ヤコブの決断 2013年12月01日(日曜 夕方の礼拝)

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ヤコブの決断

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 43章1節~14節

聖句のアイコン聖書の言葉

43:1 この地方の飢饉はひどくなる一方であった。
43:2 エジプトから持ち帰った穀物を食べ尽くすと、父は息子たちに言った。「もう一度行って、我々の食糧を少し買って来なさい。」
43:3 しかし、ユダは答えた。「あの人は、『弟が一緒でないかぎり、わたしの顔を見ることは許さぬ』と、厳しく我々に言い渡したのです。
43:4 もし弟を一緒に行かせてくださるなら、我々は下って行って、あなたのために食糧を買って参ります。
43:5 しかし、一緒に行かせてくださらないのなら、行くわけにはいきません。『弟が一緒でないかぎり、わたしの顔を見ることは許さぬ』と、あの人が我々に言ったのですから。」
43:6 「なぜお前たちは、その人にもう一人弟がいるなどと言って、わたしを苦しめるようなことをしたのか」とイスラエルが言うと、
43:7 彼らは答えた。「あの人が、我々のことや家族のことについて、『お前たちの父親は、まだ生きているのか』とか、『お前たちには、まだほかに弟がいるのか』などと、しきりに尋ねるものですから、尋ねられるままに答えただけです。まさか、『弟を連れて来い』などと言われようとは思いも寄りませんでしたから。」
43:8 ユダは、父イスラエルに言った。「あの子をぜひわたしと一緒に行かせてください。それなら、すぐにでも行って参ります。そうすれば、我々も、あなたも、子供たちも死なずに生き延びることができます。
43:9 あの子のことはわたしが保障します。その責任をわたしに負わせてください。もしも、あの子をお父さんのもとに連れ帰らず、無事な姿をお目にかけられないようなことにでもなれば、わたしがあなたに対して生涯その罪を負い続けます。
43:10 こんなにためらっていなければ、今ごろはもう二度も行って来たはずです。」
43:11 すると、父イスラエルは息子たちに言った。「どうしてもそうしなければならないのなら、こうしなさい。この土地の名産の品を袋に入れて、その人への贈り物として持って行くのだ。乳香と蜜を少し、樹脂と没薬、ピスタチオやアーモンドの実。
43:12 それから、銀を二倍用意して行きなさい。袋の口に戻されていた銀も持って行ってお返しするのだ。たぶん何かの間違いだったのだろうから。
43:13 では、弟を連れて、早速その人のところへ戻りなさい。
43:14 どうか、全能の神がその人の前でお前たちに憐れみを施し、もう一人の兄弟と、このベニヤミンを返してくださいますように。このわたしがどうしても子供を失わねばならないのなら、失ってもよい。」創世記 43章1節~14節

原稿のアイコンメッセージ

 今夕は創世記43章1節から14節より、御言葉の恵みにあずかりたいと思います。

 ヤコブたちの住むカナン地方の飢饉はひどくなる一方でありました。エジプトから持ち帰った穀物を食べ尽くすと、父は息子たちにこう言いました。「もう一度行って、我々の食糧を少し買って来なさい」。しかし、ユダはこう答えました。「あの人は、『弟が一緒でない限り、わたしの顔を見ることは許さぬ』と厳しく我々に言い渡したのです。もし弟を一緒に行かせてくださるなら、我々は下って行って、あなたのために食糧を買って参ります。しかし、一緒に行かせてくださらないのなら、行くわけにはいきません。『弟が一緒でないかぎり、わたしの顔を見ることは許さぬ』と、あの人が我々に行ったのですから」。「もう一度エジプトに行って、食糧を買って来なさい」という父ヤコブに対して、ユダは「弟のベニヤミンを一緒に行かせてくださるならば、あなたのためにエジプトに行って食糧を買ってきます」と答えました。「しかし、ベニヤミンを一緒に行かせてくださらないなら、行くわけにはいきません」と断るのです。なぜなら、エジプトの主君である人が、「弟が一緒でないかぎり、わたしの顔を見ることは許さぬ」と厳しく言い渡したからであります。このように聞くと、ヤコブはこう言って息子たちを攻めました。「なぜお前たちは、その人にもう一人弟がいるなどと言って、わたしを苦しめるようなことをしたのか」。すると彼らはこう答えました。「あの人が我々のことや家族のことについて、『お前たちの父親は、まだ生きているか』とか、『お前たちには、まだほかに弟がいるか』などと、しきりに尋ねるものですから、尋ねられるままに答えただけです。まさか、『弟を連れて来い』などと言われようとは思いも寄りませんでした」。この彼らの言葉から、私たちは42章に記されていなかったヨセフと兄たちとの会話を知ることができます。兄たちが自分の家族について話したのは、回し者ではないことを証明するためだけではなく、ヨセフがしきりに尋ねたからでもあったのです。つまり、ヨセフは、兄たちから父ヤコブについて、また同じ母ラケルから生まれたベニヤミンについての情報を聞き出そうとしたのです。彼らにとって「弟を連れて来い」と言われるなど思っても寄らないことでありました。なぜなら、彼らはエジプトの主君である人が、自分たちがエジプトに奴隷として売った弟のヨセフであるなどとは思いも寄らないことであったからです。

 ユダは父イスラエルにこう言いました。「あの子をぜひわたしと一緒に行かせてください。それなら、すぐにでも行って参ります。そうすれば、我々も、あなたも、子供たちも死なずに生き延びることができます。あの子のことはわたしが保障します。その責任をわたしに負わせてください。もしも、あの子をお父さんのもとに連れ帰らず、無事な姿をお目にかけられないようなことにでもなれば、わたしがあなたに対して生涯その罪を負い続けます。こんなにためらっていなければ、今ごろはもう二度も行って来たはずです」。ここで、ユダは、「あの子をぜひわたしと一緒に行かせてください。それなら、すぐにでも行って参ります」と願い出ます。ここで「あの子」とありますように、ベニヤミンは30歳以上の年齢のはずですが、ヨセフ物語では幼い子供のように描かれています。さらにユダは、「そうすれば、我々も、あなたも、子供たちも死なずに生き延びることができる」と語ります。これは裏を返せば、ベニヤミンを連れてエジプトに食糧を買いに行かないなら、我々も、あなたも、子供たちも、飢え死にしてしまうということであります。このことは、ヤコブに与えられていた神さまの約束に関わることでもあります。35章9節から12節にこう記されておりました。旧約の60ページです。

 ヤコブがパダン・アラムから帰って来たとき、神は再びヤコブに現れて彼を祝福された。神は彼に言われた。「あなたの名はヤコブである。しかし、あなたの名はもはやヤコブとは呼ばれない。イスラエルがあなたの名となる。」神はこうして、彼をイスラエルと名付けられた。神は、また彼に言われた。「わたしは全能の神である。産めよ、増えよ。あなたから一つの国民、いや多くの国民の群れが起こり/あなたの腰から王たちが出る。わたしは、アブラハムとイサクに与えた土地をあなたに与える。また、あなたに続く子孫にこの土地を与える」。

 このようにヤコブは、自分から一つの国民、いや多くの国民の群れが起こるとの約束を与えられていたのです。もし、ヤコブがベニヤミンを連れていくことを許さないならば、三世代にわたるヤコブの家族は飢え死にしていまい、主の約束は実現しないことになってしまうわけです。では今夕の御言葉に戻ります。旧約の77ページです。

 ユダはさらに、ベニヤミンのことは自分が保障すると語ります。ユダは、「その責任をわたしに負わせてください。もしも、あの子をお父さんのもとに連れ帰らず、無事な姿をお目にかけられないようなことにでもなれば、わたしがあなたに対して生涯その罪を負い続けます」と語るのです。このユダの姿は、かつてのユダとは大きく違います。37章によれば、弟のヨセフをイシュマエル人の隊商に売ることを提案したのはユダでありました。その26節、27節にこう記されておりました。「ユダは兄弟たちに言った。『弟を殺して、その血を覆っても、何の得にもならない。それよりも、あのイシュマエル人に売ろうではないか。弟に手をかけるのはよそう。あれだって、肉親の弟だから。』兄弟たちは、これを聞き入れた」。このようにユダは、ヨセフを奴隷として売ることを提案した人物であったのです。そして、兄弟たちはそれに賛成しながら、誰もヨセフがいなくなった責任を負わなかったのです。彼らは、ヨセフの着物を雄山羊の血に浸して、それを父のもとへ送り届けることによって、ヨセフについての責任を逃れたのです。ヨセフについて責任を負っていた長男のルベンさえも、そのようにして責任を逃れたのです。しかし、今夕の御言葉では、だれも責任を取ろうとしない中にあって、ユダは、「あの子のことはわたしが保障します。その責任をわたしに負わせてください。もしも、あの子をお父さんのもとに連れ帰らず、無事な姿をお目にかけられないようなことにでもなれば、わたしがあなたに対して生涯その罪を負い続けます」と言うのです。前回学んだ御言葉には、ルベンがヤコブにベニヤミンを連れて行くことを願い出る言葉が記されていました。42章37節にこう記されています。「ルベンは父に言った。『もしも、お父さんのところにベニヤミンを連れ帰らないようなことがあれば、わたしの二人の息子を殺してもかまいません。どうか、彼をわたしに任せてください。わたしが、必ずお父さんのところに連れ帰りますから』」。ここでルベンは自分で責任を取らず、自分の二人の息子に責任を取らせようとしています。しかし、今夕のユダの言葉はそうではありません。ユダは、だれも責任を取ろうとしない中で、「その責任をわたしに負わせてください」と願い出るのです。なぜ、ユダはこのようなことを言うことができたのでしょうか?それは、彼が自分の犯した罪を心から悔い改めていたからです。ヨセフがいなくなった時、ヤコブは幾日もヨセフのために嘆きました。喪の期間が過ぎても、ヤコブは慰められることを拒んだのです。兄弟たちはその父の姿を見てきたわけです。特に、ユダは自分の提案によって、ヨセフをエジプトに売ってしまったのですから、人一倍、その責任を感じていたと思います。ヨセフを失い嘆きの中にあったヤコブの生き甲斐となったのは最愛の妻ラケルから生まれたもう一人の息子であるベニヤミンでした。ヤコブは、そのベニヤミンがエジプトで不幸な目に遭うのではないかと恐れているわけです。しかし、ユダは、「その責任をわたしに負わせてください」と願い出ることにより、ヤコブの恐れを取り除こうとするのです。このようにして、ユダは、父ヤコブに、ベニヤミンを自分に任せてエジプトに食糧を買いに行かせるか、それとも、ベニヤミンを自分に任せずに、家族を飢え死にさせるかの二者択一を迫るのです。

 この二者択一の問いを受けて、父イスラエルは息子たちにこう言いました。「どうしてもそうしなければならないのなら、こうしなさい。この土地の名産の品を袋に入れて、その人への贈り物として持って行くのだ。乳香と蜜を少し、樹脂と没薬、ピスタチオやアーモンドの実。それから、銀を二倍用意して行きなさい。袋の口に戻されていた銀も持って行ってお返しするのだ。たぶん何かの間違いだったのだろうから。では、弟を連れて、さっそくその人のところへ戻りなさい。どうか、全能の神がその人の前でお前たちに憐みを施し、もう一人の兄弟と、このベニヤミンを返してくださいますように。このわたしがどうしても子供を失わねばならないのなら、失ってもよい」。ベニヤミンをユダと一緒に行かせる決断をしたヤコブは、家長としてどのようにすべきかを命じております。一度決断したら、即座に行動に移るヤコブの姿がここに描かれています。ユダは、「こんなにためらっていなければ、今ごろはもう二度も行って来たはずです」と言いましたが、そのユダの言葉に触発されたかのように、ヤコブは速やかに行動するのです。ここで注目したいのは、14節のヤコブの言葉であります。「どうか、全能の神がその人の前でお前たちに憐みを施し、もう一人の兄弟と、このベニヤミンを返してくださいますように。このわたしがどうしても子供を失わねばならないのなら、失ってもよい」。ここでヤコブは「全能の神」(エル・シャダイ)と言っておりますが、これは先程見た35章で、神さまがヤコブに示されたお名前でありました。ヤコブは、「あなたの子孫を一つの国民にする」という約束を与えられた全能の神の御名を呼び、その人の前で息子たちを憐れんでくださるようにと願うのです。その憐れみによって、ヤコブは、「もう一人の兄弟と、このベニヤミンを返してくださいますように」と言うのです。ここでの「もう一人の兄弟」は、これまでの文脈からすれば、エジプトに残されているシメオンのことであります。しかし、ヤコブはシメオンの名前を呼ばないのです。ヤコブの関心はここでも、もっぱらベニヤミンに注がれているのです。ヤコブは最後に、「このわたしがどうしても子供を失わねばならないのなら、失ってもよい」と言っていますが、ここでの「子供」もベニヤミンのことが念頭に置かれています。ヤコブにとっての子供は、ラケルが命と引き換えに産んだベニヤミンであるのです。しかし、そのベニヤミンを、ヤコブは今夕の御言葉で手放すのであります。ヤコブにとって、独り子とも言えるベニヤミンを神さまの憐みにおゆだねするのです。私たちはここに、独り子イサクをいけにえとしてささげようとしたアブラハムに通じる信仰を見ることができるのではないでしょうか?このままでは家族が飢え死にしてしまうという状況に追い込まれて、ようやくヤコブはベニヤミンを自分の手から神さまにおゆだねすることができたのです。そして、そのようなヤコブに、全能の神は、ベニヤミンだけではなく、もう一人の兄弟、ヨセフをも返してくださるのです。

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