2021年12月16日「アドベントの意義」

問い合わせ

日本キリスト改革派 岡山西教会のホームページへ戻る

アドベントの意義

日付
説教
田村英典 牧師
聖書
ルカによる福音書 2章22節~35節

聖句のアイコン聖書の言葉

2:22 そして、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子をエルサレムへ連れて行った。
2:23 それは、主の律法に「最初に母の胎を開く男子はみな、主のために聖別された者と呼ばれる」と書いてあると
   おり、幼子を主に献げるためであった、
2:24 また、主の律法に「山鳩一つがい、あるいは、家鳩のひな二羽」と言われていることに従って、いけにえを献
   げるためであった。
2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるの
   を待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた。
2:26 そして、主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた。
2:27 シメオンが御霊に導かれて宮に入ると、律法の慣習を守るために、両親が幼子イエスを連れて入って来た。
2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。
2:29 「主よ。今こそあなたは、お言葉とおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。
2:30 私の目があなたの御救いを見たからです。
2:31 あなたが万民の前に備えられた救いを。、
2:32 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄を。」
2:33 父と母は、幼子について語られる様々なことに驚いた。
2:34 シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立
   ち上がったりするために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。
2:35 あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。それは多くの人の心のうちの思いが、あらわになるた
   めです。」ルカによる福音書 2章22節~35節

原稿のアイコンメッセージ

 今年は、11月28日の主の日・日曜日からアドベント(待降節)に入りました。そこで今日は、そのアドベントの意義を改めて確認したいと思います。

 アドベントはラテン語のAdventus(アドウェントゥス)から来ており、来臨とか到来という意味です。つまり、旧約聖書で約束されていた待望の救い主が世に来られることを意味します。

 それを、イエスが来臨され誕生されたことを祝うクリスマスを待ち望み、クリスマスに備えるという意味で教会は用い、紀元5世紀頃にはクリスマスの4回前の主の日から、アドベントとして守る習慣が定着したようです。

 先程お読みしましたルカ2:22以降には、シメオンについて伝えられています。彼は25節「イスラエルが慰められるのを待ち望んで」いました。具体的には、彼は神から遣わされる救い主の来臨をずっと待ち望んでいました。また36節以降には、女預言者アンナが幼子イエスに会って神を賛美し、38節「エルサレムの贖いを待ち望んでいた全ての人に、この幼子のことを語」ったとあります。シメオンやアンナを初め、救い主の来臨を「熱心に待ち望む」人々が、ユダヤではずっと絶えなかったことが分ります。

 こういう聖書の記述を読みますと、後の教会に、キリストの誕生を覚え祝うクリスマスの到来を心から待ち望み、それに備えるための習慣が生れてきたことは、よく理解できますし、素晴らしいと思います。

 アドベントの期間中、ヨーロッパでは色々なことがされてきました。アドベント・リースとかアドベント・クランツと呼ばれる常緑樹の枝を円い形に束ねたものの上に4本のローソクを立て、アドベントの期間中、主の日を迎える毎に灯したローソクの数を1本ずつ増やしていく習慣があります。

 また、今はどれ位守られているのか分りませんが、この期間には結婚式をしないとか、断食の時を持つという習慣もありました。

 子供たちの楽しみのために、アドベント・カレンダーを作る習慣もあります。

 アドベントの期間中、ドイツでは、主の日毎に菓子パンのシュトレンを薄く切って食べる習慣もあります。シュトレンの形と砂糖でおおわれた外見は、幼子イエスが純白のマントで包まれていたことに由来するなどと言われます。

 前に一度お話ししましたが、10年位前、キリスト教のある冊子にあった一人の牧師の書いた内容が心に残っています。留学中だったか旅行中だったか、彼が滞在したヨーロッパのある地域では、アドベントの時期に、鉢植えのクリスマスの愛らしい花が各家の出窓の外に置かれるそうです。しかし、何故窓の外なのか。普通は家の中ではないか。そんな疑問を人々に向けた所、「窓の外に花を置くのは、イエス様を我が家にお迎えする徴なのです」という返事が帰ってきて、彼はいたく感心したといいます。家族皆で家の中へイエス・キリストをお迎えするというその信仰と温かい心が素晴らしいと思います。

 こういう習慣を私たちも守るべきだ、というのではありません。しかし、温かい気持で清くその期間を過し、クリスマスを熱い思いで「待ち望むその姿勢」は、何と尊いでしょうか。ヨーロッパの長いキリスト教伝統の内に見られるこの姿勢に、私たちも見習いたいと思います。

 さて、アドベントの元来の意味は、来臨もしくは到来だと先程申しました。第一義的にはこれは、キリストが来臨されたことを祝うクリスマスを待ち望み、クリスマスに備えることを意味します。

 しかし、アドベントにはもう一つ、マタイ24章などが伝えますように、イエス・キリストが世の終りに再び来られる、いわゆるキリストの再臨の意味もあります。その時、人間のあらゆる罪と不信仰はあらわにされ、悔い改めなかった者は裁かれ、永遠の滅びに至ります。

 しかし、自分の罪を心底恐れ、悔い改め、主イエスによる神の計り知れない赦しの愛を知って神を愛し、また主の御心に従って生き、神と人に喜んで仕えた者は、必ずその報いに与ります。その意味でのキリストのセカンド・アドベントを、すなわち、神が全ての全てとなられる時を熱く待ち望み、それに備えるという点も、是非心に留めたいですね。聖書には、一つの未来のことを仰ぎつつ、同時にもっと彼方のことも仰いでいるということがよくあります。

 主のご降誕を祝うクリスマスを待ち望み、清く備えると共に、その彼方にあります「世の終りのキリストの再臨を熱く待ち望み、目を覚ましてよく備える」というアドベントの意義も覚えたいと思うのです。

 Ⅰコリント16:22は言います。「主よ、来て下さい(原文はアラム語で『マラナ・タ』。」黙示録22:20、21は言います。「これらのことを証しする方が言われる。『しかり、私はすぐに来る。』アーメン、主イエスよ、来て下さい。」そして、主の祈りの第二祈願で私たちはこう祈ります。御国を来らせ給え。」

 アドベントのこうした二つの意義を改めてよく覚え、その両方の信仰に堅く生きる者でありたいと思います。

関連する説教を探す関連する説教を探す