夢を解くヨセフ 2013年10月13日(日曜 夕方の礼拝)

問い合わせ

日本キリスト改革派 羽生栄光教会のホームページへ戻る

夢を解くヨセフ

日付
説教
村田寿和 牧師
聖書
創世記 40章1節~23節

聖句のアイコン聖書の言葉

40:1 これらのことの後で、エジプト王の給仕役と料理役が主君であるエジプト王に過ちを犯した。
40:2 ファラオは怒って、この二人の宮廷の役人、給仕役の長と料理役の長を、
40:3 侍従長の家にある牢獄、つまりヨセフがつながれている監獄に引き渡した。
40:4 侍従長は彼らをヨセフに預け、身辺の世話をさせた。牢獄の中で幾日かが過ぎたが、
40:5 監獄につながれていたエジプト王の給仕役と料理役は、二人とも同じ夜にそれぞれ夢を見た。その夢には、それぞれ意味が隠されていた。
40:6 朝になって、ヨセフが二人のところへ行ってみると、二人ともふさぎ込んでいた。
40:7 ヨセフは主人の家の牢獄に自分と一緒に入れられているファラオの宮廷の役人に尋ねた。「今日は、どうしてそんなに憂うつな顔をしているのですか。」
40:8 「我々は夢を見たのだが、それを解き明かしてくれる人がいない」と二人は答えた。ヨセフは、「解き明かしは神がなさることではありませんか。どうかわたしに話してみてください」と言った。
40:9 給仕役の長はヨセフに自分の見た夢を話した。「わたしが夢を見ていると、一本のぶどうの木が目の前に現れたのです。
40:10 そのぶどうの木には三本のつるがありました。それがみるみるうちに芽を出したかと思うと、すぐに花が咲き、ふさふさとしたぶどうが熟しました。
40:11 ファラオの杯を手にしていたわたしは、そのぶどうを取って、ファラオの杯に搾り、その杯をファラオにささげました。」
40:12 ヨセフは言った。「その解き明かしはこうです。三本のつるは三日です。
40:13 三日たてば、ファラオがあなたの頭を上げて、元の職務に復帰させてくださいます。あなたは以前、給仕役であったときのように、ファラオに杯をささげる役目をするようになります。
40:14 ついては、あなたがそのように幸せになられたときには、どうかわたしのことを思い出してください。わたしのためにファラオにわたしの身の上を話し、この家から出られるように取り計らってください。
40:15 わたしはヘブライ人の国から無理やり連れて来られたのです。また、ここでも、牢屋に入れられるようなことは何もしていないのです。」
40:16 料理役の長は、ヨセフが巧みに解き明かすのを見て言った。「わたしも夢を見ていると、編んだ籠が三個わたしの頭の上にありました。
40:17 いちばん上の籠には、料理役がファラオのために調えたいろいろな料理が入っていましたが、鳥がわたしの頭の上の籠からそれを食べているのです。」
40:18 ヨセフは答えた。「その解き明かしはこうです。三個の籠は三日です。
40:19 三日たてば、ファラオがあなたの頭を上げて切り離し、あなたを木にかけます。そして、鳥があなたの肉をついばみます。」
40:20 三日目はファラオの誕生日であったので、ファラオは家来たちを皆、招いて、祝宴を催した。そして、家来たちの居並ぶところで例の給仕役の長の頭と料理役の長の頭を上げて調べた。
40:21 ファラオは給仕役の長を給仕の職に復帰させたので、彼はファラオに杯をささげる役目をするようになったが、
40:22 料理役の長は、ヨセフが解き明かしたとおり木にかけられた。
40:23 ところが、給仕役の長はヨセフのことを思い出さず、忘れてしまった。創世記 40章1節~23節

原稿のアイコンメッセージ

 前回学びましたように、ヨセフは、ポティファルの妻の偽証によって、王の囚人をつなぐ監獄に入れられてしまいました。しかし、主がヨセフと共におられ、恵みを施し、監守長の目に適うように導かれたので、監守長は監獄にいる囚人を皆、ヨセフの手にゆだね、獄中の人のすることはすべてヨセフが取りしきるようになります。監守長は、ヨセフの手にゆだねたことには、一切目を配らなくてもよいほどに、ヨセフを信頼していたのです。

 これらのことの後で、エジプト王の給仕役と料理役が主君であるエジプト王に過ちを犯しました。ここで「給仕役」とありますが、新改訳聖書は「献酌官」と訳しています。献酌官は王に酒を注ぐ人で、王の相談役でもありました(ネヘミヤ2:1参照)。いずれにしても、給仕役と料理役は、どちらも王の側近であります。また、ここで「過ち」を、新改訳聖書は「罪」と訳しています。この罪が何であったのかは分かりませんが、給仕役は王にぶどう酒を飲ませる人であり、料理役は王にパンを焼く人でありますから、食事にかかわる罪であったと思われます。おそらく、この二人には王を毒殺しようとした嫌疑がかけられていたのでありましょう。それで、エジプトの王ファラオは怒って、未決囚として、二人の宮廷の役人を、侍従長の家にある牢獄、つまりヨセフがつながれている監獄に引き渡したのです。ここでの侍従長は、ヨセフをイシュマエル人の手から買い取ったエジプト人ポティファルであります。ポティファルはヨセフのよい働きを覚えていたのでしょう。侍従長は彼らをヨセフに預け、身辺の世話をさせるのです。給仕役と料理長は未決囚とはいえ、王の側近ですから、侍従長は、ヨセフにその身の回りの世話をさせたのです。

 牢獄の中で幾日かが過ぎた頃、給仕役と料理役は、二人とも同じ夜に夢を見ました。その夢には、それぞれ意味が隠されていたのです。朝になって、ヨセフが二人のところへ行ってみると、二人ともふさぎ込んでおりました。その様子を見て、ヨセフは二人の宮廷の役人にこう尋ねます。「今日は、どうしてそんなに憂うつな顔をしているのですか」。すると、二人は、「我々は夢を見たのだが、それを解き明かしてくれる人がいない」と答えました。当時は、夢の解き明かしをする魔術師や賢者がおりました(41:8参照)。夢の解き明かしについての書物もたくさんあり、一つの学問のように考えられていました。しかし、監獄につながれていては、魔術師や賢者のもとに行くことができないので、彼らはふさぎ込んでいたのです。それを聞いてヨセフはこう言います。「解き明かしは神がなさることではありませんか。どうかわたしに話してみてください」。このヨセフの言葉の背後には、神さまが夢をとおして、これから起こることをお示しになるという考え方があります。それゆえ、ヨセフは「解き明かしは神がなさることではありませんか」と言うのです。また、この言葉は、「解き明かしは人間の知恵や技術によるものではない」ことをも言い表しています。それで、ヨセフは「どうかわたしに話してみてください」と言うのです。給仕役の長はヨセフに自分の見た夢を話しました。「わたしが夢を見ていると、一本のぶどうの木が目の前に現れたのです。そのぶどうの木には三本のつるがありました。それがみるみるうちに芽を出したかと思うと、すぐに花が咲き、ふさふさとしたぶどうが熟しました。ファラオの杯を手にしていたわたしは、そのぶどうを取って、ファラオの杯に搾り、その杯をファラオにささげました」。この給仕役の夢のポイントは、彼の献げた杯がファラオのもとに届いているということです。このような夢の話を聞いて、ヨセフはこう言います。「その解き明かしはこうです。三本のつるは三日です。三日たてば、ファラオがあなたの頭を上げて、元の職務に復帰させてくださいます。あなたは以前、給仕役であったときのように、ファラオに杯をささげる役目をするようになります。ついては、あなたがそのように幸せになられたときには、どうかわたしのことを思い出してください。わたしのためにファラオにわたしの身の上を話し、この家から出られるように取り計らってください。わたしはヘブライ人の国から無理やり連れて来られたのです。また、ここでも、牢屋に入れられるようなことは何もしていないのです」。このヨセフの言葉は、夢の解き明かしとその報酬としてのヨセフの願いから成っています。ヨセフは、給仕役が以前と同じように、ファラオに杯をささげる役目をするようになると告げた後で、「ついては、あなたがそのように幸せになられたときには、どうかわたしのことを思い起こしてください」と懇願するのです。15節は、ヨセフの身の上についての言葉ですが、ここでヨセフは自分がヘブライ人の国から無理やりエジプトに連れて来られたこと、さらには牢屋に入れられるようなことは何もしていない、自分の無実を主張しています。

 料理役の長もヨセフが巧みに解き明かすのを見て、こう言いました。「わたしも夢を見ていると、編んだ籠が三個わたしの頭の上にありました。いちばん上の籠には、料理役がファラオのために調えたいろいろな料理が入っていましたが、鳥がわたしの頭の上の籠からそれを食べているのです」。この料理役の夢のポイントは、料理がファラオのもとに届いていないということです。このような夢の話を聞いて、ヨセフはこう答えました。「その解き明かしはこうです。三個の籠は三日です。三日たてば、ファラオがあなたの頭を上げて切り離し、あなたを木にかけます。そして、鳥があなたの肉をついばみます」。ここで、ヨセフは夢を解き明かすだけで、その報酬については語りません。また、ヨセフの解き明かしを聞いた、給仕役と料理役の言葉、リアクションも一切記されておりません。料理役がヨセフの解き明かしを聞いて、どのようなリアクションを取ったのか気になるところですが、何も記されていないのです。それにしても、ヨセフはこのような解き明かしを臆面もなく語ることがよくできたものだと思います。しかし、これはヨセフに人の心を思いやる気持ちがなかったからではなく、ヨセフが夢の解き明かしを神がなさることと信じて疑わなかったからだと思います。神さまは、夢によってこれから起こることを示されるのですから、夢を解き明かすものはそれがどのようなことであろうと語られねばならないのです。私たちは37章で、「ヨセフの夢」について学びましたけれども、兄弟たちの前で、ヨセフが自分の見た夢を語ったのも同じ理由からであります。ヨセフはその夢を神さまからの啓示として受け取り、それを隠すことなく、そのまま兄弟たちに、また父ヤコブに話したのです。そのことは、啓示の書である聖書がどれほど厳しいことを語っていても、そのとおり語らねばならないことに似ています。それゆえ、ヨセフは、料理役の顔色をうかがうことなく、その夢をはっきりと解き明かしたのです。

 さて、三日目にファラオの誕生日であったので、ファラオは家来たちを皆、招いて、祝宴を催しました。そして、家来たちの居並ぶところで例の給仕役の長の頭と料理役の長の頭を上げて調べました。ヨセフは、給仕役の夢を解き明かした際、「三日たてば、ファラオがあなたの頭を上げて、元の職務に復帰させます」と言っておりましたが、その言葉のとおり、ファラオは三日目に、給仕役の頭を上げて、つまり名誉を回復させて、再び杯をささげる役目をするようにさせたのです。また、料理役の長はヨセフが解き明かしたとおり、頭を上げられ、つまり頭を胴体から引き離されて、木にかけられたのです。給仕役と料理役はどちらも頭を上げられるのですが、それは全く異なる仕方においてであったのです。

 このように、給仕役はもとの役目をするようになり、幸せになるのですが、ヨセフのことを思い出さず、忘れてしまいました。それは、ヨセフのときがまだ来ていなかったからであります。聖書は、「何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある」と教えておりますが、給仕役がヨセフのことを思い出すにも時があるのです(コヘレト3:1)。私たちもすべてのことには、神さまが定められた時があることを覚えて、その時をヨセフのように待つ者でありたいと願います。

関連する説教を探す関連する説教を探す