西谷教会の成り立ち
開拓伝道が西谷教会のルーツです
西谷教会のルーツは日本キリスト改革派園田教会佐藤慎二牧師による北部地域への開拓伝道です。米国南長老教会派遣ビンセント・スタブス宣教師の協力を得て、1963年から始められたその開拓伝道によって、当教会の母教会である伊丹教会が立てられました。そしてその開拓20周年記念事業として、伊丹教会泥谷逸郎牧師により、更なる北部開拓伝道が開始されました。
御国の進展を夢見つつ、伊丹北部から東宝塚(山本地区)に拠点を求め、阪急山本駅前にある文化教室を東宝塚伝道所として熱心な祈りと共に活動が行われました。
しかし1995年の阪神淡路大震災により伊丹教会の会堂が大きく罹災。その修復が当面の課題となったこと、また泥谷牧師の交代とも重なり、時至らず1997年11月に東宝塚伝道所は閉鎖されることとなります。
ただその同年12月、宝塚市北部の西谷地区に教会員による地域医療施設「近藤診療所」が開設され、アメリカ合衆国長老教会派遣 ウィリアム・モーア宣教師とアン・モーア宣教師ご夫妻の協力により、同診療所の2階においてクリスマス礼拝から月一度の聖書集会が開始されました。幾多の困難苦難の中で、ただ主の導きと憐れみによって立てられたのが西谷教会です。