2021年12月26日「御心に適う人に平和が」

問い合わせ

日本キリスト改革派 岡山西教会のホームページへ戻る

御心に適う人に平和が

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
ルカによる福音書 2章8節~14節

Youtube動画のアイコンYoutube動画

Youtubeで直接視聴する

聖句のアイコン聖書の言葉

2: 8 さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。
2: 9 すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
2:10 御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを
   告げ知らせます。
2:11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ、主キリストです。
2:12 あなたがたは、布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしで
   す。
2:13 すると突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて、神を賛美した。
2:14 「いと高き所で、栄光が神にあるように。
    地の上で、平和が、みこころにかなう人々にあるように。」ルカによる福音書 2章8節~14節

原稿のアイコンメッセージ

 先週はクリスマス礼拝やキャンドル礼拝も持つことができ、心から神に感謝致します。

 今朝もクリスマスに関連するルカ2:8以降に注目します。本来、クリスマスの期間は1月6日の公現祭までですので、ここから学ぶことも良いと思います。

 この個所は、神の御子イエスがユダヤのベツレヘムで全世界の救い主として誕生された夜のことを伝えています。ベツレヘム郊外で、8、9節「羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。すると、主の使いが彼らの所に来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。」

 10~12節が伝えますように、御使いは「主キリスト」、つまり、神の御子なる救い主キリストの誕生を告げました。すると13節「突然、その御使いと一緒におびただしい数の天の軍勢が現れて」、14節のように神を賛美しました。真夜中にこんなことが目の前で起ったのですから、羊飼いたちはどんなに恐れたことでしょう。

 それはともかく、御使いと天の軍勢が歌いました14節をもう一度読みます。「いと高き所で、栄光が神にあるように。地の上で、平和が御心に適う人にあるように。」

 14節前半の「いと高き所で、栄光が神にあるように」のラテン語訳聖書の言葉が、讃美歌21の263番にあります「グロリア、イン、エクセルシス、デオ」です。「いと高き所」とは天上の世界を指します。そして14節後半には、イエスが、旧約聖書の約束通り救い主として来られたことが私たちにもたらす神の最も尊い祝福の一つである「平和」が語られています。「地の上で、平和が御心に適う人にあるように。」今朝はこの点に注目したいと思います。

 「御心に適う人」とは、どんな人でしょうか。しばしば誤解されますが、これは神が人間に授けられた宗教的・道徳的教えや戒めを十分に守っている大変立派な信仰者、という意味ではありません。むしろ、自分の罪、汚れ、弱さをよく自覚し、心から悲しんでいる人のことです。しかし同時に、神の憐れみによりすがり、御子イエスを通して差し出されている父なる神からの罪の赦しと救いを心底願い、イエスを自分の救い主と心から信じ、受け入れ、依り頼み、イエス・キリストに繋がっている人のことです。従って、勿論、真面目ではありますが、普通のクリスチャンに外なりません。天使たちは、そういう信仰者に特に「平和」があるようにと歌います。

 では、「平和」とはどんなものでしょうか。聖書によりますと、これは争いや衝突、恨みや憎しみ、あるいは混乱や悩み、不安や心配がない、というだけではありません。人間が、色々な点で異なるお互いを認め合い、受け入れ、夫々が神から与えられている恵みや良い点を、自分のためにも皆のためにも喜んで発揮できる、積極的で愛と秩序のある穏やかな状態を指します。

 私たちの置かれた周囲の状況も関係しますが、自分の内に平和がない時、私たちはどうなるでしょうか。そういう時、私たちは自分を見失い、折角神から私たちに与えられている賜物も十分に発揮できません。する事なす事が空回りしたり、いつもならできるはずのこともできず、惨めな結果に終りやすい。

 反対に、私たちに平和がある時、私たちは神から与えられている賜物、すなわち、良い意味での個性や能力、長所を伸びやかに発揮し、輝かすことができます。それだけでなく、皆のために生かすことも可能です。その結果、一層爽やかな喜びや充足感、深い感謝を覚えることでしょう。

 では、神の御子イエスは、救い主であるご自分を信じ、受け入れ、依り頼む信仰者に、具体的にはどんな平和を下さるでしょうか。

 第一は、何といっても天地の創り主なる真の神との平和、対神的平和です。

 私たちが、私たちを創られた神に心を閉ざし、頑なに自分中心の罪と不信仰に留まる限り、神と私たちとの間に平和はありません。ローマ1:18が「不義によって真理を阻んでいる人々のあらゆる不敬遠と不義に対して、神の怒りが天から啓示されている」と言うように、神は怒っておられます。

 ところが何と神はこんな私たちを憐れみ、御子を世に遣わし、十字架につけ、私たちの罪をことごとく御子の命をもって償い、私たちの罪と不信仰を全部帳消しにする道を開いて下さったのでした。イエス・キリストを自分の救い主として心から信じ、受け入れ、寄り頼むなら、どんな人でも永遠者・絶対者なる神との和解を与えられ、神との平和に入れられることを、聖書はハッキリ語ります。Ⅱコリント5:17、18は言います。「誰でもキリストの内にあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、全てが新しくなりました。これらのことは全て、神から出ています。神は、キリストによって私たちを御自分と和解させ」と。

 御子を心から信じる者に、神はもはや怒りと敵意を持つ裁きの神ではなく、永遠の味方、永遠の父となって下さいます。ですから、クリスチャンは今やどんな時にも、天地の創り主なる真の神に向って「天の父なる神様、お父様」と親しく呼びかけ、幼子が親の懐に飛び込んで安らぐように、全幅の信頼をもって永遠者、絶対者なる全知全能の神に一切を委ねることを許されています。何という幸いでしょうか、神との平和!これが第一点です。

 第二は、人との平和、対人的平和です。

 私たちが自分の尺度や自分の視点だけで人を見る限り、人を愛することは、何と難しいでしょう。しかし、その人をも神がイエス・キリストを通して愛し、救いを望んでおられることを心に留めますと、どうでしょうか。実際、聖書はそう教えています。Ⅰテモテ2:4は言います。「神は、全ての人が救われて、真理を知るようになることを望んでおられます。」ヨハネ3:16も言います。「神は、実に、その独り子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠の命を持つためである。」

 このことをよく考えるならば、すなわち、神の愛がどんな人にも及んでいることを思うならば、私たちは他の人を、違う個性を持つ存在として認めることが多少ともできるようになるのではないかと思います。

 また、自分のような者でも、神の大きな忍耐と寛容の中に生かされ、愛されていることをよく考えるならば、人の敵意や悪意にも私たちは少しずつでも寛容と忍耐をもって、そしてあくまでも誠実に応え、平和を造り出す者になれるのではないかと思うのです。すると、神はこんな私たちと一層共にいて下さいます。Ⅱコリント13:11は言います。「最後に兄弟たち、喜びなさい。完全になりなさい。慰めを受けなさい。思いを一つにしなさい。平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなた方と共にいて下さいます。」

 こうして私たちは、人との間にも平和を作り出す者として、感謝なことですが、神にますます似る者とされます。イエスは言われました。マタイ5:9「平和を造る者は幸いです。その人たちは神の子供と呼ばれるからです。」何と感謝なことでしょう!

 最後ですが、三つ目は自分との平和、対自的平和です。

 人間の惨めさの一つは、自分ともうまく行かないことです。私たちはしばしば自分の失敗や弱さ、足りなさ、ふがいなさ、汚さ(きたなさ)を知って、自分に腹を立て、自己嫌悪に陥り、自分を赦せないことがありますね。そういう時、私たちは苛立ちを人にぶつけ、八つ当たりをし、乱暴な言葉や態度で接し、自暴自棄にもなりやすい。自分を受け入れられないからです。そういう時、私たちは惨めですね。自分との間に平和がないからです。

 しかし、ここでよく考えたいと思います。神は御子イエスを賜ったほどに、こんな私たちを尚も愛し、憐れみ、そしてイエス・キリストへの信仰だけで、私たちを罪も弱さも欠点もあるがまま本当に受け入れて下さる!何という神の愛でしょう。

 ですから、自分のことが気にいらず、嫌いな所が沢山あっても、私たちを創られた神がこんな私たちをも愛して下さっているのですから、自分の掛け替えのなさ、尊さを安心して受け入れたいと思うのです。神は旧約時代の信仰者にこう言われました。イザヤ43:4「私の目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している」と。この御言葉が今も全ての信仰者に向けられています。何という光栄、何という幸せでしょうか!自分との平和というこの素晴らしい平和に、是非、イエス・キリストへの信仰により与らせて頂きたいと思います。

 近年は、人間の罪の生み出す犯罪や残酷なテロ、民族と民族の争い、卑劣なヘイトスピーチやヘイトクライム、また無差別殺人などが後を絶たない、本当に不穏で重苦しい時代だと思います。しかし、だからこそ、私たちは、イエス・キリストへの信仰によって与えられる神との平和、人との平和、自分との平和を一層確かなものにし、その平和に立って一つ一つの言葉を丁寧に誠実に発し、隣人に仕え、キリストによる平和を粘り強く広げていきたいと思います。

 1年の終りに当り、また間もなく新年を迎えようとする今、天使たちの語った平和が、どうか私たち一人一人の内に一層確立されるように、共に熱く祈っていきたいと思います。

関連する説教を探す関連する説教を探す