。
『コロサイの信徒への手紙』は、パウロが牢獄から書き送った、いわゆる獄中書簡です。ローマの権力によって捕らわれていたパウロのもとに、ルカとデマスがいたと記されています。しかもルカは、「愛する医者ルカ」と記されています。ルカは、お医者さんであったのです。
次に『フィレモンへの手紙』の24節です。新約の391ページです。
私の協力者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくとのことです。
『フィレモンへの手紙』も獄中書簡であり、『コロサイの信徒への手紙』と同じ頃に執筆されたと考えられています。ここでは、ルカと共に「マルコ」がいたと記されています。この「マルコ」は、『マルコによる福音書』を記したマルコです。ルカはマルコとも交わりを持っていたのです。
最後は、『テモテへの手紙二』の第4章11節です。ここでは、第4章9節から11節までをお読みします。新約の385ページです。
ぜひ、急いで私のところに来てください。デマスはこの世を愛し、私を見捨ててテサロニケに行ってしまい、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマティアに行ったからです。ルカだけが私のところにいます。マルコを連れて、一緒に来てください。彼は、私の務めのために役立つからです。
『テモテへの手紙二』はパウロの遺書とも呼べる最後の手紙です。ここでは、これまでパウロと一緒にいたデマスがこの世を愛し、パウロを見捨ててテサロニケに行ってしまったと記されています。このときパウロと一緒にいたのは、ルカだけでした。このように、ルカは、使徒パウロの傍らに居つづけた人であったのです。
今朝の御言葉に戻ります。新約の98ページです。
2.私たちの間で実現した事柄
1節と2節をお読みします。
私たちの間で実現した事柄について、最初から目撃し、御言葉に仕える者となった人々が、私たちに伝えたとおりに物語をまとめようと、多くの人がすでに手を着けてまいりました。
『ルカによる福音書』は、80年頃に記されたと考えられています。イエス様が十字架の死から復活されたのが30年頃です。使徒パウロが『テサロニケの信徒への手紙一』を記したのが50年頃です。使徒ペトロと使徒パウロが、ローマで殉教の死を遂げたのが67年頃です(皇帝ネロの治世54〜68年)。ローマ帝国によってエルサレムが滅ぼされたのが70年です(第一次ユダヤ戦争66〜70年)。そのような時の流れの中で、80年頃に、ルカは、この福音書を記したのです。
ルカが「私たちの間で実現した事柄について」と記すとき、その事柄、出来事とは、イエス・キリストの出来事のことです。「最初から目撃し、御言葉に仕える者となった人々」とは、イエス・キリストの出来事を目撃した最初の弟子たちのことです。最初の弟子たちは、イエス・キリストの出来事を他の人々に知らせようと文書にしていたのです。「私たちに伝えたとおりに物語にまとめようと、多くの人がすでに手を着けてまいりました」。この「多くの人」の中に、『マルコによる福音書』を記したマルコがいます(おそらく「多くの人」はルカの誇張表現)。先程、『フィレモンへの手紙』から確認したように、獄中のパウロのもとには、マルコとルカが一緒にいました。ルカはマルコと交わりを持っていたのです。新約聖書には、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネと4つの福音書があります。マタイ、マルコ、ルカの最初の3つの福音書は、内容が良く似ています。マタイ、マルコ、ルカの3つの福音書は、共通の観点に立って記されていることから共観福音書と呼ばれます。そして、マタイ、マルコ、ルカが、なぜ似ているのか、似ていながらも、なぜ違いがあるのかという問題を共観福音書問題と言います。その答えとして、多くの研究者は、『マルコによる福音書』が最初に記されて、マタイとルカは、『マルコによる福音書』を一つの資料として、それぞれの福音書を記したからであると考えます。また、マタイとルカは、「イエスの語録集」と、それぞれ特有の資料を用いたからであると考えます。『マルコによる福音書』になくて、『マタイによる福音書』と『ルカによる福音書』にある教えは、「イエスの語録集」を資料としていると考えるのです。例えば、「敵を愛しなさい」というイエス様の有名な教えがあります。「敵を愛しなさい」というイエス様の言葉は、『マタイによる福音書』と『ルカによる福音書』に記されています(マタイ5:44、ルカ6:27)。しかし、『マルコによる福音書』には記されていません。それは、マタイとルカが、「イエスの語録集」を一つの資料として用いたからであると考えられるのです。また、『マタイによる福音書』だけに記されていること、『ルカによる福音書』だけに記されていることもあります。クリスマスの物語は、マタイではイエス様の法的な父であるヨセフを中心にして記されています。他方、ルカではイエス様の母であるマリアを中心にして記されています。それは、マタイとルカが、それぞれに特有の資料を用いたからだと考えられているのです。『ルカによる福音書』には他の福音書にはない、「善きサマリア人のたとえ」や「放蕩息子のたとえ」が記されています。これらはルカ特有の資料に基づいていると考えられているのです。
初代教会の弟子たちは、自分たちが生きている間に、イエス様が天から来てくださると信じていました(一テサロニケ4:15「主の言葉によって言います。主が来られる時まで生き残る私たちが、眠りに就いた人たちより先になることは、決してありません」参照)。しかし、イエス・キリストはなかなか来られない。また、ペトロやパウロといった使徒たちが殉教の死を遂げていく中で、後の世代のために、イエス・キリストの出来事を物語として記す必要が生じて来たのです。イエス・キリストについての口頭伝承(言葉によって語り継がれる様式)や断片的な文書を、順序立てて、物語とする必要が生じたのです。その必要に応えて、『マルコによる福音書』が70年頃に記されたのです。その『マルコによる福音書』と「イエスの語録集」と「ルカ特有の資料」を用いて、『ルカによる福音書』が80年頃に記されたのです。
3.順序正しく書いて
3節と4節をお読みします。
敬愛するテオフィロ様、私もすべてのことを初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのです。
「敬愛するテオフィロ様」とありますが、「テオフィロ」という名前は、『使徒言行録』の第1章1節にも記されています。新約の209ページです。
テオフィロ様、私は先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指示を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。
「第一巻」とは、『ルカによる福音書』のことです。ルカは、『ルカによる福音書』と『使徒言行録』を、テオフィロにために記したのです。ルカは、『ルカによる福音書』と『使徒言行録』をひと続きの書物として記したのです。ルカが『ルカによる福音書』を記したとき、『使徒言行録』を記すことが、その構想の中にあったということです。一つだけ具体例をあげたいと思います。『ルカによる福音書』の第11章13節に、次のようなイエス様の御言葉があります。新約の126ページです。「あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして天の父は、求める者に聖霊を与えてくださる」。このイエス様の御言葉は、『マルコによる福音書』にはなく、『マタイによる福音書』にあるので、「イエスの語録集」を資料としているようです。『マタイによる福音書』の第7章11節にはこう記されています。新約の11ページです。「あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして、天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる」。マタイは、「天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる」と記しています。しかし、ルカは、その「良い物」とは「聖霊」であると記したわけです。ルカは、「天の父は、求める者に聖霊を与えてくださる」と記しました。それは、ルカの構想の中に、『使徒言行録』の第二章に記されているペンテコステの出来事があったからです。「天の父は、求める者に聖霊を与えてくださる」というイエス様の御言葉は、ペンテコステの日に、イエス様の弟子たちのうえに実現するのです。そのことを見越して、ルカは、「天の父は、求める者に聖霊を与えてくださる」と記したのです。
今朝の御言葉に戻ります。新約の98ページです。
ルカが、「順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました」と記すとき、その書物は、『ルカによる福音書』と『使徒言行録』からなる「ルカ文書」のことです。小見出しに、「献呈の言葉」とありますが、この「献呈の言葉」は、『ルカによる福音書』だけではなくて、『使徒言行録』をも含めた「ルカ文書」の「献呈の言葉」であるのです。ですから、ルカが、「順序正しく書いて」と記すとき、イエス・キリストの誕生、その教えと行い、十字架の死と復活、天に上げられたことに留まることなく、弟子たちに約束の聖霊が与えられ、教会がエルサレムからユダヤ、サマリア、地中海世界へと広がっていくことをも含んでいるのです。ルカが「順序正しく」と言うとき、その順序とは、神の救いの歴史の順序であると言えます。ルカは、イエスの出来事と、教会の存在を、神の救いの歴史として位置づけたのです。
この説教の初めに、「『ルカによる福音書』は、80年頃に執筆されたと申しました。パウロの手紙からも分かるように、教会は、地中海世界のあらゆるところに存在していました。その教会とイエス・キリストとはどのような関係にあるのか。もし、ルカが『使徒言行録』を記してくれなければ、なぞのままであったのです。また、ルカは、イエス・キリストの出来事を、旧約の預言の成就であると記しました。それゆえ、ルカは、洗礼者ヨハネの誕生の予告から、『ルカによる福音書』を書き始めるのです。このように、ルカは、神の救いの歴史の順序に従って、『ルカによる福音書』と『使徒言行録』を書き記したのです。そして、それは、「お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたい」からです。イエス・キリストの出来事と教会の存在が、神の救いの歴史の中に、正しく位置づけられてこそ、私たちは、受けた教えが確実であると納得することができるのです。キリスト教は、抽象的な概念ではなく、歴史の中で実際に起こった出来事に基づいているのです。
結.神の友、テオフィロ
今朝の説教題を「神の友、テオフィロ」とつけました。テオフィロという名前は、神を意味する「セオス」と友を意味する「フィロス」からなります。「テオフィロ」という名前は「神の友」という意味であるのです。「テオフィロ」とは、実在した個人の名前であると思いますが、象徴的な意見を持っています。私たちは、「テオフィロ」という名前に自分自身を重ねることができるのです。と言いますのも、私たちは神の友、イエスの友であるからです(ヨハネ15:15「私はあなたがたがを友と呼んだ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである」参照)。ルカは、私たちのためにも、すべてのことを初めから詳しく調べて、『ルカによる福音書』と『使徒言行録』を記してくれたのです。