再びエジプトへ 2013年12月08日(日曜 夕方の礼拝)
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再びエジプトへ
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- 村田寿和 牧師
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創世記 43章15節~34節
聖書の言葉
43:15 息子たちは贈り物と二倍の銀を用意すると、ベニヤミンを連れて、早速エジプトへ下って行った。さて、一行がヨセフの前に進み出ると、
43:16 ヨセフはベニヤミンが一緒なのを見て、自分の家を任せている執事に言った。「この人たちを家へお連れしなさい。それから、家畜を屠って料理を調えなさい。昼の食事をこの人たちと一緒にするから。」
43:17 執事はヨセフに言われたとおりにし、一同をヨセフの屋敷へ連れて行った。
43:18 一同はヨセフの屋敷へ連れて来られたので、恐ろしくなって、「これはきっと、前に来たとき我々の袋に戻されていたあの銀のせいだ。それで、ここに連れ込まれようとしているのだ。今に、ろばもろとも捕らえられ、ひどい目に遭い、奴隷にされてしまうにちがいない」と思った。
43:19 彼らは屋敷の入り口のところでヨセフの執事の前に進み出て、話しかけて、
43:20 言った。「ああ、御主人様。実は、わたしどもは前に一度、食糧を買うためにここへ来たことがございます。
43:21 ところが、帰りに宿で袋を開けてみると、一人一人の袋の口のところにそれぞれ自分の銀が入っておりました。しかも、銀の重さは元のままでした。それで、それをお返ししなければ、と持って参りました。
43:22 もちろん、食糧を買うための銀は、別に用意してきております。一体誰がわたしどもの袋に銀を入れたのか分かりません。」
43:23 執事は、「御安心なさい。心配することはありません。きっと、あなたたちの神、あなたたちの父の神が、その宝を袋に入れてくださったのでしょう。あなたたちの銀は、このわたしが確かに受け取ったのですから」と答え、シメオンを兄弟たちのところへ連れて来た。
43:24 執事は一同をヨセフの屋敷に入れ、水を与えて足を洗わせ、ろばにも餌を与えた。
43:25 彼らは贈り物を調えて、昼にヨセフが帰宅するのを待った。一緒に食事をすることになっていると聞いたからである。
43:26 ヨセフが帰宅すると、一同は屋敷に持って来た贈り物を差し出して、地にひれ伏してヨセフを拝した。
43:27 ヨセフは一同の安否を尋ねた後、言った。「前に話していた、年をとった父上は元気か。まだ生きておられるか。」
43:28 「あなたさまの僕である父は元気で、まだ生きております」と彼らは答え、ひざまずいて、ヨセフを拝した。
43:29 ヨセフは同じ母から生まれた弟ベニヤミンをじっと見つめて、「前に話していた末の弟はこれか」と尋ね、「わたしの子よ。神の恵みがお前にあるように」と言うと、
43:30 ヨセフは急いで席を外した。弟懐かしさに、胸が熱くなり、涙がこぼれそうになったからである。ヨセフは奥の部屋に入ると泣いた。
43:31 やがて、顔を洗って出て来ると、ヨセフは平静を装い、「さあ、食事を出しなさい」と言いつけた。
43:32 食事は、ヨセフにはヨセフの、兄弟たちには兄弟たちの、相伴するエジプト人にはエジプト人のものと、別々に用意された。当時、エジプト人は、ヘブライ人と共に食事をすることはできなかったからである。それはエジプト人のいとうことであった。
43:33 兄弟たちは、いちばん上の兄から末の弟まで、ヨセフに向かって年齢順に座らされたので、驚いて互いに顔を見合わせた。
43:34 そして、料理がヨセフの前からみんなのところへ配られたが、ベニヤミンの分はほかのだれの分より五倍も多かった。一同はぶどう酒を飲み、ヨセフと共に酒宴を楽しんだ。創世記 43章15節~34節
メッセージ
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今夕は創世記43章15節から34節より御言葉の恵みにあずかりたいと願います。
父ヤコブの指示に従い、息子たちは贈り物と二倍の銀を用意すると、ベニヤミンを連れて早速エジプトへ下って行きました。一行がヨセフの前に進み出ると、ヨセフはベニヤミンが一緒なのを見て、自分の家を任せている執事にこう言いました。「この人たちを家へお連れしなさい。それから、家畜をほふって料理を整えなさい。昼の食事をこの人たちと一緒にするから」。執事は、ヨセフに言われたとおりにし、一同をヨセフの屋敷へ連れて行きました。一同はヨセフの屋敷へ連れて来られたので、恐ろしくなり、「これはきっと、前に来たとき我々の袋に戻されていたあの銀のせいだ。それで、ここに連れ込まれようとしているのだ。今に、ろばもろとも捕えられ、ひどい目にあい、奴隷にされてしまうにちがいない」と思いました。袋の中に銀が戻されていたことについては、42章26節から28節に記されていましたが、兄弟たちは、袋に戻されていた銀のせいで、自分たちが捕えられ、ひどい目に合い、奴隷にされてしまうに違いないと考えたのです。それで、彼らは屋敷の入り口のところでヨセフの執事の前に進み出て、話しかけ、こう言ったのです。「ああ、御主人様。実は、わたしどもは前に一度、食糧を買うためにここへ来たことがございます。ところが、帰りに宿で袋を開けてみると、一人一人の袋の口のところにそれぞれ自分の銀が入っておりました。しかも、銀の重さは元のままでした。それでそれをお返ししなければ、と持って参りました。もちろん、食糧を買うための銀は、別に用意してきております。一体誰がわたしどもの袋に銀を入れたのか分かりません」。食糧の代金として支払った銀がそっくりそのまま袋の中に戻されていたわけですね。このように怯える兄弟たちに、執事はこう答えます。「御安心しなさい。心配することはありません。きっと、あなたたちの神、あなたたちの父の神が、その宝を袋に入れてくださったのでしょう。あなたたちの銀は、このわたしが確かに受け取ったのですから」。この執事の言葉は、彼自身の言葉というよりも、ヨセフにこういうようにと命じられていた言葉であると思います(44:4~6参照)。つまり、 執事の口をとおしてヨセフがこの言葉を語っているのです。ここで「御安心なさい」と訳されている言葉は、「平和」とか「平安」と訳されるシャロームというヘブライ語です。また、「心配することはありません」と訳されている言葉は、直訳すると「恐れるな」となります。執事は、動揺を隠せない兄弟たちに、「あなたがたに平和があるように。恐れてはなりません」と語りかけるのです。そして、「一体誰がわたしどもの袋に銀を入れたのか分かりません」と言う兄弟たちに、「きっとあなたの神、あなたたちの父の神が、その宝を袋に入れてくださったのでしょう」と言うのです。
兄弟たちは、戻されていた銀を発見したとき、「これは一体、どういうことだ。神が我々になさったことは」と互いに震えながら言いましたが、ここで執事も、「きっと、あなたたちの神が、あなたたちの父の父祖の神が、その宝を袋に入れてくださったのでしょう」と言うのです。ここでは「銀」ではなく、「宝」という言葉が用いられていますが、この「宝」と訳されている言葉をもう少し丁寧に訳すと「隠された宝」となります。隠された宝、それは戻されていた銀というよりも、神さまの隠されたご計画を意味しているのではないかと思います。そして、ここに、神を信じる私たちが人生という歴史を読み解いていくための大切な視点があるのです。また、執事は、「あなたたちの銀は、このわたしが確かに受け取ったのですから」と答え、シメオンを兄弟たちのところへ連れて来ました。このようにして、彼らがエジプトの手薄な所を探りに来た回し者であるという疑いは晴れたのであります。執事は、一同をヨセフの屋敷に入れ、水を与えて足を洗わせ、ろばにも餌を与えました。彼らは持って来た贈り物を調えて、昼にヨセフが帰宅するのを待ちました。一緒に食事をすることになっていると聞いたからであります。彼らがヨセフの家に連れて来られたのは、奴隷にするためではなく、一緒に食事をするためであったのです。このことを知った彼らは、どれほど安心したことであろうかと思います。
ヨセフが帰宅しますと、一同は屋敷に持って来た贈り物を差し出して、地にひれ伏してヨセフを拝しました。このようにして再び、かつての見た夢が現実のものとなるのです(37章参照)。「ヨセフは一同の安否を尋ねた」とありますが、ここで「安否」と訳されている言葉は、「平安」とも訳されるシャロームという言葉であります。ヨセフは兄たちに平安を尋ねたのです。これは意義深いことであります。といいますのも、37章の4節にこう記されていたからです。「兄たちは、父がどの兄弟よりもヨセフをかわいがるのを見て、ヨセフを憎み、穏やかに話すこともできなかった」。この「穏やかに話すこともできなかった」の「穏やか」と訳されている言葉がシャロームであるのです。つまり、兄弟とヨセフの間にはシャロームがなかったのです。しかし、今夕の御言葉では、ヨセフは兄たちのシャロームを尋ねているのです。また、ヨセフは兄たちだけではなく、父ヤコブのシャロームをも尋ねます。「前に話していた、年をとった父上は元気(シャローム)か。まだ生きておられるか」。それに対して兄弟たちは、「あなたさまの僕である父は元気(シャローム)で、まだ生きております」と答え、ひざまずいて、ヨセフを拝しました。ヨセフは同じ母ラケルから生まれた弟ベニヤミンをじっと見つめて、「前に話していた末の弟はこれか」と尋ね、「わたしの子よ。神の恵みがお前にあるように」と言うと、急いで席を外しました。弟懐かしさに、胸が熱くなり、涙がこぼれそうになったからであります。ヨセフは奥の部屋に入ると泣きました。やがて、顔を洗って出て来ると、ヨセフは平静を装い、「さあ、食事を出しなさい」と言いつけました。食事は、ヨセフにはヨセフの、兄弟たちには兄弟たちの、相伴するエジプト人にはエジプト人のものと別々に用意されました。三つのテーブルに分かれて食事がなされたのです。と言いますのも、当時、エジプト人は、ヘブライ人と共に食事をすることはできなかったからであります。それはエジプト人のいとうことでありました。兄弟たちは、いちばん上の兄から末の弟まで、ヨセフに向かって年齢順に座らされたので、驚いて互いに顔を見合わせました。彼らはエジプトの宰相がヨセフであることを知りませんから、年齢順に座らされたことに驚いたのです。そして、料理がヨセフの前から皆のところへ配られましたが、ベニヤミンの分はほかのだれの分よりも5倍も多かったのです。このことは、ベニヤミンが主賓であることを示しています。回し者という疑いが晴れた兄弟たちは賓客としてヨセフからもてなしを受けるのでありますが、その主賓は末の弟であるベニヤミンであったのです。ともあれ、一同はぶどう酒を飲み、ヨセフと共に酒宴を楽しんだのです。
今夕の御言葉は、兄弟たちの二度目のエジプト訪問について記されていますが、二回目の訪問は、一回目の訪問と比べて、和やかなものでありました。一回目の訪問のときは、兄弟たちはエジプトの手薄なところを探しに来た回し者と疑われ、三日間、牢獄に監禁されました。しかし、今夕の二度目の訪問では、末の弟であるベニヤミンを連れて来ることによって、回し者であるとの疑いが晴れ、賓客としてヨセフの家に招かれ、食事を共にするのです。兄弟たちも、すっかり安心して、ヨセフと共に酒を飲み、酔っ払ったのです。しかし、まだここでは、ヨセフと兄弟たちが和解したわけではありません。と言いますのも、兄弟たちは、共に酒宴を楽しんでいるエジプトの宰相が、自分たちがエジプトに奴隷として売り飛ばしたヨセフであることを知らないからです。今夕の御言葉で、ヨセフは兄弟たちのシャロームについて語りますけれども、兄弟たちがエジプトの宰相がヨセフであることを知らない以上、まだヨセフと兄弟たちの間に、シャローム、平和は実現していないのです。そして、そのことは、ヨセフと兄弟たちが別々のテーブルで食事をしたことに象徴的に表されているのです。食事とは、交わりの象徴的な行為でありますけれども、ヨセフはエジプト人の宰相として、兄弟たちと別々のテーブルに着くのです。ヨセフと兄弟たちが和解し、本当のシャローム、平和が実現するのは、まだ先のことなのであります。